師匠に聞いた恋のお話




 こと、性教育とは重要である。

「――と、まぁこのようにしてだな、俺はナカバの婚約者になったわけだ」

 ――世界には、黒塔と白塔がある。

 人類が”大氷河アポカリプス 期”を乗り切って早六百有余年(らしい。推定――なにせ唯一数えられる師匠とミツキ様が適当なのだ)。

 白塔を旗印にした宗教国家バビロンが世界には広がっている。

 頂点に立つ”天子てんし ”は白い教主服を身にまとい、金色の袈裟をつけた和洋折衷などこの宗教家とも判別が難しい似非教主であるが、この世界の最高権力者であることは間違いない。ミツキ様だ。金髪に紅い眼をしている。俺は彼が怖い。彼、と呼べるだけでも俺はそれだけ高位にある(と自負している)。しかしミツキ様に対抗できるのなど、俺の師匠だけである。そう――幼い頃俺を引き取ってくれた師匠のライゼは、黒塔の教主だ。

 黒塔は、白塔の唯一対をなす存在である。

 宗教的信仰心を力に、”氷魔”と呼ばれる、アポカリプスの残滓たる敵と戦う白塔。
 魔術という神秘を手に、一人一人が個別に最強の力を持つ黒塔。
 という違いがある。白塔は大勢の思いが力になるが、黒塔は孤独だ。

 そもそもバビロンには、人口が五百万人いるし、白塔にて働いているものだけでも二千人はいる。黒塔はそもそも国がないし、俺と師匠の二人しか崇拝者はいない。

 とはいえ、そんな俺であっても、一応師匠の後継者。
 次期黒塔の後継者なのである。アマネという。師匠と同じ黒い髪をしているが、一度も親子と間違えられたことはない。なぜならば不老不死(を自称している)師匠は、俺よりも若く見える。それに目の色が違う。師匠は青、俺は紫。身長も俺のほうが高い。だがそういう問題ではないのかもしれない。

 白塔は、教主も時期後継者も白服に金の袈裟だ。
 黒塔は、黒に近い灰色のローブを頭からすっぽりかぶっているのである。

 もちろん意味はある。悪意を跳ね除け、魔術行使の最重要項目となる声を放つ喉を保護するための装備である。他には個を消すための装備だとも習った。しかしふたりっきりしかいないため、お互いにどちらがどちらかは一発でわかるのだが。

 さて、その俺と対等な位置にいる人間はただひとりだけだ。
 白塔時期教主――ナカバだ。
 俺のことを……覚えているだろうか。そう考えるだけで胸が騒ぎ始める。俺はもともとは、ナカバの従僕をしていたのだ。物心着いた時から、九歳になるまでの間は、ずっと一緒にいた。俺は、フードをかぶり直しながら、当時のことを思い出した。

 恐らく俺は孤児だったのだろう。
 ある日、街外れに座り、空腹で貧血状態を起こしながら、俺は道行くアリさんの行列を眺めていた。そこに金のふち取りの白い靴が見えた。朦朧としていた意識が、一気に清明になったのは直後だ。

「ミツキ様のお通りなるぞ。すぐに端により、頭を下げよ。道を遮った罪で断首してくれるわ」

 そんな声が響いてきたからだ。素早く周囲を見れば、誰もいなかった。皆とっくに道の限界まではじにより、土下座していたのである。

 俺は死を覚悟した。唾を飲み込んだ音が嫌に大きく響いたことを覚えている。

「まぁいいではありませんか。子供のひとりやふたり」
「しかしミツキ様」
「ちょうどナカバの”お友達”を探していたのです。見た目は合格です。私にとって重要なのは見た目ですから」

 今でもその時の会話の意味はよくわからない。
 が、そのまま俺は白塔へと連れ帰られて、風呂に入れてもらい、服を着せてもらい、食事をもらい、部屋をもらった。人生で初めて泥のように眠った記憶がある。

 ――出会いは、その眠りから覚めた時だった。

「起きて」
「ン……っ……」
「僕が起きてって言ったら起きなきゃならないんだ」
「……」

 俺にはそれまでの人生で、誰かに起こされたことは一度もなかった。むしろ永眠を願われることはあっただろうが、孤児など大抵そのへんで寝ているものだという認識が、おそらく未だにバビロンでは一般的だろう。そのせいなのか、今となっても俺は、寝穢い。寝起きが非常に悪く、一回眠ると滅多なことでは起きない。なので重要な物事の前には、俺は徹夜を決意することが度々ある。

