魔王殺し





 世界の全てには、残酷で冷たい空気が満ちている。
 ここは、春でも凍てつくギルガデシア帝国の外れだ。
 孤児だった俺は、慈善事業で俺を引き取った養父の伯爵に、帝国軍へと――売られた。魔力量だけは人より多かったそうで、それもまた、養父が俺を引き取った理由らしい。

 帝国軍では、俺はお世辞にもいい扱いは受けなかった。
 死んでもよい駒、そんな扱いで日々死線をくぐってきたら、いつしか俺は暗部と呼ばれる特殊部隊の隊長になっていた。俺以外の皆が死んだからだ。ただ、死んでも人は補充されてくる。とはいえ、皆より長く生き、今年で二十七歳となった。

「イルス隊長」

 部下に名前を呼ばれた俺は、溜息を押し殺しながら振り返る。次の仕事は、この外れにあるまだ雪が残る寒村の地下に発見された古代遺跡の調査だ。遺跡があること自体、周囲には公表していない。

 というのも、ギルガデシア帝国は、初代皇帝が神の血を引き、ずっとこの氷の大地を治めてきたという神話を元に国家の正当性を説いているのだが、そこに古代遺跡が見つかったとなれば、神話が揺らぐ。その遺跡は、明らかに歴史書の神話よりも前の時代の遺跡だからだ。中に、何があるのか。それを調べるのが、俺達の役割だ。

「遺跡に下りる準備が整いました」
「そうか。では、予定通りこれより遺跡に入ることとする」

 部下に答えた俺は、その三十分後に遺跡に下りた。俺を先頭にして進んだのだが、遺跡には数多の罠があり、一人、また一人と死んでいく。俺は人の死に鈍感になりつつある。それでも自分の命には、執着があった。

「ん?」

 俺が最後の一人になったのは、遺跡の地下十三階に到達した時だった。いつから一人で進んできたのかは分からない。帝国では、十三は不吉な数字だと言われるのだが、その階層に到達すると、魔術探索した結果、もうそれより下の階層は存在しない様子だった。

「……これは……」

 仰々しい扉が、目の前に現れた。中の気配を探った後、俺は罠を警戒しながら扉を開ける。すると地下だというのに、明るい光が溢れてきた。怪訝に思いつつ、双剣を片手に、俺は中へと足を踏み入れる。

「っ」

 そして目を見開いた。
 そこには、玉座のようなものがあり、一人の見目麗しい青年が目を伏せて座っている。
 その胸元。そこに銀色に輝く大剣が、深々と突き刺さっていた。玉座は、乾いた血で濡れているが、青年に腐敗した様子はない。遺跡自体も発掘されるまで永久凍土の下に閉ざされていた以上、ここは軽く見積もっても六百年は、何人も足を踏み入れなかったはずだ――が、まるで生きて眠っているような、青年がそこに在る。

 俺はおずおずと歩み寄った。
 そして黒い手袋を嵌めた手をそっと伸ばして、銀色の剣の柄に触れる。
 すると。

「っく」

 俺の掌に、まるで柄が吸い付くようになった。吸引される感覚に、思わず手を握る。妙にしっくりくる柄だが、手を離そうにも離れない。なんだ、これは? と、そう思った時、大剣が揺れた。

「あ」

 間抜けな声を出してしまったのは、剣の勢いに負けて、俺がずるりと大剣を引き抜いてしまった時だった。目を瞠った俺の前で、剣が抜けた青年の体の傷が――静かに塞がっていった。何が起こったのか分からない。ただ貴人らしい青年の胸元の服だけが、それまで剣が刺さっていたことを示している。

「!」

 その時だった。
 ゆっくりと青年が目を開けた。薄い黄緑に見える長い髪をしている青年の瞳は、緋色だった。俺の背筋が粟立つ。緋色の瞳は、魔族の証であり、人間には決して生まれてこない色彩だ。それは魔族との混血児でも変わらない。

「そうか。勇者の末裔か」
「――なに?」
「聖剣に触れられる者は、勇者の血を引く者だけだ。顔を見せよ」
「……」
「早くしろ」

 ギンっと青年が俺を睨んだ。俺は普段他者に気圧される事はほとんどない。それこそ帝国の皇帝陛下や皇族の皆様に畏怖を抱くことはあれど、それは権威の話である。しかし青年の眼光に、逆らえば死ぬことになるという確信があった。俺は、大剣を持つ手とは逆の手で、ゆっくりとローブのフードを取り去り、口布を外す。

