【3】兄







 ゼミの終了後、本日は夏瑪先生の教授室にお邪魔をしようと考えていたら――僕のスマホが音を立てた。画面を見ると、トークアプリで兄から連絡が来ていた。

『ゼミが終わったら、校門まで来い』

 いつもと同じ、命令口調である。僕と兄の絆は、一卵性双生児だから、顔こそ瓜二つなのだが、絆は僕とは異なり、一言で表現するなら、”俺様”だ。

 まぁこの新南津市は、田舎の方言とでもいうのか、比較的乱暴な口調の人が多い。だから誰も咎めないが、僕から見ると、特に絆は酷い。性格的にもだからなのかもしれない。

 同じような口調で、一見すると怖い人物ならば、例えば僕の親戚の藍円寺家の、享夜さんや昼威さんも負けてはいないが、絆は一味違う。兄はプライドが非常に高い。しかしそれを知るのは、近しい者のみだ……。

 返信してから、僕はバスターミナルとは逆方向にある、大学の正門へと向かった。


 すると、人集りが出来ていた……比較的、いつもの事である。

「KIZUNA様……!」
「格好良い……!」

 ざわざわと、そんな声が溢れている。正門の前の黒塗りの車、玲瓏院の車ではなく、マネージャーさんの車の前に立ち、微笑しながら多くの人に囲まれている絆を見て、僕は思わず半眼になった。



 僕はどうかと思う兄の仕事――それは、芸能人である。



 絆は、『KIZUNA』という名前で、高校生の頃からモデルを始め、卒業を契機に、本格的に芸能人になった。本人は俳優志望らしいが、いわゆる『オカルトタレント』として、絆は心霊系のバラエティ(?)番組に、引っ張りだこである。

 キャラ作りだそうで、柔和に笑っている現在も含めて、兄は普段、とっても猫をかぶっている。なんだかなぁ……極悪な性格がバレたら、きっと週刊誌にすっぱ抜かれる事だろう。いいや、そこまでは売れていないから、パパラッチも追いかけないかな?

 そう考えつつ、僕は兄の元へと向かった。


 すると兄は、僕に声をかけてから、周囲に手をふり、先に車へと乗り込んだ。
 続いて僕が中へと入り、扉を閉める。

 すると後部座席で、絆がそれまでとは異なる無愛想な表情になり、僕を一瞥した。
 腕と足を組んでいる兄を、僕も同様に見る。
 目が合うと、溜息をつかれた。

「相変わらず、紬は霊能力が高すぎて、浮遊霊のひとつも寄せ付けていなくて尊敬する」

 ……。
 兄の言葉に、僕は俯いた。僕には、そんな自覚はない。
 そもそも、浮遊霊なる存在が、この世にいるとは考えていない。

 だが、絆は『視える』らしい。幽霊が。僕は、藍円寺の昼威さんが経営している心療内科へ行くべきだと思うが――この土地では、絆の方が正しいらしい。だったら、視えるのだし、オカルトの代表格である玲瓏院は、兄が跡継ぎになったら良いと思うのに、絆はいつも首を振る。

 芸能活動ができなくなるから、ではない。
 兄いわく、力が強い僕こそが相応しい、らしい。
 これは周囲の家族も、同じ意見だ。

 いやいやいや。ありえない。だって、僕は何も視えないし、感じないし、そもそも幽霊なんかいないと思っているのだから。

「実は、次のロケ現場なんだけどな……夏に放送される心霊特番用の撮影現場。俺には難易度が高すぎてな。紬なんかに頼むのは、心から嫌だ、が――そ、そ、その。一緒に来て、浄霊を頼みたいんだ……」

 絆の声に、僕は遠い目をして、なんとか口元にだけ、笑みを形作った。

「具体的には、僕は何をしたら良いの?」

 僕が尋ねると、兄が腕を組んだ。一般的な私服の僕とは異なり、洒落た服装である。

「い、いつもの通り、お前はそこにいてくれたら、それで良い。紬がいるだけで、勝手に消えていくからな。お前は、歩く心霊現象掃除機だ」 

 溜息をこらえつつ、僕は頷いておいた。

「よろしくね」

 聞いていたらしい、絆のマネージャーの相坂さんが、信号で停止した時、僕に振り返ってそう言った。美人のお姉さんだ。目の保養だから、僕は彼女の言葉を断る事が出来ない。数少ない、僕に優しい女性だ。



 その日は、そのままロケ現場に連れて行かれ、視えるという絆の……台本を暗記したものなのか、僕には事実なのか不明なセリフの数々を聞いた。そして、絆が実際にロケ現場に足を踏み入れる前に、僕は中へと入り、適当に歩いて回った。それから絆に合流すると、安堵したように兄が吐息した。

「良かった。俺では、あの状態の中はとても歩けなかったからな。これで安心して撮影ができる。完璧な浄霊だった」

 そんな事を言われても、僕はただ、廃墟を徘徊してまわっただけのような気分だ。
 お散歩に等しい。

 こうして、僕はその後、他の待機スタッフさん達と一緒に、何の変哲もないロケ現場の各地で、神妙な顔をしながらお経を唱える絆の姿を、カメラ越しに見守った。

 比較的これも、僕にとってはよくある日常だ。

 ――この日までの僕は、今後もこんな生活が続くのだと、漠然と信じていたものである。