【番外】写経(★)



 紅葉の季節となったが、まだ残暑が厳しい。
 ただ例年、気づくと次の瞬間には、霜が降っている。

 落ち葉を掃き掃除しながら、俺は袈裟を見た。

 以前、ローラがこの玲瓏院の袈裟の方が美味しいと話していたのを聞いてから、俺はずっと僧服を身につけている。ローラに好きでいて欲しいからだ。

 信じられない事に、俺とローラは、相思相愛……恋人同士になった。
 今でも嬉しくて仕方がない。
 そんなローラに言われたのは、昨日絢樫Cafeに出かけた時の事だ。

◆◇◆

「藍円寺、俺もお前の家に行ってみたい」
「え?」
「その――……もう俺とお前は、店員と客じゃないし、俺はここで藍円寺を待っているだけというのが辛い。俺からも堂々と会いに行きたいんだ。これからは」

 そう言って、ローラが天使のような微笑を浮かべた。
 何気なくお茶を飲みながら聞いていた俺は、直後思わず俯いた。
 ――頬が熱いのが自覚できたからだ。

 言葉が出てこない。照れてしまった俺は、カフェスペースの椅子の上で、ギュッと膝の服を両手で握った。嬉しい、嬉しすぎる!

「……いつでも来れば良い」

 ポツリと必死にそう答えてから、恥ずかしさのあまり、俺は付け足した。

「藍円寺では、写経なども実施しているし、機会はいくらでもあるだろう」

 ……もっとも、藍円寺に足を運ぶ人なんて、ほとんどゼロなので、このサービスに申し込みがあった記憶は無いが。俺は、それは言わなかった。

「写経か。いつやってるんだ?」
「え、あ……予約制だからな、いつでも……」
「じゃあ明日。予約しても良いか? 急すぎるか?」

 慌てて俺は顔を上げて頷いた。

◆◇◆

 そう、即ち、本日――ローラが藍円寺にやってくるのである。
 嬉しくて舞い上がりそうだったが、同時に緊張もしている。
 普段はあまり気にしないのだが、寺の各地を見て回って、俺は掃除を終えた。

