フラグからの新しい一歩






「この戦場から戻ったら、恋人になってほしいんだ」

 ルイクがそう伝えた時、ナナルは微笑して、確かに頷いた。彼の絹のように艶やかな黄土色の髪が、縦に揺れるのを、確かにルイクは目にした。

 この部隊の隊長職にあったルイクは、指揮官として、今から魔竜討伐に出立するところであり、今回副隊長のナナルは部隊の残りの人員を管理するために、拠点となっている城に残る事になっていた。

 長身で均整の取れた体躯をしているルイクは黒髪を揺らし、青い目を細めて、嬉しそうな顔をしていた。過去――二人はそれぞれ想いあってはいたけれど、どちらも気持ちを伝える事は無かったし、体を重ねた事も無かった。それを、ルイクは一歩踏み出したといえる。

 ナナルはルイクを笑顔で送り出したし、ルイクもいつも通りの仕事であるからと、己の勝利を疑ってはいなかった。


 だが――世界は残酷である。
 この日、魔竜が今際の際に、強い魔力を開放し、他の部下を助けるために、ルイクは結界を展開したのだが、それでも受け止めきれず、膨大な瘴気を放ちながら、強い魔力塊がルイクの体に衝突した。結果として、ルイクは……魔術の使えない体となった。いいや、それは正確ではない。魔術自体は使用できるのだが、用いると、瘴気の残滓が反応し、体の中で魔竜の魔力が暴れ、内臓が傷つく。その度に治癒の魔術を使って治しはするものの、連続した魔術を使うと、体が耐えきれず、死に至る状態になった。

 だから、体のために、もう魔術を使うべきではないという診断が回復魔術師からは下され、その状態であるからと、隊長職も辞す事になった。

 そんなルイクに、ナナルは述べた。

「ゆっくり休むといい。もう、会う事はないだろうけど」

 端的な、別れの言葉。
 ルイクは、約束を覚えていたけれど、明確な別離を匂わせられたからと、そう――拒絶されたのだからと、この恋を諦めると決めた。もう、自分には何も残っていないのだと感じながら、ボトムスのポケットに入っていたソフトパックの煙草を握りつぶしたものである。それは、ルイクにとっての、ある種の初めての挫折だった。恋も、仕事も、すべてを失った心地だったけれど、ルイクはその時笑って見せた。


 ◆◇◆


「へぇ。王国直轄部隊のルイク・ヴェルバルンが辞めたらしいぞ」

 王国新聞を広げているマイディの声に、このワイルデスの街に展開する第二騎士団の団長をしているクラウド・サーデリスは顔を上げた。赤紫と銀を混ぜたような髪に、ラピスラズリのような瞳をしているクラウドは、筋骨隆々としていて、非常に長身で逞しい。大柄なクラウドは、部下の声に小首を傾げた。

 ルイク・ヴェルバルンといえば、救国の英雄としても名高い。
 三年前に魔竜の大群が押し寄せてきた時、最前線で戦った魔導騎士で、魔術を利用し近接戦をするとして有名な、戦闘専門の部隊の隊長だったと記憶している。王国直轄の部隊は、エリート中のエリートの集まりであり、たたき上げの人間が多い通常の騎士団とは、基本的に仲が良好ではない。なにかと彼らは、各騎士団を見下す事が多いので、あまりクラウドも好ましいとは思っていなかった。ただ、一人一人を詳しく知るわけではないから、個々人に対して思うところは特にない。

「そうか。あ、休憩に行ってくる」
「おう」

 時計を確認し、クラウドは騎士装束のポケットに煙草のボックスが入っている事を確認してから、騎士団の詰所を出た。そして暫く街路を進み、メルンバ橋の横にある喫煙所の中へと入った。魔導分煙機があり、中には先客が一人いた。

 ――ここのところ、それまでクラウドが独占していたに等しかったこの喫煙所に、その青年はたびたび姿を現す。クラウドは、そこに立っている黒い髪に青い瞳をしている、二十代後半くらいの青年の、麗しいかんばせに、実を言えば惹きつけられている。

 だから、彼がよく来る時間帯に、煙草休憩を取るようになった。
 名前も知らない青年は、自分には劣るが長身で、やはり己に比べれば細身ではあるが、男らしい体躯をしている。別段中性的でも女性的でもないのだが、元々男女問わず惚れた相手に真っすぐなクラウドは、一目惚れして以後、この青年についてばかり考えるようになった。基本的には純朴で純情なクラウドではあるが、もう、居ても立っても居られない心境で、この日は、ついに勇気を出す事に決めた。

