【6】この土地について





「明日は店、休みな」

 ローラがそんな事を言ったのは、藍円寺さんが来なくなって二ヶ月目の事だった。もう季節は、初秋である。

「藍円寺さんが来ないからって、仕事を休んじゃダメだよ。いつまで休むの?」
「あ?」

 僕の言葉に、ローラが眉間に皺を寄せた。

「関係無ぇよ。誰だっけ、それ?」
「あ、あはは」
「明日一日だけだ。客が来るんだよ」
「あ、そうだったんだ? お客様……それも珍しいね」

 何だ一日だけかと、僕は一人頷いた。なお、考えてみると、現在は年中無休状態であるから、お休みがもうちょっとあっても良いのかもしれない。ただ、基本的に娯楽でやっているに等しいし、休みたい日はOPENを出したまま、店を見えなくする暗示でもローラにかけてもらえば良いだけでもある。

 こうして――引越し後、初めての個人的な来客者が訪れた。

「はじめまして、砂鳥くん」
「はじめまして、夏瑪先生」

 僕は、手を差し出されたので、握手した。訪れたのは、火朽さんのゼミの教授であり、ローラの吸血鬼仲間の、夏瑪夜明教授だった。ナツメヨアケ先生である。夜明けの吸血鬼という小説を漠然と思い出しながら、僕は久方ぶりに、珈琲を淹れた。火朽さんは出かけている。例の無視していた人と最近親しいようで、よく出かけるのだ。それに夏瑪先生は、ローラという旧友に会いに来たらしい。

「夏瑪は、最近、調子はどうだ?」
「調子? 餌の話かね?」

 どこか演技がかった喋り方をする夏瑪先生は、非常に余裕がある表情で、悠然と微笑した。持ち上げた口角の端までを、ぺろりと舌で舐めた彼は、それから思い出すように瞳を煌めかせた。

「霊能力が高い土地において、中でも高能力の学生が集まっているキャンパスにいるのだからね。困る事は全く無い」
「そうは言っても、お前が吸血鬼だって気づいて無い連中の集いだろ? たかが知れてる」
「いいや。知っている先生も生徒も大勢いる。噂だとして信じていない学生はいるがね」「――そうなのか?」
「無論だよ。私に気づけない程度の低い人間ばかりと侮ってはならない。今の時代、如何にして友好関係を築き、維持していくかが重要なのではないかな?」
「まぁな。概ね同意見だ」
「別に僕は、暗示をかけて教職に預かってるわけでは無い。請われたんだ。僕よりも人間の知る民俗学に詳しい人間は、少ない」
「少ないっていうのがミソだよな。ま、いいや」

 ローラの機嫌が今日は良さそうだ。
 二人は、本当に古い親友らしい。
 夏瑪先生は、白髪というより銀髪……むしろ僕には、北欧の金髪のちょっと薄い程度に思える絹のような髪をしている。少しだけ癖がある、柔らかそうな髪だ。その前髪をなで上げてから、彼は、僕が淹れた不味い珈琲の入ったカップを手にした。一口飲んで、カップを置く。外見は三十代半ばだ。二十代後半のローラと比較すると、圧倒的に彼が年上に思えるが、聞いた話だと(これは昨夜口頭で)、夏瑪先生の方が若いらしい。二人は、スラヴで出会い、流れで一緒にしばらくの間旅をしていた事があると聞いた。

 ちなみに、僕は、吸血鬼に会うのは、ローラを除けば初めてである。
 決して、吸血鬼という存在は、世界に多くはない。
 かと言って、覚という妖怪が多いかと言われたら、僕には分からない。
 何せこちらに至っては、僕は、自分以外を知らない。更に、時々本当に僕は、自分が覚なのかも分からなくなる。僕が当該妖怪だと判断したのはローラだ。出会って数百年になるが、他の誰かに『貴方は覚ですね』と言われた事は無い。

「それにしても、面白い土地だよな」
「だろう?」
「――なんて言うんだ? 霊能力者が多いっていうか、ほら、あれだな。そういう一族やらその分家やらが大量に、なんていうか」
「ああ。玲瓏院かい?」
「ま、まぁな。そ、ういえば、あれだな。玲瓏院といえば、この辺の地域だと、何だったか、あの、廃寺に等しいボロボロの寺……あー、名前が出てこねぇ」

 ローラがその時、それとなく言おうとして失敗しているのを、僕は目撃した。
 しかし夏瑪先生は、何も知らないので、普通に微笑したまま答えた。

「ああ、藍円寺くんのお宅かい?」
「あー、それ。そういえば、そんな名前だったな。いやぁ、客が噂してて」
「彼の所は、玲瓏院と違って、民間でやってる分、安いからねぇ。繁盛しているみたいだねぇ。玲瓏院は、プロだからね」

 僕は、お寺であっても”民間”という扱いなんだなぁと、ぼんやりと考えていた。では、プロって何なんだろう……? ちょっと上手く、想像がつかない。

「まぁ気をつけるならば、あの三兄弟の場合は、除霊業を引き受けてる跡取り住職の三男じゃぁないね。友人として忠告するなら、注意順に言うと兄弟順で、長男・次男・三男だよ。ただし実害があるとすれば、筆頭は次男だ。次男はね、精神科医……なんだろうね、閑古鳥が鳴いているクリニックを経営しているけど。だから、それもあってね、心霊現象系は全否定なんだけど――僕が知る限り、上中下で評価するなら、ギリギリ上に入れて良いレベルだ。彼はね、視えちゃうと職業的に幻覚判断で、まずいと自覚して、手でバシンと祓って、無かった事にして進んでいくタイプでね。彼のクリニックに行く少数の患者は、そのお祓い目的で通ってる憑かれやすい人々というのが実情だ。決して疲労からの抑うつなんかじゃぁない」

