【24】秋の七草粥(★)




 通常、七草粥といえば、人日の節句――新年の一月七日に食べられる料理である。御伽草子にも出てくる行事食であるが、この新南津市には、独自の文化がある。秋にも七草粥を食べるのだ。

「名前が七草粥というだけで、日本各地の一般的な文化とは全然別物だと思うけどね」

 この日、昼威が御遼神社を訪れると、柳が描かれた椀を置きながら、侑眞が微笑した。首元のネクタイを外しながら、昼威はそれを聞いていた。離れの庵で、この日も卓を挟んで向かい合う。

「ここでは、これが、『秋』という感じもするが」
「そうだねぇ」

 昼威の声に頷くと、珍しく侑眞が開け放っている外を見た。廊下を挟んだ向こうには、菊が咲き誇っている。既に夜更けだが、月明かりの下で、白い菊がよく見えた。遠目には、竹とススキが見える。

「一瞬しかないからね。そろそろ霜が降りる季節だしね」
「秋は、この土地では、ほぼ冬だからな」

 頷きながら、昼威は腰を下ろした。この新南津市にいる間は、多少の霜など秋の風物詩だと感じていたが、一度都会に出たらその印象は変わった。あちらでは、薄氷がバケツに張るなど真冬の出来事となる。

「どうぞ」

 侑眞が一度立ち上がり、昼威の隣に座りなおす。その手から猪口を受け取った昼威は、熱燗が注がれるのを眺めていた。冷ならば辛口が何よりも好きだが、熱燗ならば甘口も良い。そんな風に考えてから、本日の酒の肴を一瞥する。粥の他には、鯛があった。

「去年も、一緒に七草粥を食べたの、先生は覚えてる?」
「そうだったかもしれないな」

 曖昧に昼威は頷いた。過去に何度か一緒に七草粥を食べた記憶があるのだが、この庵で食べた回数は、新南津市へ戻ってきてからであるから、そう多くは無い。

「来年も一緒に食べたいなぁ」
「何か火急の用でも入らない限り、お前が用意してくれたら、食べられるだろう、ここで」

 何気なく昼威が言うと、侑眞が珍しく唇を閉じた。そして月を見上げた。

「それはそうなんだけど」
「どうかしたのか?」
「――今年までは、前の四十九年……先代の玲瓏院結界の保護下に俺達はあったわけじゃないですか」
「ん? ああ、そうだな」

 この新南津市には、妖対策のために、玲瓏院結界と呼ばれる強固な結界が張ってある。それは昼威も幼い頃から、よく覚えさせられてきた。なにせ、前回、結界を張り巡らせたのは、現在の玲瓏院家のご隠居であり、昼威のある種の――こちらの方面での師匠と言える。率直に言って、オカルト現象など認めない昼威は、師匠だとは口が裂けても言わないが、事実は事実だ。

「もうすぐ、構築し直す事になるから――……来年も、今年までと同じように、平穏な夜が来るのか、俺は不安なんです」

 どこか塞ぎ込むような声で、侑眞が言った。それを聞いて、昼威が少しだけ体に力を込めた。過去に一度――この四十九年間の内に一度だけ、玲瓏院結界は、破られかけた事がある。

「……」

 弟の享夜は知らないわけであるが、昼威は知っていた。その時、破れた結界に対応した際に、己の両親は亡くなったのである。他にも、多くの死者が出た。普段平穏に暮らしていられるのは、両親達があの時尽力したからでもあるし、何より結界が保たれているからなのである。もしも新しい結界の構築に失敗したならば、この新南津市が様変わりするのは、明らかだった。仮に成功しても、その結界が盤石なもので無かったならば、侑眞のような立場の人間は、日夜、対処に追われる事になるだろう。

「必ず成功させるだろう、縲さんなら」

 自分とあまり歳が変わらない本家の当主の顔を、昼威は思い出した。力が無いと囁かれているが、それはあくまで噂に過ぎないと昼威は知っている。それに補助するはずの紬もいるのだし、後ろからはご隠居がバックアップするのだろうから、玲瓏院結界の再構築に失敗など、有り得ないだろう。