「あ、あの」

 話しかける内容は決めていた。煙草の火を貸してほしいと、そう雑談を切り出し、少しずつ距離を縮めるつもりでいた。そして、名前をまずは教えてもらって、連絡先を尋ねて、と、脳内ではシミュレーションしていた。

「?」
「好きです、俺の恋人になってください」

 しかし勢い余った。結果、クラウドは自分の言葉に赤面し、思わず俯いた。

「え?」
「あ……」

 だが、放ってしまった言葉は取り消せない。

「その……貴方に一目惚れして……それで……俺と付き合ってほしい」

 どんどん小声になりながら、クラウドは述べた。それからチラリと青年を見る。すると彼は気怠そうな瞳のまま、無表情を変えるでもなく、じっとクラウドを見ていた。

「別にいいけど」
「――へ?」
「構わないですけど?」
「い、いいのか……?」
「ああ」

 するとあっさりと青年が頷いた。逆にクラウドの側が呆気にとられたものの、嬉しくてたまらない。

「え、えっと。えっと! じゃ、じゃあ、名前を教えてください。俺は、クラウド!」
「――別に。俺は名前にこだわりがないから、好きに呼んでくれ。俺の名前に惚れたわけじゃないだろう? 俺は何と呼ばれても別に構わない」
「え……?」

 淡々と平坦な声音で告げられ、暫しの間クラウドは困惑していたが、確かに名前など問題ではないと考える。親しくなってから、改めて聞くという計画を発案した。

「じゃぁ……アイス」
「ふぅん」
「そ、その! 目の色が、アイスブルーだから」
「そう」
「あ、の、あとは、連絡先が知りたくて」
「俺はいつもここにいるし、ここで会えばいいんじゃないか?」
「えっ……こ、恋人同士になったんだし、その……デートをしたりもしたいんだ」
「――俺は今、この橋の向こうの宿屋ホスルラに滞在している。305号室だ。他に連絡先は、今は持っていないし、退職したばかりだから、仕事先もない。伝えられる連絡先がないんだ」
「そ、そうか。じゃあ、なにかあったら、ここか宿屋に連絡する」
「ああ、そうしてくれ」

 そういうと、クラウドがアイスと命名した青年は、煙草を消した。

「じゃあ」
「あ、ああ。また」
「そうだな」

 こうしてこの日は別れた。



 ――こうして、喫煙所での逢瀬が始まった。
 いつも通りにクラウドは、アイスが来そうな時間を見計らい、日に五度ほどは煙草休憩を取る。すると予想通りアイスは喫煙所にいるが、一向に笑顔を見せてくれる事はない。それがクラウドにとっては、少しだけ寂しい。

 それが二週間ほど続いたある日、クラウドは再び勇気を出す事にした。

「なぁ、アイス」
「ん?」
「その――俺の家に遊びに来ないか?」
「ああ」

 あっさりと同意したアイスに、クラウドは安堵した。
 この日は早番だったので、そのままクラウドはアイスを伴い、自宅へと向かった。騎士団の寮ではなく、団長権限で一軒家を借りている。二人で歩く街路には、秋のススキが揺れていた。

「ここだ」
「綺麗にしているんだな」
「まぁあまり物がないだけだけどな」

 照れくさくなって、クラウドははにかむように笑った。短髪を軽く手で?く。

「座ってくれ」

 ラグの上の座布団に、アイスを促してから、クラウドは温かいビビス茶を淹れた。カップを二つ手にリビングへと戻り、対面する席に腰を下ろす。

「ええと」

 それからは、喫煙所での毎日と同じように、クラウドがぽつりぽつりと赤面しながら雑談をし、無表情のアイスが適度に頷いて相槌をした。アイスを見ているだけでクラウドは舞い上がってしまい、緊張感も消えない。アイスの方は感情が見えないから、決してクラウドに好意があるわけではないのだろうとは分かっていたが、それでも付き合えているという、口約束であっても現状がたまらなく幸せであるから、クラウドはこの空間を大切にしたかった。

 その日は、空の色が薄暗くなってから、アイスが帰っていった。
 これ以後、クラウドは早番の日はアイスを家に招くようになり、アイスはそれを断らなかった。


 喫煙所にて、二人が付き合って三週間目のその日も、二人は白い空の下、喫煙所にて煙草を吸っていた。この日は本当にクラウドは火を忘れた。

「悪い、ライターを貸してくれないか?」
「ああ」

 するとアイスが、銀色のオイルライターの蓋をあけ、手ずから火を点けた。僅かに緊張しながら、クラウドは銜えた煙草を近づける。こうして火を点けてから、さりげない優しさを感じて、クラウドは柔らかな表情をした。

