恋は人を惑わせる。




 ある日、それはいつもと同じ青空で、白い雲が浮かんでいて、本当に平凡で平穏な、普段であればなんとなく過ぎ去っていくような、そんな日だった。

 帰宅が遅くなったルイスは、はぁっと溜息をつき、今日の王立学院の宿題は量が多すぎると思いながら帰宅した。両親と兄はまだ帰っていない。優秀な兄は、既に騎士団で働いていて、ルイスもまた将来は騎士または魔術師になることを嘱望されているが、本当は戦うこともあまり好きではない。とはいえ、騎士団長の息子だ。世間体もあるし、家族に怒られるのも嫌だったから、なんとなく今日だって学院の宿題をこなす。

「あ」

 その時、ふとルイスは思い出した。昨日兄が、物置に何かをしまっていたことを。
 兄は善良なので、あまり隠しモノをしたりしないのだが、する時は挙動不審になるから、すぐに分かる。ルイスは好奇心を抑えきれず、物置に入った。黴臭い。そこにあった箱を開けてみると、中には――俗に言うエロ本が入っていた。少なくともエロ本だとルイスは思った。だが実際には、ワンピース姿の女性の写真集であり、エロ本ではないが、胸が強調されているので、ルイスの認識が完全に間違いということもない。ルイスはその本を捲ることに必死になった。時間を忘れた。

『きゃぁぁぁあ』

 母親の悲鳴が聞こえてきたのは、どれほど経過してからのことだったのだろう。ハッとしたルイスは、物置の僅かに開いている戸から、外を窺う。そして目を見開いた。血溜まりの中に、父の首が落ちている。そこにはすぐに、母の首も加わった。

『なっ』

 そこに兄の声が響いてきた。父がくれた腕時計を見れば、時刻は午後五時。兄がいつも帰宅する時間だ。

『どうしますか、ワルツ様』
『殺せ』

 そこへ、冷ややかな声が響いた。地を這うような低い声とは、こういう音を示すのだろうかと、瞬時に背筋に怖気が走ったルイスは、両腕で体を抱く。

『まだ子供ですが』
『子供は将来仇討ちをするからと、全員殺せというのが殿下の指示だ』
『はい』

 ワルツと呼ばれた男は、黒い髪をしており、鋭い切れ長の眼をしていた。その瞳にはなにも映ってはおらず、ただ血溜まりを見下ろしている。直後、そこに兄の首も加わった。ワルツが、すいっと物置を見たのはその直後のことである。

 ――気づかれた。
 ――僕も殺される。
 ――いいや、殺されても構わない。家族を殺害した奴らなんか、絶対に許せない。
 ――殺してやる。
 ――それこそ、仇討ちがしたい。

 そんな感情が廻ったルイスは、目が合ったワルツをまじまじと見た。するとワルツは目を眇めてから、またすいっと顔を逸らした。

『隊長? いかがなさいましたか?』
『別に。撤収するぞ』

 こうして――ワルツと呼ばれた男と、大勢の部下達が出て行った。しん、っと家の中が静まりかえる。ルイスは、ほっと息をついてから、震える体で戸を開ける。そして、血溜まりの中にある三つの頭部を見た。次第にルイスの瞳からは、光が消えていき、そこには言い知れぬ暗い闇が宿る。

『――復讐してやる』

 これが、ルイスが十歳の頃の記憶だ。

 その後、騎士団長夫妻と後継者が殺害されたというニュースは、王国中を駆け巡った。そしてその日から、次男の行方が知れないという話も、それは同様だった。

 ルイスはといえば、父が嘗て一度招いたことのある老人を探して、貧民街へと訪れていた。ルイスの父は、そこに住まう情報屋と懇意にしていた。目印の林檎が載る樽を見たルイスは、それを片手にとって、奥の扉をノックする。

『ああ、ここへ来たのか。ルイス様』

 嗄れた老人の声がした。顔を見せる前に名を呼ばれて、一瞬ルイスは怯んだが、意識を切り替え、扉を開ける。すると目深にローブをかぶった老人が、手を差し出した。枯れ木のような指をしている彼の掌に、ルイスは林檎を載せる。

