変えられるものと変わらないもの




 僕の所持する懐中時計は、時を巻き戻すことができる。

 中世欧州にて、錬金術師に生み出されたそうだ。それを我が家の先祖が、たまたま輸入品の荷物に紛れていたのを見つけ、代々僕の家――青桐家の長男が受け継いできたそうだ。僕は、長男だ。父から、この時計を渡されたのは、中学生の頃だった。僕は二次性徴が早くきたのだが、背は全く伸びなかった。

 二十一歳になった僕は、大学に通う傍ら、時計の能力を生かして、占い師をしている。通りかかった人の行動を確認し、時を巻き戻して声をかけ、先程見た光景を語る。するとその後その人は、僕が最初に見た通りの行動をするから、僕の占いが当たったと信じる。

 道ばたでそれらしきローブをかぶって占うこともあれば、大学で告白の結果などを先に見て、伝えたりもする。僕は占い師として、ちょっとだけ有名だ。

「ねぇ、青桐くん。占って欲しいんだけど」

 今日も大学の構内で、女子に声をかけられた。

「何が知りたいの?」
「今から、春日くんに告白しようと思うんだけど、その結果が知りたいの。私、結構良い感じで、脈もあると思うんだけど……」

 女子は、苦笑している。無理に笑っているのは明らかだ。きっと不安なのだろう。

「了解。占うよ」

 僕はそう告げ、そして言った。

「告白、してきて。きっと良い結果だよ」

 告白の場面を見るために、僕はそう述べた。すると女子は口元を綻ばせて、歩いて行った。

 春日というのは、クォーターで、とても整った顔立ちをしている。
 祖父が欧州から来たのだと、僕噂で耳にした。
 噂になるほど、春日は人気者だ。多くの女子が告白し、その度にフラれている。

 今回もそうなるのではないかと思い、少し時間をおいてから、僕は告白場面を盗み見るために、後を追いかけた。

 すると長身の春日を見上げ、先程の女子が告白していた。

「ああ、いいぞ。付き合おう」

 笑顔で春日が告白に応じた。僕は驚いて、その場を立ち去る。

「ふぅん。春日ってああいう子が好みなんだ」

 そう呟いてから、僕は時を巻き戻した。
 すると少しして、女子がやってきた。

「ねぇ、青桐くん。占って欲しいんだけど」
「何が知りたいの?」

 僕は先程と同じ言葉を返した。

「今から、春日くんに告白しようと思うんだけど、その結果が知りたいの。私、結構良い感じで、脈もあると思うんだけど……」
「今から占うよ」

 僕はそう言って、いかにも占い師らしい、タロットカードをポケットから取り出した。
 そしてベンチの上に、適当に並べた。
 僕はカードの意味など知らない。ただの雰囲気作りの小道具だ。

「占った結果、告白は成功するよ。おめでとう。春日と恋人になれる」
「ありがとう!」

 僕の言葉に、女子は嬉しそうに破顔した。

 こうして女子が告白に言ったので、僕はタロットカードをしまい、ベンチに座って、空を見上げた。青空に、ところどころ白い雲がある。こういう日は気持ちがいい。

 暫く僕は空を眺めていた。
 すると――。

「嘘つき! 当たらなかった! 嘘つき!」

 走ってきた女子が泣きながら怒っている。何事かと思って、僕は首を傾げた。

「何があったの?」
「春日くんにフラれたの! さっき告白は成功するって言ったよね!?」

 それを聞いて、僕は驚愕した。
 時間を巻き戻した後、これまで必ず同じ未来が訪れていた。
 だというのに、どうして春日は、違う行動をしたのだろうか?