「……――うわ」

 俺は、ベッドから蹴り落とされて、ようやく目を覚ました。

「……名前は?」

 そして呆れたように、顔に似合わぬため息などを付いている、ふてぶてしい少年をみつけたのだ。白金色の髪に、白金色の瞳。色白で、人形のように端正な顔の少年だった。同じ年くらいだろう。バビロンでは子供はすぐに死ぬため(そして雲の上には不老長寿の人が多いため次々生まれてくる)、俺は初めて同じくらいの歳の相手に出会った。

 しかし問題があった。

「……名前……?」

 そんなものはあいにく持ち合わせてはいなかった。そもそもバビロンでは、奴隷以下には名前が存在しないのだ。皆一律に、おいだのこれだのと呼ばれている。よくて、A・B・C・DなどのIDを振られる。俺にはそれすらもなかった。

「ないの?」
「……あ、ああ」
「僕が話したら『はい』か『はい』以外は認めないから」
「は、はい」

 頷きつつも、誰だコイツ、と俺は思っていた。しかしこういう扱いには比較的なれていた覚えがある。だから特に不思議にも思わなかった。

「顔が良ければ誰でもいいってものじゃないのに。ミツキって本当に面食いで嫌になるよ」
「……?」
「よりにもよって、奴隷ですらない不法移民か。最低限の言葉はわかるみたいで安心したけど。ところで、君さ。今自分がどういう状況にあるかわかってる?」

 ナカバは、幼いながらにして、長文で俺にとっては難解なことを喋った。率直に言ってさっぱりわからなかった。今でも何が言いたかったのかはわからない。

 その後、ナカバは俺に着替えを投げてきた。そして俺は、人生で初めて、朝起きた時に着替えるということを学んだ。それからナカバは朝食を運ばせてきた。俺は人生で初めて、ヨーグルトというものを食べてお腹が痛くなったものである。以来乳製品全般が苦手だ。

 チーズだけは例外である。というのも師匠が部類の酒好きで、つまみの一つがチーズだから、あまりにあまって、よく食べさせられたのだ。

 その日から、俺はナカバと寝食を共にし、ともに勉強させられた(すべて強制である)。

 しかしこの勉強……思いのほか面白かった。

 ナカバは終始やる気がなく、先生の前では真面目だが、自主的な勉強などしない。代わりに俺が二人分の課題を消化していた。そのうちに俺は、古代語に目覚めた。本当に面白いのだ。アポカリプス前の本は。俺のお気に入りは、”日本書紀”である。”源氏物語”も好きだ。全て、”ローマ字”という”古代文字”で記述されているのだが、現在のバビロン語の口語に非常に近い。文字は全然違うのだが、慣れてしまえば、漢字を用いるバビロン語よりもローマ字の方が単純で、理解するのは面倒だが、区切り方さえ覚えれば余裕で読めた。さてこの古代語の本は、全て黒塔からの寄付だった。ナカバのためにミツキ様が執筆を依頼したらしい(当時はミツキ様と師匠は仲が良かったのだろう)。

 ナカバは横暴だった。

 暴君だった。殴る蹴るこそしないが、言葉の暴力が半端ない。次第に俺には聞き流す癖が付いた。しかし聞いていないとまた怒るのだ。

 だが長年一緒にいるうちに、ナカバのそんなところも、俺は好きになった。

 たまに俺が風邪をひいたりすると、心配そうにウロウロして「うつるから近づくな」と言われて怒られているのを見たりすると、胸がキュンとした。俺がナカバをかばって怪我をすれば、半泣きでケガなんかするなバカと怒ってくれるところも好きだった。ナカバは勉強は嫌いだが、俺よりもずっと頭がいい。いろいろなことを教えてくれた。いろいろな歌も教えてくれた。

 このままずっとナカバと一緒にいて、時が来たら、ナカバの右腕になるか、右腕として育てられている人々が存在すると聞いているから、俺は処刑されるのだろうなと思いつつ、その時が幸せだった。少しでも長く一緒にいられたら良いなと思った。