『どんな情報をお求めで?』
『俺の家族を殺した奴らを、倒す方法が知りたい』
『率直に言って、なにも出来ない陽の下を歩くガキに、出来ることなんざぁないですよ』
『なんでもいい、なにか、なにかないか?』
『――なんとかしたいんなら、まずは口の利き方を改めろ、坊主』
『っ』
『王宮に行って貴族として生きることが、まだ叶う。だが、それを捨てても復讐したいというのであれば……犯人達に見当はついているからな。お前に暗殺術を仕込んでやる』

 これが、ルイスの新たなる第一歩となった。情報屋は、暗い目をしているルイスを見て、それが闇に近しいと感じ、いい殺し屋――捨て駒になるだろうと内心で考えていた。

 こうしてルイスは、暗殺術を仕込まれ、実戦訓練として、情報屋をトップとした犯罪組織の仕事を請け負い、頭角を現す。しかし顔を見せないローブ姿のルイスは、寡黙で、誰とも打ち解けない。ローブの下の瞳は、どんどん暗さを増していく。

 葛藤がなかったわけではない。結局の所己は人殺しであり、それはワルツと呼ばれたあの男と同じではないかと考える。だから、殺し屋として情報屋のもとで働く際、最後の仕事は決めていた。ルイスは、情報屋の首を刎ねた。そしてゆっくりと路地裏を歩き、久しぶりに太陽の下、街中へと出た。

 現在、騎士団長は王弟殿下が務めている。副団長は、ワルツだ。冷静沈着で、冷徹に任務をこなすと評判の、優秀な右腕。それがワルツの評価だ。記憶をただせば、父達が殺害された時にも、『殿下』という言葉が出た。犯人は、情報屋も教えてくれたが、彼らである。騎士団長の位ほしさに、ルイスの家族は暗殺された――と、ルイスは考えていた。

 ――騎士団の団員は、常に募集されている。
 この王国は平和で、身分差別もあまりない。だから、平民だと偽り、ルイスは独学で魔術を身につけたとして、騎士団へと入った。受け取った紫紺のローブを羽織り、シャツの首元のリボンを締め直す。騎士団の装束は、ゆったりとしたローブに慣れていたルイスには、少し堅苦しく思えた。

「ん?」

 その時、不思議そうな声が聞こえた。ルイスが顔を向けると、そこにはワルツが立っていた。復讐の対象だ。ルイスは殺気を抑えることに躍起になりながら、上辺だけは頭を下げる。

「先日から魔術師部隊でお世話になっているルイスと申します」

 名乗ったルイスを、まじまじと見ているワルツ。その切れ長の瞳が、どのような感情の色をしているのだろうかと、チラリとルイスは見上げた。ワルツは長身で、二十代後半の外見だ。ルイスより五つは年上のようだが、実年齢は調べても分からなかった。現在ルイスは、二十三歳である。

「――ルイス、ルイスか……そうか」

 ぽつりぽつりと呟いたワルツの目は、値踏みするように冷徹だった。圧倒的な威圧感がある。長身だからではないだろう。何人もを手にかけてきた目だ。自分と同じ、死臭が染みついた空気がある。

「励むように」

 そう言うとワルツは立ち去った。頭を暫くの間下げていたルイスは、それから背中を見送った。


 ――以降、ルイスはワルツの監視をした。そんなある日。ワルツが王宮の庭園に入って出てこない。入るところから見ていたが、他に人の気配もない。ワルツが一人でいるのならば、好機かもしれないと判断し、ルイスは何食わぬ顔で庭園へと入る。すると巨木の幹に背を預けているワルツが、白いものを抱いていた。片手には、ナイフを持っている。

「誰だ」

 そこへ低い声がかかった。一瞬で気づかれたことに、気配を消すのが甘かった己を呪いつつ、ここは素直に出て、疑いを晴らすべきだと考える。

「魔術師部隊の者です。なにをなさっておいでなのですか?」
「――ああ」

 虚ろな目を、ワルツが白いものに向ける。よく見れば、そこには仔猫がのっていた。前足の部分が紅色に染まっている。歩けないだろう。

「猫を保護したんですか?」
「――いいや。もうじき冬が来る。この足では、この猫は生きてはいけないだろう。治る前に雪が降る。だから……可哀想だから、殺してやるかと思ってな」

