【13】主役風
僕はローラには答えず、ただ、藍円寺さんを促そうと試みる。
「えっと、マッサージですよね!?」
「……いや、cafeで。珈琲を頼む」
しかし、心の準備が必要らしい藍円寺さんがそう言った瞬間、ローラの怒りが強まった。理不尽な怒りだ。やるせない気持ちらしく、ブチッときたらしきローラは、店の周囲、半径三十メートル程度にいた微弱な妖魔を全滅させた。
ローラが苛立つ時、放たれた強い力に、微弱な霊といったものは、耐えられない。
うん。僕が思うに、ローラこそ、除霊のバイトで食べればいいのに。
思わずビクッとしてから、僕は珈琲の準備に戻る事にした。
すると――入れ違いにローラが、藍円寺さんに向かって歩き始めた。
だから厨房側に戻り、僕はそれとなく二人の様子をうかがう事にした。
「こんばんは、藍円寺さん」
ローラがそう声をかけた瞬間、藍円寺さんが錫杖を握り締めた。
……一見すれば、吸血鬼退治に来た住職さんに見えない事もない。
妖艶に笑うローラを、睨めつけている藍円寺さん。
もしこれが、ホラー映画だったならば、藍円寺さんが主役だろうか?
「――最近、お見えにならなかったので、どうなさったのかなと思っていたんですよ、俺」
「マッサージ店は、ここ以外にもいくつもあるからな」
「へぇ。なるほど」
「ああ。俺は、別にこの店に来なくても構わないんだ」
念のため粉を買っておいたインスタントコーヒーをいれつつ、僕はふたりの会話を聞いていた。声だけ聞くと、本当に藍円寺さんは、偉そうだ。
そう考えていたら――ズドンとその場の空気が重くなった。
驚いて視線を向けると、ローラが強い妖気を塊にして、藍円寺さんの肩に乗せていた。
うわぁ……。
おそらく、藍円寺さんは非常に厳しい肩こりに襲われている事だろう。
錫杖を取り落とした藍円寺さんは、傍から見ていると、除霊に失敗した霊能力者に見える。
俯きがちにキツく目を伏せ、霊障の辛さをこらえている風だ。
だが、藍円寺さんには、ローラが乗せた禍々しい力が見えないから、肩こりと認識しているのは間違いない。ローラがやった事だとすら、気づいていない。
「そうでしたら、何よりですね。マッサージの必要がないのが一番ですから」
藍円寺さんが短く息を飲んだ時、ローラがせせら笑うように言った。
さらに強い力を、藍円寺さんの肩の上に送り込んでいる。
僕から見ても、藍円寺さんの肩の上に紫色の妖気が見える。
表情こそ笑顔だが、ローラは怒っている。怒っているというか、正直辛いらしい。
まぁ……店員と客の恋だ。店員は、お客様が相手だと、来てもらえなければ会えない。
他のお店に行かれたら、もう会えないからね……ローラがショックだったのも、わからなくはない。
僕がコーヒーを持っていくタイミングを考えていると、ローラが藍円寺さんをマッサージするという事で話がまとまっていた。あれ? コーヒー、もしかしてもういらない?
「では、あちらのマッサージスペースへ。ちょっと、お話したい事もありますし」
「あ、ああ……」
僕は二人のやり取りを聞きながら、「お話」というローラの声に、ついに告白するのかと考えた。そもそもこの一週間、ローラはそればかりを考えていたからだ。だけど、この不穏な空気の中で、かぁ。まぁ、マッサージが始まったら、いつもの通り、あまーい感じになるんだろうけどね。そう思ってみていたら、肩こりが辛すぎるようで、藍円寺さんが床に座り込んだ。
それはそうだろう。もし藍円寺さんじゃなかったら、ローラにあのように強い力をぶつけられている状態なら、とっくに病院コースだ。少なくとも、人間のマッサージ店では対処できない。
「――ちょっと多すぎたか」
「っ、は」
辛そうな藍円寺さんを見て、ローラもやりすぎに気付いた――というよりは、心配になってしまったらしく、肩に触れて力の量を調整した。すると、肩で大きく藍円寺さんが息をした。
ローラは、藍円寺さんが大切で仕方がないらしい。だったら、やらなきゃいいのに。
それから嘆息して、ローラがごまかそうとした。
「藍円寺、今お前は貧血で立ちくらみがした。『そうだろ?』」
「いいや。俺は肩こりが酷すぎて、しゃがんだんだ。貧血じゃない」
すると、藍円寺さんが首を振った。
あ。
これ、藍円寺さんに暗示が効かないって、ローラも気付いたよね?