 ナカバにキスされたのは、そんなある日のことだった。

 立ち止まって目を閉じるように言われた。素直に従うと、唇に触れ合うだけのキスをされたのだ。驚いて目を開けると、一度じっと顔を見られてから、再びキスをされた。キスは、ナカバが教えてくれた行為だった。好きな相手にするものだと俺は聞いたような気がする。ナカバも俺のことが好きなのかと思うと胸が暖かくなって、トクンとした。まぁ今思えば、お互い幼かったから、好きの意味が分かっていなかったのだろう。あとはナカバは好奇心旺盛だったから、してみたかったのかもしれない。

 扉が開いたのは、二度目の口づけが終わった時だった。

「何をしているのですか?」

 そこにたっていたのは、ミツキ様だった。
 ナカバは顔を背け、俺はいつもの通りに膝をついて床で頭を下げた。

 ――蹴り飛ばされて、殴られたのはその直後である。普段はミツキ様も決して手をあげたりはしない(ミツキ様の場合、お付きのものに拷問させる)。しかしこの時は、ミツキ様自身の手で、ボコボコに殴られて、ボロボロに蹴られた(顔は避けられたが、肋骨などが折れた)。うあ、死ぬ、とどこかで思いながら、俺は床に散らばった古代語の本を見ていた。死んだら、続きが読めない。最後はどうなるんだろう、あのお話。

「ミツキ、少しやりすぎなんじゃない」

 そこへ声がかかった。涙で滲む視線を向けると、そこには黒づくめの人が立っていたのだ。古代語の本をいつも運んできてくれる人だと俺は覚えていた。のちの師匠である。

「白塔の事情に口出ししないでいただけますか」
「死んでしまう」
「かわりはいくらでもいます。よりにもよってナカバをたぶらかすなど」
「へぇ。じゃあいらないんだ?」
「ええ。このまま処刑します。怒りが収まりません。久しぶりに私の手で」
「それなら僕に頂戴」
「え?」
「いらないんでしょう? たまには黒塔にも”ほどこし”を。黒塔の教主としての”お願い”だ」
「――それは、正式な頼みという意味ですか? ならば、先ほどの”氷魔”退治の話、引き受けていただけると考えて良いのですね?」
「うん、いいよ」
「あなたが人助けをするとは思いませんでした。それも子供嫌いのあなたが」
「彼は古代語が好きみたいだから、前から話をしてみたくてね」

 そんなやりとりを俺は聞きつつ意識を失った。途中でミツキ様の侍従に連れて行かれたナカバがどうなったのかを俺は知らない。それ以来、俺はナカバと会っていない。


 その後俺は師匠に連れて行かれて、黒塔の人間になった。
 そこで魔術を叩き込まれた。
 魔術は、宙に血文字でローマ字を描きながら、それを読み上げることで効力を発揮する。血と声が重要な鍵なのだ。だから俺の右手の人差し指は、常に血まみれである。

 現在のこの世界には、”氷魔”を相手にした時の、一撃の威力を表すランクがある。

 MAX・S・A・B・C・Dとなっている。俺が勉強を始めたとき、俺はDランクも使えなかった。この時点で、ナカバはSランクを軽々と放っていたものである。MAXは師匠とミツキ様しか使えない。

 そして現在――俺は史上三人目の、MAX威力を誇る攻撃を放てるようになった。
 これならば、ナカバと今度こそ対等な相手として、隣に立っても、もう何も言われないだろうと思う。

 俺はナカバに会いたくて仕方が無かった。なぜなのかはわからない。
 多分、たった一人の俺の友達だからだろう。俺はナカバと別れたあの日を境に、今日のこの日まで、師匠とただふたりっきりでずっと生活してきたのだ。二度ほどミツキ様が至極珍しいことにお一人で黒塔にいらしたことがあるが、俺はそういう時は、自習を命じられていたので、何をしていたのかは知らないし、話もしていない。

 そして今日、今、俺は師匠の一歩後ろをついて、懐かしき白塔の内部を歩いている。
 バビロンへと、黒塔の教主と時期教主として、白塔から正式に招待されたのである。
 ナカバに会える。

 楽しみで仕方がない。今日から一ヶ月間、俺と師匠は、白塔に滞在する。一回くらいは話す機会があるだろう。なんでもナカバの誕生日にあわせて、今回婚約者の選定と決定を行うためのパーティが連日開催されるのだという。師匠はついでに俺にも誰か選ぶようにといってきた。俺ももう18歳(推定)。正直、恋というものに憧れはある。だがそれよりも、俺はナカバに会いたかった。本当、俺のことを覚えているのだろうか? まずは、そこからだ。

