華麗なる一族の終焉




 初春。

 桐島(とうじま)家の後継者である僕は、五歳年上の許嫁だった宣子と結婚する事になった。彼女は二十六歳、僕は二十一歳で大学在学中だ。歴史ある桐島の血を残す事は、僕の義務である。政財界にも幅広い人脈がある旧華族の家柄で、代々長男が相続してきたから、僕も幼少時より当主となるべく教育を受けてきた。

 僕の父は老齢で僕を設け、昨年病死した。その為、まだ学生ではあるが、急遽僕が桐島家の当主となり、その権威を盤石にするべく、少し家格は下ではあるが、同じように歴史ある鷹波(たかなみ)家から宣子を迎える形だ。

 愛があるかと問われた時、双方にそれは無いかもしれなかったが、表面上僕達の仲は険悪ではない。一歩下がって僕を立てるようにしてくれる宣子は、よく出来た女性だと思う。

 披露宴の開始まで、残り二十分。

 僕は控室の壁際に佇むSPの圷(あくつ)を見た。圷は黒いイヤホンをしていて、警備計画を部下達と話し合っている。僕専属の護衛を、ここ三年ほど担当してくれている。形の良いアーモンド型の瞳で視線を下げている圷は、現在僕が最も信頼している人物だ。二十五歳だと聞いた事がある。

「紫(ゆかり)様、参りましょう」

 その時、圷が顔を上げて僕の名を読んだ。頷き、僕は立ち上がる。そうして圷に先導されて、僕は宣子と合流する場へと向かった。

 このようにして、式後五回目の披露宴が始まった。親族のみや、歴史ある家柄を集めた披露宴も行い、この最後の披露宴は主に新興の取引先を集めたものとなる。粛々と始まった披露宴において、僕は笑うでもなくただ静かに座っていた。これは、披露宴の皮を被った、桐島家詣でだ。挨拶に来る客達を、僕は淡々とあしらう。決して気取られ、見下される事は許されないし、そうした相手がいたならば、こちらから相応の制裁を行わせてもらう。招待客達もそれをよく理解しているようで、余計な事は述べない。

 強い視線を感じたのは、開始から三十分ほどが経過した時の事だった。新郎新婦である僕達を見ている眼差しは多いが、不意に僕は気が付いた。まじまじとこちらを見ている相手の存在に。それとなくそちらを見れば、黒い礼装姿の招待客の一人が、鋭い眼光で僕を見ていた。切れ長の目をしていて、獰猛な色を瞳に浮かべ、唇の両端を吊り上げて、その人物は僕を見ていた。精悍な顔立ちをしている長身の男は、目が合うと僕を見て、より一層笑みを深めた。心当たりが無い為、首を捻りそうになったが、どのみち挨拶に訪れるだろうと判断し、僕は無視を決め込む。

 その男が挨拶に訪れたのは、それから一時間が経過しての事だった。披露宴も終盤だ。

「この度は、おめでとうございます」

 訪れた男は、凛々しい顔に笑顔を浮かべ、僕と宣子を見た。

「お招き頂き光栄です。鬼埼創史(おにさきそうじ)と申します」

 鬼埼と名乗った男を座ったまま見上げ、僕は顎で頷いた。鬼埼家というのは、名前だけは知っていた。先の東京大震災以後に生まれた東京スラムにおいて、復興事業をはじめ手広く経営を開始し、近年存在感を増している大企業の代表取締役の名が、同名だ。

「――その麗しい唇で、愛の言葉を囁かれたならば、さぞ気分が良いだろうな」
「え?」

 相手のプロフィールを思い起こしていた僕は、不意に放たれた言葉に驚いて顔を上げた。

「いや、失礼。あまりにも優美な新郎新婦のお二人に、心が動かされてしまって。俺は今年で二十七だが、寂しい独り身なものでな」
「……」
「それでは、これにて失礼させて頂きます。お二人の門出をお祈りいたしております」

 ただの世辞だろうかと考えつつも、立ち去る鬼埼を、僕は見送った。それからチラリと宣子を見れば、こちらは終始変わらぬ優美な微笑を浮かべているだけだった。確かに宣子は、僕から見れば年上ではあるが、客観的に見れば美しいと評して良いだろう。

