箱崎の弟
俺は何処へ行っても、『箱崎(はこざき)の弟』として認識される。
二歳年上の兄、柾(まさ)人(と)は非常に目立つ。父そっくりの端正な顔をしていて、二次性徴も早く、男前としか言いようのない外見をしていて、中身は俺様で少し意地悪だが、皆の人気者である。
一方の俺は、母に似て女顔であり、身長も兄に比べれば低い。体格も、どちらかといえば薄っぺらい。
柾人は勉強も運動も出来るが、俺はどちらも平均的だ。学年トップの成績の兄が持ち帰った成績表を見て、両親は褒めたたえ、非常に平均的な成績表を持ち帰った俺に対しては、のびのびと頑張るようにと声をかけてくれた。
そのようにして小学も中学も高校でも、俺は『箱崎の弟』として、柾人の付属物のように扱われ、認識されてきた。俺が大学に入った時、両親は海外赴任で日本を出た。こうして俺と柾人は二人暮らしになり、大学二年生になった俺は、二十歳になった現在、早く柾人が卒業する事を祈っている。まさか大学まで同じになるとは思っていなかった。学部も同じだ。というか、その学部が、この大学にしかなかったから、俺は最初からここを志望して勉強をしてきたのだが、兄も興味があるとは知らなかった。
いいや、無いのかもしれない。
兄は大学三年生の時に起業して、今は学生兼社長だ。全然違う分野である。
「ただいま」
俺がキッチンでカレーを作っていると、黒いスーツ姿の兄が返ってきた。この家の家事は、俺がしている。柾人は俺に押し付けて、やる気配は微塵もない。そういうところが、本当に俺様だ。
「おかえり」
「またカレーか?」
「うん」
「週に一度という頻度は多いぞ」
「じゃあ自分で作れよ」
「あ? 誰にものを言ってるんだ?」
「兄さんに言ってる!」
「俺にそんな口をきいて、許されるのはお前だけだからな」
兄が怖い声を出したが、俺は慣れているので顔を背けてごまかした。
その後なんだかんだいいつつも、兄は俺の作ったカレーを食べた。正面に座って、俺はそんな兄を見守りながら、一緒に食べた。起業してから黒い髪に戻した柾人は、瞳の色もとても黒い。俺と柾人の唯一似通っているのは、髪質だ。
「葉(は)澄(すみ)」
不意に兄が俺の名を呼んだ。視線を向けると、柾人はまじまじと俺を見ていた。
「なんだ?」
「明日は肉じゃがか?」
「う……」
「明後日はシチューか?」
「っ」
「いいかげんにしろ。じゃがいもと人参と玉ねぎと肉の組み合わせ以外を俺は期待する」
食べ終えた柾人は、皿も置きっぱなしで、洗面所へと向かった。歯磨きをしているのだろう。俺は唇を尖らせながら、自分の皿と柾人の皿を片づけて、流しに運んだ。
表面を流して、食器洗い機に収納してから、俺も歯磨きに向かった。
とっくに終えて兄は、現在入浴中だ。
俺は歯磨きをしながら、シャワーの音を聞いていた。そして口をゆすいで振り返った時、丁度浴室の扉が開いて、兄が出てきた。柾人は裸で、俺を見ると半眼になった。
「人の入浴中に洗面所に入るな」
「俺だって歯磨きしないとならないんだよ!」
横暴な柾人を軽く睨むと、柾人が顔を背けて舌打ちし、バスタオルに手を伸ばした。それで体をふいている。水が滴っている柾人の髪を俺はちらっと見て、その後無意識に股間を見た。
……そこには、巨大なブツがある。俺とはサイズが違う。兄はこんなところまで優秀だ。
「おい、何処を見てるんだ?」
「あ……べ、別に?」
我に返って俺は羞恥を覚えて首を振る。柾人は呆れた顔をしていた。
その後俺は退散し、部屋に戻ってスウェットに着替えた。食事の前に、俺は入浴を済ませていた。そのままベッドに体を投げ出し、俺は毛布をかぶって眠る事にした。
――翌朝。
俺は唇に柔らかな感触がした気がして、瞼をゆっくりと開けた。とても眠い。
