【二】会食パーティ
会場には、優しげな顔をしているDomが多かった。入り口の脇に立った僕は、緊張しながら周囲を見ていた。様々な人がいて、高等部の同級生を除けば、誰がDomで誰がSubなのかさっぱり分からない。普通科高校を卒業したSubも勿論いる。
僕が暮らしてきたこの、|葉桜《ハザクラ》市の、駅前にある大きなホテルの二階の広間で、現在は会食パーティが行われている。信頼関係を築ける相手が見つかるまでは、何度でも相手を変える事も許可されているから、焦って選ばなくても良いし、逆に適当に選んでも構わないようだ。
聞き耳を立てていると、Dom達は、身分を名乗っている事が多かった。Sランクの社会的ステータスがあるDomや外見が麗しいDomは、特に沢山のSubに囲まれている。それは逆も同様で、Sランク階級の両親を持つSubや美貌のSubは大勢のDomに群がられている。僕は平凡なBランクの家庭に生まれ、Usualの両親の元で育ったSubだ。家柄は目立たない。かと言って、容姿が目立つかと言われると、それもまた違う。
食べてもあまり太れない僕の体は貧相であり、身長こそ176cmとなったが、これも――Subにとっては利点とは言えなかった。今となっては、僕は、『粗相』の意味合いも、『S』や『M』の意味合いも、学習したから知っている。DomとSubは肉体関係を結ぶのだ。その時、どちらかといえば、Domは自分よりも背が低いSubを好むという研究結果があるらしい。自分よりも逞しいSubを屈服させたいと願うDomは少数なのだという。
僕の身長は、会場にいる人々の平均と変わらない。つまり、Domとも変わらないのだろう。一方の囲まれている見目麗しいSub達は、そう背が高くない事が多い。またあまり顔の造形が整っていなくても、背が低いSubは話しかけられている姿が多くなってきた。
入り口脇に立ったままで、僕は誰に話しかけられるでもなく、場を見守っていた。僕は自分の容姿について考える。僕の目は、どこかつり目だ。ギョロギョロと大きいばかりに感じる。鼻は低くも無く、高くも無い。唇は薄い。自分自身を美しいと思った事は無い。気を遣える髪や指先に気を配り、スキンケアをして肌つやを保つのが精一杯だった。それらの行いは、いつか信頼関係を結べる相手に『褒められたい』一心で努力しただけである。
この世界には、欲望を抑えこむ抑制剤が存在するから、僕も何度かそれを服用した事がある。それは、誰かに認められたいという、どうしようもない衝動に駆られた時だ。
なお――Domと同じように、Subにも選ぶ権利がある。そうである以上、僕は行動を起こさなければならないだろう。僕は、単独で立っている人々を見た。一見しただけでは分からないが、皆、IDカードを首から提げている。その紐の色が青ならばDomであり、赤ならばSubだ。
しかし既に会食パーティが始まり、二十分ほどが経過している現在、一人でいる者は少ない。俯いてから、僕は改めて会場中を見渡した。すると、中央で一人、シャンパングラスを手にしている青年が視界に入った。その姿を見た時、僕はゾクリとした。明らかに威圧感が漏れ出している。Dom同士であっても、より強いDomの威圧感には、畏怖を覚える事があるらしい。その青年の周囲には、だからなのか、Subの姿はおろか、Domの姿も無い。『Glare』は、Domが不機嫌な時に溢れ出す威圧感なのだから、彼は不機嫌なのだろう。それでも、抑えようとしているのは分かる。
鴉の濡れ羽色の髪と瞳をした、切れ長の目の青年は、表情には実に退屈そうな色を浮かべている。緩慢に瞬きをする度に、『誰も近づくな』というような、オーラを放っている。非常に長身で、端正な顔立ちをしている。僕は思わず、その気配により、目が離せなくなってしまった。冷や汗が零れてくる。呆然としていたその時、不意に青年が僕を見た。首の青い紐が揺れる。真っ直ぐに目が合った瞬間、僕の内側から激しい衝動が浮かんできた。
彼に、『命じられたい』――そんな感覚がこみ上げてきたのだ。こんな事は、人生で初めてだった。暫しの間、青年は僕を見ていた。僕にはその一時が悠久に思え、見られている事にだけでも幸せを感じた。
青年が、歩き始めた。周囲の人波が割れる。皆、驚いたように、青年を見ていた。威圧感が不意に消えた頃、青年が目指す位置が入り口だと、僕は理解した。そうでなければ、こちらへと歩いてくる理由が無い。僕は彼が帰ってしまうのだろうと思い、寂しくなった。
だが――。
「お前」
青年が立ったのは、僕の正面だった。それまで無表情だった青年は、僕を見ると、意地の悪い顔で笑った。どこか残虐な色が、瞳には浮かんでいる。彼のIDカードをチラリと見れば、『|葛木水城《カツラギミズキ》』と書いてあった。
「顔を上げろ」
「……っ」
慌てて視線を戻すと、少し屈み、僕を見て愉悦塗れの顔をしている、切れ長の目と視線が合った。葛木さんは、右手を持ち上げる。そして長い端正な指先三本を、不意に僕の唇に当てた。そして撫でるように左右に動かす。瞬間、僕の体の奥深くがゾクリとした。目が惹きつけられて離せない。唇を撫でられながら、僕は唇の両端を持ち上げた、端正な葛木さんの顔を見ていた。
「俺に支配されたいか?」
背筋を衝撃が駆け抜けた。テノールの葛木さんの声が、僕の三半規管を麻痺させたようになる。気づくと目を潤ませていた僕は、無意識に頷いていた。うっすらと開いている僕の唇を、その間も撫でながら、意地の悪い顔で顎を持ち上げ、葛木さんが勝ち誇ったような顔をした。
この瞬間――僕は、囚われてしまったのだろう。