【六】尋問
「っ……」
リオンは、頭からシャワーをかぶっていた。
目が覚めると腕枕をされていて、唖然としていたら『シャワーを浴びてきたらどうだ』と、なんでもないことのように言われ、どうしていいのか分からなかったので、結果的に冷静になる時間を欲したこともあり、リオンはこうして浴室に入った。そして目を閉じ、頭からずっと温水をかぶっている。
――一回はおろか、二回も。
いいや、果てさせられた回数だけ言うならば、もう数え切れない。
まだ肌に快感の名残りがある気がして、思わず息を詰める。
「……」
俯いて薄らと瞼を開ける。早く逃げなければ、今、収まっている今こそ、逃げなければ、また大変な状態になるかもしれない。そう考えてから、左手首の白い腕輪を見る。これが希聖国の拘束具だという知識は、リオンにもあった。外せないことで有名だ。
「なんとかしなければ……」
このままシャワーを浴び続けていても埒があかない。もう二時間も入っているのだから、そろそろ出なければと、髪を洗うべくシャンプーに手を伸ばし、それが一晩中己を抱いていたガイから香ってきたのと同じ匂いだと気づき、思わず唇を噛む。
なるべく気にしないようにしながら、髪と体を手早く洗い終え、リオンは入浴を終えた。
脱衣所の洗濯機の上には、昨日ソファで乱された黒い正装が畳んで置いてあり、その上には真新しい下着の袋があった。
「……」
溜息を押し殺しながら、リオンはそれらを身につける。
黒い正装には特異な技術で、常に清潔を保つ力がこもっているので、洗濯をせずとも汚れることなどはない。これは闇青国の技術だ。ビシリと服を身につけると、少しだけ平静さが戻ってきた。脱衣所を出てリビングへと向かうと、ソファに座っていたガイが顔を上げる。
「長かったな。いつもこうなのか?」
「……帰る」
「帰れると思っているのか?」
「この腕輪の解除コードを言え」
「お前は俺に命令できるような立場にいるのか? ん?」
「ッ……なにが目的だ?」
「それは今から本部に連れて行って、そこでじっくり聞くとする」
そう言うとガイが立ち上がった。そしてリオンの隣をすり抜けて、玄関へと向かう。
「来い」
「……ああ」
仕方が無いので、相手の目的を確認しようと考えて、リオンは大人しく後に従った。エントランスの扉の外は、やはり本部の廊下に繋がっていた。そこを、ガイの後ろを静かにリオンは進む。ガイがある部屋の前で立ち止まり、ポケットから取り出した鍵で、ドアを開けた。
「入れ」
「……」
言われた通りに中へと入ると、そこには敵対者として名前と顔は知っていたファレルと、その他十名前後の希聖国の軍人の姿があった。皆、同じ灰色の軍服姿だ。倒せそうか、一人一人を素早く観察して考えていると、背後でガイがドアを施錠したのが分かった。
「さぁて」
「!」
後ろから肩を抱き寄せられたのはその時だった。
「な」
驚いて目を丸くし、反射的に顔を向けた――のが、悪かった。
「ッ」
触れるだけのキスをされた。
キスを終え、己の唇を舌でペロリと舐めているガイの顔が視界に入った瞬間には、リオンの体の中に熱が宿っていた。これは、最初の時と完全に同じだった。油断していた。尋問と言われた段階で、拷問を想定してはいたが、こんな――……。
「……っ、ッ……」
すぐに体が震えだし、腰の力が無くなり始める。唇を引き結び、素早く改めてリオンは周囲を見渡した。皆がこちらを注視している。このような場では、決して声など出したくはない。
「ンっ……ッ」
だが意地悪くガイが、腕でリオンを抱き寄せ、もう一方の右手でリオンの首の下をくすぐった。ゾクゾクゾクと、体に快楽が駆けていく。
「さて、尋問を始めるとするか」
ガイがリオンの耳元で囁いた。触れた吐息にすら、感じ入ってしまい、リオンの肩がピクンと跳ねる。
「色々聞きたい事はあるが、一番は――おたくの皇帝陛下の居場所だ。この国に降りているのは分かっているんだ。何処にいる? 闇青国に戻った形跡は無いが、足取りが掴めない」
