許される期間
今日も青い空を見上げる。バルロア王国には十二の月があって、今は五番目のエメラルドの月だ。緑の木々と色とりどりの草花が、ディアルガ侯爵家の庭園を彩っている。俺が侯爵家に引き取られてから、早十八年。現在俺は、二十二歳になった。
元々俺は、ディアルガ侯爵家の遠縁にあたる、ミーズワース男爵家の次男だった。
ミーズワース男爵家は、代々ディアルガ侯爵家に仕えてきた家柄だ。
ただ十八年前のあの日、俺の両親と兄は、ディアルガ侯爵家のご当主を庇って亡くなった。この王国には度々魔獣災害が発生するのだが、騎士団長をしていたディアルガ侯爵様が指揮をして討伐に当たっている最中に、突如出現したより凶悪な魔獣により、甚大な被害が出た。
一人残された俺を、ディアルガ侯爵様が引き取ってくれたのは、俺が四歳の時だった。
その後俺は、侯爵家で執事をしていた叔父の手で、護衛術を教え込まれた。
そして現在――次期ディアルガ侯爵となる、侯爵家嫡子のヴェルス様専属の護衛兼従者として、俺は暮らしている。
ヴェルス様は、俺より三つ年下の十九歳。
一昨年社交界にデビューなさってからは、老若男女問わず、非常に人気者となられた。縁談も多いようで、バルロア王家の第二王子殿下もヴェルス様をお望みだと聞いている。第二王子のユーグ殿下が降嫁するのではないかという噂は、まことしやかに囁かれている。
俺から見ても、ヴェルス様がおモテになるのは理解出来る。
まず整った容姿も理由の一つだろう。護衛をしている俺よりもずっと長身のヴェルス様は、まるでこの庭園に並ぶ木々の葉のように、深い緑色の瞳をしている。その形の良い眼、通った鼻筋、薄い唇――見る者を惹きつける顔立ちで、綺麗な金色の髪をしている。
だがそれ以上に、性格が良いのだと思う。特に人当りが良い。いつも柔和に微笑している姿、困っている相手や弱き者には手を差し伸べる優しさ、決断すべき場面では迷わない強さ、そのどれをとっても、優れたお人柄だと思う。ただ時折、常に付き従っている俺の前でだけは、苦笑交じりに弱音を吐いてくださる事もあるが、俺は逆にそれが嬉しい。
ヴェルス様の力になりたいからだ。
身分違いは重々承知しているが、俺はヴェルス様をお慕いしている。
俺にとってヴェルス様は、本当に大切なお方だ。
幼少時、叔父による指導と訓練が一段落してから、俺は領地の邸宅から王都へとやってきたヴェルス様と初めて顔を合わせた。俺が八歳、ヴェルス様が五歳だったあの日の事を、きっと俺は忘れないだろう。
俺の瞳の色は、緋色だ。この王国において、緋色の瞳は、魔族の血を引くという伝承がある。そのため、俺は人とは異なる外見から、怯えられる事に慣れていた。
『綺麗だな。黒い髪も、その瞳も』
けれどヴェルス様は、じっと俺の瞳を見ると、穏やかに両頬を持ち上げた。
あの日から、俺の心はヴェルス様にある。
当時は恋や愛といった感情を俺は知らなかったが、今ではヴェルス様を思えば胸が疼く。
勿論、分かっている。俺とヴェルス様では身分が違うし、俺の想いは最終的には報われない。だから俺は気持ちを押し殺すべく、別れの時にも平静を保てるように、普段から無表情を貫いている。同時に、従者としての別れの時が迫っているのだろうとも考えている。一生お仕え出来たならば、それは幸福だっただろうが、降嫁の噂があるユーグ様は王族で、この国では、緋色の瞳の持ち主は、王族からは遠ざけなければならないという伝承があるからだ。
だから俺がヴェルス様のおそばにいられるのは、ヴェルス様がご成婚なさるまでの、もう少しの期間だけだ。
「アルト」
その時、声をかけられた。直前に木の葉を踏む音を耳にしたし、背後にあるのは慣れ親しんだ気配だったから、俺はすぐに来訪に気づいてはいた。ゆっくりと振り返れば、そこにはヴェルス様が立っていた。
常に付き従っている俺に対し、ヴェルス様は時折休息を勧めてくれる。
