【六】過去
――あの日俺は、スノボの合宿で出かけたスウェーデンから戻った。
いつもならば出迎えてくれるはずの母の姿が無かったから、隣接していた父の診療所に顔を出しているのだろうと考えた。俺の父は医者をしていた。元々は精神科医だったと聞いたが、地元では内科の看板を掲げていたものである。
既に診療時間は終わっていたから、俺もそちらに顔を出すことにした。別に珍しいことではない。鞄を下ろして静かに向かった時、プロコフィエフのロメオとジュリエットが流れてきた。父がたまにクラシックを聞いていたから、俺もその曲には覚えがあった。やはりこちらにいたのだ。そう思い、俺は笑顔で診察室の扉を開けた。
そして、バラバラになった両親と、電動ノコギリを持った血塗れの犯人を見たのである。呆然としていると、犯人が歩み寄ってきて、俺に言った。
「スノーボードをしているんだってね」
その後、右足首と左腕の関節を折られた。殺されなかったのには、理由がある。
「これで一生スノーボードは出来ない。一生苦しむと良い。一生私を忘れず、恨み続けると良い。一生一生一生、犯罪を、中でも殺人を憎むと良い。私はそれが見たいから、敢えて君を殺さない。今は、まだ。けれどね、必ず近い将来、君が私を捕まえられなかったその時は、君を殺しに行くよ」
俺はそのまま意識を失ったし、次に気づいた時には病院にいたし、その半年後には若狭さんが見舞いという名の事情聴取に来たようにも思うが、当時の記憶は曖昧だ。
この一件以来、俺の手足は寒いと痛む事がある。
溜息を押し殺した時、少し不機嫌そうに若狭さんが俺を見た。
珍しく口元にも笑みがない。
「答えになっていないね。痛いかどうかと聞いているんだよ」
「少しな。少しだけだ、別に問題は――」
「もっと早くに言って欲しかったね。正直に話せば西塔くんだって、もう君に再開しろとは言わないと思うけどね。気持ちはわかるよ、話して巻き込みたくないんだろう?」
「……西塔には、言うなよ」
「特別話す機会がない限り、自分から言おうとは考えていないかな」
「話す機会があってもだ」
「どうして?」
「自分の幸せだった頃の象徴みたいな相手に、こういうのを知られるのは堪えられない」
正直に伝えると、若狭さんが頷いてくれた。
「分かったよ。君が不幸になってからの象徴的な友人として、僕は黙秘する」
それから若狭さんは改めて大浴場に行き、部屋に残った俺は寝台に寝転がった。
毛布を抱き枕にして、早く帰りたいと考える。
――そもそも何をしに来たのだろう?
俺を遊びに連れてきてくれたとは思えない。
なんだか疲れたなと考えながら、俺は瞼を閉じた。