 そう言って、夏瑪先生が再び珈琲を飲んだ。ローラは、明らかに三男の藍円寺享夜さんについて聞きたいのだろうが、別の言葉を続けた。

「へぇ。で? 一番要注意の長男は、どんなのなんだ?」
「――それがねぇ。プロ中の元プロ。今は、違うけど。何せね、国家から除霊を請け負ってた、国家公務員の除霊師だったんだよ」
「は? 何だそれ、あれか? 内閣情報調査室付属庶務零課とかいう、一般常識的には都市伝説だけど、俺達には有害な、あれ?」
「それ、だね。ちなみに、元そこ所属の人間が、この土地には、もう一人いる。そっちはプロのエクソシスト。ただ、今現在を見る限り、両者共に、お祓いといった業務にはついてないけれどね」
「テンションが一気に下がった。先に言えよ。俺ですら、あいつらは嫌いだ」
「言ったら来ないだろう?」

 冗談めかして夏瑪先生が微笑した。ローラは半眼で笑っている。

「それで、話を戻すと長男は、ねぇ」
「おう」
「現在は、お寺の近所で、専業主夫をしているシングルファーザーみたいだね。失業保険でギリギリ頑張りながら、求職活動中。奥様を亡くされてね。怪異で。職場結婚だったようで……それもあるのかもしれないが、今後一切、オカルト現象とは関わる気が無いようだよ。だから、見ても何事も知らんぷりだね」
「有難い話だが、不憫だな。ご冥福を祈る程度の気持ちは、俺にもある」
「私にもある」

 少しだけ、しんみりした空気になった。それから、気を取り直したように、ローラが本題を切り出した。

「――あ、で、そ、そう。最後の三男は? 念のため、な」
「ああ、享夜くんかい? 上中下だとギリギリ中かなぁ。何せねぇ、視えないからねぇ、彼は。どちらかというと、僕から見ると、彼のようなタイプは、被害者である事が多いよ。だからローラも、彼から危害を加えられる事は無いんじゃないかな? 心配は不要だ。逆に、君が喰べる側に僕には思えるね」

 的を射ている。僕は、何とも言えない気持ちで、自分の珈琲を飲んだ。

「ふぅん。そいつは、最近は、何やってるんだ?」
「最近? 特に変わった話は聞かないけれどね――……あ、けれど、そうだ、彼がという話ではないんだけれどね、前々から噂になっていたお化け屋敷が一軒あってねぇ。先日、テレビの取材が入ってから、賑々しくて、近隣住民にまで霊障が広まっていてね。大学にも要請が来ているから、多分、藍円寺にもお祓い要請が行っているはずだ。あそこは、元々は普通の民家なんだけど、私から見ても非常に危険性が高い。単独除霊は危険で、浄霊が可能かも現時点では不明だ。最悪、周囲に結界を展開して封印終了とするしかないだろうね。これまでも、そうなっていたんだけれど――無駄にテレビの連れてきた霊能力者が破ってしまったみたいだよ。そのタレント霊媒師が、玲瓏院出自の芸能人と顔見知りらしいから、これに関しては、揉めたくないって事で、玲瓏院家は動かないみたいだからね。分家とはいえ、玲瓏院筋の藍円寺家には、それとなくではあるだろうけれど、玲瓏院側からの依頼もあるかもしれない。本家だからね、断れないと思うよ。分家と本家の力関係が根付いている土地でもあるしね」
「へぇ。それ、その話、いつくらいからなんだ?」
「さぁ……そうだねぇ、もう二ヶ月くらいには、なるんじゃないかな?」

 僕は、藍円寺さんが来なくなった期間と、ぴったり一致している事に気がついた。
 ローラを見ると、あからさまに安堵している。
 良かったなと僕は思った。別にローラの変態行為に気づいたとか、ローラが嫌いになったとか、お店が嫌いになったとか、マッサージが不要になったとかでは、無かったらしいからだ。

「もっとも、この土地に、玲瓏院結界がある限り、どんなに広まろうとも、この地方都市で心霊現象は完結するからね」
「――ああ。まるで蠱毒の如しだよな。一度入ると、弱い奴らは、外に出られないからな」
「ああ。時の偉人に評価されたという逸話の頃――……あれは遡ると鎌倉時代となるんだけれどね、この土地に霊を集めて、定期的に一斉浄化をするようにしたみたいだね」
「で、現地の人々は、生まれつき耐性が比較的高くなっていき、霊能力者も多く――結界なんて気にせず出入り自由の俺達からすれば、美味しい餌場と化してるわけか」
「そうなるねぇ」

 そんな事情があるのかぁと、僕は一人、心の中にメモした。
 僕には、結界があったなんて、全く分からなかった。
 事前に注意が無かったのだから、ローラがこういった関連を僕に言わない場合、僕には問題が無いと判断して良い。いついかなる時であっても、ローラは、危機回避はしてくれるからだ。それが、僕がローラと一緒にいる、一番の理由である。

 ――一人だった時の事は、あまり思い出したくは無いが。

 僕は、どちらかといえば、迫害されてきた妖怪だ。人間を襲った事は無い。


 その後、雑談をして、夏瑪先生は帰っていった。
 それを見送ってから、僕は、スッキリとした顔をしているローラに声をかけた。

「良かったね」
「ああ。友達に会うっていうのは、楽しいからな」

 こうして、その日は暮れていったのだった。