 そうして現在、落ち葉を掃きつつ、石段の下を眺めている。

 早くローラが来ないかなぁと考えつつも、写経のやり方など、冷泉学園大学時代に授業でやったっきりなので、きちんと俺にも指南できるのか不安だった。

「きっと大丈夫だよな」

 一人頷いて吐息した時、俺の首元で念珠が揺れた。こちらの念珠も玲瓏院の品だ。
 袈裟と念珠の効果は不明だが、手首の数珠は偉大らしい。

 そちらは、ローラがあまり好きではなさそうだったので、俺は何を言われたわけでもないが、恋人同士になった日から外している。

 その時、石段を上ってくる気配がした。

「藍円寺」
「ローラ、本当に来たのか」

「――迷惑だったか?」
「い、いや、あの……そういう意味じゃなくて……」

 俺は最近、嫌われたくないので、口の悪さを直そうと考えている。
 しかし俺の口は上手く回らない。

 帰ってしまったら悲しいので、慌てて手を伸ばすと、俺の隣にやってきたローラが微笑した。

「ああ、分かってる。藍円寺は、俺が来て死ぬほど嬉しいんだもんな? 俺も会えて嬉しいからな」
「……」

 俺は箒を握り締めたまま、俯いた。頬が熱い。その通りだ。
 ――最近、ローラが優しすぎて、俺は怖い。

「行くぞ。あちらだ」

 羞恥に駆られて、俺は先に歩き出す。すると喉でローラが笑った気配がした。

 写経は、まずは手洗いなどをして、身を清める所から始める。
 その場所に促すと、ローラが猫のような瞳を瞬かせて、俺の言葉に従った。

 続いて、俺は藍円寺の仏様――元々は玲瓏院ゆかりの仏像がある部屋まで、ローラを連れて行く。それから写経の部屋へと向かった。既に用意だけは万全だ。

「座ってくれ」

 ローラがにこやかに頷いたのを見てから、俺は線香を一本立てた。それから、事前に別室の仏像の前にお供えし、お教を唱えておいた水を手に、俺はローラへと歩み寄る。

「この水で、まずは墨をするんだ」
「良い香りがするな」
「線香か?」
「いや」
「墨か。ああ、俺もこの匂いは嫌いじゃない」

 俺がそう告げると、ローラが楽しそうに笑った。そして小さく首を振る。

「俺も嫌いじゃないけどな、墨の話じゃない」
「?」
「――それで? 墨はどうやってするんだ?」

 ローラに聞かれたので、俺は慌てて硯を見た。ローラはよく話を聞いてみたら、俺が信じていたのとは異なり、海外から来たのは大昔だそうで、直近までは都内にいたそうなのだが――考えてみると吸血鬼には、書道の経験はあまりなさそうだ。

「これを、こうして――」

 隣に膝立ちして、俺は墨をすった。ローラが頷きながら俺を見ている。

 これまで、寺に送ってきてもらったあの日以外は、すべて絢樫Cafeで顔を合わせていたからなのか、いつもよりローラが輝いて見える。それにあの日は、貧血でぼんやりした部分もあったし、恋人同士になれた嬉しさで頭の中が真っ白だったので、あまりそうは思わなかった。

「こんな感じだ。やってみてくれ」
「ああ」

 俺の言葉に微笑したローラを見て、俺はゆっくりと瞬きをした。
 ローラは天使みたいだ。今もその思いは変わらない。
 中身は時に悪魔だが、最近は中身まで天使だ。

 俺にすごく優しい。優しくされすぎて、俺はいちいち反応に困っている……。

「これで良いか?」
「うん。十分だな。ええと――次は、写経する経文を読むんだ。最初だから、般若心経が良いかと思って、それを用意しておいたんだ」

 俺は台紙を手にしながら、そう告げた。玲瓏院経文もあるが、とても長い。それと、もう一つ不安だったのは、吸血鬼であるローラがお教を読んでも大丈夫なのかという部分だった。般若心経ならば短いし、まだマシであって欲しいという思いだ。

「分かった。藍円寺が読むのか?」
「いいや、ローラが読むんだ。読誦してくれ」

 するとローラは天使のような笑顔のまま、般若心経を見た。
 ……お経は問題ないらしい。良かった。

 その後、台紙を置いて、ローラが俺を一瞥した。

「藍円寺、この『為』という部分には、何を書くんだ?」
「そこには、ローラの願い事を書いてくれ」

 家内安全などと、その部分には書く事が多い。俺が筆を用意しながらそう告げると、ローラが穏やかに微笑んだ。そして俺から受け取った筆で何かを書くと、乾く前にさっと薄紙を上に載せた。


 滲んでしまわないかと息を飲んだが、幸い大丈夫そうで――そのまま写経が始まった。

 ローラの右の後ろから、俺は時々紙を見る。
 ――初めて筆を持つにしては、非常に達筆だ。

「藍円寺、ここの部分は、どういう意味なんだ?」
「ん?」

 その時ローラに聞かれたので、俺は後ろから覗き込んだ。
 般若心経のある部分を指して、ローラが振り返る。
 俺は真横にあるローラの顔を一瞥してから、説明した。

「ええと――」

 ローラは静かに聞いていた。そして、俺の説明が終わると、数行飛ばして上の方を指さした。

「こっちは?」
「あ、それは――」

 俺は身を乗り出して、ローラの右肩の上から手を伸ばし、指で示しながら解説した。それを終えた時――今度はローラの質問も返事も無かったので、首を傾げた。


「わかりにくかったか?」
「――いや、藍円寺が近くにいるなぁって思って」
「え?」
「お前の方から、こんなに俺に近づいてきた事って無いからな。暗示無しで、マッサージでもない状況で。良い香りがするのは、藍円寺、お前だよ」

