【5】海外の挨拶(★)





 ――気が付くと俺は、脱衣所の椅子に、バスローブを纏って座っていた。
 あれ? 俺はいつ、お風呂から上がったんだっけ?
 病み上がりだし、のぼせたのか?

 座ってから立ちくらみでもして、意識が曖昧になってしまったのかもしれない。今は意識が清明なのだが、入浴中の事がぼんやりとした記憶しかない。ポカポカと温まった記憶のみだ。まぁ入ったのは間違いない。なにせ、俺が使っているボディソープとは違う香りが、俺の肌から漂っている。薔薇のような甘い香りだった。

 その時、コンコンとノックの音がした。視線を向けると、ローラがひょいと顔を覗かせた。

「あがりました? お部屋に案内しますよ。この家の構造は、一人で歩くと迷いそうですし」
「あ、ああ」

 ローラは優しいなと思いながら、俺は椅子から立ち上がる。そして彼の後に続いて、先ほど目を覚ました部屋へと戻る事になった。帰りの廊下でも黒い靄が至る所に見えたし、見えなくとも感じる「なんか怖い」という印象に溢れていたし――その上人物画の目が動くのを見たが……きっと気のせいだ。ゾゾゾっと背筋を悪寒が走っていくから、俺は怯えを押し殺しながら歩く事になった。

 しかし、ダメだった。部屋に到着する頃には、俺は竦み上がっていた。この家、怖すぎる。呪鏡屋敷よりも、ずっと嫌な気配がする。不思議と肩こりや頭痛は無いが、それはローラがそばにいてくれるからかもしれない。なにせ、俺の天使だ。しかし怖いのは消えてくれない。

「シーツは変えておきましたので」

 部屋に入ってすぐ、ローラが言った。頷いて俺が寝台に座ると、ベッドサイドのテーブルに、飲み物が置いてある事に気付いた。俺はその檸檬水を、有難く飲ませてもらう。同時に恐怖も飲み込んでしまおうとしたが、それは難しかった。ガクガクと体が震えそうになる。

 グラスを起き、俺はローラを見た。ローラは微笑している。

「では、俺は戻りますね」
「っ」

 その言葉が、俺には死刑宣告に思えた。この部屋で、こんなに怖い部屋で、ひと晩一人で過ごすなんて、絶対に無理だ。眠れるはずもない。

「ゆっくり休んでくださいね。おやすみなさい」
「待ってくれ」

 気づくと俺は、立ち去ろうとしたローラの腕の服を付かでいた。

「?」
「あ、いや、その……」

 自分の行動に狼狽えたが、恐怖が強すぎて、ローラの腕を離す気にはなれない。かと言って、ここに一緒にいて欲しいと言うのは恥ずかしすぎる。怖くて眠れないなんて、完全に子供だ。格好悪い。けど、怖い。怖いのだ。

「……その」
「その? 藍円寺さん?」
「ここに……その……」
「どうされたんですか?」

 不思議そうなローラの声を聞きながら、俺は意を決した。そうだ、雑談をしようといって引き止めよう。今ならば会話を頑張れる気がする。話すのは苦手だが、ローラと話したいという思いもあるのだし!

「頼む、一緒に寝てくれ! あ」

 しかし俺は、本心を口走ってしまった。一緒に寝てくれって、一体何だよ、俺……! 雑談をしてくれと言うはずが、恐怖のあまり、間違った。怖くてローラの顔を見られない。絶対に変に思われたはずだ。

 ――正面で、笑う気配がした。

 やはり変に思われたのだろうと、ギュッと目を閉じる。その時だった。

「――それがモノを頼む態度か?」
「!」
「『お願いっ』の、小さい『っ』が大切だって、ちゃんと教えただろ。『そうだろ?』」

 そんな声を聞いた瞬間――俺の意識が曖昧になった。ああ、いつもの夢が始まるらしい。

「目を開けろ、藍円寺。『命令』だ」
「……」

 俺は言われた通りに目を開けて、ぼんやりとローラを見た。すると獰猛に瞳を輝かせて、ローラが俺を見ていた。その後彼は、俺の顎を端正な指先で持ち上げて、俺の顔を覗き込む。

「さっきの続き、しようか」
「うん……」
「どうして欲しい?」

 それを聞いた時、俺の体が勝手に熱を帯びた。脳裏に、ローラに貫かれたいという考えが強く浮かぶ。

「ん」

 しかし俺が答える前に、唇を唇で塞がれた。口腔を嬲られ、俺は必死で息継ぎをする。そうしていると、真新しいシーツの上に、押し倒された。するりとバスローブの帯を解かれ、俺の肌が空気に触れる。

 ローラは俺の右の太ももを持ち上げると、その付け根に吸い付いた。ツキンと鈍い痛みがしたのだが、そこから快楽が流れ込んできた。それは全身に響いていく。漣のように、優しく甘い快感が、俺の体を絡め取る。