 轟音が響き渡ったのはその直後だった。どちらともなくそちらを見れば、喫煙所のすぐそばにあった橋が崩落していた。唖然として、二人はそれぞれ煙草を消して、外へと出た。

 その場に騎士や自警団の者が集まり、河に崩れ落ちた橋を見る。
 夕方まで検分が行われ、老朽化が原因だと、自然現象だと判明した。それを聞き、アイスが述べた。

「この辺りに、宿泊施設はありますか?」

 それを耳にして、思わずクラウドは言った。

「俺の家でよければ、泊ってくれ」
「さすがにそれは、悪いから……」
「全然! いくらでもいてくれ!」
「……本当にいいのか?」

 困惑した顔をしたアイスに対し、大きく何度もクラウドは頷いた。
 するとアイスは思案するような目をした後、小さく頷いた。こうしてこの日は、二人でクラウドの家へと帰った。ベッドは一つしかないからと、クラウドはソファを見る。

「アイスはベッドで寝てくれ」
「いいや、俺は床で構わない」
「それでは俺の気が済まない。俺はソファでいい」
「俺こそ迷惑をかけるんだから、ベッドは君が使ってくれ」
「ダメだ。貴方に使ってほしい」
「……」

 その言葉に、アイスが瞳を揺らす。そして俯き、ポツリと述べた。

「……一緒に眠るか?」
「え?」
「恋人になりたいというのは、そういう意味じゃないのか? クラウドは、俺と寝たかったわけじゃないのか?」
「っ、そ、それは……勿論、そうなれたら幸せだと思う。俺は、アイスが欲しい」

 クラウドは、はっきりと伝えた。ただしこの時も真っ赤だった。だがアイスは俯いているままだ。暫しの間沈黙してから、漸く顔を上げ、アイスは小さく首を傾げた。相変わらずの無表情である。

「上か? 下か?」
「俺は……上がいい。アイスは?」
「俺は上の経験しかない。でも――マグロでいいなら、別に下でも構わない」
「そ、そうか……と、いうか、え? いいのか?」
「ああ」
「別に泊めるからといって、その、俺は体で払ってほしいと思ってるわけじゃ――」
「そうじゃない。恋人というのは、こういうのが自然だと思っただけだ」
「アイス……貴方はきちんと、俺を恋人だと思ってくれていたのか?」
「違うのか?」
「違わない。すごく嬉しい!」

 そのまま勢いあまって、クラウドはアイスを抱きしめた。すると虚を突かれたように目を丸くしてから、アイスが腕の中で顔を背けた。


 こうしてこの日、食後それぞれ交互に入浴してから、二人は同じ寝台に入った。クラウドが緊張した様子で、アイスの服に手をかける。いつもと変わらぬ無表情で、アイスはされるがままになっていた。

「っ」

 首筋にクラウドが唇を落としてキスマークを付ける。団長職にあるクラウドは、それなりに経験が豊富で、純朴ながらも誘われれば応え、花街にも足を運んでいたから――というのもあるし、本人が性欲旺盛な絶倫でもあるから、性行為の技巧が卓越している。

 それを知らないアイスは、当初は余裕の顔をし、時に息を詰めるものの、声を漏らす気さえなく、突っ込まれて終わるのだろうと、漠然と考えていた。

 だが――そうはならなかった。
 二時間ほど全身を愛撫され、後孔を解された頃には、その青い瞳にはチカチカと艶が宿り、涙が滲んでいた。

「ッッッ」

 最早声をこらえる事に必死だった。全身がじっとりと汗ばんでいて、熱くてたまらない。もう蠢く内部が、欲していてやまない。初めてだというのに、トロトロにされてしまった後孔がひくつき、体の芯が熱い。

「そろそろ挿れてもいいか?」
「あ、ああ。好きにしてくれ、っン」
「っく、はぁ。限界だ、俺も」
「ンん――!」

 クラウドの巨大な亀頭が、めりこむように挿いってきた時、アイスは仰け反った。あんまりにも巨大で、押し広げられる感覚がし、己の中が絡みついていくのが分かる。太く硬いもので擦られるようにされ、それがググっと奥まで入っては、再び擦るようにして抜け、そうしてまたより奥深くまで貫かれると、すぐに頭が真っ白に染まった。

「ぁ……ああっ!」

 ついに声が堪えられなくなり、アイスは喉を震わせる。前立腺をグリと刺激され、何度も突かれ、腰を揺さぶるように動かされる内、アイスは壮絶な快楽に飲み込まれて、すすり泣いた。予想外の快楽に、全身が蕩けていく。こんなのは、知らなかった。