「顔もよく似ているな。俺を屠ろうとしてそれが叶わぬと知り、ここに封印した勇者に」
「ゆ、勇者……?」
「そうだ。嘗てこの大陸に栄えた俺の国、魔王国を屠った人間の称号だ」

 それを耳にして、俺は表情をなくしたと思う。魔王国などという存在は、現在の歴史書の何処にも存在しない。

「俺は魔王――だった、ものだ。いいや、今もそうなのだろうな。生きとし、生ける、地に満ちた人間の子らは、俺が人種族を滅ぼす存在だと盲信していた」
「……、……」
「だが俺は、そのようなことは考えてもいなかった。だから、刺されてやったのだ。その聖剣に。俺が封印された以後の、魔族の扱いがどうなっているのかすら、既に俺は関知していない」
「ま、魔族は敵だ。このローラルア大陸の霧の森の奥で暮らしているとされている」
「霧の森、か。ならば魔侯爵の領土だ。奴が保護をしたのだろう」

 つらつらと追憶に耽るように語った自称魔王を見て、俺は聖剣を握りしめながら尋ねることにした。

「名は?」
「アーノルドだ。貴様は?」
「イルスだ」
「そうか。イルス、俺は行く当てもない。勇者の末裔が今いかにして生きているのか、地に満ちた人間がなにを成しているのかに興味がある。貴様についていく事としよう」

 玉座からゆっくりと立ち上がった魔王アーノルドは、俺の正面に立った。俺もそう背が低い方ではないが、アーノルドは長身で、俺とは頭一つ分は背丈が違った。屈んだアーノルドが、じっと俺を覗き込む。緋色の瞳は澄んでいて、整った顔立ちに俺は暫しの間見惚れた。荘厳な空気を放っているようにさえ思えた。


 ――アーノルドを連れ、部下の屍を避けて歩きながら、俺は地上へと戻った。
 そして遺跡の外に出て、眩しい日光に目を眇めた時だった。
 轟音が響き、咄嗟に振り返ると、アーノルドが片手を持ち上げていた。すると古代遺跡までの階段が消失し、既にそこには降り積もる雪しか見えない状態になっていた。

「な、なにを?」
「ここは仮にも魔王国の王城だ。今、ヒトの記憶からは消した。ここに遺跡があったことを記憶しているのは魔族と、人間ではお前のみとなった。お前の部下達は、魔獣に襲われ死んだと、今の世の皇帝は把握したはずだ。俺は、ヒトの記憶程度ならば、操ることが可能だからな」
「……っ」
「イルスは、俺を連れて報告へ戻ればよい。保護したこの異国と接する土地の辺境伯。それが今、俺が操作し植えつけた記憶だ。しかし人間の世界も面白いことになっているな。貴族制度は魔王国の名残だ。これからも、楽しませてもらおう」

 俺は何を言えばいいのか分からなかったが、正直半信半疑だった。
 その後転移魔法陣で、アーノルドを連れて皇帝宮へと戻る。外見から魔族と露見するのではないかと思ったが、アーノルドはそう考えていた俺を見ると笑った。

「お前以外には、俺は普通の人間に見えるように暗示をかけてある」

 実際その言葉の通りの様子で、皇帝陛下への謁見の間へ向かう道中、物珍しそうに見られることはあっても、それはアーノルドの顔立ちに見惚れるものばかりで、奇っ怪そうな畏怖するような、そんな眼差しは一つも飛んでこなかった。

「帰ったか」

 皇帝陛下の前で俺が跪き頭を下げると、すぐに声がかかった。

「此度も災難であったな」

 此度、『も』だ。いつも俺の部隊は、死に向かっているから、俺以外が全滅することは珍しくない。

「人員の補填までは、一人で任をこなせ。ただ、丁度よい任務もない。そこで、屋敷を失った辺境伯アーノルドの家を皇都に用意したゆえ、イルスは暫しの間アーノルドの護衛につくように」