 気分を切り替える事にし、僕達は次の挨拶客の対応をした。



 夏が訪れた。僕は披露宴が終わってすぐに、海外への短期留学に向かった為、まだ宣子とは一度しか体を重ねておらず、今も懐妊の知らせは無い。僕の次の使命は、子を成し血統を維持する事だ。

 緑色の楓が風で揺れる庭に出て、僕は池を見ていた。泳ぐ鯉を目にするのが、昔から好きだった。ほとりには無花果の木が植えられている。

「紫様」

 その時、僕に付き従っている圷が、静かに声をかけてきた。振り返ると、圷は穏やかに微笑していた。留学時も圷は僕についてきてくれた。

「なんだ?」
「肩に蜻蛉が」
「……そ、そうか」

 追い払おうとしていると、歩み寄ってきた圷が、そっと僕の肩に触れた。圷がいると兎に角安心感がある。僕には、これといった友人という存在がいない。僕にとって一番親しい他者は、あちらは仕事だと分かっているが、圷に他ならない。

 そんな事を考えていた時、僕の携帯端末が音を響かせた。仕事用の機種だと判断し、慌てて取り出す。

「はい」
『紫様、大変でございます』

 秘書の一人からの連絡だった。

『桐島家の名義で経営している企業の一つが、不祥事を起こしました』

 そこから続いた報告を聞いて、僕は思わず眉間に皴を刻んだ。桐島家はいくつかの会社を動かしているが、専らそれは名義が桐島だというだけで、実際の経営は使用人に行わせている。話を聞けば、私欲に駆られた一人が、横領や脱税を行ったらしい。それだけであるならば、その個人を解雇するのだが、よりにもよって顧客から預かっていた金銭にも手をつけていたとの話だった。

「すぐに行く」

 表情を硬くした僕は、電話でそう告げてから、通話を打ち切り圷を見た。
 圷は聞こえていたのか、頷き僕を先導し始めた。

 その後、僕達は車で問題の企業へと向かい、詳細の報告を受けた。結論から言えば、このままだと、倒産は免れず、莫大な借金が生まれるという事だった。関連企業である他の傘下の会社への影響も免れない。

「事が露見する前に、金銭を補填するしか解決策はございません」

 取締役達の言葉に、僕は唇を?んだ。案として、『不祥事をもみ消す』という意見が多い。桐島家は歴史と人脈はあるが、別段大富豪というわけではない。莫大な赤字を帳消しにする資産は無い。

「どこかから、内々に融資をお願いするしか……」

 そんな声が上がったので、僕は両眼を細くした。

「どこか、とは、具体的には?」

 重い沈黙が横たわった。その後、取締役達や幹部らが候補を探すという事になり、僕は退席した。車の後部座席に乗り込み、助手席に座す圷の背を見る。圷は父の代から仕えていた事を思い出した。父だったら、このような時、果たしてどんな采配をしたのだろう。

 陰鬱な気分になりながら本宅へと帰宅し、出迎えた宣子と共に、この日は夕食を口にした。何も知らない宣子は、終始たおやかに話をしていた。しかし僕の耳には、上手く入ってこなかった。

 それから数日を経て、僕にある結果が齎された。

『鬼埼コーポレーションが、融資をしてくれる』

 という吉報ではあった。しかし、条件を突きつけられたという。

「条件?」

 本宅の応接間で、僕は腕を組んだ。桐島の家に条件を突き付けるなど、普段であれば非礼だと片づける。しかしながら、今回は家が傾きかねない状況であるから、聞かないわけにもいかない。

「『融資を求めるのならば、直接当主が来い』と、先方が……」

 蒼褪めている秘書が、怯えるように僕へと向かって声を放った。一蹴するのが当然の、言語道断ですらある非礼だが、僕は目を伏せ、熟考した。会いに行くだけならば、僕にも可能だ。

「そうか……それだけだな?」
「え、ええ……」
「会ってやろう。日時や場所の手配を」
「それが、先方から指定がございまして……今宵の、七時に。鬼埼ホテルの特別室でとの事です」
「……分かった」

 見下されているようで嫌ではあったが、事は速やかに解決すべきだ。そう思い、僕は了承した。

 ――その夜。

 案内された部屋の扉の外で圷は待つ事となり、僕は険しい眼差しのままで、ホテルの一室に入った。最上階にある、夜景が良く見える高級ホテルだった。そのソファに、披露宴で目にした鬼埼という男が座っていて、ロックグラスを片手に笑っていた。