「あ、あ、ああっン、ん」
「もっと声を聴かせてくれ」
「あ、ァ……あー! いやぁ、あ、あ、いやだ、っ、待って、待ってくれ、そ、そこいやだ、あ、あ」
「嘘はつかないでくれ。ここが一番気持ちいいんだろう?」
「んンぁア――! ああ、ア!! や、やぁ、っ、あ、あ、あ、でも、でも、なにかクる。うああああ」

 そのまま最奥を責め立てられる内、アイスの理性は焼き切れた。

「ん、ぁ……」

 それから三時間、もうアイスは泣きながら、いやいやとするように頭を振るしかできなくなった。

「お願い、お願いだから、もうできない、できな……あああ!」
「悪い、全然足りないんだ」

 結局この日は、朝になるまで、アイスは体を貪られ、最終的には意識を手放した。
 幸か不幸か、翌日はクラウドが休日だった。

 目を覚ましたアイスがぐったりしていると、起き上がり水を持ってきたクラウドが微苦笑した。

「大丈夫か?」
「……なんとか」
「もっと欲しい」
「えっ」
「お願いだ」
「……っ、で、でも」
「頼む」
「……」

 そのままクラウドは押しきり、翌日もアイスは何度も啼かされた。
 三日目は、アイスは日中眠っていた。そしてクラウドの帰宅と同時に目を覚ました。するとクラウドがアイスを抱きしめた。

「すぐに欲しい」
「本当に待ってくれ。昨日や一昨日のようにされたら、お、俺は動けない」
「じゃあ、優しくする」
「……」
「な?」

 結局この日もクラウドは押し切った。同時にクラウドは、存外アイスが押しに弱い事も知った。一方のアイスは、クラウドの押しの強さに気が付いた。

 このようにして、二人の同居――いいや、同棲は、始まったのである。
 


「なぁ、アイス」

 冬の気配が近づいてきたある日、クラウドが腕枕をしているアイスを見た。

「なんだ?」

 抱きつぶされたため、少し掠れた声でアイスが答える。

「た、たまには、街でデートをしないか?」
「ん……」
「家にばかりいても退屈だろう?」
「別に。この家は居心地がいい。けど……クラウドが行きたいんなら、構わない」
「行きたい」

 こうして、この休日のある日、二人は街へと出る事にした。
 着替えて外へと出る。アイスは魔術が使えるようで、腕輪に魔術倉庫の紋が刻まれており、適宜私服を喚びだせるようだった。剣士であるクラウドは、クローゼットからシャツと外套を取り出す。

 こうして冬の風の中、二人は外へと出た。まだ降雪はしていない。
 のんびりと街路を歩いていく。その間も、時折いまだに赤面するクラウドが、ぽつぽつと会話をし、無表情でアイスが頷いていた。

「あれ? クラウド団長?」

 その時声がして、クラウドはそちらを見た。アイスもまた立ち止まる。
 声の主は、マイディだった。

「ああ、今日はマイディも休みだったな」
「おう。そうっすよ。あれ? そちらは?」
「あっ、その――」

 恋人だと告げようと、クラウドがアイスをチラリとみる。そして目を見開いた。そこには笑顔のアイスがいたからだ。初めて見る笑顔だった。

「煙草友達です」

 ドきっぱりとアイスが言った。恋人とは言わなかった。

「へぇ」

 マイディも納得した様子である。それが無性にクラウドの胸を抉った。

「じゃ、また」

 そのままマイディは歩き去った。それを見送ってから、クラウドは思わずアイスの手を握った。

「恋人じゃないのか?」
「――知らない相手に、わざわざ言うことじゃないと思ったんだ」
「……俺には笑ってくれないのに」
「作り笑いは、処世術だろ。普段の俺よりも、上辺で笑う俺の方がいいのか?」
「いや、アイスの事は全部好きだし、普段通りの姿を見せてもらえる方が嬉しい」
「じゃあそれでいいだろう」

 そんなやりとりをして、二人は街中へと向かった。大きな河が近くを流れている。

 ――異質な気配がしたのは、その直後のことだった。

 二人はそろって目を見開く。
 そこには、魔竜の姿があった。

「な、なんでここに」
「――橋の崩落だって急な老朽化は、考えてみれば瘴気の害だ」

 冷静な声音でアイスが述べる。驚いてクラウドがそちらを見た時、アイスは腕輪を操作し、銀色のローブ姿に変わっていた。それは、王国直轄部隊の正装だ。

「クラウド、すぐに避難誘導をしろ」
「アイス?」
「俺は――……ルイク・ヴェルバルンという。元、直轄部隊の隊長だ。単独でこの規模の魔竜なら対処可能だ」
「!」
「行く」