 そのような易しい依頼に驚いていると、アーノルドの声が耳元で響いた。

「――そういう暗示をかけただけだ。この声も、お前以外には聞こえない」



 こうして、俺とアーノルドの生活が始まった。

「貴様は俺と茶を飲んでくれればよい。そしてこの世界について教えてくれ」

 護衛とは名ばかりで、アーノルドの要求は、暇つぶしの相手をしろというものだった。俺は長らくゆっくりと椅子に座った記憶がなく、皇都に用意されていた豪奢な家の居室の長椅子に座るのが、なんとも落ち着かなかった。

「何が聞きたいんだ?」
「お前はこれまで、どうやって生きてきた?」
「ヒトの記憶が読めるんだろう?」
「勇者の末裔は別だ。俺はこの世界で、お前の心だけは読めない」

 そういうものかと思いつつ、俺は視線を下げた。我ながら昏い瞳をしていたと思う。

「俺は人を殺して生きてきた。魔獣もだが、人も。時には魔族も」
「人間であるのに人間を手にかけるというのも難儀だな」
「――それだけだ。他に話せるようなことはなにもない」
「その時の気持ちは?」
「なに?」
「何も思わずに殺したのか?」
「……っ」

 最初は、嫌だと思っていたのかもしれない。しかし今では無感情だ。多分。そうでなければ、とっくに俺は狂って死んでいただろう。いちいち感情を動かしていては、自分を保つことが出来ない。

「俺が助けてやろうか? 本当は辛いのだろう?」
「助ける?」
「全てを俺に受け渡すというのならば、新しい立場を用意し、やりたくない仕事はしなくてよい、愛に溢れた生活を保障しよう」
「愛? 馬鹿馬鹿しい」

 愛なんて、俺は幻想だと思う。第一、誰かの愛する者を手にかけてきた俺が、俺だけが幸せになる権利なんて、きっとどこにもないだろう。

「戯言はいい加減に終わらせて、歴史書でも読めばいい。魔王国など何処にも軌跡がないと分かるだろう。第一、勇者など聞いたこともない」
「そうか。まぁ、そう思うのならば、それでよい」

 くつくつと笑ったアーノルドは、その後書架から俺の言った通りに分厚い歴史書を手にし、椅子に腰掛け長い脚を組んだ。

 次の俺の作業は、掃除、炊事、そうした家事だった。護衛というより家政夫が正しいようにも思う。対象者宅に潜入することもあったため、俺は侍従や執事としての技能も一定程度は持ち合わせているのが幸いだった。

 それに俺は料理が好きだ。もし普通の生活が叶うのならば、長閑な場所にカフェでも開いて、のんびりと暮らしてみたかった。

 ビシリとノリのきいたシーツを寝台に敷き、この日の仕事を終える。ただし俺に帰る家はなく、アーノルドの寝室から内扉を挟んで隣の小部屋が俺の部屋となった。

 アーノルドがその俺の部屋へと訪れたのは、一緒に暮らし始めて三日後のことだった。
 のしかかってきたアーノルドを、俺はぼんやりと見上げる。

「抵抗しないのか?」
「生娘のような反応を期待しているのならば、他を当たれ。花街はそう遠くないぞ」
「いいや、貴様がよい」

 そのままするすると寝間着を開けられた。
 首の筋を骨張って指でなぞられ、鎖骨の少し上に口づけられる。ツキンと疼いて、痕がつけられたのだと分かった。端正なアーノルドの顔を見上げながら、俺はこれもまたある種の護衛の仕事なのだと考える。世話をするとは、そういう事だ。当初から想定していたし、俺の職務内容に正しく含まれると思っていた。

「ぁ……ッ」

 乳首を甘く噛まれた時、俺は鼻を抜けるような甘ったるい声を出した。別に演技というわけではない。実習訓練時に、体から敵を籠絡する技術を仕込まれていた俺の体は、正直敏感だ。俺自身は、普段自分から誰かに求めることはないが、行為自体に嫌悪もない。