 それを聞いたルイスは、思わず眉間に皺を寄せた。嘆息してから歩み寄り、杖を前に持つ。

「治癒魔術の心得があります」
「なに?」

 するとワルツが驚いた顔をした。そして、猫とルイスを交互に見る。その時には、ルイスは思わず治癒魔術を使用していた。何故なのか、猫の死を見たくはなかった。元来のルイスは、死を忌み嫌う。依頼や実力磨きに人を暗殺するのと、無意味な殺生は、意味が違う。治せるものは、治す。それはルイスの数少ない偽善心だった。偽善だが、やらないよりマシだと、ルイスは判断した。

「……」
「治りましたよ」

 ルイスが声をかけると、ニャアと鳴いて、猫が庭園の奥の茂みへと消えた。

「難易度が高く、一日に一度しか使えない上に、魔力の消費量が大きい治癒魔術を……猫に、か。そうか……」

 ぽつりと、ワルツが言った。ルイスは我に返って、顔を背ける。

「――猫が、きちんと今後餌をとり育つか心配だ。ルイスだったな?」

 名前を覚えられていたこと、顔と一致されていたことに、ルイスは驚く。

「明日もここへ、この時間に。俺も都合があえば、ここへ来る。餌の用意を」
「……畏まりました」

 頷いたルイスは、だがこれもまた好機だと考える。二人きりになれば、それだけ首を刎ねる機会も増えることだろう。


 こうしてルイスは、毎日休憩時間でもある午後四時に、庭園へと行くようになった。六割ほどの確率で、ワルツも顔を見せる。やはりワルツの方は、多忙らしい。猫は、ワルツによく懐いていて、餌を与えるルイスよりも、ワルツの膝の上を好む。

 そんなある日のことだった。ワルツが不意に、唇の両端を持ち上げて、ニッと笑った。

「ワルツ副団長、どうかなさいましたか?」
「俺が笑っては変か? それと……ずっと言おうと思っていたんだが、呼び捨てで構わないぞ」
「そういうわけには」
「ルイス、今日、夜は空いているか?」

 唐突な問いに、飛んで火に入る夏の虫とはこのことだと、ルイスは考える。

「ええ」
「食事に行かないか?」

 だが、何故食事に誘われたのか、意図はいまいち掴めなかった。何故、笑っているのかも分からない。とにかく、普段は冷徹な人物だ。命令が下れば、なんでも成す。しかしこれは、好機だ。

「お供させて下さい」
「敬語じゃなくていい」
「そういうわけには」
「そればかりだな。では、待ち合わせをしよう。街外れのシチュー屋を知っているか?」

 ルイスの脳裏には、王都全域の地図がたたき込まれている。

「位置は分かりますが、入ったことはありません」
「だったら、俺が最初に連れていくんだな」

 何故なのか、ワルツは誇らしそうにそう言った。それから二人で庭園を出る。ワルツが歩いて行く。暫くの間見守っていると、無表情に戻ったワルツは、部下になにか指示を出していた。だが、すいっとルイスを見ると、不意に満面の笑みを浮かべた。ルイスは奇っ怪なモノを見てしまったと思ったが、それはワルツの直属の部下達も同様だったようで、その場に沈黙が降り、それからすぐに困惑のざわめきが起きた。ルイスは顔を背けて、立ち去ることに決める。視線が痛い。あまり目立つことは、仇討ちに支障が出るからしたくないというのに。


 ――夕暮れ時、ルイスは待ち合わせをしているシチュー屋へと向かった。すると既にワルツが来ていた。そしてルイスが扉を開けると、とても嬉しそうに微笑んだ。

 こんな表情もするのか、と、そう思った時、ドクンとルイスの胸が一度激しく啼いた。そして気づけば、ドクンドクンと心臓の音がうるさくなっていた。まるで、こんなのは、親しい間柄のようではないかと考えてしまう。冷や汗が浮かんでくる。殺害する相手と親しくなってどうする? と、理性が囁いた。いいや、これは油断させるためにすぎない、と、理性は続いてまた嘯く。