「藍円寺は、俺の事が好きか?」
「うん、好き」
「どのくらい好きか、今日も教えてくれ」
「大好き、ぁ……ッ」

 ローラが俺の太ももをなぞるように舌を動かす。そうされると、俺の内股が震えた。ゆるやかに陰茎が持ち上がる。先走りの液が垂れ始めるまでに、そう時間は要しなかった。

「ああっ」

 それからほどなくして、ローラが俺の中に楔を進めた。長く巨大な質量に貫かれた時、俺は背をしならせた。ギチギチに締まっていた内側が、広げられる感覚がする。ゆっくりと、だが、確実に暴かれていく。

 抽挿が始まり、俺は身悶えた。限界まで引き抜かれ、最奥まで突き上げられる内に、幸福感を覚えて、思わずローラに抱きついた。

「あ、ああっ」
「――藍円寺。お前が良くなって、本当にホッとしたよ」
「ぁ、ぁァ」
「もう、風邪なんかひくなよ? 約束してくれ」
「ああ、ン、んンっ、あ、あああ!」

 その後激しく動かれて、俺は果てた。ほぼ同時に、内側でローラも放った気配を感じながら、そのまま俺は眠ってしまったようだった。



 ――翌朝。

 目を覚ました俺は、目を見開いた。隣にローラが寝ていたからだ。

 それを見て俺は思い出した。昨晩俺は、ローラに「一緒に寝てくれ」と口走ってしまったのだ。

 その後いつ寝たのかはよく覚えていないが、ローラは俺の頼みを聞いてくれたのだろう。俺、風邪で体力が落ちていたのかな? 眠る直前の記憶が全然ない。頼んだ所で記憶が途切れている。まぁ、眠ったから忘れてしまったんだろう。

「……」

 俺は起き上がろうとして、思い直した。逆に体を動かさないように気をつける。ローラが俺を抱きしめて、寝息を立てているからだ。起こしてしまったら悪い。しかし、まさかこんな風に抱きしめられているというのは、予想外過ぎた。

 好きな相手の腕の中で、俺は呆然とするしかない。恐らくローラは、無意識に、俺を抱き枕か何かだと勘違いしたのだろう。きっとそうだ。そうに違いないが――俺はローラの顔から目が離せなくなった。

 なにせ、好きな相手が、すぐそばで寝ているのだ。ローラの体温を意識する内に、俺は思わず真っ赤になってしまった。それから――一時間ほど経って、時計が朝の七時を告げても、ローラは起きなかった。俺を抱きしめたまま。

 さすがに腕から抜け出そうかとも思ったが……そこで気づいたら、ローラの腕の力が強すぎて、抱き寄せられたまま俺は動けなかった。物理だ。俺の意思では、どうにもならないと、一時間後に気がついたのである。ローラは力が強いみたいだ。

 そのまま、朝の八時になろうとした頃、ローラがパチリと目を開けた。あんまりにもその起きがけの顔が麗しくて、俺は見惚れそうになった。すると――ローラが目を細めて微笑した。思わず俺の胸が高鳴る。胸がキュンとした。ローラを見ていると、ローラが再び目を伏せ――そして、俺の唇に、唇で触れた。

「!」

 驚いて、俺は硬直した。寝ぼけているのだろうか?

「おはようございます、藍円寺さん」

 しかし続いた声に、起きているらしいと判断する。俺は真っ赤のままだ。

「い、今――」
「今? ああ、朝の挨拶です」
「え?」
「――俺のいた、海外の文化です。キスは朝の挨拶なんですよ」

 再び目を開けたローラが、猫のような瞳を優しげに揺らし、当然だという風に、俺に告げた。な、なんだ。挨拶か。文化の違いか……! 意識して驚いていた自分が恥ずかしい。だけど、俺にとっては、触れるだけではあったが、間違いなく――キスはキスだ。好きな相手とのキスに、内心で舞い上がる。

「そ、そうか」

 しかし平静を装い、そう返した。

 その後俺は、朝食をご馳走になり、いつの間にか洗濯してもらっていた、最初に着てきた服を身に付け、ローラの家を後にした。玄関で、買い物に行くという砂鳥くんに遭遇した時、ローラ達は、一緒に暮らしているんだなぁと漠然と考える。

 帰路では――俺は、唇を思わず片手で覆っていた。キスを思い出して、一人照れながら、俺は藍円寺へと戻ったのである。


◆◇◆


 これが、俺の、お化け屋敷(本物)――こと、ローラの家に、初めて行った時の記憶である。

 ああ……今夜は何が起きるんだろう。けれど、今は隣にローラがいる。だから、怖くないかもしれない。俺は、穏やかな夜が訪れる事を祈りながら、ローラと二人、並んで歩いた。