「俺もそこを疑ってるわけじゃないんです」
「じゃあ、何が不安なんだ?」
「寧ろ、成功した後が怖いんだよね」
「どういう事だ?」
「――力のある妖が、この土地から出られなくなる。それらを一体ずつ潰すにしろ……短期間とは言え、力はそのままに出られなくなっている怪異は、蠱毒の中で、共喰いだけではなく、遠慮なく人も喰べるはずだからね」

 侑眞はどこか遠くを見るような瞳でそう言ってから、そっと昼威の肩に触れた。

「先生なんて、格好の餌じゃないか。僕が仮に妖なら、最初に食べるよ」

 酒を飲んでいた昼威は、咽せそうになった。

「安心しろ、心霊現象など存在しない――が、仮に存在したとしても、俺がその辺の頭痛の原因ごときに、殺られると思うのか?」
「う、うーん……」
「俺よりも自分の心配をしておけ。俺には医師としての仕事があるから、つきっきりでホコリを払ってやるわけにはいかないんだからな」

 昼威が冗談めかして笑うと、侑眞が顔を上げた。
 それから両頬を持ち上げる。

「先生が俺の心配をしてくれるなんて、嬉しすぎる」
「どういう意味だ? 恋人の心配をして、何が悪い?」

 不貞腐れたようにそう告げて、昼威が視線を逸らす。すると侑眞が横から腕を回し、昼威から猪口を取り上げた。されるがままになっていた昼威は、嘆息してから侑眞の瞳を見る。至近距離で目が合う。侑眞の瞳に、自分が映っているのが、昼威には分かった。

「先に、先生としたい」
「……」

 昼威は何も言わなかったが、小さく頷いて答える。
 それからすぐに、二人は隣室に敷いてあった布団の上へと転がった。


「ぁ……ッ」

 性急に体を求められて、昼威が嬌声を押し殺す。いつもよりもどこか焦るような侑眞の手に、シャツを剥かれたのは、つい先ほどの事だ。正面から侑眞を受け入れた昼威は、腕を回して、熱い吐息をつく。

 奥深くまで進んできた侑眞の熱の形を、はっきりと内部で自覚し、昼威は体を無意識にひこうとする。しかし逃さないというように、侑眞が体重をかけるから、身動きが出来ない。

「……ッ、ん……あ、ああっ」

 侑眞が、見つけ出した昼威の感じる場所を突き上げると、昼威の喉から少し掠れた甘い声が漏れた。それに気を良くしたように、侑眞が執拗に腰を動かす。ゆるやかに貫かれ、昼威は喉を反らした。ゾクゾクと快楽が迫り上がってくる。

「あ……う、ァ……ッ」

 ぬめるローションが、侑眞が動く度に卑猥な音を立てる。それが無性に、昼威の羞恥を煽る。こらえたくても漏れてしまう声と水音が、静かな室内に大きく響いている気がするからだ。

「ずっと先生とこうしていたいな」
「……っ、ダメだ」
「どうして?」
「俺はもっと侑眞が欲しい――っ、あ、ああ!」

 昼威が言い終わる前に、侑眞が激しく動き始めた。慌てて昼威は、侑眞の体に回していた腕に力を込める。より深く貫かれて、体が快楽から悲鳴を上げた。

「あ、ああっ……ン……んン! ああっ、うあ、あ、ああああ!」

 そのまま激しく抽挿されて、昼威は放った。ほぼ同時に侑眞も達し、二人の荒い吐息が室内に谺する。

 そうして、その後は二人で布団の上に横になった。雪洞が畳の部屋を薄く照らしている。揃って寝転びながら、二人は顔を見合わせた。

「不思議だな」
「何が?」
「侑眞は何も変わっていないはずなんだが、無駄にその――……別に」

 魅力的に見えるようになったと言いかけて、昼威は顔を背けた。すると侑眞が吐息に笑みをのせる。

「先生は少し変わったかも」
「どんな風に?」
「前よりも可愛く思える」
「やめろ」

 可愛いとは何だと考えて、恥ずかしくなって昼威が目を細める前で、侑眞はただ笑ってるだけだった。そんな秋のある夜だった。