「来てくれてよかった。この店は、キノコのシチューが絶品なんだ」
「お待たせしました。では、それを」
「ああ、絶品なんだ」

 微笑したワルツの顔に、ルイスは惹きつけられる。何故なのか、見入ってしまった。嫌な汗が再び浮かんでくる。

「緊張しているのか? 表情が硬いぞ」
「……っ、その」
「慣れてくれ。これが、俺だ」

 注文を手際よくワルツが終える。運ばれてきた水のグラスを傾けながら、ルイスは気を取り直して隙を探したが、ワルツにはどこにも隙が無かった。

 この日から、時折庭園で約束をし、二人で食事をするようになった。



「はぁ……」

 ルイスはその日、悩ましげな吐息を吐いた。どんどんワルツと、二人の時間が増えていく。先日など、騎士団の寮の部屋へ来ないかと誘われて固辞した。

「どうしたんだよ? 美人に溜息は似合わないぞ」

 そこへ声がかかった。ルイスは顔を向ける。そこには、ルイスは名前を把握していなかったが、シモが緩いことで評判のちゃらっとした男がいて、へらりと笑うと、ルイスの頬に手を伸ばした。振り払おうとルイスが手を持ち上げる。だが、その直前。

「俺のルイスになにか用か?」

 ぐいっとルイスは気配なく腰を抱き寄せられた。するとちゃらっとした男が真っ青になる。その場に殺気が溢れかえった。それにはルイスまで怖気が走る。ぎょっとして低い声の下方角を見れば、そこにはワルツの姿があり、射殺すような眼光を男に向けていた。

「とっとと鍛錬に戻れ」
「は、はい!」

 男が走り去る。するとワルツが、より強くルイスの腰を抱く。そして耳元で囁く。

「大丈夫だったか?」
「ッ」

 カッとルイスは赤面した。耳に触れた吐息と、もう聞き馴染んだ声音に、ゾクリとした。こんなのは、おかしい。

「ワ、ワルツ副団長、誰かに見られたら――」
「ん? みんながこちらを注視しているが」
「!」

 その言葉に、慌てて周囲を見れば、ぎょっとした顔をしている騎士団の者だらけだった。

「俺には都合がいい。ルイスが俺のモノだと周知出来るからな」
「なっ……ど、どういう意味ですか……?」
「ああ、まだ伝えていなかったな。とっくに気づいているかと思っていたんだが」
「なにを、でしょうか?」
「俺は……ルイスが好きだ。結婚して欲しい」

 ルイスはそれを聞いて唖然としてから、さらに赤面してしまった。この王国では、同性婚が認められている。だが――……と、ルイスの瞳に陰りが差す。確かに夢想すれば、ワルツとの結婚生活はきっと楽しく穏やかで心が躍るだろうが、そんな未来は来ない。何故ならば、この手でワルツを殺すのだから。

 けれど――自分に果たして、それが出来るのだろうか?
 力量という意味ではない。今、ルイスは自身の鼓動が煩い理由に、気づきつつあった。



 ◆◇◆



 ――仔猫を、本当に殺そうと思っていた。その方が、辛い思いをしないと、本当に考えていた。それをあっさりと治したルイスを見た時、ワルツは当初困惑していた。顔にこそ出さなかったが、内心では動揺していた。魔術師という者は、プライドが高い者が多い。人間相手ですら、めったに治癒魔術を使ったりはしない。頭を下げて、お願いするような存在だ。それだけ、魔力持ちは貴重だ。

 それを、猫を心配そうな目で見て、自分に抗議する顔をして、あっさりと治したルイス。そんなルイスの姿を見た瞬間に、ワルツの心は激しく揺れた。

 ああ、優しいんだな、と。
 殺すことばかり考えていた自分とは、根底が違う。その瞬間、ワルツは自分の心も癒やされたように感じた。控えめな笑顔を猫に向けたルイスが、あまりにも神々しく思えた。

 また、会いたいと思った。何故そう思ったのかは、その時点では不明瞭だったが、ワルツは己の直感を疑わないたちだ。餌を口実に、次の約束を取り付ける。実際に猫が心配でもあったが、無性にルイスに会いたいと思っていた。