 過去、色々な相手に抱かれてきた。でっぷりと肥えた商人や卑しく笑う嫌な臭いのする貴族、そうした者に比べると、まだ外見的にも生理的にも嫌悪のないアーノルドはマシだ。

「んっ、ぅ……」

 陰茎を握りこまれて緩く擦られると、すぐに俺の体は反応した。

「はっ、ぁ……ンん」

 息が上がっていく。くちゅくちゅと鈴口を嬲られ、先走りの液が音を響かせた頃には、既に射精したいという欲求と――穿たれたいという欲望が、俺の中に灯っていた。

「早く、っ」
「扇情的だな。俺も貴様が早く欲しい」

 アーノルドはそう言うと、二本の長い指を俺の窄まりにあてがった。なにかぬるりとしていた。

「ぇ、あ」
「魔術で潤滑油を指にまぶした。多少の弛緩作用と催淫作用がある。辛くはないはずだ」
「ひっ、うあ」

 ぬめる指先が進んでくる。アーノルドの言葉の通りで、痛みも何もない。だが、過去には手ひどく抱かれるばかりだった俺には、それが逆にもどかしくて辛い。

「ぁ、ぁあ」
「トロトロだな」
「んっ、あ、アーノルド……」
「もっと俺の名を呼べ」
「アーノルド……ッ、ぁ……ああ!」

 前立腺を探り出されて、トントンと甘く刺激される。限界まで俺の陰茎は張り詰め、思わず背を反らした。トントン、またトントンと刺激される度、俺はいやいやとするように頭を振って涙を零す。気持ちがいい。

「どうされたい?」
「あ……ハ……っ、ぁ」

 答えは決まっていた。

「アーノルドの好きにしてくれ」

 いつ、いかなる閨においても、俺には選択肢なんて与えられなかった。いつも、従うまでだ。

「ほう? では、ずっとこのままとしようか」

 アーノルドは不思議そうな目をしてから、ニッと口角を持ち上げて綺麗に笑った。

「あ、ああっ……ン――」

 しかしそれは俺にとっては地獄だった。甘く蕩かされるように、前立腺ばかり優しく嬲られ、すぐに俺はすすり泣くしか出来なくなる。だが、自分の欲望に素直になるという経験を、俺はしたことがなかった。

「うっ、ぁ……やっ……」
「欲しい、と、ねだってみたらどうだ?」
「欲しい、です……」

 この言葉は、俺の願望交じりではあったが、相手を喜ばせるためのものだ。だから、家と言われたら、俺は素直に言える。アーノルドが押し入ってきたのは、それからすぐのことだった。

「ひっ」

 俺の腰が引けた。するとぐっとアーノルドが俺の背に長い腕を回し、俺を抱き寄せるようにした。結果、深々と貫かれ、俺は喉をそらして、髪を振り乱して泣いた。

「嫌だ、嘘だ、な、なに、あ、あ、あああ」

 アーノルドの肉茎は、俺が初めて知るほど巨大な質量と長さを誇っていた。ぐりっと内壁を擦り上げられながら最奥まで一気に穿たれた時、ギュッと目を伏せ俺は泣いた。あんなにも解されたというのに、満杯になってしまった中が、自分でも分かるほどきつく、アーノルドの陰茎に絡みついている。抱き寄せられているため身動きの取れない俺は、脚をアーノルドに絡め、手では無意識にアーノルドの体を押し返そうとした。しかし厚い胸板はびくともしない。

「あ、あ、ああっ、深い、深い、ぁ――!」
「俺は魔族だ。体のつくりが同一というわけではない。こと、性器は人間に比して巨大だ。それが魔族だ。その魔族の中でも俺は大きい方だと言われてきたからな。いくら慣れていようとも、人間の貴様では、受け入れるのが少し辛いか?」
「あ、あ、あ」
「だが、受け入れられるようにする魔術もある。すぐに、好くしてやるさ」

 アーノルドがそう言って陰茎を揺さぶった瞬間、アーノルドのものが触れている箇所が急に熱を帯びた。

「あ」

 びっしりと俺は冷や汗を掻き、目を見開く。

「ああああああああ」

 ふれあい交わっている場所から、快楽が染みこんできた。おかしなほどの快感が、俺の全身を走り抜けた。すると同時に激しい抽送が始まり、ぐりぐりと最奥を押し上げられ、俺は快楽に咽び泣きながら、自分の陰茎をアーノルドの腹筋に押し当てて果てた。だが、俺が出してもアーノルドの動きは止まらず、その夜俺は、アーノルドの気が済むまで貪られ、自分がいつ意識を手放したのかを覚えていなかった。