「来たか」
「言葉遣いに気をつけろ」
「それはこちらの台詞だ。俺は貸す方であり、お前は借りる方だ。分かっているのか? 桐島家のご当主こそ」

 返す言葉が思い浮かばない。室内には、僕達二人きりで、奥には扉が見えるから隣室があるのは分かった。あるいはそちらには、鬼埼の息のかかる者が控えている可能性はある。

「まぁ良い。強気の麗人は嫌いではない」
「……」
「座れ。それで? いくら貸してほしいんだったか?」

 愉悦まみれの表情で笑っている鬼埼に苛立ちつつも、僕は言われた通りに、対面する席に腰を下ろした。そして秘書が用意した書類を、テーブルの上に置く。すぐに受け取り、鬼埼はさっと目を通してから、小馬鹿にするように吹き出した。

「担保は?」
「鬼埼さんの希望は?」
「俺は面白い事を好む。この金額を貸すのであれば、ご当主にそれなりの事をしてもらいたい」
「それなりの事?」
「こちらの条件は二つだ。一つ目は、俺に抱かれろ。返済までの間、そうだな週に一度は俺を受け入れろ」

 それを聞いて、僕は拳に力を込めた。ゆっくりと瞬きをする。

 僕は過去にも、同性に抱きたいと言われた事があるので、勿論断ってきたが、そこまで不可解な要求だとは思わなかった。桐島家の者は、美麗だと名指しされる事も多い。宣子には悪いが、体を使って融資が引き出せるのならば、確かに悪い話ではなさそうだと理性的に判断した。

「交渉は成立のようだな。その顔を見れば分かる」

 楽しそうに断言されて癪ではあったが、僕は小さく頷いた。

「……二つ目は、なんだ?」
「返す宛ては当然あるのだろう?」
「当然だ。三年あれば利子があっても返済可能だ」
「ならば――そうだな。その間は、その血、残さないでもらおうか」
「え?」
「返済できなければ、子が哀れだ」
「……?」
「パイプカット。聞いた事があるか?」

 僕は何を言われているのか、当初理解出来なかった。鬼埼は楽しそうな顔のままで、酒を傾けながら続ける。

「別にペニスを切り落とせという話じゃない」

 直接的な言葉に、僕は硬直した。嫌な汗がこめかみを滴っていく。

「精管結紮術」
「……」
「精子の通り道を切断する手術、といえば、分かりやすいか」
「な」
「安心しろ。再建手術が可能だ。借金の返済が終わったら、すぐに戻せば良い」
「何を言って……」
「精子が出なくなるだけで、射精もすれば、性欲も変わらない」
「……」
「安全な手術で、日帰りも可能だ。隣室に、うちの贔屓にしている医師がいてな。専門は泌尿器科だ。今宵は長く話し込んだ事にして、明日の朝には普通に変える事が出来る。設備もある。誰に気づかれる事も無い」
「そんな条件飲めるはずが――」
「では融資は止めとするか」
「っ」
「決断するのは、お前だ」

 僕の使命は、桐島家の血を残す事も含まれる。だがそれは言い訳で、正直本能的な恐怖が強い。気づくと僕の指先は、小刻みに震えていた。

「どうする?」

 鬼埼はニヤニヤと笑っている。その歪んでいるのに忌々しいほど端正な口元を見て、僕は震えながら、唾液を嚥下した。何も言う言葉が見つからず、僕はそれからたっぷり三十分は沈黙していたのだが、そんな僕を鬼埼は嘲笑するように見ているだけだった。

「……分かった」

 結局僕は、決断を下した。すると口笛を吹いた鬼埼が、奥の扉に視線を向けた。

「戸破(ひばり)、患者だぞ」

 すると少しして、白衣の人物が入ってきた。無表情のその医師は、僕を一瞥してから頷いた。それから淡々と、僕に対して精管の手術の説明を始めた。

 ――この夜、僕は手術を受けたのだった。



 鳩尾が重い。僕は昼の陽光を眩しく感じながら、車に乗り込んでいた。車内で秘書には、融資の件が上手くいったと義務的に伝えたが、何度も何度も右手を握ってしまった。体感的には、変化は感じない。だが、現在の僕は、俗にいう不能という状態にあるのだと正確に理解していた。理解はしていたが、恐怖が強くて本能がその事実を受け入れたくないと泣き叫んでいた。