 うっとりするような瞳をしているローラを見て、俺は硬直した。
 確かに――近い。真横に、ローラの麗しい顔があるのだ。
 偶発的にも、そのまましばらく見つめ合ってしまった。

「俺、後ろから藍円寺にぎゅーってされたい」
「え」
「いつも俺が抱きしめててそれも幸せなんだけどさ、たまには藍円寺から求められたいというか、お前に抱きつかれたい。その角度にいる藍円寺を見て、すごくそう思った。『為』に書くか迷う」
「な――そ、そんな事は……」
「ダメか?」
「……書かなくても良い」
「ん?」
「ローラが……だ、だから……そうして欲しいなら、あ、あのだな、いくらでも……」

 言いながら恥ずかしくなってしまい、俺は視線を下ろした。照れてしまって、俺が目を閉じようとした時――不意にローラが俺の顎の下に手を沿え、軽く持ち上げた。


「やっぱりいいや」

 真正面にあるローラの顔を見て、からかわれたのだと思い、俺は視線を逸らそうとした。すると、ローラが正面から俺を抱きしめた。

「照れてる藍円寺を、正面から抱きしめて見ている方が幸せな気分になる」
「っ」
「――それに、腕を回されるだけじゃ満足できねぇよ」

 ローラはそう言うと、俺の頬に両手を添えた。
 じっと覗き込まれて、俺は狼狽えたが、緊張しているのもあって動けない。

「藍円寺――お前からキスして欲しいな。お願いだ。叶えてくれるか?」
「……あ、ああ」

 俺は、ローラのお願いに弱いらしい。思わず頷いていた。
 緊張しながらも、俺は唇を近づける。
 じっと俺を見ているローラが瞼を閉じないので、恥ずかしくて俺が閉じた。


 そして、触れるだけのキスをする。一瞬だったが、俺にとっては非常に緊張した瞬間だったから、長く感じた。

「藍円寺、もっと」
「ッ」
「お願いだ。ダメか?」
「い、いや……分かった」

 もう一度、意を決して俺が唇を重ねると、ローラがスッと目を細めて笑った。唇を舌で舐められて、思わず顔を離して硬直する。するとローラが一度自分の唇を舐めてから、口を小さく開けた。

「もっと」

 ローラに言われて、俺も嬉しくて、緊張しつつも舌を入れる。
 ただ、上手い動かし方が分からない。いつもはローラ任せだ。
 どうすればいいんだろう? 悩んでいた――その時だった。

「っ、!」

 ローラが甘く俺の舌を噛んだ。ピクンと俺の体が跳ねる。

「ン」

 そのまま逆に舌を絡め取られ、ローラが俺の腰に腕を回し、深々と唇を貪ってきた。俺がキスをしていたはずなのだが、すぐに主導権が逆転した。舌を甘く噛まれるたびに、俺の全身には優しい感覚が流れ始める。ゾクリと背筋に快楽が走った。

「ぁ……」

 気づくとそのまま、畳の上に押し倒されていた。

 それからもう一度キスをし、そのままローラが俺の首筋に唇を落とすまで、俺はされるがままになっていた。

 ――基本的に人が来ない寺だが、扉は全開であるし、ごくたまに兄弟や甥が来る事もある。それに今は、写経の最中だ。

 そうは思うのに、俺を見ているローラを見上げたら――目が離せない。
 好きすぎる。

「藍円寺、シたい」
「……俺も」

 素直にそう伝えると、ローラが目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。
 ローラは、素直な俺が好きらしい。だから俺も、なるべく素直になりたい。

 そのまま、着物をはだけられる。


「愛してる」

 俺の耳元で、囁くようにローラが言った。その時触れた吐息に、俺は体を震わせる。ゾクリと体の奥で何かが蠢いた気がしていた。

「ン」

 鎖骨をなぞられると、俺の口から鼻を抜けるような声が漏れた、ローラの指先が触れた箇所が、奇妙な熱を孕んでいた。何かがしみこんでいくように、腰の辺りにその熱は収束していく。それが嫌ではなかった。少し怖いだけだ。