 ナカバはいた。

 正面から歩いてきたことに気がついたのは、師匠が歩みを止めたからだ。軽く師匠が頭を下げたので、俺も倣う。

 背が小さい。昔とは逆だ。色白で、本当に透き通るような肌をしているのも変わらない。綺麗すぎてぽかんとしてしまう。宝石みたいな瞳に、吸い込まれそうになる。今すぐフードを取って、俺だと主張したかったが、そこで俺はふと気づいた。

 俺は、今はアマネという名前をしているが、それは師匠が付けてくれたのだ。ナカバは俺の名前を知らないのだ。主張のしようがない。見た目も変わっているわけだし……昔孤児で拾ってもらったほらあの、なんてとても言えない。

 今は一応俺は対等な立場にあるのだ。どこで誰に聞かれているかもわからない。いや、覚えている人はほかにもいるかもしれないが。思案していると、師匠が歩き始めた。俺も慌ててついて行く。結局ナカバとはその日は、何も話ができなかった。

 さて、その日の夜から、招かれた本当の理由である”氷魔”討伐は始まった。
 パーティが主催されている一ヶ月の間、密かにバビロン全土を守ることが、俺と師匠への依頼だ。ミツキ様とナカバはお見合いパーティにかかりっきりになるため、戦えないのだという。そんなこんなで、一晩中俺と師匠は、範囲魔術で”氷魔”をなぎ払い続けた。

「じゃあ僕は、お酒を飲みに行ってくるよ」

 討伐後、師匠は服装を変えて、バビロンの街中に溶け込んでいった。
 バビロンはお金さえあれば楽しく遊べる街なのだ。俺は改めてそれを知った。しかし俺は師匠とは違い、きちんと寝ないと体が持たない。少し歩いてから、あてがわれた寝室にたどり着く前に、限界を感じて、回廊の端にある椅子に座った。幼い頃、そういえばここはお気に入りの場所だった。ローブをとり、口布を緩める。睡魔がやってきたのはすぐのことだった。

 ――唇に柔らかな感触を感じたのが、一体いつだったのかはわからない。

 目を覚ますと、もう夕暮れだった。その日は、パーティへの参加を
 依頼されていたので、師匠と合流してから、俺は会場へと向かった。
 今日こそは、ナカバと話ができるだろうか?

 ナカバは、中央の椅子に座り、微笑を浮かべていた。
 ああ、昔家庭教師の先生に対してよく浮かべていた、作り笑いだ。
 だがそれがまた一段と綺麗なのだ。目をひく。ぽかんと俺が突っ立っていると、師匠に小さく足を踏まれた。挨拶に行かなければならないのだった。

「ようこそお越しくださいました、ライゼ様、そしてはじめまして、アマネ様」

 正面に立つと、ナカバに言われた。少し声が低くなったなと思う。
 ただかろやかなその声に、俺は聞き惚れた。昔はこの声で、よく歌を歌ってくれたのだ。すごくうまいのだ。俺には音楽センスはないが、ナカバの歌声は今でも覚えている。

「お招きありがとう。君のところのばか師匠――失礼、ミツキ様にも御礼を。――アマネ、ご挨拶を」
「……――黒塔時期教主のアマネです」

 険悪な中、俺は本日の仕事を終えた。
 まぁ一言だが話も出来たし、名乗ることができたので良いとしよう。
 ちなみに現在、師匠とミツキ様は喧嘩中らしく、白塔と黒塔の仲はすごく悪い。悪くとも一応ついとなる存在なので、依頼には答えるのだという。今後は、俺とナカバが、単独でそういう依頼したりされたりという関係を築いていくのだろう。少しだけ楽しみだ。不安だが。

 その後、俺と師匠は、フードの下の口布を解いて、食べたり飲んだりすることにした。

 俺が初めて見る料理ばかりである。幼い頃は、運ばれてきたし、黒塔はパーティなどしないから、俺は人生で初めてオードブルを見た。師匠はビンごと酒を飲むから、ワイングラスも初めて見たに等しい。

 料理が美味しいなと思っていると、となりに綺麗な女の人が立った。その人は俺に微笑しながら、料理を取ってくれた。ふわふわの髪の毛に触れたくなる。いいな、こういうの。フードを取って欲しいと頼まれたので、俺は静かにとった。場が静まり返ったのは直後だ。

 ……? え?