見ればローラは目を見開き、息を飲んでいる。
一体二人はどうなるんだろう?
そう考えて見守っていると、つらつらと藍円寺さんが続けた。
「第一、貧血なんて、今、お前に血を吸われたわけでもないのに――っ」
瞬間的に、その場にローラの力が溢れかえった。
あまりにもの強い力に、藍円寺さんが凍りついたのが分かる。
僕までも若干息苦しくなった。これはやばそうだ……。
先程までの恋心からの苛立ちとはだいぶ異なる、強い感情の動きが、ローラから伝わってくる。かなり動揺しているのが分かる。
「藍円寺、それはどういう意味だ?」
「……ローラは……吸血鬼なんだろう?」
率直に藍円寺さんが言った。この強いローラの気が漂う中で、きちんと言葉を口にできるのは、すごいと思う。中々、出来る人間はいない。
だが、決定的なその言葉を聞いて、ローラの瞳が険しくなった。
「……いつから気づいていたんだ? それで最近来なかったのか?」
完全に、吸血鬼バレして、それが理由で、怖がられていたと確信している様子だ。
「いいや、違うな。今日は来たしな」
自問自答しているローラは、僕から見ると、非常に悲しそうに見える。
失恋したと確信している眼差しだ。
藍円寺さんはといえば、そんなローラを、睨むように見ている。
そういう顔なのであって、睨んではいないのだが、この状況だと倒すべき相手(吸血鬼)を、怖いけれどもじっくり見ているように思えなくもない。
どうやら、ローラは少なくともそう感じたようだった。
「まぁ――なら、分かってるだろうけどなぁ、俺は非常に空腹だ」
諦観混じりのローラの声がした時、藍円寺さんが表情を変えた。
恐怖と嫌悪で凍りついているように見えるが――内心を読んでみると、ローラが自分以外と体を重ねていたらどうしようと悩んでいた。
その時、ローラの声が直接僕の頭の中に響いた。
『砂鳥、逃げる準備をしておけ』
……。
ローラは、藍円寺さんが、自分を退治に来たと考えているらしい。
「今日ここへ来た理由は? 不味い珈琲目的か?」
続けてローラが、藍円寺さんに問いかけた。
「ち、違う。その――この集落を守る住職として、お前が街の住民に無闇に手を出さないように、監視する義務があると考えてここへ来ただけだ」
あーあ……。
険しい表情で断言した藍円寺さんを見て、僕は遠い目をしてしまった。
「へぇ」
この藍円寺さんの照れ隠しはやばい。ローラ、完全に目が据わっている。
まぁ、好きな相手に化物扱いされたら辛いよね。
実際に、化物だけどさ。
「この集落の住民に手を出すな」
きりっとした顔で、眼光を強めて言い放つ藍円寺さんは、とても格好良い。
正義感に溢れる住職さんにしか見えない。
――心を読むと煩悩しかないが、少なくとも外見上は、そうは見えない。
「――そう言われてもな。俺も喰うためにここにいる。で? 藍円寺の住職さんは、俺から地域の人々を、単独で守れると考えているのか? この、俺から? お前が? 一人で?」
ローラが言った。嘲笑うような口調だったし、それは事実だが、僕はローラの下ろしている指先が震えているのを見てしまった。泣きそうらしい。ローラは泣くのを我慢する時、いつも指先が震える。
「……俺に、その力は無い」
悔しそうに藍円寺さんが唇を噛んだ。あくまでも、悔しそうに見えるだけだが。
「だから――今後は、俺の血だけを取れ」
そして、藍円寺さんは、これぞ「THE僧侶」というような、怪異に立ち向かう霊能力者的な眼差しで、断言した。うん。今の上辺だけならば、ホラー映画で主役になれるだろう。
「へぇ。人間という生き物で、頻繁に見られる自己犠牲という精神か。さすがは僧侶、ご立派な事だな」
答えたローラも、これまた悪役吸血鬼が似合う表情だったが、僕は読んでいないにも関わらず、失恋が辛いと伝わってくるものだから、何とも言えない気持ちになった。
その後、ローラが藍円寺さんから吸血を始めた。