見ると至近距離に柾人の顔があったが、眠くてぼんやりと見る事しかできなかった。
「起きろ」
「ん……」
「急な出張が入った。三日ほど家を空ける。きちんと鍵をかけて、気を付けて留守番をしていろ」
「ああ……いってらっしゃい」
俺はそう声をかけて、再び目を閉じた。
そしてアラームで改めて起きて、大学へと向かった。兄が不在の三日間、俺は大学に行く他は、ファストフードで食事を済ませた。チーズバーガーがたまらんかう美味しい。ただ、一人きりのリビングにいると、なんとなく寂しい。歯磨きをしながら鏡を見て、俺は居たら居たでイラっとする事も多いとはいえ、やはり兄にはそばにいて欲しいと感じた。なんでも出来る兄に対して、俺は劣等感を抱いているけれど、同時にそんな兄を誇りにも思っている。
三日が経過し、金曜日の夜遅くに、柾人が帰ってきた。
エントランスまで俺が迎えに出ると、傘を閉じながら、柾人が俺を見た。そして珍しく微笑した。元が端正な顔立ちだから、たまにこうして笑うと、胸にグッとくる。俺の胸がドキドキと煩くなった。俺は兄の笑顔が好きだ。ただとても心臓には悪い。不意打ちの笑顔は、特に最悪だ。何故なのか、俺は見入ってしまうのが常だ。
「ただいま」
「お、おかえり」
「土産だ」
「ありがとう」
手渡された紙袋を、俺は受け取った。なんだろうかと、中に入っていた箱を手に取り、俺はポカンとした。デカデカと『バイブ』と書かれている。大人の玩具だ。瞬時に俺は赤面した。
「好きだろう?」
「は?」
「お前、よく一人で、ヤってるみたいだからな」
「なっ」
俺は目を、これでもかというほど見開いた。な、な、なんで、何で知っているんだろうか。実は俺の趣味は、アナニーだ。平々凡々な俺の唯一変わった趣味である。別に俺はゲイやバイというわけではないのだが、気持ちがいいという雑誌の記事を読んで、興味本位で指を淹れたら、癖になってしまったのである。しかしそれは誰にも知られていない秘密のはずだった。どうして……何故、よりにもよって兄が知っているというのだ!
「な、なんで……」
真っ赤のままで、泣きそうになりながら、俺は声を絞り出す。
「ん? ああ、この前仕事中に、部屋の様子を見ようと思って、ほら、この前俺が開発したドローンを起動したんだ。それで、家中の様子を見ていたら、葉澄がお楽しみだったというわけだな」
「な! 俺の部屋の映像を勝手に見るなよ!」
「それは悪かったと思うが、まさか後ろが趣味とはなぁ」
「……っ」
「ただ、指では物足りなさそうだったなと思って、これを今回買ってきたんだ。優しいだろ?」
柾人が楽しそうに笑った。やっと俺は、笑顔の理由を知った。柾人は意地の悪い目をして、俺を見ている。
「早速今夜、使ってみたらどうだ?」
その言葉に、俺は手にしているバイブをじっと見る。実は前から欲しいと思っていた。でも俺は、恥ずかしくて買えないでいた。見れば見るほど興味がわいてくる。
「なんなら手伝ってやるぞ?」
「へ?」
「ベッドに行くか。俺の部屋には、ローションがある」
「なっ」
「ほら、行くぞ」
靴を脱いで中に入ってきた柾人は、俺にそう言い放つと、まっすぐに自分の部屋へと歩いて行った。俺はバイブを持ったまま、その場でしばしの間硬直していた。
それから、兄の言葉を熟考した。何度か瞬きをする。
「柾人は本気なのか……?」
考えてみたが、分からなかった。
「早く来い!」
その時、兄の部屋から声が飛んできた。ビクリとしてから、俺は一応、兄の部屋へと向かう事にした。柾人は背広を抜いて、ネクタイを緩めている。俺を見ると、視線でベッドを示した。ベッドサイドには、言葉の通り、ローションのボトルがあった。
「なんでローションなんて持ってるんだよ?」