 俺はなにかしたのだろうか。周囲の視線が俺に集まった。
 すると勢いよく師匠が俺にフードを被せた。

「取らないように言わなかったっけ?」
「あ、ああ……いっていたな。なぜだ?」
「君はちょっと綺麗すぎるんだよ」
「は?」
「何も顔面までナカバくんに匹敵することはなかったんだ。そこまで対等であることを僕は望んでいなかったんだよ」
「何の話だ?」
「まぁ面食いのミツキの掘り出し物だっただけはある。とりあえず、フードは極力取らないこと」
「それで一体どうやって恋を――……」

 師匠とヒソヒソとそんなやり取りをしていた時だった。
 悠然と微笑をたたえたナカバが俺たちの方へと歩み寄ってきた。

「アマネ様、ちょっとよろしいでしょうか」
「あ、ああ」
「行っておいでアマネ。失礼がないようにね」

 師匠に送り出され、俺はナカバについていくことになった。通されたのは、会場脇のナカバの休憩室だった。そこに入るなり、ナカバは鍵をかけた。驚いたことに、俺たちの他に人気はなかった。

「……生きていたんだね」
「っ」

 ポツリと言われて俺は息をのんだ。そうか、ナカバはきちんと俺が俺だと気づいてくれたのか。胸がどんどん暖かくなっていく。今はフードをとっても別にいいだろう。俺は撮り、笑顔でナカバを見た。嬉しい。

「ああ。久しぶりだな」
「そうだね。処刑されたと聞いていたから、廊下で寝ているのを見かけ――……さっき君がフードをとったとき、本当に驚いたよ。すぐに声をかけてくれれば良かったのに」
「なんて声をかければいいのかわからなくてな」
「会いたかった」
「俺もだ」
「ずっと君のことが頭から離れなかった」

 そういったナカバは、俺をギュッと抱きしめた。頭一つ分くらい俺よりも小さい。いい香りがした。抱きしめ返しながら、幸せだなと思う。これからは、前よりももっと仲良くなれたらいいなと思うのだ。押し倒されたのは、そんなことを考えていた時だった。

「……ナカバ?」

 思いっきり反転させられ、俺は後頭部を床にぶつけた。
 黒塔は魔術だよりのところが大きいので、白塔のように素手で戦うわけではないので、いかに外見的にナカバの方が華奢であろうとも、馬乗りになられたら、俺に退けられるわけがない。なにごとだろうか。呆然としていると、ナカバが無表情で俺を見下ろした。

「こんなことになるくらいなら、もっと前に最後までやっておけば良かったと、何度後悔したことか」
「――何の話だ?」
「君は相変わらず鈍いね」
「は?」

 俺が眉をひそめていると、ナカバが俺のローブをあっさりと脱がせた。まだ冬だから肌寒い。そもそも現状が上手く理解できない。なぜナカバは俺の上に乗り、俺の服を脱がせたのだろうか。首をひねろうとしたとき、その首筋に吸いつかれた。

「っ」
「痕。つけちゃった」
「な……」
「この位置なら、フードを取れば外に見える。少しは虫除けになるかな」

 白塔にはこの季節は、虫が出ない。さらに意味がわからないので、
 俺はとりあえず押し返すことにした。

「どいてくれ。それにそろそろ戻ろう。ナカバは主役なんだからな、あけてはまずいだろう?」
「ついさっき、その座を君に奪われた気がしないでもないけど」
「?」
「仕方ないから、今日は一回だけで許してあげるよ」
「は?」

 ナカバが急に俺の陰茎に触れた。硬直して、俺は目を見開いた。
 何が起きているのか、本気でさっぱりわからなかった。

「っ、ぁ……」

 思わず声を漏らしてしまったのは、スジに沿ってねっとりと指をうかされ、先端をクチュクチュといじられた時である。何度も言うが、俺はこれまで師匠と二人で暮らしてきたため、誰かにこんなふうに触られたことなど一度もなかった。もちろん読書が好きなので概念としてはわかっている。これは他者による手淫だ。

 俺だって興味があって自分でやってみたことが一度もないわけじゃない。だが俺は、基本的にあんまり気持ちがいいと思ったことはなかった。むしろこんなものかと思ってからは、触ること自体やめた。やめたというか意識してこなかった。それに師匠が隣の部屋で眠っているので、気づかれたらと思えば恥ずかしかったのもある。けれど、だというのに、ナカバの指先は、間違いなく俺に快楽を教えた。