 こうして、俺とアーノルドの間には、夜の営みが加わった。いいや、それは嘘だ。アーノルドは、朝も昼も、自分が欲した時、俺を後ろから優しく抱き寄せ、場所も家の中の至る所で、俺を抱き潰すように変わった。

 たとえば、今。
 ドアノブを拭き掃除していた俺を、後ろから抱きすくめて、服を開けたアーノルドは、壁に手をつくよう俺にいうと、俺の下衣をおろして、慣らすでもなく肉茎を突き立てた。魔術の不思議なぬめりで痛みはない。しかし催淫作用ですぐに――いいや、慣らされた体のせいかもしれないが、すぐに俺の体は熱くなった。

「どうだ?」

 片手で、陰茎を扱かれながら、後ろから貫かれていると、すぐに太ももが震えだし、俺は手をついているのがやっとになり、掴むものが何もない壁に縋ろうとしては失敗し、体勢を崩す。

「あああああああああ」

 すると貫かれたままで角度が変わり、俺が崩れ落ちそうになるのを抱きとめて上にのせたアーノルドの陰茎に、俺はしたから最奥まで貫かれる結果となった。それだけで、俺はドライオルガズムの波に飲み込まれ、一瞬で果て、ガクンと体を跳ねさせて意識を飛ばした。


「色っぽくなったな」

 ある日。
 アーノルドに紅茶を出していると、カップを置いた直後、そっと手首に触れられた。
 その優しい温度にドキリとしたが、悠然と笑う表情に気恥ずかしさを覚えて、俺は顔を背ける。すると立ち上がったアーノルドが、俺の顎に触れ、俺の顔を自分の方へと向けた。

「……その」
「なんだ?」
「俺を抱き潰して性処理をするのは、人間の文化を知ることに有益なのか?」

 俺が問いかけると、アーノルドが不思議そうな目をした。

「なにか理由があると言われたい様子だな」
「べ、別に」
「たとえば俺が貴様に惚れた、というような」
「ち、違う!」

 カッと俺の頬は羞恥から熱を帯びた。実際、俺の胸の奥には、そういう想いがあったから、図星だったといえる。俺は抱かれる内に、アーノルドに惹かれつつあった。それは体が絆されたからなのかどうかは分からない。ただ、誰かにこのように優しく抱かれたことがなかった俺は、アーノルドの体温が好きになってしまい、苦しかったのは事実だ。

「お前は、顔は勇者に似ているが、中身は勇者には似ていないな」
「――え?」
「俺は、な? 勇者のことが好きだったんだ。魔族であるのに、人の子に恋をした」
「っ」

 苦笑するように笑ったアーノルドを見て、俺の胸が苦しくなった。つまり、は。

「俺が、その……勇者に似ているから、だから俺を抱くのか……?」

 真理を発見した俺は、空しさと、何故なのか異様な悲しみに全身を巣喰われた。

「はじめはそうだった。勇者は、何故勇者になったかといえば――俺が勇者を好きであり、俺に近づける唯一の人間であったから、聖剣を与えられたのだ」
「誰から?」
「聖剣は、小さな神殿が偶発的に未来から召喚したものだと聞いている。それを手にできる者は、魔王を殺せる者――そう神託があったという。勇者はどうしたと思う?」
「分からない」
「勇者は、名声と富を欲した。実に呆気のない末路として、俺は愛する勇者の望みを叶えてやろうと、聖剣で貫かれることを選択した」
「……好きだったんだな」

 ぽつりと俺は零した。胸が痛い。

「だがその後も意識は暫しの間残っていたから、目を伏せ人間の世界を眺めていた。その結果、勇者は村娘と結婚し、子をもうけ、俺のことなど忘れて、幸せに生涯を終えた。俺に聖剣を突き立てるために、『魔王を愛している』と口にして優しげに笑っていたのは全て嘘偽りだった。俺は、人間とは嘘をつくのだと、この時思い知った気持ちだった」

 不意にアーノルドが、俺を抱き寄せた。俺は額を、アーノルドの胸板に押しつけられた。

「だが、顔はそっくりだというのに、イルスには嘘が見えない。不思議だな」
「それはお前に嘘をつく必要が無いからと言うだけだ。任務では俺は嘘偽りを重ねてきた」
「そうであったとしても、イルスが俺を好きだというのは、手に取るように分かる。そこに嘘は見えない」
「でも、お前は俺の心だけは読めないんだろう?」
「だから? 自分に向けられる恋が滲む目を見誤るほど愚かではない」
「勇者の気持ちが見抜けなかったくせに?」
「いいや。知っていたさ、あやつが俺を好きでないことくらい。それでもよかった。俺が好きだったのだから」