今もそんなひと時で、昼食時で本日は侯爵家の方々のみで食事をするからと、俺は休んでいるようにと言われていた。そんな時、俺は立ち入りが恐れ多くも許されているこの四阿の椅子に座り、空を見上げている事が多い。
「やっぱりここにいたか」
立ち上がり、俺は深々と腰をおる。すると、ポンと後頭部に手を置かれた。目を開けて、俺は地面を見る。そうしていたら、ヴェルス様が俺の髪を撫で始めた。心臓に悪い。赤面しそうになるのを、俺は必死で抑えた。
「食事は終わった。父上と母上と、そしてベルンと、今日は白身魚のムニエルを食べた」
上機嫌な様子のヴェルス様の声を、俺は聞いていた。ベルンというのは、ヴェルス様の弟だ。お二人の兄弟仲は非常に良い。ベルン様は、ヴェルス様の一つ年下の十八歳だ。ユーグ第二王子殿下と同じ歳で、ご学友を務めておられる。
「ただやはり、アルトがそばにいないと、寂しいな」
ヴェルス様はそう口にすると、俺の頭から手を離した。姿勢を正した俺は、ヴェルス様の顔を見る。身長差が僅かにあるから、自然と見上げる形となった。
「休めと促したのは僕だが、食事中もアルトの事を考えてしまった」
「恐縮です」
「今度は、アルトも共に食事をしよう。いいな?」
「……勿体ないお言葉です」
俺が答えると、ヴェルス様が正面から俺を抱きすくめた。俺の胸の鼓動がいっそう早くなる。恐れ多い事に、現在俺は、ヴェルス様と触れあう事が多い。
「好きだ、アルト」
「……俺も、お慕い申し上げております」
そして気持ちを言葉にする事を許されている。
契機は、ある日の夜会の後だった。寝室までヴェルス様をお送りしたあの夜、腕を引かれて寝台に誘われた。既に心がヴェルス様にあった俺は、拒む事が出来なかった。以降、ヴェルス様は、俺に愛の言葉を囁いてくれる。
「僕の恋人は、美人すぎて本当に困るな。すぐにでも寝室に連れて行きたい」
「……」
「ダメか?」
俺を抱きしめたままで、ヴェルス様が少し掠れた声で言った。
美人だなんて俺を評するのは、ヴェルス様だけだ。色彩が他者と異なる俺を、真っ直ぐに見て下さる事が、俺は嬉しい。それでも俺は、ヴェルス様のお気持ちを信じ切る事は出来ない。信じてしまえば後が怖いからだ。別れの、その時が。いつかこの手をヴェルス様から離す時、俺は寂しさに耐える事が出来なくなってしまうような気がするからだ。
「行こう、アルト」
それでも、今だけでも、繋がれるならば構わないと確かに思う俺もいる。
そのまま俺は、ヴェルス様に手を引かれた。
ヴェルス様の言葉が、肉欲由来の睦言であるのだとしても、それでも良い。
俺はそれだけ、ヴェルス様に恋をしている。
「……」
歩きながら、二人で邸宅の玄関を目指す。豪奢な造りのエントランスホールを抜けてから、正面の階段をのぼり、南館の二階にあるヴェルス様の寝室へと向かった。扉を開けて室内へと入れば、深緑のカーテンが見えた。道中は無言だったが、後ろで施錠音が響いてすぐ、俺は振り返った。
「ヴェルス様……」
「なんだ?」
「愛しております」
そう、今だけは。口にしても許される。身分違いの恋ではあるけれど、この場所には、俺達しかいないのだから、咎められる事は無い。恋情を一人抱えて口を閉ざす事が、既に困難なほどに、俺はヴェルス様を愛している。
「知っている。そして僕も同じ気持ちだ。愛している、アルト」
ヴェルス様は俺の顎を持ち上げると、少し顔を傾けて、唇にキスをして下さった。
次第にその口づけが深くなっていく。
歯列をなぞられ、舌を追い詰められて、絡めとられる。
「っ、ぁ……」
その後軽く体を押されて、巨大な寝台へと押し倒された。護衛をしやすいようにと、普段纏っている簡素な外套の胸元の鎖を外されて、その後は下に着ている従者らしい服を開けられる。性急に下衣を乱された俺は、その後陰茎に触れられた。
「んン」
