【19】体の統制権(☆)






「絆から離れろ!」

 轟音がしたのはその時だった。俺は涙で濡れた瞳を、扉の方へと向けた。するとヒビが入り、グシャグシャに歪んだ扉が見えた。どう考えても鉄で出来ていたように見える重い扉が、交通事故現場かのように歪んでいる。それは、俺が泣いているため、そう見えるわけではなかった。

 荻門司達をはじめとした周囲に動揺が広がっている。
 俺はそれらよりも、扉から入ってきて、こちらへ走ってくる兼貞を見て、目を瞠っていた。

「絆! 大丈夫か――なんていうのは、愚問だな」

 拳を持ち上げ、ギリリと握った兼貞は、顎を小さく持ち上げ、荻門司達を睨んでいる。長身だから、無駄に迫力がある、なんて考えたのは、多分俺の中の現実逃避だったんだと思う。

「――これはこれは、兼貞君。ここへ、何をしに?」
「は?」
「こちらは『穏便』な『契約』の最中なのだがね?」
「お悪い噂は、かねがね。最近は女子相手の悪辣な手口が収まっていたとして、皆警戒を緩めていたようですが――こういう事ですか、へぇ、嗜好替えですか? 荻門司専務」
「君は私の好みでないのが残念だが、出て行ってくれたまえ。君には、邪魔をする権利がないだろう、絆の選んだ選択肢の」

 俺は、こんなの望んでいない。そう思ったら、ボロボロと涙が溢れてしまった。兼貞はそんな俺を一瞥した。見られたくなくて、俺はギュッと目を閉じる。

 ――ガンと音がしたのは、その時だった。

 思わず目を開けると、兼貞が荻門司を殴り飛ばしていて、荻門司が床に尻餅をついた所だった。俺が見ている前で、周囲の他の人間を、兼貞が全て気絶させた。そして最後に、再び荻門司に歩み寄ると、拳を持ち上げた。

「な……な、暴力は犯罪だ。私にこんな事をしてただで済むと思っているのかね?」
「逆に問う。どう済まないと言うつもりなんだよ?」
「すぐに警察に――」
「行けばいいだろ。枕営業を迫ってボコられましたってか?」
「っ」
「証拠映像は自分で撮ってた馬鹿がいるようだけどな」
「しかし過剰防衛で……っ、それに、社会的な死をいくらでも用意してやる。一俳優ごときが私に逆らえると本気で――」

 荻門司がそう言いかけた瞬間、問答無用で兼貞が、荻門司の首元を左手で握り締め、右手の拳で顔を殴った。

「好きにしろ。俺はどうなったって構わない。絆を守れるならば、それで良い」

 俺が過去に見た事の無い冷徹な瞳をしている兼貞は、うっすらと唇の両端を持ち上げていた。ゾクっとするような、背筋が凍りつくような表情だ。瞳孔が開いているかのような錯覚に陥る。俺は、思った。このままでは、兼貞は、荻門司を殺してしまう。

「かね……さだ」
「っ、絆」
「大丈夫だから、ぁ……っ、もうやめ」
「……チッ」

 兼貞は舌打ちすると、荻門司の首筋に手刀を叩き込んだ。そして俺に振り返り、足早に近づいて来ると、まず手の拘束から解放してくれた。同時に首輪も取れる。支えるものがなくなった俺の体がぐらついた時、兼貞が俺を抱きとめた。

 すると――瞬時に俺は、体の熱を思い出した。

「ぁ、ぁ、ァ……っ、うあああああああああ」
「絆?」
「熱い、ぁ、熱い……んン、ぅ……あ、あ……ああああああああああ、も、もうダメだ、ア」

 俺を優しく兼貞が抱きしめた瞬間、腰骨が蕩けた。

「あ、あ、ヤだ。や、嫌、ぁ……ああああ、熱い。熱い……っ」

 兼貞の胸元の服を、かろうじて自由になる両手の指でギュッと握り締め、俺は号泣した。自分の涙の感触にすら、吐息にすら、感じ入ってしまう。

「絆、すぐに病院に――」

 それを聞いて、俺は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、咄嗟に首を振った。半ば無意識だった。

「それは、やめてくれ……ぅァ、あ」
「絆?」
「家族にバレ……相坂さんにも、事務所にも、や、ぁ……だ、大丈夫だから……っ、うあああああああああああ」

 俺が大丈夫だと言おうとした瞬間、兼貞が俺の首筋に吸い付いた。ツキンと疼いたその衝撃で、俺は射精した。必死で息をしながら、兼貞の腕に倒れこむ。

「あ、あ、なんで。なんで、あああああ」

 確かに出した。なのに、体の熱が引かない。どころか、更に酷くなった。

「もうやだぁ、兼貞、兼貞、助けて、あ、あ」
「――っく、あのな……――分かった。絆の意思は、尊重したい。はっきり言って馬鹿な子が馬鹿な事をまた言い出したと思って、ちょっと呆れ気味だけど、それは分かれ。俺にも限界がある。ただ、今回に限って言うなら、絆は何も悪くない。もうちょっと我慢できるか?」
「ぁ、は」
「――辛そうだな。絆、一時的に、俺の気を流し込んで、お前の体の統制権をもらう。決して悪いようにはしない」

 兼貞はそう言うと、深々と俺に口づけた。瞬間、俺の頭は焼き切れたように真っ白になり、それからの事は、何も覚えていない。