「会社の忘年会のゲームの景品だった」
「そ、そっかぁ」
「下を脱げ」
「な、なぁ? 本気で言ってるのか?」
「おう。手伝ってやる」
「……」
俺は頬が熱くなってきたのを自覚した。とりあえずバイブの箱をベッドサイドに置いてから、俺はボトムスを見る。チラっと柾人を見れば、冷めた顔で俺を見据えていた。
「早くしろ」
「う、うん……」
俺は勢いに飲まれて、素直に下を脱いだ。下着もおろし、上にTシャツだけになる。
すると兄が近づいてきて、バイブの箱を開けた。それからバイブを取り出して、片手でローションを手繰り寄せる。俺はベッドに座ってそれを眺めていた。
「横になれ」
「あ、ああ」
俺はド緊張しつつも、枕に頭を預けて、寝台の上で仰向けになった。すると俺の足側に、柾人が上がってきた。そして俺の足に触れてから、俺を見る。
「膝を折れ」
「う、うん」
言われた通りにすると、兄がローションでぬめるバイブの先端を、俺の窄まりにあてがった。ビクビクしていた俺は、まだ心の準備が出来ていなかったのだが、問答無用で兄はバイブを俺の中に突っ込んだ。実は俺は、兄が帰ってくる直前まで、自分の指でアナニーをしていたので、解れていたためすんなりと挿いってきた。だが、指とは比べ物にならないくらい大きいし、硬いし、冷たい。
「ッッ……」
容赦なく兄は、俺の奥までバイブを進める。ギュッと目を閉じ、俺は大きく息を吐いた。
「ンん!」
その時、バイブの先端が、俺のすごく好きな前立腺を擦り上げた。やばい、気持ちがいい。俺の反応に、兄が気づいた。
「あ、あ、あ」
兄は、俺の感じる場所を、バイブで嬲り始めた。次第に俺の体は、熱くなってきた。
指とは違う、より鮮烈な快楽が、俺の内側に生まれた。
「ひ!」
その時、兄がバイブのスイッチをオンにした。結果、規則的な振動が始まり、一気に俺の体に快楽が駆け抜けて、俺は一瞬で射精した。なのにバイブの動きは止まらない。
「あ、あ、待って、やめろ、あ、あ、兄さん、ダメ。ひぁ、ああ」
俺が泣き叫ぶと、兄が息を飲み、スイッチをオフにしてくれた。俺はぐったりと寝台に体を預け、必死で呼吸をする。汗ばんだ体に、髪が張り付いてくる。こんなに強い快楽を知ったのは、初めてで、俺の呼吸はいっこうに落ち着かない。
「葉澄の泣き顔は昔から好きだったが、お前の声、クるな」
「ぁ……はぁ、っ……」
「勃った。おい、挿れてもいいか?」
「――へ?」
俺は呼吸に必死で、一瞬何を言われたのか分からなかった。
ガチャガチャと音がして、兄がベルトを引き抜いたのが分かる。
下衣を脱ぎ捨てた兄は、ベッドサイドの箱から、ゴムを取り出した。これも忘年会の景品だろうか? そんな事を考えながら、現実逃避を試みる俺の前で、勃起している巨大な陰茎に、兄がそれを装着した。
「ンあ――!」
それからすぐに兄は、俺は同意していないというのに、俺の中に挿入した。しかしそれがたまらんく気持ちがいい。指ともバイブとも違って、熱くて、俺の内側の触れている個所がどろどろに蕩けていくような、そんな心地になった。
「あ、ああっ……あァ……」
俺の腰を持ち、柾人は根元まで挿入した。そして腰を揺さぶり始める。するとそれに合わせて、満杯の中には刺激が溢れ、俺の感じる場所も擦り上げられた。次第に俺は何も考えられなくなり、ただひたすら喘ぐしかできなくなる。
「ん、ぁァ」
「俺の名前を呼べ」
「柾人、ぁ」
「そうじゃなく」
「へ?」
「兄さん、って呼べ」
「あ、あ、兄さん。兄さん、ァァ」
「気持ちがいいか?」
「うん、ぁ……ああ! もっと突いてくれ」
「誰のもので?」
「兄さんのもので!」
「いいだろう」
「あ――!」