 その後は、忙しい仕事の合間を縫って、庭園へといく。そしてルイスの姿を見つけると、胸が満ちる、その繰り返しとなった。

「……」

 ある日、どうしても書類が片付かず、ワルツは執務室で王弟殿下の手伝いをしていた。ただ、窓から見える庭園を、チラチラと見てしまう。

「どうかしたのかい?」

 すると王弟殿下が、苦笑交じりに声をかけた。

「いいえ」
「嘘。言いなさい」
「――……最近、気になる者がいるのです」
「気になる? どういった趣旨で? 間者かい?」
「いえ、あれは光の者……では、ないでしょうが、心根は優しい」
「光の者ではない?」
「ええ。常に私の隙を探し、殺気を抑えています。肢体から考えても、接近戦の技量もあるようです。刺客かと考えていたのですが……その割に、様子を窺っているのか手を出してくることは、まだ……」
「疑っているから、気になっている……というわけではなさそうだけれどね?」

 王弟殿下の鋭い問いかけに、ワルツは唾液を嚥下する。

「その者のそばにいると……胸が温かくなるといいますか……」
「ふぅん。ドキドキしたりは?」
「……確かに心音は早くなりますが」
「それ、恋じゃないの?」

 その指摘に、ワルツ自身もそうではないかと考えていたので、何も答えが見つからない。ワルツは、男も女も抱いたことはあったが、恋はしたことがなかった。

「どうしたいの? それで」
「私を狙っているのであれば、倒す自信がありますので、放置し……その……」
「その?」
「これからも……また、会いたいと」
「へぇ。愛してるんだねぇ。殺されてもいいくらい好きなんだ?」
「私が負ける青写真は描けません」
「そうだね。君を倒せる者は、そうは多くはない。ただ、恋は人を惑わせるからね。きちんと素性はこちらで調べておくよ。その者の名前は?」
「ルイスといいます。魔術師として、騎士団に所属しています」

 王弟殿下は、微笑しながら頷いた。
 この日、ワルツはその後は無言で仕事をかたづけた。

 そして、翌日。

「ねぇ、ワルツ」
「はい」
「ルイスくんのことなんだけどね」
「はい」
「――前騎士団長の次男。ご子息だ。大発見だよ。出生時の魔力色と、騎士団への登録魔力色が一致したから間違いない。貴族は出生時に登録が義務づけられているからね」
「っ」

 それを聞いて、ワルツは思い出した。
 そうだ、あの日。あの、物置の中にいた子供。成長していれば、丁度ルイスと同じ年頃だ。自分とは五歳程度離れていたはずだ。当時からワルツは大人びていたため、既に十五歳で隊長職にあった。抜擢したのは、王弟殿下である。

「なるほど、復讐、ですか」
「そうだろうね。どうするの? 私は殺しておくことを勧めるけれどね? なにせ、脱税と横領をしていた前騎士団長の次男だ。奴隷売買にも手を染めていた。鬼畜の血が流れていると私は思うけれど」
「――猶予を。あの者が、本当に私を手にかけるか、見極めたい」
「ほう」
「いいえ。手にかけさせません。復讐心を、私が消し去ります」
「やっぱり、恋じゃない」

 そんなやりとりがあった。ワルツはその翌日、今まで通り、ルイスを食事に誘った。

「ルイス、寮の部屋に来ないか?」

 人目がある場所を避けようと思い、ワルツはそう言った。するときょとんとした後、ルイスが戸惑うような表情に変わり、ぶんぶんと首を振る。その姿が愛らしい。

「いいえ。恐れ多いので」

 その言葉を聞いた時、はたとワルツは思った。夜の誘いだと誤解されたようだと気がついたのである。

「――その、他意はないんだ。ただ、少し話がしたかった。それだけだからな」
「い、いつか!」

 戸惑っている頬の朱いルイスは、とても暗殺者には見えなかった。

 さて、その数日後である。
 なんとルイスに手を出そうとした男がいた。殺意がわいたワルツは、思わずルイスを抱き寄せる。するとルイスが真っ赤になった。本当に、愛らしい。愛おしい。愛している。