僕は、冷め始めたコーヒーを、もったいないので自分で飲みつつ、時々そちらを眺める。
ローラは、わざと痛みを刻み付けるようにして、グサグサと噛んでいる。
それなのに、藍円寺さんは、ほとんど声を上げない。
地域の人々を守るために、我慢している風に見えなくもない。
実際ローラにはそう見えているらしく、瞳が辛そうだ。
愛しさ余って憎さ百倍らしく――次第にその悲しい怒りをぶつけるように、牙を深くしている。その内に、痛みが限界に達したのか、藍円寺さんが体を動かした。そのまま椅子から落ちた藍円寺さんを、押し倒す形でローラが噛んでいる。
「いやだ……やめ……っ」
藍円寺さんが、小さく抵抗の声を上げた時、ローラが一度静かに目を伏せた。
怖がられて、拒絶されているのが、辛いのだろう。
だったら、痛くしなきゃいいのに……。
とは、思うが、ローラが人間にこういった痛みを与えながら吸血をするのは、理由がちゃんとある。自分を怖がらせるためだ。怖がられたくないのに、矛盾してはいるが。
――二度と近寄らない。
人間にそう考えさせるのが目的で有り、いかに自分が強いかを知らしめて、除霊師や祓魔師といった存在を追い払うのが目的だ。実際にローラを駆逐できるような力が無い相手だとしても、これは変わらない。今回の場合、変わっているのは、ローラが藍円寺さんというお祓いにきた人物に惚れているという点だけだ。
もっとも、普段であれば、「噛まれて非常に痛かった」という暗示をかけるだけだ。
今日実際に噛んでいるのは、藍円寺さんに暗示が効かないというのもあるが――ローラが藍円寺さんに触れたかったからみたいだ。
次第に恐怖と痛みから、藍円寺さんの瞳が潤み始める。
それでも、かなり我慢強い。ローラが手加減しているのかと思ったが、違うらしい。
ただ、そうは言っても、限界がきたようで――ついに藍円寺さんが泣き出した。
……艶っぽい。先程までの意志の強そうな瞳が、心細そうな眼差しに代わり、恐怖で震えている。嫌がる藍円寺さんを押さえつけて噛んでいるローラも、苦しそうではあるが……ちょっと見とれているみたいだ。
怯えている人間というのは、僕達から見ると、人間にとっての――例えば、ペットが何かミスをしてうなだれているのを見てしまった時というのか、非常に愛らしく思えるのである。僕はケモナーじゃないから、可愛いなと思って終わりだけど、ローラは藍円寺さんが大好きだから、ただの可愛いでは済まないらしい。
本当はそのまま抱いてしまいたいようだったけど、その後もローラはわざと痛く噛み続けて、だいぶ時間が経ってから、やっと少しだけ血をとった。ほとんどが痛みを与える事を目的としていて、本気で血を吸っている様子は無かった。まぁ、苦痛を感じている血液はあまり美味しくないとも聞くけれど。
「まぁまぁの食事だったな。約束通り、明日も来いよ。これは、『命令じゃない』――お前にはもうこういった暗示は効かないらしいしな。来るも来ないも、藍円寺、お前の意思だ。誰かに相談するのも自由だ。じゃあな」
終わってから、ローラが言った。
床にぐったりと倒れている藍円寺さんの瞳は虚ろで、聞いているのか、表面からは判別できない。呆然としているようにも見えるし、絶望で瞳が暗いようにも見える。
「さっさと帰れ。もう用は済んだ」
ローラが舌打ちしてからそう言うと、ゆっくりと藍円寺さんが起き上がった。
目元が赤い。涙のあとが見える。
フラフラと立ち上がった藍円寺さんは、本当に辛そうだったが――扉に向かうと、一度忌々しそうな顔でローラを見た。
「俺以外から血を取ったら許さない」
蔑むようにそう言って、藍円寺さんが出て行った。
扉の音を聞いていた時、ローラが大きく吐息した。
『念のため寺に帰るまで見送ってくるから、荷物をまとめておけ』
僕の頭の中に声を響かせてから、黒猫の姿でローラが出て行った。
確かに、ふらついている藍円寺さんが、万が一転んだりしたら、心配ではある。