 よりギュッと俺を抱き寄せたアーノルドは、俺の肩に顎をのせた。

「性処理なんかじゃない。俺もまた、貴様のことを少しずつ好きになり始めている。これが俺の回答だが、これでは足りないか?」
「っ、その……」
「まだ、イルスを愛していると、俺は言えない。愛しそうになっているというのが正解だ。だが俺は怖い。もう俺は、聖剣に刺されてやるつもりはない。もしもイルスが裏切ったのならば、そんな日が来るとしたら、きっと俺はお前を監禁し、俺のことしか考えられなくさせてしまう」

 少し掠れたアーノルドの声に、嘘は見えなかった。



 その内に、初夏が訪れた。この帝国でも、一時だけ雪が消える季節だ。俺は買い物へと出かけ、紙袋とカゴを手に歩いている。紙袋の中には背の高いパンが入っている。カゴには、リンゴが。今日はアップルパイを焼こうと思っている。

「平穏な街だな」

 横を歩くアーノルドを、道行く老若男女が見惚れるようにチラチラと観察している。俺は頷き、新緑の木を見上げる。

「そうだな。この街の平穏は――ただ、勇者がお前を倒したからあるのかもしれない」
「そうかもしれない、が。歴史書を読んだかぎり、始祖たる最初の皇帝は勇者ではない」
「そんなことを口にすれば大罪だ」
「いいや、誰も俺を裁くことは出来ないだろう」
「何故?」

 俺が顔を向けると、アーノルドが小さく吹き出すように笑った。

「あれはな、魔王国の歴史そのものだったからだ」
「え?」
「魔族ではなく、倒したのは魔獣だったが――人間は、歴史をも乗っ取ったのだな」
「……、……」
「あれもまた、編纂者たる人間の嘘だ。始祖の皇帝とは、俺のことだ」

 ひょいっと俺の持つカゴからリンゴを手に取ったアーノルドが、空に向かってリンゴを投げては、手で受け止めた。

「アーノルド」
「ん?」
「もしかしてお前は、人間が……いいや、俺が憎いのか? 勇者が、そしてその勇者に似た俺が。だから、俺にあえて優しくするんじゃないのか? いつか、俺を傷つけるために」
「俺が優しくしたら、もっと俺に惚れてしまうからか? 俺に裏切られるのが怖いか?」
「……」

 俺は何も言えなかった。この頃にはもう、アーノルドへの気持ちを認めてしまうしかなくなっていたからだ。だが、アーノルドを信じられるかと言えば、それは別の問題だった。こんなことならば、聖剣など抜かなければよかった。聖剣は、あの遺跡の玉座の間に置き去りにしたままだ。

「可愛いな、イルスは」
「やめろ。こんなガタイのいい男を捕まえて」
「腰回りは細すぎると思うがな。確かによく引き締まった体をしているとは思うが」

 くすりと笑ったアーノルドを見て、俺は嘆息した。それからまた苦しくなった。勇者と同じ顔である、末裔らしい自分の血が嘆かわしい。けれどもしその血が流れておらず顔が違ったならば、出会い、こうして恋をする契機は訪れなかったはずだ。

 ただし、今でも分からない。俺には、アーノルドに恋をする権利はあるのだろうか?

「イルス、帰ったら聞いて欲しいことがある」
「今話せばいいだろう?」
「いいや、二人きりで」

 こうして俺達は帰路を急いだ。いいや、急いでいたのは、俺だけなのかもしれない。
 居室に入り、紙袋とカゴを置いた直後、俺は後ろから抱きすくめられた。

「なぁ、イルス」
「なんだ?」
「俺の心が決まったという話だ」
「……どう、決まったんだ?」

 返事を聞くのが怖い。俺のことが嫌いだというのならば、今後俺はどう生活していけばいいのだろう。きっと欠落した愛への期待は、俺を苛む。

「俺は、魔王城――お前達のいう古代遺跡へと一度戻ることにする」
「っ、それ……は……」

 別離の宣言だ。俺の心が、パリンと音を立てる。

「だから、一緒にきて欲しい」
「――え?」
「もう、俺はイルスをどこにやるつもりもなくなった。俺のそばから離したくない。人の皇帝のもとに返してやるつもりも消えた。迷っていた理由はこれ、だ。俺は愛してしまったら、別離など考えられない。だからやはり、お前は連れていく。お前が嫌だというのならば、それこそ前に言った通りに監禁してでも、連れていく」 