ヴェルス様が俺の陰茎を口に含む。そして側部に手を添え、扱きながら雁首を重点的に唇で刺激した。口淫されるとすぐに俺の陰茎は硬く張り詰め、熱いヴェルス様の口腔の感覚に、俺は息を詰める事となった。
「ぁ、ァ……ヴェルス様……」
従者であるのだから、俺の方こそ奉仕すべきだと常に俺は考えている。けれど、ヴェルス様は寝台の上に俺を押し倒す時、俺にはそれをお望みにならない。なんでも乱れる俺を見ている方が楽しいらしい。前に直接、そう言われた事がある。
「ぁ、アあ! も、もう……イきます、っ――んぅ!」
俺が言うと、ヴェルス様の口淫が激しさを増した。そのまま、俺は呆気なく果てさせられた。肩で息をしていると、ヴェルス様が寝台脇のテーブル上にあった、小瓶を手に取る。性行為を易くする香油だと、もう俺は知っている。
「あ、ああ……ぁ、あ」
香油を手に垂らし、ヴェルス様が指を二本、俺の中へと進めた。ほぼ毎日受け入れている俺の内側は、すんなりとヴェルス様の指を受け入れる。
「ひぁ!」
そしてヴェルス様も、俺の体を既に熟知なさっているようで、迷いなく俺の感じる場所を指先で抉るように刺激した。グリと前立腺を刺激されると、再び俺の陰茎に熱が集中し始める。グチュグチュと香油の立てる水音が響いてくるから、俺はそれが恥ずかしい。
「可愛いな、アルトは。もっと声を聞かせてくれ」
ヴェルス様は指を三本に増やし、その指先をバラバラに動かし始めた。押し広げられていく俺の内壁は、すぐに更なる快楽を求め始める。
「ヴェルス様……ぁ……ァ……も、もう……」
再び勃起した俺の陰茎の先からは、先走りの液が零れ始める。獰猛な眼をしたヴェルス様が、その時喉で笑った。
「堪え性が無いな。そこもまた、愛おしい。アルト、言ってくれ。何が欲しいんだ?」
「あ、あ、ヴェルス様。ヴェルス様を俺に」
「俺の心はアルトのものだぞ。もっと具体的に」
「挿れて下さ、っ――ああ、ァ!」
涙ぐみながら俺が求めると、すぐに指を引き抜き、ヴェルス様が俺に挿入した。猛る屹立が、俺の中を深く貫く。一気に奥深くまで穿たれて、思わず俺はヴェルス様の体にしがみつきながら、快楽に耐える。容赦なく結腸を突き上げられる形となり、俺は必死に呼吸をした。ヴェルス様の陰茎は、巨大で長い。受け入れる事が、最初は辛かった。だが、今ではヴェルス様の硬い熱に貫かれただけで、俺の体は歓喜するように変わった。
「あ、あ、あ」
ヴェルス様が激しく腰を揺さぶる。そうして抽挿が始まった。肌と肌がぶつかる音が、静かな室内に響き始める。ヴェルス様にこうして快楽を与えられる時、俺にはこの瞬間が永遠にすら思える。いいや、それはただの願いなのかもしれない。ずっとヴェルス様の体温を感じたいという、俺の夢想に過ぎないはずだ。
「あ、ああ、ア――!」
「出すぞ」
「あ、ン――っ、うああ」
そうしてヴェルス様が俺の中へと放った瞬間、一際強く突き上げられて、俺も二度目の射精を果たした。ぐったりとそのまま俺は寝台に沈み込む。すると陰茎を引き抜いたヴェルス様が、俺の隣に寝転がり、俺を横から抱き寄せた。そして俺の髪を撫でた。
「これからも、ずっと共にいてくれるな?」
「……」
「アルト、嫌か?」
「……お許しいただけるならば、ずっとおそばに」
俺はそう答えてから、意識を落とすように眠り込んでしまったようだった。
――新聞にアイロンをかけるのも、俺の仕事の一つだ。
エメラルドの月も半ばに入った。もうすぐ、雨の多い季節となる。
朝四時に仕事を始める俺は、ヴェルス様を起こしに行く際、いつも新聞をお届けする。この日も王国新聞にアイロンをかけていた俺は、その一面の見出しを見て、思わず手を止めた。
『ユーグ第二王子殿下、ご婚約内定。お相手は、ディアルガ侯爵家の次期ご当主』
何度もその文面を見て、俺は硬直しながら、目を見開いた。
