君はダウナー
完成物というのは、彼の事を言うのかと、最初は思った。
透き通るような瞳、なんてありがちな言葉では表現できないその眼差しを、僕はどうにかして客観的な言葉にして脳裏に焼き付けたいと思ったのだけれど、その行為は虚しく終わり、ただ目を伏せれば、自然と表情が浮かぶだけになってしまった。この感覚の名前を僕は知らないが、強いて言うならば一種の衝動だと思うことにしている。
机に肘をつき、繊細な指先を頬に当てて、窓の外を見ている彼は、物憂げな表情で世界を見下すような空気を放っている。はじめは、それを崩したいと思った。乱したい、と。
だからというわけでもないが、告白をして、押し倒してみた。
放課後の教室には、僕達以外の人気はない。
好きだと告げて、そのまま、さも勢いである風に僕は押し倒したのだが――彼は、なんと表情を変えるでもなく、床から僕を見上げるだけだった。念のため頭をぶつけないようにと、彼の腰に僕は手を回していたのだが、されるがままになっている。
「……抵抗しないの?」
「どうして? 結果が一緒なら、別にいいんじゃないか?」
「なにが、『いい』の?」
「どうでもいい」
その言葉を聞いて初めて、僕は彼が何も考えていないのだと気がついた。
そもそも彼が世界を蔑んでいるなどというのは、僕の勝手な空想であり、彼は考えること自体を面倒だと厭う人種だったのである。
まぁ、それはそれで良いかと、僕も『いいや』と思うことにして、そのまま唇を重ねた。以降、僕と彼――渡瀬は、多分であるが、恋人同士としてお付き合いをしている。今日は、月が変わった。二月である。あとひと月もすれば、僕達は卒業を迎え、別々の土地に別れることになっている。僕は大学で上京する。渡瀬は――……そういえば、どうするのだろう? 思えば、渡瀬が何も考えていないと気づいてから、僕は彼に興味を失っていた。
久しぶりにまじまじと横顔を見る。彼について何も考えてはいないが、現在も隣を歩いている。放課後は大抵こうして、一緒に帰路に着いているのだ。
「ねぇ渡瀬」
「うん」
「卒業したらどうするの?」
「――別に」
その回答に、僕は目を細めた。気づくとため息がこぼれていた。彼は俺に答えたくないわけではなく、単純に答えるのが面倒くさいのだ。それがよく分かる。
「じゃあ――僕達の付き合いはどうする?」
意地の悪い質問をしたつもりはない。純粋な好奇心だった。どうせ『どうでもいい』や『別に』という言葉が返ってくる。僕はそう、疑わなかった。
「――青坂は、どうしたい?」
しかし意表を突く返答が来たため、思わず僕は立ち止まった。
「どうって?」
「俺は、青坂と一緒にいたいんだけど」
「そう。けど、僕は東京に行くよ?」
「俺も行く」
「受験してないよね? まぁ今からでも専門なら間に合うだろうけど――就職? バイト? どうするつもり?」
具体化して聞き返した。そうしながら、どうせ何も考えていない言葉だったのだろうと、考え直した。俯いている渡瀬は、しばらくの間、雪についた足跡を眺めていた。その瞳だけは、僕が興味を持ったものと同じである。
「――もう家は借りたし、受験もして、合格通知も貰ってる」
「一言もそんな事言ってなかったよね――……そうだったんだ。ごめん、知らなかった」
教室でも話題になった記憶がない。純粋に驚いた僕に対し、やっと渡瀬が顔を上げた。
「お前と同じところ」
「大学?」
「家も」
「……――へぇ」
頷きながら、俺は、そういえば雑談で住所を話したことがあったなと思い出した。それにしてもよく覚えていたなと感動した。そのため、まじまじと青坂を見ていたのだが、何故なのか――彼は苦しそうな顔をした。
「ごめん」
「ん?」
「気持ち悪いよな」
「うん?」
「分かってるんだ。重いって」
「え?」
「けど、お前のことが好きすぎて辛い」
「青坂?」
「なんとか気持ちを抑えてようと思ってたのに、お前といると、それができないから困る」
「どういう事?」
「お前が好きで、お前は俺のものだって言って、見せびらかして叫びたい衝動に駆られる」
「――……頭でも打った?」
我ながら他に言葉はなかったのかと思ったが、僕はそういうのが精一杯だった。
そんな渡瀬の姿なんて想像もつかない。
だけど。
なぜなのか、真っ赤になっている僕がいた。
思わず口を手のひらで覆う。嬉しい、と、思っている自分に気がついた。
「俺、いつもお前のことを見ていて――それでお前が俺の方を見ると、目をそらして、何でもない冷静なフリをしてたの、お前知ってた?」
「知らなかった……」
「お前といると、緊張して言葉が出てこないの知ってた?」
「知らなかった。テンションが低いんだろうなって……」
「逆だ。心の中、いつもパニックだ。けど、お前と居られるから、世界はバラ色っていうか。素晴らしい感じ?」
いつになく饒舌な渡瀬を見ていたら、僕は思わず笑ってしまった。
――だから静かに彼の手を握り、世界は素晴らしいものだと思っている彼に、改めて興味を持った自分を誇らしく思った。
「じゃあ一緒に暮らす?」
「!」
そんなやりとりをしながら、二人で歩く。
彼はダウナーでは無かったが、それはそれで愛おしいと思ったある日だった。