【一】ぜんまい狩り





 王国歴1802年、初夏。
 今年もこのクローディア王国は、じめじめとして暑そうだ。

 開け放した窓からは、夏色の風が入ってくる。ただ、本格的な夏の到来の前に、この国には梅雨と呼ばれる季節がある。その頃は、国旗にも描かれているクローバーが、より茂ると思う。四つ葉のクローバーを国旗とするこの国には、古来より、クローバーを紋章とする王家の他に、スペード・ダイヤ・ハートをそれぞれ家紋に持つ三大公爵家が存在し、四つの葉はそれぞれの家を象徴しているらしい。俺はその内の一つ、スペードを家紋に持つナイトワース公爵家に生を受けた。

「ジェイス、そろそろ呼び出されている時刻なんじゃないの?」

 窓を眺めていると、物心ついたときからそばにいる『ぜんまい族』のキルトが、俺に声をかけてきた。視線を向ければ、白と黒のはちわれ模様の猫がいる。いいや、正確には、一見すれば『猫』ではあるが、尻尾の少し上のところに、ネジがついているから、キルトがぜんまい族である事は、一目瞭然だ。動物の猫はそもそも人語を喋らないし、ネジもついていない。

「そうだったな。忘れていた。そろそろ行くか」

 頷いて俺は、窓辺の椅子から立ち上がる。そして扉に向かうと、キルトがついてきた。
 ぜんまい族というのは――人工物と生物が融合した器に、魂が宿った存在だ。既にかなりの数がいるので、ぜんまい族として、彼らは彼らで認知されている。器は、機械魔術と生体魔術で構築され、そこに人工的に魂を定着させることで、動き話す存在が生じる。

 公爵家の王都邸宅を出て、魔導馬車に乗り、膝の上にキルトを抱きかかえて、俺は王宮へと向かった。本日俺を呼び出したのは、第二王子のアルマ殿下だ。十八歳で同じ歳ということもあり、ちょくちょく話し相手にと招かれている。

 正門を抜けて、ちょっとした観光名所となっている王宮の受付で氏名を伝えると、顔なじみの文官に挨拶をされ、その後は近衛騎士に案内をしてもらい、俺はアルマ殿下の私室へと通された。

「やぁ、ジェイス。遅かったね」
「まだ待ち合わせの三十分前ですけどね」
「いつも君は、もっと早く来るじゃないか。どうせ暇だったんだろう? 知っているぞ」
「……まぁ暇でしたが、俺だってのんびりする時もあるわけでして」

 俺は曖昧に笑いながら、ソファに座って紅茶を飲んでいるアルマ殿下を見据えた。金色の髪に紫色の瞳をしていて、王子様然としている。実際に王子様であるが。一方の俺は、黒い髪に青い目をしていて、どちらかといえば地味な色彩だ。

「それで? 暇つぶしに俺を呼び出す殿下は、基本的にはご多忙だと思うんですが、一応聞きますけど、何かご用ですか?」
「トゲがあるなぁ、もしかして、僕の呼び出しは迷惑だったかな?」
「迷惑とまでは行かないけど、立場的に断れないから、気分的に微妙です」
「正直者だな。そういうところが気に入っているとは言え、正直すぎて、たまにフォークを行儀悪く投げつけてやりたくなるよ」
「怖い怖い」

 俺は顔を背けた。
 次の瞬間、その俺の頬の横の壁にフォークが突き刺さった。

「暴力は反対です」
「僕だって反対だ。そうそう、暴力と言えば、最近――『ぜんまい狩り』が酷いみたいでねぇ。僕は憂いているんだ。何を憂いているか、分かるかな?」
「当てましょう」
「期待しよう」
「ユクス第一王子殿下が、民草を思って心を痛める事でしょう?」
「正解だ」
「安定のブラコンですよね、アルマ殿下は」
「麗しき兄弟愛だろう? 兄上は心優しいお方だから、僕がなんとかしておこうと思ってね」
「頑張ってください」

 俺は適当に述べながら、片手で座るように促されたので、アルマ殿下と対面する席へと向かう。そして長椅子に座ると、キルトが俺の隣に飛び乗って、丸くなった。

「しかし『人工的な魂の定着は冒涜』と唱える者は後を絶たない。別にその思想自体は自由であるが、だからといって、ぜんまい族を狩るのはいかがなものだろうか」
「騎士団は調査していないんですか?」
「しているだろうが、芳しい結果はないようだ。そこで、ジェイス」
「お断りします」
「……まだ僕は何も言っていないけれどね?」
「お断りします」
「キルトにだって、危機が迫るかもしれない。ぜんまい族を守るためにも、ぜんまい狩りをしている者達を排除してはもらえないかな?」
「断ってます。お断りです。これで三回目のお断りとなります」
「何故?」
「そういう……正義感みたいなのは、俺の兄上にご相談ください」

 はぁっと深く息を吐いた俺は、それからキルトを見て、猫の頭部を撫でた。

「グレイグ卿か。最近お会いしていないが、元気かな?」
「さぁ? 王家と違って我が家の兄弟仲は冷え切っておりますので」
「ふぅん。やっぱり、端から見てもユクス兄上と僕は親しいかな? だよねぇ」
「そこ掘り下げるんですね」
「? ジェイスとグレイグ卿の関係には興味はないからね。僕は基本的にユクス兄上が幸せなら満足しているから」

 心底訳が分からないという顔で、穏やかにアルマ殿下は微笑している。

「まぁとにかく頼んだよ。早急に解決して欲しい」
「なにをすれば解決になるんですか?」
「うん? それは一つ、ユクス兄上が悩まなくなれば解決だ。つまり思い出すような陰惨な事件が続かなければよしとするよ」
「……はぁ。一応言いますね、四回目。お断りします」

 俺の言葉に、紅茶のカップを持ち上げながら、余裕ある表情でアルマ殿下が笑った。

「では――『例のあの件』、グレイグ卿に暴露するとしようか」
「謹んでお引き受け致します、アルマ殿下のお心のままに」

 こうして俺は、人生で何度目になるのか不明だが、この度もアルマ殿下の下僕……もとい、友人として、ぜんまい狩りに対する対応をする事になったのである。