 そう思ったら、もう我慢が出来なくなった。自分の心まで癒やしてくれたルイスを、この手で光の下へと取り戻したくなる。己だって後ろめたい仕事をする事はあるが、それでも自分の信じる正道を歩んでいるつもりだ。暗殺や復讐のように、未来のない暗い仕事はしていない。それだけを考えながら、生きていくのはきっと辛い。

 ルイスを、助けたい。
 そう強く思い、ワルツは自分の思考に微苦笑してから、より強くルイスを抱き寄せた。



 ◆◇◆



 その日から、暇さえあれば、ワルツはルイスのそばにいるようになった。なってしまった。これは暗殺には都合がいいのだが、人目を気にせず抱き寄せられ、愛の言葉を囁かれると、はっきりいってルイスは照れてしまって、自分の方が隙だらけになってしまう。

「ルイス、今日こそ私の求愛に答えてくれないか?」
「……ワルツ副団長」

 この日、ルイスは聞いて確認することにした。

「ほ、本当に俺のことが好きなんですか……?」
「ああ、何度も告げたとおりだ」
「……、……」

 もう、ルイスも己がワルツに恋をしている自覚があった。だが、手を下さないわけにはいかない。葛藤が押し寄せてくる。恋に現を抜かしている場合ではない。

 けれど――一度くらい、好きな相手と体を重ねてみるのは、いいのではないか。

 最近、ルイスの中には、この考えが浮かぶ。朱い顔をしたルイスが、チラリとワルツを見上げる。

「今日……ワルツ副団長の夜のご予定は?」
「特に。ルイスのためならば、空けるが? どうかしたか? ん?」

 微笑しているワルツを見て、唾液を嚥下してから、ルイスは決意をした。

「まだ……寮のお部屋に伺ってもいいというお話は、有効ですか?」
「!」

 するとワルツが目を見開いた。それから、実に嬉しそうに破顔した。

「勿論だ。ただ、何もせずにはきっと帰せない」
「……魔導具シャワーを、浴びてから行きます」

 ルイスはそれだけ告げると、我ながら恥ずかしくなってしまい、走った。そして仕事が終わるまで、終始そわそわしてから、勤務終了後に自分の寮の部屋へと戻り、魔導具シャワーを浴びて、全身を清めた。泡で念入りに、体を洗う。

 今日、自分は、ワルツ副団長に抱かれるの、か、と、ガチガチに緊張しながら、何度も体を洗った。

 そして私服に着替えて、ワルツの部屋へと向かう。
 控えめにノックをすると、低音の声で、『入ってくれ』と声が返ってきた。
 いよいよ緊張しながら中へと入る。

 すると優しい顔をしたワルツが出迎え、両腕ですぐにルイスを抱きしめた。その温もりに、もう殺すのなどきっと無理だと思いながら――ならば、ああ、猫を殺そうとしていたのはきっと正解で、己のことも物置にいたのに気づいていたのだから見逃さずに殺してくれたらよかったじゃないかと考える。

 その時顎を持ち上げられて、唇に唇で触れられた。次第に口づけは深さを増していき、舌を絡め取られて、口腔を嬲られる。口が離れた頃には、ルイスは必死で息をしていた。


 こうして情事が始まった。

「愛している。ずっと、ルイスが欲しかったんだ」
「ンぁ……」

 ワルツの巨大な剛直が、ルイスの窄まりから押し入ってくる。十分に解された内壁だが、それでもまだきつい。擦るように抽送され、それは次第に深度を増していく。

「あ、あ、あ」

 ワルツが動く度に、ルイスの口からは嬌声が零れる。

「んぁ……は……っひゃ、ぁぁ……あ!」

 膝をつき、猫のような体勢になったルイスの腰を掴み、バックからワルツが貫いている。次第にその動きは早さを増していき、肌と肌がぶつかる音が響き始める。

「あ、ぁ……あア! ひゃっ……深い、ぁ……ああ!」

 ワルツの巨大な陰茎が何度も、ルイスの中を暴く。そしてじっとりとルイスの肌が汗ばみ、髪が肌に張り付いてきた頃、ワルツが掠れた声で言った。

「出すぞ」

 ワルツはそう言って一際強く打ち付けながら、ルイスの前を手で扱く。

「ンあ――!」

 その衝撃で、ルイスは射精し、ぐったりとベッドに沈み込んだ。

 ――気持ちがよかった。
 事後、そう考えながらルイスは、隣に寝転んだワルツの顔を見る。ワルツはルイスの体を手際よく清めてから、魔導具シャワーを浴びて出てきたところだ。