 俺の心に入った罅が、一瞬で塞がった。代わりに俺は、低音のアーノルドの声音に、ゾクリとしていた。振り返ろうとすると頬に触れられ、目を伏せたアーノルドに唇を奪われた。うっすらと唇を開けば、俺の口腔へとアーノルドの舌が入り込んでくる。

「着いてきてくれるな?」
「……ああ」

 俺の答えなんて、一つしかない。決まっていた。



 夏、この土地は夏でも氷に覆われている。俺とアーノルドは手を繋いで、古代遺跡があったはずの場所へと訪れた。そこでアーノルドが片手を持ち上げる。すると再び、地下へと続く石段が現れた。

「イルス。知っているか?」
「うん?」
「十三のお伽噺だ」
「十三? 不吉だと言われる数字だな」
「――きっと、そうねじ曲げられて伝わったのだろうな。十三は、古代の聖剣の召喚時にもたらされた神託の中に出てくる、ある数字なんだ」
「ある数字?」

 俺が首を傾げると、俺の手を引き寄せて、優しくアーノルドが笑った。

「勇者の十三代あとの末裔が、真の意味で魔王を殺すという神託だった」
「?」
「イルス。俺が歴史を辿った限り、お前が十三代目だ。魔王の末裔の、な」
「っ、でも、俺はアーノルドを殺したりしない」
「いいや、俺は殺されたさ」
「え?」

 意味を図りかねて俺が大きく瞬きをすると、ギュッとアーノルドが俺を抱きしめた。

「俺の中にあった憤り、人間への憎しみ、恨み、そういった負の感情が、全て殺されてしまった。貴様が俺に、愛を教えてくれた結果だ」
「俺が……?」
「愛から生まれる憎悪しか知らなかった俺は、貴様にじわりじわりと好きになる穏やかな恋を、そしてもう手放せなくなってしまう激情を、初めて教えてくれた」
「アーノルド……」
「俺は、貴様と共に生き、そうして死にたい。もう、この世界に魔王はいない。お前が、魔王である俺を殺した。さながら、魔王殺しの英雄だな」

 つらつらと語るように言ってから、アーノルドが俺の腰を抱いた。
 そして地下へと続く階段を下り始める。
 するとぽぉっと各地で、それまで火の消えていた燭台に焔が宿った。長い紺色の絨毯が照らし出されると銀の刺繍が輝く。

「何故俺がここへと戻ってきたか分かるか?」
「『一度戻る』という話だったよな……? まさか、俺を監禁するためではないだろう?」
「そうしても構わないというのが本心だが――一番の理由は、聖剣の処理だ」
「どう処理するんだ?」

 俺が首を捻ると、歩きながらアーノルドが言った。

「魔族と人間の一番の違いは、体内に魔力核を持つことだ。それを分離すれば、俺はもう魔族としての力は失う。それに、聖剣を刺して封印する。そうすれば、俺はお前と同じ寿命のヒトとなる。そして、聖剣を刺せる者、それはイルスだけだ。これがどういう意味か分かるか?」
「俺に勇者役をしろと言うことか?」
「違う。お前と共に生きたいと言うことだ。プロポーズだよ」

 くすりと笑ったアーノルドの表情があんまりにも優しくて、俺はガラでもなく赤面した。
 そうして二人で玉座の魔へと行き、アーノルドが分離させた魔力核だという紅玉を玉座の上に置いた。両掌サイズの球体を見ながら、俺は床に落ちている聖剣を手に取る。掌に吸い付く柄の感覚は、最初に触れた時と同じだった。

「刺すぞ、いいのか? 本当に」
「ああ。俺には、力よりも欲しいものがある。それが愛だ。そして愛した相手がイルスで、俺は幸せだからな。ここで、俺は一度死ぬ」

 それを聞き、俺は頷いて、聖剣を振り上げた。球体にそれを突き刺すと、バリンという音がして紅色が砕け散り、破片となって飛び散った。すると轟音が響き、辺りが暗くなった。