 アイスはそういうと地を蹴り、魔術で加速し、魔竜の前に躍り出た。
 そしてクラウドが避難誘導をする前に、ほぼ瞬殺といえる状態で魔竜を屠った。他の騎士達が気づくよりもずっと早く、地に降り立つ。そして咳込んだ。

「アイス!」

 駆け寄ったクラウドは、ふらついたアイスを抱きとめ、その掌を染めている紅い血を目にする。だがすぐにアイスは、治癒魔術を使った。そして大きく吐息したが、その顔色はまだ蒼い。

「ルイク隊長」

 そこに――転移魔術で、銀色のローブ姿の青年が一人姿を現した。黄土色の髪をしている。

「ナナル……」
「こんなところにいたんだ。早く戻ってきたら? やっぱり、隊長がいないと色々厳しいし、治癒魔術があれば、こうやって働けるんだろ? それに――僕の事、お前は忘れられないんじゃないのか? だって、僕の事、恋人にって。僕はまだ、答えてない」

 苦笑しているナナルの声に、アイスが顔を歪めて唇を噛む。それから、己を抱きとめているクラウドの顔を、切なそうに一瞥した。

「……騎士団は、直轄部隊が嫌いだものな」
「アイス?」
「……俺は、アイスじゃない。もう分かっただろう? 別れる、か?」
「嫌だ。絶対に嫌だ。それに名前には、俺だってこだわりはない。貴方の名前がルイクなら、今後はそう呼ぶだけだ。ルイクは、俺の恋人だろう? 過去なんて知らない。行かないでくれ。もう退職しているんだろう? 宿だってもう引き払って、ずっと俺の家にいればいい。俺は、貴方が好きだし、貴方の恋人は、今は俺だ」

 二人のそんなやり取りに、ナナルが驚いた顔をした。

「隊長……? 僕の事は?」
「っ、先に俺を捨ててなかった事にしたのは、ナナル。君だろう?」
「……それ、は」
「悪いが、俺は戻らない」
「……」
「俺には今、彼がいるから」

 アイス……もといルイクはそう断言すると、そっとクラウドの腕に触れた。

「絶対にいつか、僕のところに戻ってくる。僕を忘れられるはずがない」

 その光景に目を眇めてから、ナナルが転移魔術で姿を消した。
 直後、他の騎士団の面々が訪れた。そうして魔竜の遺骸の処理などを行った。

 ――結果として、この日も二人は同じ家へと帰った。
 玄関を抜けてすぐ、クラウドは思い余って、ルイクを後ろから抱きしめた。

「好きだ」
「……そばにいてくれて、有難う」
「俺の方こそ」
「いいや、違うんだ。今までのように魔術を使えなくなって、ナナルにもその、好きだったのに拒絶されて、俺は自暴自棄になっていたんだ。だから君の告白にも投げやりになっていたから応えたし、最初に体を重ねた時だって、人生なんかどうでもいいと思っていたからなんだ。でもここで、クラウドがそばにいてくれたから、その内に俺は、落ち着いて、心が平穏でいられるようになったんだ。クラウドがいてくれたから……だから今、俺は俺でいられる。本当に、俺は今……今は、クラウドが大切だし、その……愛してる。きちんと言っていなかったけど、クラウドが好きだよ」

 俯きがちに、ルイクが述べた。後ろから抱きしめていたクラウドは、より強く腕に力をこめる。

「そばにいられて嬉しい。そう思ってもらえてうれしい。だから、アイス。いいや、ルイク。これからも、ずっと俺のそばにいてくれ」
「いいのか?」
「ああ。それ以外の選択肢は、よくない」

 涙ぐんだルイクが、ゆっくりと首だけで振り返る。その口元には、笑みが浮かんでいた。クラウドにきちんと向けられた、はじめての笑顔だった。

 クラウドは、その唇に触れるだけのキスをした。ルイクは目を伏せ、その感触に浸る。そうして口づけは深くなり、しばしの間二人は抱き合っていた。


 このようにして、ここに一つの恋が、きちんと実り、成立したのである。

 失恋であったり、仕事で取り返しのつかない事態が訪れたり、世の中には、様々な辛い事がある。けれど、誰かとの新しい出会いであったり、新しい恋であったり、新しいなにか、契機があれば、それが自暴自棄で踏み出した一歩であっても、そこにいい方向の変化が訪れる事もあるのだろう。

 この二人の物語は、その後特に騎士団で噂話となり、挫折から立ち直る教訓めいたお伽噺と変わる。以後、二人は幸せに暮らしたのだった。





 ―― 終 ――