「う……っ……や、やめ……」
「素直になりないよ。こんなになってる。気持ちいいんでしょう?」
「……」

 確かに気持ちがいい。しかし羞恥で俺は顔を背けた。言葉が見つからない。事実だけ抜け出せば、確かに気持ちがいいのだし、俺の陰茎は反応を見せているのだが――……なぜ俺はナカバの手でそうされているのだ? 今日はナカバの婚約者を選ぶ日である。俺たちは久方ぶりに再会した同性の友人だ。普通こういうことは、女性に、ナカバ自身がしてもらうのではないのだろうか……? なぜナカバが俺に触っているのだ?

「!」

 その時、ナカバに口へと含まれた。まずい、出る、と思ったときには俺は出していた。

「早」
「……気が済んだか?」

 うるさいと思いながら、俺はナカバを睨んだ。久しぶりに泣きそうな心境になった。あれか、新たなるいじめか。対等な関係になっても、ナカバは横暴なのだな。それを思い知った気がした。とりあえずこれで解放されるだろうと思い、ため息をついた時だった。

「え」

 突然のことに俺は思わず上半身を起こそうとして、ナカバにさらに強く体重をかけられた。ナカバの指先が、俺の中……後孔へと入ってきたからだ。ナカバは楽しそうに笑いながら、俺の顔に、すごく近く唇を近づけた。そんな場合ではないのに、俺は見とれそうになった。しかし本当にそんな場合ではなかった。

「っ、ん……フ……っ……ッッ」

 指が動き始めたのだ。ナカバは何をするつもりなのだろうか。悪いが俺は、この行為に関しては、本ですら読んだことはない。何が起きているのか全くわからなかった。だが、ナカバが俺の中のある一点を刺激するたびに、体がはねて、声が漏れそうになることだけはわかった。必死で声を噛み殺しながら、俺は、俺を押し倒している方のナカバの腕の服を掴んだ。

「やめろ……っ……う」
「また反応し始めてるのに?」
「!」

 言われるまで、俺はそのことに気がつかなかった。なぜ後ろを暴かれ、俺の前が反応しているのだろう。気づいた瞬間、ゾクゾクゾクと中へ与えられている刺激が快楽へと変換されて、腰が震えた。気持ちいいのだと認識した途端、体から力が抜け始める。思わず片手で口を覆った。だが荒い息をはくのは止められない。

「ああっ……あ、あ……ん……ン――!! はっ」

 そのまま中を刺激されて、俺は再び果てた。ぐったりすると、ナカバに抱きしめられた。そのぬくもりが、怖かった。

「どうしてこんな……」
「君のことが好きだからだよ。教えなかった? キスは好きな人とするものだって。僕は、君以外とは一度もキスをしたことはないよ。今でもね。こういう行為は、嫌というほどしてきたけど」

 それは何か、自慢なのか? 俺はクラクラしながら目を閉じた。二度も一回で果てたのは、初めてだ。全身が鉛のように重い。もう無理だ。俺は寝てしまいそうだ。そう考えて、油断していたのが悪かった。

「うあああ!!」

 はじめは、まさか、と思った。なんと、だ。ナカバが俺の中へとおしいってきたのだ。
 驚愕で見開いた俺の目からは、鈍い痛みとそれがもたらす快楽から、涙がこぼれた。この年になってなく日が来るとは思わなかった。

「後ろは初めて?」

 後ろはもなにもすべてが初めてである。

「っく、な、ナカバ、やめ……っあ、あ、動くな、やめろっ」
「警戒心とかないの? ここまで隙だらけだとは思わなかった」
「あ、あ、あ、嫌だっ、う」
「ほら、また前、反応してるよ」
「ンあ……あ、あ」

 すべてが入り切った瞬間、俺は背をしならせた。冷や汗が伝ってくるのだが、体は熱い。何度も肩で息をしていると、動きを止めていたナカバが静かに笑った。

「動くよ」
「頼むから、やめ――ンあ!! あ、あああ」

 腰を揺らされるともうダメだった。俺はその甘い衝撃に声すらこらえられなくなり、ただ必死でナカバにしがみついた。しかし上手く力が入らない。視界が白く染まっていく。流石になんとなく俺も理解しつつあった。これは、その、世に言う同性同士の性行為ではないのか? だが同性同士だとはいえ、そこにはきっと愛がなければならないはずだ。そもそも本日は、ナカバのその相手を見つけ出すためのパーティなのだから。