速報との事で、詳細は記されていなかったが、正式な王宮からの発表の日程が記されていた。次期当主はヴェルス様であるはずだから、名前こそまだ出ていないが、これは間違いなく別離の兆しだ。
「お祝いしなければ……」
一人呟いた俺は、痛む胸元を押さえた。
その後新聞と、朝お出しする珈琲の用意をし、俺はヴェルス様の寝室へと向かった。
ノックをしてから室内へと入り、テーブルの上にカップと新聞を置いてから、まだお休みになっているヴェルス様へと歩み寄る。
「ヴェルス様、おはようございます」
静かに俺は声をかけた、いつもと同じ声音で。内心には寂しさと切なさが溢れていたが、表情にも声にも、俺はそれを出さない。
「ヴェルス様、起きて下さい」
「……ああ、おはよう」
「吉報が届いております。新聞をご覧下さい」
「ん? 吉報?」
俺の声に、眠そうに瞬きをしてから、ヴェルス様が上半身を起こした。俺はそれを確認してから、クローゼットから着替えの服を取り出す。ヴェルス様はご自身で着替える事をお望みになるので、そばの椅子の上に、俺は服を並べていった。
その後、俺は壁際に立ち、ヴェルス様が着替えてソファへと向かうのを見ていた。
新聞を片手に、ヴェルス様が珈琲の浸るカップを傾けている。
「アルト」
「はい」
「吉報というのは?」
「――ご婚約内定、おめでとうございます」
俺は頭を軽く下げて、そう述べた。ヴェルス様の反応を見ているのが怖いというのもあった。
「ああ。これは、父上と宰相閣下が打ち合わせをして、新聞社に漏らした話だから、僕としてはあまり驚きはないな」
ヴェルス様はそう言うと、カップを置いたようだった。俺は静かに顔をあげる。するとヴェルス様が俺を見ていた。
「明後日、王宮で婚約発表を正式に行う」
「……承知しました」
今後の行き先は、叔父と相談する事になるだろう。恐らくは、男爵家に一時的に俺は戻る事になるのだと思う。
「王家との婚姻というのもあるから、この侯爵家の家格も少し変わる事になるな」
「おめでとうございます」
「嬉しいと言えば嬉しいが、こちらも既定路線であるから、驚きは少ないぞ」
楽しそうな眼をして、ヴェルス様が両頬を持ち上げた。もうこの笑顔を目にする機会も、限られているのだろうと考える。無性にそれが寂しい。
「――アルト?」
「……はい」
「何故そのように寂しそうな顔をしているんだ?」
「え?」
不意にヴェルス様に聞かれて、俺は驚いた。いつも通りの無表情を貫いているつもりだったからだ。
「け、決してそのような――」
「隠しても無駄だ。アルトの気持ちなら、手に取るように僕には分かるぞ」
「……」
「話してごらん?」
真面目な面持ちに変わったヴェルス様の、穏やかな問いかけに、俺は苦しくなって俯いた。
「おめでたい事だとは分かっているのです。ですが、ヴェルス様とお別れすると思うと……その……」
ポツリと、思わず俺は零した。すると静かに耳を傾けていたヴェルス様が、立ち上がって俺の前に立った。
「どうして僕と別れるんだ?」
「……俺は、緋色の瞳をしておりますので、王家の血を引く方のおそばには……」
「確かにそう言う伝承はある。だが、そういう事じゃない」
「……ヴェルス様。ヴェルス様は、伴侶となられる以上、俺は――」
「待ってくれ。アルト、何か勘違いをしているようだな?」
「え?」
「そうでなくとも、僕が君の手を離すと思っているのか? 第一、僕達は恋人では無かったのか?」
その言葉に俺は顔をしっかりとあげて、ヴェルス様を見た。ヴェルス様は片目だけを細くして、何処か呆れたような顔をしている。口元だけに笑顔が浮かんでいた。俺の両手をヴェルス様が持ち上げ、ギュッと握ったのは、その時だった。
「ユーグ第二王子殿下と婚約し、来春結婚するのは、ベルンだが?」
「――え?」
「その際、ディアルガ侯爵家は公爵位を賜る事になっている。父上がそちらの爵位を得て、僕はそちらの後継者となる。現在の侯爵位を継ぐのは、ベルンだ。降嫁に際して、お迎えするのにふさわしい爵位状態とするためだ」