「ルイス、動けるか? 無理をさせたな」
「平気です」

 実際、体は重いが、ワルツと一つになれたことが嬉しくて、その歓喜の感情が勝り、ルイスは平気だと思った。するとルイスの髪を撫でたワルツが、ふと窓の外を見た。

「では、少し外に出ないか? 夜の庭園にも興味がある」
「はい」

 頷き、ルイスは外へと出た。二人で手を繋いで歩く。ルイスは、己の服にいくつも隠してあるナイフや暗器のことを後ろめたく思いながらも、手を離せないでいた。

 たどり着いたのは、最初の猫と会った巨木の前。
 二人で立ち止まる。するとワルツが、真っ直ぐに前を見たままで言った。

「ルイス」
「なんです?」
「まだ、私を殺すつもりか?」

 優しく柔らかい声だった。だが、ルイスはその声に飛び退いた。距離を取る。すると幹を背に、ゆったりとワルツが振り返る。真正面から対峙したルイスは、咄嗟にナイフを取り出しながら、気づかれていたことを悟り、険しい顔をする。

「ご存じだったんですね、全て」
「そうなるな」
「俺に愛を囁いたのも、俺を抱いたのも、全ては俺を抹殺するためですか?」
「それは、違う。ルイス、俺は、ルイスと本当に共に生きたい。二人で、日の下を歩みたい。だから、これからも一緒に居て欲しい」
「あんたに日の下を歩く権利なんてない。人殺しが。っは、俺も大概そうだけどな、あんたみたいな鬼畜……絶対に俺、は」

 ルイスがナイフを振りかぶる。
 しかしその表情には、悲愴が宿っている。とても悲しそうな瞳、震えている手。
 ああ、ダメだ、と。ルイスは観念した。やっぱり、殺すのはもう無理だ。つい、からんとナイフを取り落とす。すると一歩前へとワルツが出てきたので、ルイスは後ずさった。しかしワルツが距離を詰めてくる。途中でナイフを拾ったワルツは、それを片手でくるりと回した。久しぶりにルイスは、無表情のワルツを見た。

 ワルツが地を蹴る。
 ルイスは覚悟した。もう――これでいい。愛する人の手にかかって死ねるのだから、それは幸せなことだ。本当はとっくに鬼籍に入っているはずだった命だ。そして自分は大勢を手にかけた。静かに双眸を伏せたルイスが、俯く。ワルツが走る気配がした。

 ナイフを刺される痛みとは、一体どんな感じなのだろうか。

「!」

 だが直後、予想外のことが起きたものだから、ルイスは信じられなくて目を見開いた。ぎゅっと自分を抱きしめる逞しい腕、先ほど知った体温、石鹸の良い香り、これ、は。

 ルイスは、ワルツに抱きしめられていた。

「なっ」
「愛している。だから、俺と共に生きてくれ。暗殺を諦めてくれ」
「……っ、でも、俺はもう戻れない。もう、俺はたくさんの罪を犯して……」
「それは仕事だったとはいえ、俺もまた同じことだ。たとえば、ルイスの家族を俺は殺めた。きっとルイスは知らないだろうが、ルイスのご両親は罪人だが、それが露見する前に体裁を整えた。とはいえ、ルイスの兄を殺害する必要は無かった。たとえ、禍根が残るとしても」
「罪人……?」

 ルイスが目を丸くすると、ワルツが頷き、真実をルイスに語って聞かせる。ルイスは目眩を覚えた。それじゃあ、今までの自分の人生は――無意味だ。復讐は、無意味だ。正しいのは、ワルツ達であり……もう、知っている。ワルツはこういう嘘をつく人間ではない。同時に、真実を無意味に秘匿することもしない。