「どうかなさいましたか?」

 圷に声をかけられて、僕は慌てて顔を上げた。手術の事は、僕と鬼埼、そして戸破という医師しか知らない。

「いいや、なんでもない」

 三年を経るまで、寧ろ他の誰かに知られるわけにはいかない。二か月程度は宣子とも関係を持たず、自然妊娠しないようにという条件をつけられているが、丁度秋までの間、宣子は欧州に旅行へ出かけると話していて、今朝には旅立っているはずだから、その点は問題が無いだろう。

 もう一つの不安は、鬼埼に抱かれるという条件だが、これは僕が耐えれば済む。

「何も心配はしないでくれ」

 僕は圷にそう述べた。不安な顔など、見せたくはなかったからだ。あるいは僕がすんなりと同性に抱かれる事を受け止められたのは、圷という存在があったからなのかもしれない。僕は改めて考えてみると、圷の事が気になっている。元々が、バイなのではないかと、普段から考えていた。そんな相手には、肉体関係の事もやはり知られたくはない。

 三年という歳月が、一瞬で過ぎ去る事を、この時の僕は祈っていた。



 翌週の金曜日、僕は手術後の検査と鬼埼との契約の為に、再びホテルを訪れた。名目は親睦を深める為であるので、この日はルームサービスで高級なフレンチを振る舞われる事になっていた。鬼埼は楽しそうに日々の出来事を語っていたが、僕は終始無言でそれを見ていた。

 検査の結果、無事に僕の精子は出なくなっているとの事で、その現実を突き付けられた状態では、料理の味さえまともには感じられない。しかもこの後、僕は鬼埼に抱かれるのだ。女性を抱いた事はあれど、男に抱かれた事は無い。

 味のしない食事を終えてから、僕は先にシャワーを借りた。鬼埼の指示だった。

 バスローブを纏って髪を乾かしながら、僕は鏡に映る自分の顔がいつもより白いなと漠然と考えていた。恐怖が強い。だが、ここまで来て、逃れられるはずもない。

 意を決して戻ると、巨大な寝台に、鬼埼が寝そべっていた。二度大きく瞬きをしてそれを見ていると、流すような視線でこちらを見た鬼埼が、上半身を起こした。

「さっさとこちらへ来い」
「……ああ」

 頷いて寝台へと歩み寄ると、僕の腕を鬼埼が引いた。

「今日は味見だな。乗り気ではなさそうだが、すぐに俺を欲するように変えてやる」
「誰が……」
「その強気、いつまでもつ事か」

 失笑した鬼埼は、僕のバスローブの紐を解いた。鬼埼の指示で下着は身につけていない。膝をつき、四つん這いになった僕の臀部を、鬼埼が大きな掌で掴む。

「唇も綺麗だが、ここまで綺麗なんだな」
「……早く済ませてくれ」
「いいや? ゆっくりと楽しませてもらうつもりだ」

 鬼埼がローションのボトルを空ける音がした。直後、骨ばった長い指が一本、僕の菊門から入ってきた。冷たくぬめる感触に身震いしていると、容赦なく指を進められた。そして軽く指先を折り曲げられた瞬間、僕は息を詰めた。

「ここ、気持ち良いだろう?」
「……っぁ」
「前立腺の味を、今日は教え込んでやる」

 楽しそうな鬼埼の声がした。

 何度もローションを増量し、指を二本三本と増やしながら、鬼埼は僕の内部の前立腺ばかりを強く刺激する。一時間が経過する頃には、僕の菊門は指をすんなり飲み込むように変化していた。

「う……ァ……ぁ、ぁ……」

 最初は声など出すものかと思っていたというのに、気づくと僕はすすり泣いていた。全身が熱い。純然たる射精欲求に襲われていて、早く果てたくてたまらない。

「素直な体だな。上気して肌が色づいているぞ」
「あ……ぁあ……っ、ひ……うぅ……」

 指をバラバラに動かしながら、もう一方の手でその時鬼埼が僕の陰茎に触れた。既に張り詰め、先走りの液を零していた陰茎を、不意に激しく擦り上げられる。同時に前立腺をより強く揃えた指で刺激され、呆気なく僕は放った。