その後激しくガンガンと打ち付けられて、俺はなんと中だけで絶頂感を覚え、気づくと中への刺激のみで勢いよく射精していた。しかし兄の動きは止まらず、俺は兄が満足するまでの間、すすり泣きながら何度も快楽に耐える事となった。
こうして――その日を境に、俺と柾人の間には、なんと肉体関係が加わってしまったのである。本日もカレーを作りながら、俺は考えていた。確かに気持ちがいい。それは間違いない。でも、俺と柾人は、実の兄弟だ。男同士という部分を除いたとしても、倫理的にどうなのだろうか。いや、どうもなにも、ダメだろう。理性では、そう考えている。
「……」
だが、感情的には、胸が疼く。最近俺の脳裏には、笑顔の柾人や、最中の獰猛な目をした柾人、俺様のいつも通りの柾人、と、様々な兄の顔が浮かんで消えない。俺はずっと、兄の事ばかり考えている。だんだん兄は、俺の胸を愛撫してみたり、俺にキスをしてみたりと、それまで雑だった俺の扱いを変えていて、最近では恋人を抱くみたいに、優しく俺の体を開く。そうされているから、俺はついキュンとしてしまう。ただでさえ格好いい兄に、優しくされたら、好きにならないわけがない。元々兄弟としては、劣等感こそあったが、好きだった。だがその好意が今、俺の中では恋愛の好きに変わりつつある。
けれどそれは、まずい。だって、俺達は繰り返すが兄弟だ。
「ただいま」
そこへ兄が帰宅した。最近意識しっぱなしの俺は、声を聴くだけで赤面してしまいそうになって、そんな自分を必死で制する。俺の後ろに立った柾人は、俺の肩ごしに、カレーの鍋を覗き込んだ。
「またカレーか」
「も、文句があるなら、自分で作れ」
「いいや? 俺は葉澄の作ってくれる料理が好きだから、自分ではしない」
「えっ」
兄は、以前と違い、俺に口でも優しくなってきた。だから俺は照れずにはいられない。
俺がIHを止めた時、後ろから柾人が、不意に俺を抱きしめた。最近は、こういう事もよくある。俺は腕の中におさまって、おろおろとしながら、今度こそ真っ赤になった。
「葉澄、俺の事が好きになったのか?」
「っ……」
「見ていれば分かる。兄弟だからな。お前の考えている事、気持ち、そういうものは、手に取るように分かる。なにせ、ずっと見てきたんだからな」
一緒に育ってきたのだし、それはそうだろう。俺の気持ちは、一瞬でバレた。
「――だ、だったらなんだよ?」
「ん? やっと両想いになったんだなと思ってな」
「え?」
「俺はずっとお前の事が好きだったんだ。よく寝ているお前にキスをしていたが、葉澄は一度眠るとほとんど起きないから、全く気付かなかったな。無防備すぎてたまに心配になる」
「な、な? えっ? 俺を好き? えっ?」
俺は目を見開いた。兄の腕の中で、変に体に力を込めてしまう。
「ずっと愛していた。俺はもう何年も前から、お前の事を好きだったし、葉澄の事が欲しかったんだ。だからお前の前に、それとなくアナニーの記事が載っている本を置いたんだ」
「!」
「まさか本当に、ヤっているとは思わなかったがな。そういう手法もあると、男同士のヤり方を、覚えてもらおうと思っただけだったんだ。男同士でもそういう行為が可能だと教えたかったんだ。が、お前は……本当に可愛いな」
兄が楽しそうに笑いながら、そんな事を言った。俺は恥ずかしくて死にたくなった。
「今日も、一緒に眠ろう」
「……うん」
「葉澄、それとお前もきちんと言ってくれ。俺をどう思っているんだ?」
「……そんなの、決まってる。好きに、決まってるだろ!」
やけになって俺が叫ぶように言うと、柾人がギュッと腕に力を込めた。そのまま俺は、抱きしめられて、幸せに浸る。もう、男同士だとか兄弟だとか、どうでもよくなってしまった。俺は、柾人が大好きなのだから。
―― 了 ――