【3】不甲斐なさすぎる。






 本日は、朝から紬が、藍円寺に出かけている。祖父の話によると、呪鏡屋敷への結界再構築で用いる法具の準備を手伝いに出かけたらしかった。日中は本日も心霊現象関連の特番の撮影をし、帰宅してからは不甲斐ない思いで、俺は紬の帰りを待っていた。紬が帰ってきたのは、夜も更けてからの事である。

「どうかしたの? 今日は、撮影は? ついに仕事が無くなったの?」

 靴を脱ぎながら、紬が失礼な事を言う。俺はムッとした。

「――残念ながら、今日も俺は、夏の特番の収録があった。そっちの路線で行きたいわけじゃないが、夏は稼ぎ時だからな。仕方がない。これも、下積みの辛抱だと信じる」
「頑張ってね」
「あ、いや、そうじゃない。違う、その多忙な俺が、わざわざ待っていてやったんだ。有難く思え」

 適当に流されそうになったので、俺は慌てた。きちんと用件を伝えなければ。
 並んでリビングへと向かってから、俺は紬を見た。すると目が合った。

「ところで、僕を待っていたって、何か用?」
「――享夜の所へ行ってきたんだろう?」
「うん、まぁ」

 それを聞いて、俺は溜息をつきそうになった。藍円寺享夜(アイエンジキョウヤ)は、俺にとって一応は兄のような存在である。昔から俺は、享夜に構ってもらった。お世話にもなっていると思う。それが今回は、恩を仇で返すような形だ。

「俺にも責任があるから、申し訳ないと思ってな」
「絆に責任?」
「ああ。俺のライバルタレントが、ロケにさえ行かなければ、例の『呪鏡屋敷』には、玲瓏院で堂々と結界構築に向かえたわけだからな」

 俺はなるべく平静を装い、そう告げた。紬は野菜ジュースを冷蔵庫から取り出している。俺は牛乳を取り出した。

「絆」
「気にするなと言ってくれるのか?」

 弟の優しい慰めを、俺は多分期待していた。

「ううん、そうじゃなくて」
「いや、言えよ。俺もそれなりに責任を……」
「ええとね、その方向じゃなくて、別の事を気にしなくていいよ」
「どういう意味だ? 享夜がそう言っていたという事か?」
「違う。絆は売れてないから、ライバルなんていないし、気にしなくていいと思うよ」

 俺は咽せた。牛乳を吹くかと思った。

「俺はこれでも、秋には連ドラの出演も決まっているんだぞ。この前撮影が終わった所だ」
「何回出るの?」
「五回」
「何役?」
「――ヒロインの大学の同級生だ」
「役の名前は?」
「……通行人C」

 明らかに紬が吹き出すのをこらえていた。通行人役だって重要だと思うのだが。イラっとしつつ、俺はソファに移動した。紬の正面に座る。

「じゃあライバルっていうのは、通行人BかD?」

 その言葉に、俺は思わず紬を睨んだ。

「違う。売れていないオカルトタレントだ」
「絆以外にも、オカルトを売りにしている人なんているの? この時代に?」
「――ああ。兼貞遥斗」

 すると紬が目を見開いた。呆気にとられた顔をしている。

「その人知ってる。僕がいつも読んでる雑誌の読モで、そこのグランプリを取ってさ、すごいよね! 僕の憧れのコーディネートをいつもしてるんだ。すごいモデルで、めっちゃイケメンだと思ってたら、やっぱねぇ、デビューしたよね! 中学時代から読んでいたから、僕は嬉しかったよ」

 それはその通りなのだが、俺は思わず目を据わらせた。

「……俺は、そのライバル誌の正式なモデルをしていたが?」
「うん。でもほら、僕と絆は服の方向性が違うから」
「まぁな。顔が同じだから、服ぐらいでは、個性を出さないとな」

 ……複雑な心境ではあるが、これは普段からそう思っている。俺と紬は、本当に顔面造形は同一と言って良いのだ。

「だけど安心した。あの人、春にもドラマの準主役ポジだったし、確かこの夏には、出演映画が公開だってネットの広告で見たし、秋には初の主役のドラマがやるんじゃないっけ? 二時間ドラマらしいけど。全然、微塵も、欠片も、まったくもって、絆のライバルポイント、無いよ。ゼロ! 良かったね、安心しなよ」

 思わず俺は、その言葉に、牛乳パックを叩きつけるようにテーブルに置いた。

「違う。聞け。あいつは、俺から見ると足元にも及ばない霊能力を売りにしているんだ」
「へぇ。知らなかった」
「――それで、夏のバラエティの収録で、例の呪鏡屋敷に行ったらしい。そこで、無駄に結界を破壊したそうだ。元々、先んじて近隣住民が呪符を剥がしていたらしいんだが、決定打を与えたのは、やつだ。兼貞だ」
「ふぅん。だけど、それがどうして、絆に関係があるの?」

 純粋に疑問そうな紬を見てから、俺は思わず俯いた。

「……冬に、新しい映画の撮影が入っている」
「おめでとう。通行人Aとか?」
「ち、違う! 初めての――その、主演なんだ」
「え!? すごい!」
「だが……W主演もので、そ、その……もう一人の主演が、兼貞なんだ」

 心底ここまでの流れを思い出して嫌気が差しつつ、俺は答えた。

「あんなに人気の、若手ナンバーワン的な存在と一緒に出られるなんて、すごいじゃん!」

 それは事実であるが、本当に癇に障る。

「……あのな、俺も一応、若手の中では、そこそこの成績を出している。本来、俺とアイツが共演する事などありえない」
「そうなの?」
「そうなんだ。俺の事務所は別にNGを出してはいないが、特に兼貞の事務所はその辺にもうるさい。兼貞が出る番組には、アイツと同年代の俳優や顔がいい男芸人は出ない」
「へぇ」
「それが――今回は、先方が、どうしても俺にと言ってきたんだ」
「……それ、実力が認められた、とか?」

 紬が首を捻っている。俺はそれを見て目を細めた。
 そうであったならば、どんなに良かった事か。首を振るしかない。

「一応、制作会社やスポンサーの希望だとは言われたが、建前だろうな。何せ、その話を持ってきた時に、向こうの事務所の社長がわざわざやってきて、俺に、『呪鏡屋敷にはノータッチでお願いしますね』と言っていたからな……」

 俺が言うと、紬が何度か頷いた。

「つまり、変な揉め事を起こして、絆の仕事が潰れないようにっていう配慮かぁ」
「ああ……」
「まぁきっと、享夜さんがどうにかしてくれるよ。だって、絆と違って、オカルトが売りっていうか、それが本職の人だしね」

 その言葉に、俺は頷くしかなかった。享夜には本当に申し訳ないが、頼る以外の選択肢が無い。こうして夜が更けていった。