 肩で息をしながら、僕はベッドに沈んだ。涙で頬が濡れていく。だがそれは決して、悲しいからではなかった。あんまりにも気持ちが良かったからだ。

「最初はこんなものか。俺は優しい男だからな。無理はあまりさせない。ただ一つだけ覚えておけ。俺と二人きりで会ったら、必ず『愛している』と口にしろ」

 これが、最初に触れられた夜の記憶だ。

 ――この夜を契機に、僕は週に一度は呼び出されるようになった。お互いに多忙な身ではあるが、鬼埼は僕の予定が空いている夜を見計らうように誘いをかけてくる。そして僕には断る権利は無い。

「今日は中だけで出してみろ」

 鬼埼は僕に挿入する事はせず、熱心に前立腺を開発していった。一ヶ月が経過した四度目の夜、僕はこの宣言を聞いた数時間後には、内部への刺激だけで果てていた。

「今日は乳首を可愛がってやろうか」

 二か月目に入り、五度目の誘いの夜は、宿泊する約束をしていた。僕は挿入されるのかと考えていたのだが、そうではなく、朝になるまでの間ずっと左右の乳頭を捏ねられてむせび泣いていた。

 どんどん僕の体が作り変えられていく。

 ここの所、一人でする時も、鬼埼の手を思い出すようになっていて、僕は自慰に耽った後、いつも酷い後悔に襲われるようになっていた。時には後孔を己の手で弄ってしまう場合すらあった。この頃になると、僕は明確に挿入への期待を抱いていた。

「そろそろ良いか」

 鬼埼がそう述べたのは、宣子が欧州旅行から帰宅する前日の事で、丁度二ヶ月目の終わりの事だった。検査の結果、僕の精液に精子はもう混じっていないと、だから『宣子とも体を重ねて構わない』と戸破医師に告げられた夜でもある。

「今日は挿れてやる。どんな気分だ?」
「う、ぁ……」

 既に二時間ほど胸や内部を愛撫され、全身を舐められていた僕は、涙ぐみながら蕩けた頭で鬼埼を見た。この時、僕の内側にあったのは、明確な期待だった。だが、口には出せない。それだけは、矜持が許さない。

「欲しいだろう?」
「っ、ぁ、ア……」
「なんて言うかは、教えたな? それが言えたら、挿れてやる」

 実の所僕は、まだ一度も『愛している』なんて口にした事は無い。だが本日の鬼埼は、僕の内部の感じる場所から少しだけそれた場所を、意地悪く焦らすように刺激してばかりだ。

「紫」

 いつから呼び捨てにされるようになったのかすら、僕は記憶していない。だが抵抗し、糾弾する気力はない。鬼埼に与えられる快楽は、それほどまでに強い。

「言え」
「あ、ああ……愛して、る……」

 僕の意思は脆弱だった。口にした途端、何かが僕の中でプツンと途切れた。もっと、兎に角快感が欲しい。

「それで良い」

 直後、鬼埼の肉茎が僕をまっすぐに貫いた。最奥まで一気に穿たれた時、僕は大きく嬌声を上げた。交わっている個所が兎に角熱くて、満杯になってしまった中の全てが快楽を拾う。鬼埼は前立腺を抉るようにした後、僕の知らない奥深くまでをも容赦なく暴いた。

「あああ!」
「よく覚えておけ。結腸を責められる悦びを」
「あ、あ、っぅ……うあ、あ、息が出来な――アぁ!」

 力の抜けてしまっている僕の体を上に乗せ、後ろから抱きかかえるようにして、鬼埼が下から深々と突き上げてくる。太ももを持ち上げられた不安定な体勢で、最奥を激しく嬲られる。その衝撃だけで、僕は一度果てた。だが鬼埼の動きは、僕が射精しても止まる事はなく、後ろから僕の首元に噛みついてキスマークをつけながら、何度も打ち付けてくる。僕は絶叫した。快楽が強すぎて、理性が完全に飛んでしまった。

 そのまま二度僕は、内部だけで絶頂に導かれた。ただ震える事しか出来なくなった頃、両方の乳首を意地悪く摘ままれ、耳の後ろをねっとりと舐められた。その刺激すら、敏感になった体には辛い。