「な、ナカバ……」
「何?」
「――……っ、こういうことは、あ……っ、だ、だから、好きな相手と……う」

 俺の言葉にナカバが動きを止めた。その合間に俺は一気に続きを言った。

「だから好きな相手とするべきだ」
「どういう意味?」

 え、意味? そのままである。俺は困った。するとナカバが極限まで目を細めた。それから残忍な笑みを浮かべた。本能的に俺は自分の失敗を悟った。あの顔は、かなり怒っている時の顔だ。

「要するに君は、ああ、アマネ様? アマネ様は僕のことが好きではないから、したくないってこと?」

 そういう意味ではなかったのだが、俺には反論する時間は与えられなかった。

「あ――あ!! あ、あ!? ンあ!! あ、ああ――!!」

 ひたすら中の感じる場所を激しく突き上げられ始めたのだ。それも声ばかり出る場所を意地悪く激しくだ。ガクガクと体がきしみ、わけがわからなくなり始めたところで、同時に前もシゴかれ始める。

 が、前の手はすぐに止まり、俺の根元をきつく握った。しかし後ろの動きは止まらず――ピークに達した時、俺の視界は白く焼き切れた。出していないのに出した時以上の絶頂に襲われ、息ができない。

 だというのにナカバの動きはさらに激しさを増し、俺の理性は完全に飛んだ。次に我に返ると、俺は情けなく泣きながら、四つん這いでぜえぜえ息をしていた。まだナカバは俺をつき続けている。

「あと三回は許さないからね。君の体は誰のものなのかよく教えておかないと」
「――、――」
「いいかいアマネ。好きでなくてもできるんだってことを思い知るといい。君の体は、今夜を境に、もう僕なしじゃいられなくなる」

 おぼろげに思ったのは、ナカバは別に俺を愛しているわけでも好きなわけでもないが、こういうことができると言いたいのかということだけで、あとは俺は再び理性を飛ばした。

 目を覚ますと、俺は熱を出していた。

 だが全身が痛いのが、熱のせいなのかはわからない。なんだかひどい夢を見ていたような気がした。熱があるとわかったのは、額に濡れタオルが載っていて、点滴をされていたからである。俺は基本的に一度熱を出すと、点滴しないと熱が下がらない。見慣れない天井に首をひねった時、その視界にナカバの顔が入った。

「相変わらず体が弱いんだ。そんなに体だけ大きくなったのに」
「……ここは」
「僕の部屋だよ。誰も来ない。僕ほど医療に長けた技術者はいないからね。それが白塔の後継者なんだから」

 あんまりそれは俺が聞きたかった答えではない。だが声を出すのが億劫だった。喉が枯れていた。

「熱はすぐさがるだろうから安心していいよ」
「そうか、悪いな」
「……九割僕のせいだからね。寒い部屋で脱がせたことと――あとはもちろん一番の原因の激しい性行為をかしたのは僕だ」

 面と向かって言われると恥ずかしくて、俺は目を伏せた。寝てしまおう。

「だから今日中には熱が下がると思うけど、あと一週間はここから出られるとは思わないでね」
「どういう意味だ?」
「熱は公的には下がらない。君には、僕の相手をしてもらう」
「?」

 意味がわからなかったが、そのうちに本当に俺は寝てしまった。



 ――そうして、今に至る。

「んっ、あ、あ」
「気持ちいい?」
「うあ、あ、気持ちいいっ、う、ン――!! うあああ」
「僕なしじゃいられない?」
「いられ、な、ああああ!!」
「アマネは誰のもの?」
「な、ナカバのっ、あ、」
「僕の何?」
「う、あ、ああっ、あ、ンんっ!!」
「教えて?」
「こ、こいび……――!! あ――!!」
「聞こえなかったよ。もう一回言って」
「ああっ、もう、できなっ」

 俺は情けなくずっとボロボロ泣いている。気持ちが良すぎておかしくなりそうだというか……もうおかしくなっている気がした。ナカバにどこを触られても気持ちがいいのだ。それだけで果てそうになるのだが、全身がもう出せないのだと訴える。強すぎる快楽が辛い。が、ギリギリまで焦らされることもあって、俺はその辛さも覚えた。

 もう呼吸するだけで俺は感じてしまい、体から熱が冷めない。
 何をしにここへ来たのだっけ? ナカバの婚約者はどうなったのだ? 