それを聞いて、俺は息を飲み、瞠目した。
「公爵領地の新邸宅に、僕は引越しをする。父上達は、暫くは侯爵領地の別宅で暮らす予定だ。この王都邸宅にて、ユーグ殿下とベルンが新婚生活を送る」
「!」
「当然、アルトの事は僕が連れていく。嫌だと言っても離さないぞ」
俺は呆然としたまま、より強く俺の手を握ったヴェルス様の真剣な声を聞いていた。
「第一、僕の恋人は、アルトだろう? どうしてアルトがいるというのに、僕が他の相手と結婚するなどと思ったんだ?」
「そ、それは……身分が……」
「そんなものは関係無い。第一、何度も一緒に食事をしようと伝えただろう? あれは、正式に家族になって欲しいという意味だ」
「っ」
「全然伝わっていなかったようだな」
「……」
「しかも僕が結婚すると誤解していて――吉報だと? アルトは僕が、アルト以外と結婚したら嬉しいというのか?」
「違……っ、本当は、そんなのは嫌で……俺は、ずっとおそばにいたくて……」
俺が答えると、大きく何度もヴェルス様が頷いた。
「嫌だと言っても、僕は絶対にアルトの手を離したりはしないが……その言葉を聞いて、安心した。改めて、きちんと言おう。アルト、僕と結婚してくれないか?」
「!」
夢のような言葉だった。俺のこめかみから、冷や汗が伝ってくる。現実だとは思えなくて、俺は何度かゆっくりと瞬きをした。
「ほ、本当に俺がおそばにいても、良いのでしょうか?」
「アルト以外の誰を僕が望んでいると言うんだ? 僕が生涯愛する心に決めた相手は、アルトだぞ」
ギュッと俺の手を引き寄せてから、ヴェルス様が俺を抱きしめた。
後頭部に、ヴェルス様の手が回り、髪を撫でられる。嬉しくて震えそうになった俺は、額をヴェルス様の胸板に押し付けた。涙がこみあげてくる。こんな幸福が、合っていいのだろうか? 許されるのだろうか?
「好きだ、アルト。何度も伝えたつもりだったが、つもりではダメだな。僕は、嘘はつかないし、本気なのだと、きちんと改めて告げなければ」
「……ヴェルス様」
「なんだ?」
「……俺も、俺も本当に、お慕いしております。ヴェルス様を、愛しております」
必死で俺は、そう告げた。堰を切ったように、感情が溢れだして止まらない。
ヴェルス様はそんな俺の顎を持ち上げると、もう一方の手で、俺の涙をぬぐった。
そして優しい眼をして苦笑すると、小さく頷いた。
「ああ。知っている。僕には、アルトの気持ちは、しっかりと伝わっていたんだからな」
それから――ヴェルス様は、そっと俺の腰を抱くと、寝台へと振り返った。
「今まで誤解させていたとするならば、僕に抱かれる時、辛くは無かったか?」
「その……今だけでもいいと、いつも感じていたので……」
「いじましいな。だが、これからはきちんと、僕の愛を受け入れてくれ」
ヴェルス様はその後、嘆息してから、扉を施錠した。驚いてそちらを見ていると、続いてヴェルス様は俺を寝台へと促した。そして押し倒すと、じっと俺を見据えた。
「愛している。何度伝えても足りない」
「ヴェルス様……」
「すぐにでも、アルトが欲しい。きちんと、互いの気持ちを確認した今だからこそ」
こうして陽の光が差し込む中、俺達の情事が始まった。
一糸まとわぬ姿になった俺は、膝をついてシーツを両手でギュッと掴む。そんな俺の菊門を指と香油で解してから、いつもより性急にヴェルス様が挿入してきた。バックから深々と貫かれ、俺は喉を震わせる。
「あ、ああ! ぁ、ァ!」
満杯の中、幸せで満ち溢れた心。嬉しさと快楽から、俺の頬をひっきりなしに、涙が濡らす。何度もギリギリまで引き抜かれては、より深く貫かれ、緩慢だったヴェルス様の動きが次第に速度を増していく。
「あ、あ、ああ、ァ! んン――!」