 いいや、巻き戻しの時計に対抗するなにかを所持しているか、あるいは能力として持っているか、なんらかの要素があるはずだ。

 ――この日か、僕は春日の行動を気にするようになった。何度も巻き戻した。すると同じ行動をする場合もあれば、全く違う行動をする場合もあった。どういうことなのか。僕は悩みに悩んだ。

 そんなある日の昼下がり。僕はベンチにいると、正面に誰かが立つ気配した。
 僕は顔を上げると、そこには最近動向をチェックしている春日が立っていた。

「青桐」
「何?」
「お前は、どうして占いをしているのか、覚えているのか?」
「へ?」

 唐突な問いかけに、僕はドキリとした。考えてみると、僕はいつの間にか、占いをしていた。最初から、僕は占い師で、きっかけは思い出せない。

「お前は俺と寝たことを覚えているか?」
「は? 寝たってどういうこと?」
「俺に抱かれて喘いだだろう。一晩中。声が枯れるまで」

 その言葉を聞いた瞬間、僕はあり得ないのに、自分が春日に貫かれている光景、胸を愛撫されて快楽に喘いでいる姿、バックから腰をもたれて激しく体を貪られて悦楽を感じ、声が枯れるまで啼きながら、痴態をさらしてい情景が脳裏を埋め尽くした。

「その巻き戻りの時計は、自分の行動を巻き戻すと、記憶の一部が欠落する。巻き戻す時間が長ければ長いほど、記憶は消え去る。お前は、俺に抱かれた時に、その時に占い師をしたらどうかという雑談をしていたんだ。そこから巻き戻した結果、理由なくお前は占いを始めた。なにせ理由は未来にあるのだから」
「……」
「俺とのSEXに関しては、ただの一晩だけだった。その事後……翌日に、お前は俺と出会う前まで時間を戻したんだ。とても長い時間の巻き戻りだった。だからお前は、俺への愛など忘れてしまったらしいな」

 どこか寂しそうに春日が言った。だが僕は、春日に抱かれる未来が見えない。

 確かに僕は、好きになったら性別は気にしないタイプだ。だが、春日のことは好きではない。嫌いでもない。これまで接触はほぼ無かったからだ。

「……それが事実だとするなら、どうして僕は巻き戻したの?」

 僕は恐る恐る問いかけた。すると春日が俯いて苦笑した。

「俺達は付き合っていなかったんだ。いつも俺は、俺に愛の言葉を囁く青桐をうざったいと思っていたんだ」
「そ、そうなんだ」
「かなり冷たい態度を取っていた。それでも青桐はいつも俺のそばにいた。だから、俺はある日気まぐれに青桐を抱いたんだ」

 つらつらと語る春日は、どこか辛そうに見える。

「その結果、青桐は俺に抱かれる前に時を戻して、何度も何度も俺に抱かれた」
「……」

 自分がそんな事をするというのが信じられない。

「だが俺には、巻き戻されているのが分かるんだ」
「え?」
「その巻き戻しの時計を作成した錬金術師は、俺の先祖だ」
「っ」
「だから俺は、無効化する時計を所持している。だから青桐が何度も俺に抱かれているとき、俺には巻き戻っていると分かっていたんだ。それである日、俺は無効化する時計があることを、青桐に告げたんだ。そうしたら、青桐は泣き出した。体だけでも良いから、そばにいたかったのだと泣きながら言っていた」

 そこで春日は大きく息を吐いた。

「でもな? その後青桐は、もう迷惑はかけないと俺に言った。その翌日、俺は時が巻き戻ったことに気づいた。それが二年前の入学式の時だ」
「!」
「大学一年生まで時が戻ったんだ。社会人だった俺達の現在は、もう消失した。俺は後悔したよ。俺を一度も視界に捉えず、雑談したことは覚えているのか占いを始めたお前を見て、本当は俺も青桐を好きで、冷たくすると青桐は泣きそうになっても俺に縋るからそんな時に愛を感じていたのだと理解した。俺は、青桐をきちんと愛していたんだ」

 まるで僕に告げたように聞こえた。未来の僕を愛しているのだろうが、今の春日は大学生であり、僕もまた同じだ。だが、僕の側に愛がない。

「春日、僕は君を好きじゃないよ」
「知っている。だから――今度は俺が頑張る番だ」

 そういうと、口角を持ち上げて、春日は端正な顔に、綺麗な笑顔を浮かべた。
 その日から、宣言通り、春日は僕にぐいぐい来るようになった。

 朝はバスから降り僕を待ち、同じ講義の時は必ず隣に座る。僕の休みを熟知しているかのように、必ず休みの前は僕を遊びに誘う。別に嫌というわけではないから、応じて僕は遊びに行っている。映画を見たり、水族館に行ったりと、中々新鮮だ。