「まだまだ足りない。朝も遠い」
「あ……あ……」
「若く無垢な体を汚すのは、本当に楽しいな。いいや、違うか。単純に、お前が淫乱な雌というだけか。このだらしない体では、いくら手術で再建しても、もう女など抱けないのではないか?」
「うあああ、あ、あ! 動かないでくれ、ま、またイく――あああ!」
「次からはたっぷり躾けてやる。俺の形をよく覚えておけよ」

 僕は何度も泣き叫び、途中で意識を数度飛ばしたが、そのまま朝まで解放される事は無かった。



「紫様」

 次に目を開けた時、僕はシーツに包まっていた。既に隣に、鬼埼の姿は無く、僕に声をかけてきたのが圷だと気づいて、瞬時に蒼褪めてしまった。

「お体は、大丈夫ですか?」
「あ……ああ。な、なんでここに……」
「鬼埼様がお帰りの際、朝になったら声をおかけするようにと」
「っ」

 僕は震えながら、チラリと視線を下げた。中の処理はされていたが、それをしたのが鬼埼なのか隣室にいた戸破医師なのかは知らない。だが、だとはいえ僕は全裸のままだったし、全身がキスマークだらけだった。シーツには色濃い情事の痕跡がある。

「圷……その、これは……」
「鬼埼様との関係は、存じております」
「!」
「融資の条件として、御身を犠牲になさっておいでなのだろうと推察しておりました」
「犠牲……ああ、そう、だ、な……」
「紫様の清楚なお体を貪る等、許しがたき事で、お守りできない事、心苦しく思っておりました」
「圷……」
「俺はいつでもお助けする所存です。辛くなったら、俺がお守りするので、いつでもお声を」

 真摯な瞳の圷の声に、僕は上半身を起こしてから俯いた。
 快楽に飲まれた昨夜の自分を思い出しつつも、圷の言葉が嬉しくてならない。

「今日は、宣子様がお帰りです。無論、宣子様にも、誰にも申し上げません」
「有難う、圷」

 その後俺は、力の入らない体を叱咤して服を着てから、本宅に帰宅した。

「おかえり、宣子」

 そして午後に、帰宅した妻を出迎えた。

「ただいま戻りました、紫様」

 何も知らない妻の顔を見た時、僕は罪悪感を覚えた。同時に、『女を抱けない』と鬼埼に揶揄された事を思い出して、すぐにでも宣子の温度が欲しくなったが、全身に残るキスマークについて思い出し、消えるまで待つ事を己に貸す。

 宣子の欧州土産のハムを食べたその夜は、土産話に耳を傾けた。

 それから数日は、仕事が多忙だと嘯いて、その週の木曜日に、漸くキスマークがすべて消えた事を確認してから、僕は宣子と寝台を共にした。無事に僕の男性器は勃起し、パイプカットの件は露見せず、僕は彼女を抱く事が出来た。だが――鬼埼にこの二ヶ月ですっかり開かれた体は、『足りない』と訴えかけてきた。それが僕を絶望させた。

 なお、会社の雲行きも怪しい。

 融資を受け立て直せるかと考えていたというのに、次から次へと不祥事が明らかになっていく。だから多忙であるというのは、決して嘘では無い。

 鬱屈とした心地で過ごす日々の中、相変わらず僕は、契約通り週に一度は鬼埼に抱かれ、二週に一度は……最早義務的に、鬼埼とのやりとりが露見しないようにという一心のみで、宣子を押し倒して過ごした。

 そんな毎日は、僕にとっては辛かった。だが、時折圷が、僕に声をかけてくれた。

「必ずお助けします」

 この日も、鬼埼とのホテルでの情事後、訪れた圷に言われた。僕は泣きそうになってしまった。

「俺が必ず、お助けします」
「有難う、圷」
「いいえ。俺はただ、ずっと紫様のおそばにいたいだけなんです」

 そう言って微苦笑した圷の存在だけが、僕にとっては救いだった。僕は体は鬼埼に、しかし心は、どんどん圷に絆されていった。

「僕もずっと圷のそばにいたい。顔を見ていたい」

 圷がそばにいない時間は、不安に駆られる。圷は住み込みで護衛をしてくれているが、休憩時間も休暇もある。時折、別の警護を請け負う事もある。実力ある圷は、大抵の場合は僕か宣子の護衛を担当していて、部下にも慕われている。