俺の腰を両手でギュッと掴み、激しくヴェルス様が打ち付ける。次第に俺の理性が白く染まり始める。すぐに膝で立っている事が出来なくなり、俺は上半身を寝台に預けた。するとヴェルス様が俺の背中に体重をかけて、俺の耳の後ろを舌でなぞった。その感触にすら感じいってしまう。
「う、ぅァ……あ、あ、ンんっ、あ」
体が引けそうになった俺の両手首を、後ろからギュッと掴み、ヴェルス様が荒々しく吐息した。そして少し掠れた声を放った。
「絶対に、アルトの手を離したりしない。アルトは、僕のものだ。逃がさない」
「ああああ!」
深くつながった状態で、ぐっと根元まで挿入されていて、俺は動けないままで快楽を叩き込まれる。
「やぁ、ァ、動いて、あ、あ」
「しっかりと僕の愛が伝わったと分かるまで、こうしていたい」
「ん、ン、ああ! ァ! も、もう……ぁ、あ……ああ! ダ、ダメだ。なんか、クる、うあああ」
そのまま俺は、繋がっているだけで、絶頂に達した。全身を漣に似た快楽が襲い、射精間に似たその波が、長い間俺の全身を絡めとった。大きく俺が嬌声を上げた直後、今度は更に追い詰めるようにヴェルス様が動き始めた。
「ま、待って下さ、い、っ、今動かれたら――あああ!」
バチバチと稲妻のような快楽が、俺の意識を染め上げる。
あまりにも鮮烈な衝撃に、俺は意識を飛ばしてしまったようだった。
このようにして、俺はヴェルス様と気持ちを確かめ合った。事後、俺はヴェルス様の腕の中で目を覚まし、暫くの間、本当に夢ではないのかと考え込んだものである。しかしその後も、何度体を重ね、意識を飛ばして微睡んでも、夢が覚めるといった気配は無く、幸せは紛れもない現実のようだった。
その後、ベルン様とユーグ殿下のご婚約が正式に発表されてからは、ディアルガ侯爵家は忙しなく準備に追われたが、密やかに俺とヴェルス様の結婚話も進行した。俺は身分差に終始戸惑っていたが、驚いた事に、周囲は好意的に受け入れてくれた。
また王族であるのに、ユーグ殿下は俺に挨拶を許してくれ、伝承など気にすることは無いと、今後は家族ともいえる仲なのだからとまで、仰ってくれた。
――いつか、俺は手を離さなければならないと、確かに思っていたはずなのに、ヴェルス様はその後も俺の手をギュッと握っては抱き寄せてくれたし、俺もまた離さなくて良いと、おそばにいて良いのだと、許される事となった。もし今後、俺がこの手を離す時が来るとするならば、と、それでも時折考えるのだけれど、ヴェルス様の隣に並んで立つと、いつしか不安が消えていく。
公爵領地へと引っ越してから、俺とヴェルス様は正式に結婚し、俺達は伴侶同士となった。同性婚の文化や養子縁組制度が根付くこの王国において、誰に異を唱えられる事も無い結婚だった。何より、俺の目の色についても、式に招いた人々は、何を言うでもなかったし、ヴェルス様は俺が気にしすぎなのだとさえ言ってくれた。
「アルト」
俺はこの日、新居の庭で、青い空を見上げていた。既に、思いが通じ合ってから、一年が経過していて、再びエメラルドの月が訪れている。俺が振り返ると、ヴェルス様が微笑しながら、そっと俺の隣に立った。
「相変わらず空が好きらしいな」
「……そうですね」
最近、俺は少しずつ、笑うという事も覚えつつある。ヴェルス様を見ていると、自然と笑顔が浮かんでくるようになったのだ。もう、感情を押し殺す必要は無い。
「でも、ヴェルス様の方が、ずっと好きです。俺には、ヴェルス様より好きな物事や存在は、何もありません」
「うん。僕も、何よりもアルトが大切だ」
ヴェルス様が、ポンと俺の頭を撫でるように叩いた。その感触がくすぐったくて、俺は小さく口角を持ち上げる。俺の幸せな日々は、こうして続いていく事となる。
いつか、この手を離さなければならないのだと、諦めを常に抱いていた日々は、もう過去のものだ。俺は今後も、ヴェルス様を愛し続ける。それが、俺にとっての幸せだ。
【完】