それを耳にして、リオンは目を見開いた。驚愕が、一瞬だけ快楽を忘れさせた。
実際、皇帝陛下は日本にいるともいえる。だが、いないとも言える。理由は、嘗て日本と同じ国の色をしていた、通称・高天原と呼ばれる天空の地に、皇帝陛下がいるからだ。日本とは僅かに色が異なるのだが、元が同一なので、単純な探索であれば、同一だと判定され、日本にいると考えられてもおかしくはない。驚いたのは、皇帝陛下が帝国に不在であると気づかれていた点だ。これは、リオンもまた先日聞いたばかりの知識だ。現在皇帝陛下は、通称・高天原と言われる、無人の大陸を占拠し、制服したところだという。しかしそれを知られるわけにはいかない。
「皇帝陛下の信任の厚いお前が知らないわけはないよな? ん?」
より強くリオンを抱き寄せ、ガイがリオンの顎を掴んで持ち上げる。
その感覚で、リオンは我に返った。そして思わず、キッとガイを睨み付ける。
「離せ」
「答えてくれたら検討する」
「……」
「ほら、どうする? ん?」
ガイは再び、チュッと触れるだけの口づけをした。だが――かなり莫大な量の粒輝力を、リオンに注いだ瞬間でもある。
「っぁ」
カクンっと、リオンの腰から力が抜けた。頽れそうになったその体を、ガイが抱き留める。
「ん?」
そしてとどめとばかりに、リオンの額に口づけて、もう一方の手では左耳の後ろをなぞる。いずれの箇所からも粒輝力が入り込んできて、リオンの皮膚の下、全てに、快楽の兆しが満ちたようだった。
「ッ」
しかし、言えることは何一つ無い。
だから睨むのが精一杯の抵抗なのだが、リオンは自分でも、今の自分が物欲しそうな顔をしているだろうと自覚できて、悔しくなった。瞬間的に、快楽からびっしりと汗をかいていて、涙も滲んでくる。体が熱く、呼吸が苦しい。ギュッと目を閉じ、それからまた開いて、リオンは焦点が次第に合わなくなっていく瞳を、ただただ涙と情欲で濡らす。
「リオン。皇帝陛下はどこにいる? 言え。そうすれば、楽にしてやるぞ?」
「……っ」
しかし絶対に言うことは出来ないので、必死に唇を噛む。
そしてまた、ガイを睨む。睨んでもどうにもならないのだが、そうする以外になにも出来ない。
「っ、く」
ガイがまたリオンに口づけた。そしてリオンの下唇の上を己の舌先でなぞる。
流れ込んでくる快楽に、リオンがすすり泣くような吐息混じりの声を放つ。
「やめ……ぁ……も、もう、止めろ……止めっ、ッ……こんな、こんなのは……」
その時、ふと思いついたような顔をして、ガイが唇で弧を描いた。
「――リオン。ここにいるのは、全て希聖国の人間だ。この意味が分かるか?」
それから非常に残忍な笑みを浮かべ、嘲笑混じりの冷徹な声音でガイが言った。
それを耳にし、意味に気づいた瞬間、ハッとしたようにリオンが目を見開き息を呑む。
即ち、それは……ここにいる全員が、自分をおかしな状態に出来るという意味に他ならない。先程までとは、周囲を観察する意味が変わった。最早力の入らないこの体では、誰か一人にでも、無論複数ならなおさら、抵抗など出来ない。今も内側から襲い来る灼熱と、昨日の痴態が脳裏で交錯したその瞬間……バリンっと、リオンの心が砕け散った。
「……?」
不意にリオンの瞳が暗く染まり、光が全く見えなくなり、絶望一色のような顔になって凍りついたものだから、思わずガイは硬直した。あんまりにもリオンが暗い顔をして俯いたからだ。そして――先程までの、快楽由来の様子ではなく、ポロリと、一粒の涙が筋を作って頬を濡らし始めた。次第にそれが溢れていく。
これには周囲も、声こそ出さなかったが騒然となった。
ファレルは、引きつった顔で笑っている。最早どう見ても、ガイの台詞の方が悪役にしか思えなかった。それは、見守っていた周囲も同じ心境である。
静かにリオンが泣き始めた。無言で泣いている。
その姿は、普段の凜々しい男前の、存在感が大きい敵……ではなく、どう見てもただの不憫な麗人にしか見えない。あんまりにも美しい泣き顔に、ガイは胸を抉られた気持ちになった。可哀想でたまらなくなる。自分がやらかしたわけであり、言い過ぎたのだが。