「んッ、ぁ」

 左の乳首を摘まれたから、思わず声を上げると、首筋を再び舐められた。それからローラは、俺の右乳首をきつく吸った。左手ではもう一方の乳頭をはじく。右手では緩く俺の陰茎を握っていた。舌先がいやらしく動くたびに、腰が熱くなっていく。気づけば俺の陰茎は、頭を擡げていた。

「あ、ああッ」

 ローラに直接撫でられて、俺は震えた。端正な指先が、俺のものを昂めていく。

「う、ぁ、やめ」

 羞恥に駆られて俺が静止すると、ローラが薄く笑った。その笑みに、ゾクリとした。ローラは何も言わずに、緩慢に右手を動かす。次第にその動きは速くなり、気づけば俺は先走りの液を漏らしていた。すぐにでも達してしまいそうで、熱が中心に集まっていく。


「ぁ、ぁぁ……ン」

 それからすぐに、ローラの指が入ってきた。内部から入り口を撫でるように指で刺激されると声が漏れた。それから抽挿が始まり、指が二本に増えた。ぐちゅぐちゅと卑猥な水音が響き、指が俺の体の中で蠢く。

「!」

 そして内部の一点を強めに、そろえた指で刺激された瞬間、俺は目を見開いた。

「あ、あ」

 一気に快楽が強まり、ぞくぞくと体が震える。

「あ、ああ、やッ、うあ」

 涙ながらに俺が声を上げた時、指が引き抜かれた。そしてすぐに圧倒的な質量を持つ熱が押し入ってきた。声にならない悲鳴を上げる。衝撃に声が出なかった。ゆっくりと進んできたローラの陰茎が、俺の中を押し広げていく。全てが入りきった時、俺は熱に思考を絡め取られていた。そのままローラは動きを止め、俺の陰茎を擦り始める。

「フ、ぁ……っ、ッ」

 揺さぶるように陰茎を動かされた。その動きは、徐々に速度を増していく。


「あっ、は、ン、ううッ、あ、ああ」

 深く抉られては浅くまで引き抜かれ、そして次には勢いよく貫かれる。快楽が這い上がってきて、俺は思わず片手で唇を押さえた。

 その時強く、感じる場所を突き上げられた。目を見開き声を上げた時、ボロボロと涙が零れた。今度こそ出てしまうと思った。二度突き上げられ、息を詰める。

「あ、あああああああ」

 直後、荒々しく中を突かれた。皮膚と皮膚が奏でる音がした。角度を変えられ、太股を持ち上げられる。

「ああ――! う、あああああ」

 快楽から泣きじゃくった俺は、内部でローラが果てたのを感じた時、自分もまた放っていた。そのままぐったりとしたままで、俺は必死で息をする。気持ち良かった。



 ――幸い誰も来なかったので(いつも通りだが)、そのまま俺は着替えに行った。ローラは写経を続けるというので、その場に残してきてしまった。それからシャワーを浴びて、別の僧服に着替えて戻ると、ローラが丁度終わらせた所だった。

「出来たみたいだな」
「ああ。藍円寺が教えてくれたからな」
「……こ、このくらい、誰にだって……」
「藍円寺じゃなきゃ、俺にやろうという興味が出ない」
「……最後に、写経したものを、読誦してくれ」
「分かった」

 恥ずかしくて俯いたまま告げた俺に、ローラが頷いた気配がした。
 ローラが読み上げる般若心経を聞きながら、俺は落ち着こうと試みる。

「為――藍円寺享夜と、ずっと相思相愛でいられますように」
「!」

 しかし最後の言葉で俺は息を飲んで、顔を上げた。
 するとローラが俺を見て、ニヤリと笑った。

「嫌か?」
「あ、いや……いやっていうのは、違う……嫌じゃない……嬉しいんだ」

 どんどん声が小さくなってしまったが、俺は必死でそう伝えた。
 するとローラが優しく笑う。


 ――以来、ローラは写経……に限らず、藍円寺へと来るようになった。俺は、それがとても嬉しい。