 ああ、全部どうでもよくなっていく。そしてまた俺は意識を飛ばすのだ。だいたい次に意識を取り戻しても、ナカバのものは入っている。入りっぱなしだ。ナカバは世に言う絶倫なのだろう。俺は断じて違うと思う。なぜならば最近では、出している時よりも、後ろの穴で空イキさせられている時間の方が長いからだ。

 本当に物理的にもう出ないのだ。そして俺は抵抗できない。もうどこにもそんな体力はないのだ。自分の運動不足を呪った。これでも鍛えてきたつもりだったのだが。人よりは筋肉があると思うのだが。少なくとも見た目だけならば、ナカバみたいに華奢じゃない。しかし人は本当に見た目じゃない。ナカバは息切れ一つしない。それにしてもナカバはなぜ俺にこんなことをするのだ。

 行為後、やっと意識を取り戻した俺は、枕に顔をあずけた。ナカバがすぐそばで、珍しく横になっていた。

「明日、婚約者を発表するんだ」

 俺の方を見ないままで、淡々とナカバが言った。これだけ部屋に引きこもっていて、よく見つけたものだなと思う。しかもだ。要するに俺は約一ヶ月も、もうほぼ意識が有る時間は全日ヤりっぱなしで過ごしたわけだ。師匠は一体何をしていたのだろう。ミツキ様もとめなかったのだろうか。それとも俺はあれか、病欠か……。

「君と婚約したいんだけど」

 考え事をしていた俺は、最初あまり良く聴いていなかった。だが、ふと耳に入ったナカバの声が震えていたから顔を上げ、それから理解した。

「……は?」
「……」
「婚約は男女でしないと意味が――」
「ミツキみたいに養子を取る。僕は養子だ。どうせ選ぶ基準は顔でいいし」
「いやそういう問題じゃ……」
「やっぱり僕のこと、嫌いになっちゃった?」
「いやそんなことはないけれどな、俺は黒塔の後継者だからな。黒塔の後継者は……弟子でいいのか。しかし俺には弟子がいないしな」
「――本当?」
「ああ。俺も師匠にたまたま拾われたから後継者に――」
「そうじゃなくて、嫌いじゃないって本当?」
「え?」

 ナカバはこちらを見ないままで言った。その声はやはり震えている気がする。どうしたのだろう? 寒いのだろうか? そう思い、シーツをかけ直しながら俺は頷いた。

「ああ。俺はずっとナカバのことが好きだったし、嫌いだなんて一度も思ったことはない」
「……だけど君さ、その好きの種類が僕のとは違うんだよ」
「っ」
「本当に僕のことが好きなら、婚約者になってよ」

 ナカバの声は小さかった。俺はナカバのこのなくような声には、昔から逆らえないのだ。それが分かっていないのは、ナカバただひとりである。思わず笑ってしまいながら、俺は後ろからナカバに抱きついてみた。息をのむ気配がする。考えてみれば、自分から抱きついたのなど初めてだ。

「いいぞ」
「――本当?」
「ああ」

 するとようやくナカバが振り向いた。それからじっと俺を見たあと、ギュッと抱きしめ返してきた。今度はそのぬくもりが怖くない。






「――と、まぁこのようにしてだな、俺はナカバの婚約者になったわけだ」

 俺が話すと、弟子が遠い目をした。

「それって世に言う快楽調教?」

 全くどこでそんな言葉を覚えたのだろうか。絶対に師匠の影響だ。
 現在俺は婚約者をやりつつ、黒塔の時期教主の育成をしているのである。そして俺は、師匠とはことなり、弟子に性教育をきちんとすることにしている。じゃないと、本当、大変なことになると身を持って学んだからだ。

「いいか? 強すぎる快楽を与えず、弱すぎる快楽で焦らさず、激しすぎる悦楽で泣かせず、弱すぎる愛撫で虐めず。ただ本当に相手の気持ちがいいことだけを考えた穏やかな性行為をすること。これが唯一の俺からの教えだ」
「それが唯一って、すごく微妙です」

 そうは言われても仕方がない。ほかはすべて師匠からの受け売りだからだ。
 まぁそんなこんなで俺は幸せに生きているのである。