「リ、リオン? 冗談だ。な? 冗談だから。そんな事はしない。な? 落ち着け」
「……」
慌てて努めて明るい声を出し、両腕でリオンをガイが抱きしめる。そして右手でリオンの後頭部の髪を撫でると、リオンがギュッと目を閉じた。するとボロボロと涙が零れ落ちていく。
「そ、そうだよな!」
「あ、ああ! そうだよ、そうだとも!」
「俺達何もしないんで!」
「だ、だから、そんな!」
「レイプ目止め――」
「ば、ばか、言うな!」
周囲も口々にフォローを始める。しかし普段は泣くなどとは想像もつかないリオンだが、泣き止む様子は全くない。
リオンは、恐怖と快楽と混乱と絶望がごちゃまぜで、何を考えていいのかも分からなくなっており、ただただ悲しいという気持ちだけは分かり、涙だけが止まらなくなっていた。
「リオン、ほら」
ポンポンとガイがリオンの背中を撫でる。しかし己の腕の中で震えながら泣いているリオンは……やはり、非常に綺麗に見えた。ただ嗜虐心がそそられたというよりは、泣かせてしまい、傷つけてしまったという、焦りの方が大きい。どうして敵を相手に、こんなに焦っているのかもよく分からないのだが――それくらい、リオンの先程の瞳が暗かったとしか言えない。
「わ、分かったから。分かった。言いたくないんだな? 分かった。言わなくていい!」
思わずガイがそう強い声で言った。周囲も頷いている。
ファレルは完全に呆れた顔をしてから頷いた。
「……まぁ、リオンさんは、保護対象ですからね。こういうのは、やめましょ? ガイ博士、ちょっと最低です」
「ちょっと、だろ? まだ、ちょっとだよな?」
「さぁ? それは、リオンさんに伺っては?」
「とりあえず、落ち着ける場所――まぁ、家に連れて戻る。今日は解散だ」
ガイはそう言うと、リオンの腰を支えて、ドアへと促す。
「ほら、帰るぞ」
「……」
まだ静かに泣き続けているリオンは、何も言わなかったが、ゆっくりと歩きはじめた。
こうして今し方来たばかりの道を戻り、すぐにガイはリオンを、自宅のエントランスの中へと引き寄せた。そして施錠してすぐ、思わず強く抱きしめ、顔を傾け唇を奪う。すると泣いたままキスを受け入れたリオンが、ゆっくりと瞬きをし、そして――自分から瞼を伏せ、顔を傾けた。キスを待つその姿に、胸が鷲掴みにされたガイは、ガラでもなく、思わず深々とリオンの唇を貪る。そのまま少しずつ、粒輝力を流し込む。
ただ、昨日から今朝に駆けて、散々流し込んでいたので、今日はそれほど注がなくても、リオンの内側の粒輝力は綺麗に染まって快楽も止まると、研究者であるガイには予測できた。実際そうだったようで、暫く角度を変えながら、深い口づけをしている内に、次第にリオンが蕩けたような瞳ながらも、やっと落ち着いたように呼吸をし始めた。
「大丈夫か?」
リオンの頬に手を触れ、優しい顔に苦笑を浮かべてガイが問いかける。
全般的に自分のせいだと分かるのだが、聞かずにはいられなかった。
「……」
「リオン?」
「……眠い」
リオンはぽつりとそう呟くと、瞼を閉じたりあけたりし始めた。そしてガクンと肩を揺らしてから、ガイの胸板へと倒れ込む。
「泣き疲れたんだろうし、まぁ、緊張が解けてきたのもあるんだろうが……ほら、ベッドに行くぞ。ブーツを脱げ」
ガイの言葉に、リオンが無言で頷く。
そして靴を脱いでから、ふらふらと床に立った。その腕を引いて、ガイが寝室へと誘う。
リオンはベッドに上がると、すぐに寝入ってしまった。
まだ涙の痕が残る頬を見て、やるせない気持ちになりつつ、なんとはなしにガイはリオンの髪を撫でる。艶やかな黒髪は、とても触り心地がいい。
「弱ったな……美形はこれだから……はぁ……俺は別に面食いじゃないんだが」
そう呟きつつ、リオンを見ていると動悸がするようになってしまい、ガイは焦った。先程の悲愴と絶望に溢れた顔が、まだ頭に焼きついている。
「あまり悲しい顔はさせたくないな」
そのように口にしたのは、無意識だった。