「出よう。聖剣は床に刺せ。じきにこの遺跡は瓦解する」
「ああ」

 俺達は二人で手を繋ぎ、地上へと向かい走った。
 その先に、俺達の新しい明日がある事は、疑えない。日の光を浴び、夏の大地に積もっている白雪に足跡を付けた時、俺達の背後で遺跡のあった場所が陥没して消えた。振り返ったアーノルドが、それを見て微笑した。

「ここには、後に湖が出来る。中央に浮島があって、地下に続く洞窟が生まれる」
「何故分かるんだ?」
「神殿の古文書にそうあったからだ」
「どういう事だ?」
「聖剣はどこから召喚されたと思う? 話さなかったか?」
「さぁ……未来と、だけ」
「そう未来から、なんだ。その未来は、俺と貴様がこれから構築するものだ」

 アーノルドはそう言うと、俺の肩を抱き寄せた。

「魔王を殺すための剣を、未来から神殿が召喚した。そして魔王としての俺は今死んだ。お前の手にかかってな。つまり、真の勇者はイルスということだ」
「……?」
「もう俺は、魔王ではない。お前を愛した俺は、ヒトの理を生きる選択をした。いつか、寿命が来る。だからそれまで、共に居てくれ」

 その言葉に、聖剣にまつわる一連の事象と魔王という存在は不可解だと思いつつ、俺は顔を上げて笑うことに決める。

「では、仕事をして、アーノルドを養わなければならないな」
「危ない仕事はもう無しだ」
「だが、俺にはそれしかない。第一、暗部を抜けることは、何人にも許されない。死ぬまで働く契約だ」
「だが既に、俺は現皇帝の記憶を改竄し、イルスという人間は既に亡いとしてきたが?」
「えっ?」

 それを聞いて、俺は驚愕して目を見開く。暗部の仕事から解放された? 一時の警備とは異なる意味合いで? そんな幸せが、俺にあり得るのか?

「イルスには、なにかしたいことは? 夢、というのだろう? 将来の夢」
「……、……本当は、俺は……」

 脳裏に、結局作らなかったアップルパイのことが過った。

「……アップルパイを出すような、小さなカフェを、開きたい。夜は簡単にお酒を出して。食堂を兼ねて……料理をするんだ。そして珈琲や紅茶を振る舞うような、そんな」

 不思議と本心が零れ落ちる。

「そうか。幸い、辺境伯だと誤魔化していた間に、十分に蓄えを得た。戸籍も二つ用意しておいた。俺達は今後、ただのアーノルドとイルスとして、どこかで――そう、どこかで、イルスの夢を叶えながら暮らそう。貴様とゆっくりと暮らすことで、貴様のそばにいたいという俺の願いもまた叶う」

 そう言って笑ったアーノルドの微少が胸にグッときて、俺の涙腺が緩んだ。
 それから俺達は手を繋ぎ、白い雪に足跡を付けながら、歩くことにした。

 その後。
 雪が消えて街路に出て、すぐそばの小さな村についた俺達は、その日は宿を取り、翌日には家を借り、一月後には、カフェを開店させた。料理は俺がして、接客はアーノルドがして。穏やかな日々の始まりだった。

 世界の何処にも、もう魔王はいない。
 そして世界の何処にも、残酷さも冷たい空気も、最早ない。
 俺が魔王殺しだというのならば、俺の絶望に満ちていた世界を確かに滅ぼしてくれたのだから、アーノルドは正しく、俺の世界を滅ぼした魔王だったとも言えるのだろう。

 今、二人でアップルパイを前に、俺達は紅茶を楽しんでいる。
 春、が。新しい春が廻ってくる。
 これが、そんな魔王と魔王殺しの俺の顛末である。雪が消えて、そこには愛だけが残った。雪が減った村は神聖だとしてそこに新しく神殿が建ち、近くには本当に湖が出来て浮島があり、その中央には洞窟が――聖剣がある洞窟が出来たが、もう俺もアーノルドも普通の人間であるから、素知らぬふりで生きている。きっとそれが召喚されるいつかが来る。だがそれは、きっと俺とアーノルドの愛を紡ぐ、契機となるのだろう。



 ―― 終 ――