 ――僕にとって、青天の霹靂とでもいうしかない事態が発生したのは、初冬の事だった。

「紫様。お話がありますの」
「どうしたんだ、改まって」

 宣子が夕食の席で、笑顔を浮かべた。普段は控えめな微笑が多い彼女にしては珍しい、満面の笑みだった。

「今日、産婦人科に行ってきたのです」
「産婦人科?」
「――もうすぐ三か月だとの事で。私達の子供が、宿ったのです」

 それを耳にした瞬間、僕の世界が静止した。魚のムニエルを切り分けていた手が止まる。絶句した僕は、目を見開き、咄嗟に逆算した。確か妊娠期間は、一ヶ月少なく数えるのだったかもしれないが、その点は曖昧な知識しかない。だが、そうだとして、受胎したのは四ヶ月は前という事になる。四ヶ月前は、昨年の秋の終わりだ。その時点では、とっくに僕は、パイプカットの手術を受けていた。

 即ち――宣子が妊娠する可能性は、限りなく低い。ゼロではないのかもしれないが、確率的に考えて、ほぼあり得ない。僕の子であるとは考え難い。

「おめでとうございます!」

 だが、周囲にいた使用人達が明るい声を上げた。それで我に返った僕は、周囲もすべてが満面の笑みでこちらを見ている事に気が付いた。僕が手術を受けた事は、圷ですら今もなお知らない。鬼埼と、戸破という医師、そして僕しか知らないのだ。

「そ……そうか……」

 必死で僕は声を絞り出した。なお、宣子の生家の鷹波家の方が少し家格は下だとはいえ、政略的な側面が強い婚姻関係である以上、離婚は体面上問題が多々ある。僕は素早く周囲を一瞥した。皆が明るい雰囲気だ。圷でさえも、両頬を持ち上げている。

 渦中にあって、絶望しているのは、僕一人きりだ。
 そして懐妊が明らかになれば、鬼埼も嘲笑う事だろう。

 万が一離縁を検討するとしても、僕はパイプカットの手術の件を公言出来ないし、この祝福ムードの中で、DNA鑑定を口にする事は憚られる。だが、桐島の歴史ある血統に、血を受け継がない子を迎え、あまつさえ次期当主として教育するなど論外だ。

 僕はどうすれば良い?
 全身が冷たくなっていく。

「名前は何が良いかしら?」
「……考えておく」

 そう答えるのが精一杯だった。

 僕は食欲が失せてしまった為、それからはほとんど口をつけずに、嬉しそうな宣子のh無を聞いていた。彼女の不貞自体は、僕だって鬼埼と寝ている以上、責め立てる事は出来ないだろう。だが、跡取りには出来ない。その現実を何度も考えながら、何とか食事の席を終え、僕は自室に下がってから一人泣いた。

 宣子の懐妊の件は、すぐに周囲に広まった。お祝いの会を、宣子の女友達が開いてくれるとの事で、それを境に、僕も日中の仕事の場では、取引先の相手や古くから付き合いのある各家の当主に言祝がれた。

 予想通り、馬鹿にするように笑ったのは、鬼埼ただ一人だった。

 この日もホテルに向かった僕は、鬼埼の陰茎を咥えさせられていた。口淫の仕方を僕に叩き込んだ張本人の鬼埼は、僕を嘲笑した。

「誰の子なんだろうなぁ?」

 僕の顔に向かって射精した鬼埼は、実に楽しそうだった。頬を濡らす鬼埼の白液の感触を覚えながら、僕は絶望したままだった。



 その後安定期に入ったとの事で、桐島家でも正式に公表する事になった。貴婦人の茶会は既に行われていた為、本日は各家の主を招いた夜会となる。僕は憂鬱な気持ちで、控室にいた。こんな時に限って、圷の姿が無い。僕は、圷に縋って泣き叫びたいような心境だった。

 ノックの音がしたのは、その時の事だった。

「圷か?」

 僕が声をかけると、扉の外で笑う気配がした。

『いいや、俺だ。飼い主の気配を間違えるとはな』
「っ」

 嫌でも覚えてしまった鬼埼の声に、僕は硬直した。鬼埼は、僕が許可をする前に、室内へと入ってきた。ホテル以外で二人きりになるのは、初めての事だった。巨大な四角い箱を持参した鬼埼は、施錠すると、ソファに堂々と座して、長い膝を組んだ。