「……そう……だったのか。ハハ、なぁ、ワルツ副団長。俺は……俺の人生は、無意味だったんだな。そもそも副団長を暗殺しようとしたなんて、大罪人だ。この場で、手を下してくれ。ああ、本当に俺は、無意味だったんだなぁ……」
「そんなことはない。俺は、ルイスに救われた」
「俺……に?」
「猫を癒やしてくれた時、俺の心も同時に癒やされた気がした。それから俺は――おまえに恋をした。ルイス、大切にする。だから、一緒に生きよう」

 ワルツの腕に、より力がこもる。すると、ルイスの双眸から、ぽろぽろと涙が溢れた。そして気づくと、ごく小さく頷いていた。




 ――翌日、ルイスは王弟殿下に呼び出された。執務室に入ると、ワルツの姿もあった。

「やぁ、ルイスくん。君の生家の伯爵家の爵位を戻しておいたから、今日から君は貴族籍に戻るように。もう、後ろめたいことはやめるんでしょう? 過去は忘れて、堂々と生きればいいよ。たまぁに、私が暗い仕事をお願いする場合は在るかも知れないけれど、その指揮は大体はワルツがするから、安心だ。いやぁ、頼りになる凄腕だと聞いているけど――やっぱり恋は人を惑わせるね」

 つらつらと笑顔で王弟殿下が語った。
 最初、ルイスは何を言われているのか分からなかった。てっきり、処罰が下るのだろうと考えて入室したため、肩から力が抜ける。代わりに、冷や汗が出てきた。

「ワルツの実家は侯爵家だし、やっぱり挙式は貴族同士の方が釣り合いがとれるとされるからね、一般的に」
「――へ?」

 今、挙式と言わなかっただろうかと、ルイスはパチパチと瞬きをしながら首を激しく捻る。

「うん? ワルツに頼まれて、既に王都大聖堂での式の予約は終わってるよ?」
「――はい?」
「結婚するんだよね? おめでとう」
「え、えっ」

 驚愕してルイスはワルツを見る。ワルツは仕事中だからなのか、無表情に近い。

「はい、これ。婚姻届。それと、伴侶がいる騎士団員には寮じゃなく一軒家を貸しているから、そこの鍵。もうワルツには渡してあるし、婚姻届もワルツのサインは終わってる」
「……、……」
「あと、指輪はワルツが特注すると言うから、なんとか式に間に合うように王宮からもお願いしたから安心してね」
「は?」
「それと肖像画も欲しいらしくて、宮廷画家を手配したから、そちらの対応もお願いね」
「え、ええと……」
「既に全騎士に君達が無事に結婚することになったと通達してあるよ。きっとお祝いされるだろうから、素直に喜びなさい。もっとも君達が相思相愛だというのは、特にワルツが溺愛しているというのは、最初から周知の事実だったから驚いた人は少なかったけどね」

 何が起きているのか、ルイスには理解が追いつかない。完全に外堀が埋まっている。

 その時、書類仕事を終えた様子で、羽根ペンを置いたワルツが立ち上がり、ルイスの隣に立った。そして不意にルイスをギュッと抱きすくめる。そうして耳元で囁いた。

「いやか?」

 この声に、ルイスは弱い。

「いやだと言っても、もう離さない。愛している」

 ワルツの声音に、ルイスは頬を染めて額をワルツの胸板に押しつける。それから――少しして勢いよく顔を上げた。

「式はいつなんですか?」
「半年後だ」
「それ、準備間に合うのか……?」
「これから忙しくなるな」
「なにを他人事みたいに……っ、人生の一大事だ! はぁ。肖像画なんて後回し!」
「そうだな、招待客のリストはここに用意してあるが」

 どうやら仕事ではなく、リスト作りをしていた様子のワルツを見て、ルイスは脱力しそうになる。そんなルイスをぎゅーっとワルツが抱きしめる。

「絶対に逃がさない」
「……逃げないから」

 二人がそんなやりとりをしていると、王弟殿下が「痴話喧嘩は、羨ましいね」などと感想を述べた。


 このようにして、一つの恋が成就し、暗い道から、闇堕ちしていた一人――ルイスが日の下へと舞い戻り、そのルイスの存在に光堕ちしていたワルツと結ばれることになった。その後生涯、ワルツは愛妻家として名を馳せ、冷徹という噂が次第に払拭されるのだが、それはまた別のお話である。



 ―― 終 ――