 どうやら、春日は本当に僕を好きなようだ。だけど、まだ信じられない。だから直接聞いてみた。今はお休みで、春日の部屋でだらだらしている。

「春日は、まだ僕のことが好きなの?」
「ああ、当然だろう?」

 春日がきょとんとした顔をした。子供のような表情に、僕は思わず微笑した。
 今は、僕は春日に、どちらかといえば好意を抱いている。
 けれどそれが恋なのかどうか、判断がつかない。

「青桐、お前こそどうなんだ? 少しは俺に興味を持ってくれたか?」
「うん、興味はあるよ。春日といるのは、楽しいし」
「――俺の事を、好きになってくれたか?」
「それは、分からないんだよ」
「だったら、体で確かめるというのはどうだ?」
「どういうこと?」
「俺に抱かれて、嫌悪感があるか、それとも無いか。明確に、好きか否か分かる方法だとお俺は思う」

 僕は目を見開き、息を呑む。

 思わず後ずさると、ベッドに背中がぶつかった。そんな僕にグイと春日が近づいて、僕の顔を覗き込んだ。 

「青桐。俺はお前が欲しい」

 その少し枯れた声音を聞いた瞬間、僕は雰囲気に飲まれた。

 僕の体を、春日はじっくりと愛撫した。そして今、二本の指を僕の後孔に差し入れている。ローションでぬめっているからか、痛みは無い。いいや、長い間、トロトロになるまで、菊門の先の内部を解された結果かも知れない。

 ――どうしようもなく気持ちがいい。

 生理的嫌悪など、微塵も無い。僕は、もっとしてほしいと、もっと快感を煽って欲しいと、そればかりを願っていた。

 クチュリと音がして、二本の指が抜き刺しを始めた。それが少し続いたと思ったら、不意に指先を曲げられて、僕は思わず声を上げた。

「ああっ、ンん」
「前立腺だ」

 微笑して、春日はそこばかりを嬲りはじめた。僕は嬌声を上げるしか出来なくなる。

「ぁ、ぁ、ァ……あぁ……ッ」

 春日は僕がイきそうだと思った瞬間、指を引き抜いた。

「挿れるぞ」

 そして巨大な陰茎の尖端を、僕の中へと進めた。
 雁首まで入ったところで、春日も荒い息を吐いた。

「アああっ! ンあ!! あ――!」

 どんどん春日のものが、僕の中に挿いってくる。ズンと突かれる度に、内壁を擦りあげられる形となり、強い快感が僕に襲いかかる。

「ぁあ!! やぁァ、イく、イっちゃ――うあぁ」

 僕は春日に貫かれ果てた。

 ――事後。

「嫌だったか?」
「……嫌じゃなかったよ」

 こうして僕と春日は付き合い始めた。ただ僕には、不安や疑問もある。

「ねぇ、春日」
「ん?」
「未来の僕のことが好きだったんだよね? 今、僕と付き合ったら、その未来は来ないんじゃ?」
「そもそも――時計は正確には巻き戻すんじゃない。ある点まで進んだものを、過去のある点まで戻す。けれどそこから進む先は、元々のある点とは限らない。ただし過去のある点が共通していれば、それは同じ個だ」
「つまり僕は僕だけど、未来は色々あると言うこと?」
「そうだ。未来は変えられる」

 穏やかに語る春日を見て、僕も口元を綻ばせて頷いた。
 本日の大学の構内は、人で賑わっている。

「ねぇ、青桐くん! 占って!」

 またどこかの学部の女子の声がした。僕はふり返って苦笑する。

「僕はもう、占いは止めたんだ」

 ――未来が努力で変わるのならば、僕がしていたことは、無意味でもあるし、当人の努力を邪魔することにもなりえる。だから僕はそう告げてから、その日は春日と一緒に学食へと行った。そんな些細なことが、今はとても嬉しいから、僕は春日を愛したどこかの未来の自分を誇ったし、今春日に愛されている己のこともまた誇る。僕はもう、巻き戻したりはしない。この幸せを、忘れたくはないからだ。喧嘩をしても、泣くことがあっても、僕はきっと春日のことを好きだから。




 ―― 了 ――