「最高のプレゼントを持ってきてやった。お祝いの品だ」
「……そうですか。ご配慮、有難うございます」

 僕はテーブルに置かれたピンクの水玉の包装の箱を見た。リボンが結ばれている。

「開けてくれ」
「ああ」

 頷き、僕は箱を何気なく手に取った。外見よりもずっしりと重い。なんだろうかと考えながらリボンを解き、僕は箱を開けた。すると嫌な臭いがした。独特の死臭のような、怖気の走る気配――直後僕は箱を取り落としたが、それはテーブルの上に鎮座した。

「さっさと取り出せ」
「っ……」

 全身が総毛だっていく。まず視界に入ったのは、髪の毛だった。

「俺が代わりに開けてやろうか、手間がかかるな」

 口角を持ち上げた鬼埼が、立ち上がり、僕の隣に屈んだ。そして箱からゆっくりと、中身を取り出した。それを目にした瞬間、僕は声を失った。

 首から上、人の頭部がそこには入っていた。既に血止め・血抜きはなされている様子であるから、幻臭なのかもしれないが、僕にははっきりと血生臭さが感じ取れた。

「あ、あ……」

 僕の喉が震える。それはすぐに全身に伝播し、僕はガクガクと震えた。生首をまじまじと見る。そこにあるのは、愛おしいと確かに感じた、圷の顔だった。

「ずっと顔を見ていたかったのだろう? 盗聴していた。今日という祝賀の日に相応しいだろう? 愛しい相手の首なんて。これからは永遠に一緒にいられる。喜ぶが良い」
「……」
「防腐処理も行っているし、眼球は精巧な硝子で作らせた。笑顔と迷ったが、普段の表情を意識したぞ。紫のSPは、いつもこの表情をしていたからな」

 鬼埼の言葉を理解するのを、僕の意識が拒んだ。

「これ、は……」
「本物だ。東京スラムには、腕の良い職人が多くてな」
「……そんな、こ、殺したのか……?」
「それが? 東京大震災以後、旧華族の権威が復活した事に比例して、大多数の命は奪っても文句を言われなくなっているだろう?」
「……」
「この首の持ち主だった圷という男も、消えても誰も困らない一人だ。そうであるならば、欲したお前の手に祝いの品として渡しておこうと思ってな」

 眩暈がした。僕はぐったりと体をソファの背に預け、鬼埼が手にしている圷の首の剥製を見ていた。

「俺以外に心を砕くとこうなるということだ」
「……」
「お前には俺しかいないとよく覚えておけ」
「……」
「――そうだ、言い忘れたが、お前の妻が孕んだのは、このSPの子だぞ」
「!」
「DNA鑑定結果は、ここにある」

 吹き出しながら、箱の中から片手で鬼埼が封筒を取り出した。呆然としたままで、僕はそれを受け取った。

「俺以外はお前を愛したりしていないんだ」
「っ」
「俺だけはお前を愛してやろう。俺だけがお前を救済してやる、だから俺だけを見ていろ、何も考える必要はない」
「……っ」

 僕の両眼から、涙が滴り始めた。

「何というかは教えただろう? 俺と二人で会った時に、お前は何というべきだ?」
「愛してる」

 気づけば自然と、僕の口からは、何度も教え込まれた言葉が出てきた。ボロボロと涙が僕の頬を濡らしていく。

「さて。そろそろ祝賀会の始まりだな。行くとするか」

 圷の生首を箱にしまうと、力の抜けている僕を、鬼埼が立たせた。茫然自失としたままで、僕は鬼埼に従った。

「これが華麗なる一族の終焉か」

 僕の背中に触れ、歩きながら実に楽しそうに鬼埼が笑った。衝撃が強すぎて、僕はもう何も考えられない。

「披露宴の会場で一目見た時から、お前の全てを欲していたんだ。意外と簡単に手に入って僥倖だった。これからも、決して離しはしない。俺に愛されていろ、それだけが、お前にとっての幸福であり、救済だ」

 鬼埼の声に、僕は静かに目を伏せた。

 次の春が来る頃には、身も心も何もかもを、僕は鬼埼に明け渡す結果となった。




      【了】