【五】イチジク通りの被害者
「ふむ。このイチジク通りでも、二件被害が出ているからねぇ、知らぬ存ぜぬというわけではないが。しかしこれは異な事、奇妙だね。何故、キミがぜんまい狩りについてなんて?」
「ええ……まぁ、ちょっとした興味です……」
アルマ殿下の名は伏せて、俺は曖昧に笑った。
「好奇心は偉大だ」
巨大な唇を開け、紫色の舌を出して、ファレルさんが楽しげな声を放つ。
「二人の被害者は、どんな被害にどんな状況で遭ったんですか?」
俺が尋ねると、人間らしい左手の指をファレルさんが鳴らす。すると正面にスケッチブックが出現した。これは亜空間と呼ばれる科学技術を駆使した場所から、物品を取り出すことができるという錬金術の手法である。魔術と違って、何も無い場所から出現させているように見える。魔術による召喚魔術の場合は、物理的な倉庫に魔方陣を描き、そこから呼び出す形になる。これも似た結果が生じるが、錬金術と魔術で違う例だ。
スケッチブックを開いたファレルさんは、さらさらと右手の羽ペンの先で、絵と文字を書き始めた。インクは体内から自動的に染み出してくるのだという。
「一人目のぜんまい族は、靴職人のトワトくんだ。ほら、靴頭の」
「確か革靴が頭部で、そこに人間の眼が二つついていた男の子でしたっけ?」
「そうだよ。まだ魂が定着して十年も経たない。その前の人生においても、確か三歳程度だったはずだ」
ぜんまい族の年齢の数え方には諸説あるが、多くは魂定着後の年齢で数える。
理由は魂が定着すると、生前の記憶が曖昧になる者が多いからだ。
はっきりと記憶があるキルトやファレルさんの方が、稀な例である。
「見事に首から上を落とされた。いやぁあれには処刑人のギロチンくんも真っ青になるんじゃないだろうかねぇ」
処刑人というのは、王国騎士団特務部隊直属の、罪人に対する刑を執行する騎士の俗称だ。現在その部隊の副隊長をしているのが、ぜんまい族の人物で、胸元から上の部分がギロチンなのである。主に極刑――斬首の担当をしているようだが、多くの場合、この国では終身刑が採用されるので、出番はあまりないそうだ。代わりに普段は、書類仕事をしているという噂であるが、処刑人は謎に包まれた部隊のメンバーなので嘘か本当かは分からない。
「死んじゃったんですか?」
「いいや? 靴屋の親方が、接着剤で首に頭を戻して、事なきを得たよ」
「それはよかった……」
ぜんまい族の身体構造は人それぞれなので、致命傷や急所も人間の人体とは異なることが多い。血管の有無も様々だ。
「二人目の被害者は、果実屋さんが育てている犬型ぜんまい族のラックだ。まぁ犬型といってもライオンより巨大だがねぇ」
「動物の魂が入っているんですか?」
「ああ。二百年前に亡くなった当時の愛犬の魂を定着させたと聞いているよ。経緯は知らないが、許可が下りたと果実屋の当時のご主人は泣いて喜んでいたからねぇ。今となってはラックの方が長生きであるが、犬もまた大切な家族だ」
さらさらと巨大な犬の絵を描きながら、ファレルさんが続ける。
「腹部に弓矢を突き刺されて発見されてねぇ」
「……し、死んじゃったんですか?」
「いいや? 長生きだと言っただろう。頼まれて私が診て、弓矢を引き抜いて縫合した。今ではピンピンしている。ラックの中身は主に無機物であるから、血の代わりに黒い|油《オイル》が少し漏れ出した程度で済んだ。ラックの餌も油だしねぇ」
「それはよかった」
「いずれも状況までは、私は知らないが。ただ……ぜんまい狩り――に、違いは無いだろうが、過去の例とは少し触感が違う。普通は、全てのぜんまい族の急所ともいえる、ぜんまいの破壊。体のどこかにあるぜんまいを引き抜いて破壊して、器を壊すことをぜんまい狩りと呼称すると私なんかは考えるのだが、まるでぜんまい族の体の構造を知らない誰か、あるいは、ただ単に残酷性を持ち合わせた者が、戯れに痛ましい行為をしているように思えたねぇ」
つらつらと続けたファレルさんの言葉を聞き、これは有益な情報だと思った。
ぜんまい狩りに見せかけた、愉快犯の仕業なのかもしれない。
「ファレルさんも気をつけて下さいね」
俺は、証言を聞いて注意を促すという予定を思い出しながら、念のため告げた。尤も、ファレルさんは、見た事は無いが聞いた話によると、非常に強いというから、犯人を撃退することなど雑作も無いかもしれないが。
「ありがとう、ジェイス。そうだ、今から珈琲を淹れるとしよう」
「あ、お気遣いなく。俺は、そろそろ帰りますので」
「私も飲みたいところだったのだよ。空いているビーカーはあったかなぁ」
俺は複雑な心境で笑った。ファレルさんは、アルコールランプの上にビーカーを置いてお湯を沸かし、それで珈琲を淹れることが多い。ただ、俺が昔気を利かせて、同じようにしてお湯を沸かそうとしたら、『一般的には、アルコールランプでお湯を沸かすのは危険な行為だから決して行ってはならないんだ』と、注意された。
こうして俺は、黒のアトリエで珈琲をご馳走になることになった。