【25】食事







 用意されていたのは、ほぼ白に近い桜色の薄手の和服だった。かなり薄手だが、室内が暖かいので、寒さはない。しかし不思議な部屋だった。和室であっても、電気や空調が玲瓏院では仏間以外には完備されているが、ここにはそれらが無い。客間だというのが、そもそもの勘違いだった可能性がある。なのに室温が暖かいのは、よく見れば、部屋の四方に結界があって、そこからなんらかの術が発せられているからのようだった。明かりは窓から差し込むばかりだが、四方の燭台で夜は灯りを取るのだろうか?

 着替えた俺は、それから天井を見上げた。黒い。窓も無い。唯一の出入口が襖で、その向こうは一段低くなっていて、囲炉裏がある部屋に繋がっていた事を思い出す。俺が案内されたこの邸宅の北側は、和風だったから、外観とその他は増改築されたのではないかと考えた。なんだか、俺がいる付近は、本当に昔からありそうな印象を受ける。

 ロケの疲労もあり、俺は布団に寝転がった。
 現在、午後四時半。
 夕食は、案内してもらっている最中に、七時だと聞いた。

 兼貞は何やら準備があると言っていたから、それまで俺は一人という事か。無駄に眠いし、夜更かしもしないとならないようだから、少し休もうか。そんな風に考えていたら、すぐに俺は微睡んだ。


「――な。絆」
「ン」

 声をかけられ、俺は優しく揺り起こされた。眠い目を開けると、そこには微苦笑している兼貞の姿があった。

「そろそろ、夕食」
「ああ……悪い、寝ちゃって」
「寝かせておくか迷ったけど、きちんと食べないと体力がな」
「ん」

 頷き俺は起き上がった。すると兼貞が柔らかく笑った。
 少し乱れていた着物を俺は直す。兼貞は、その間に、使用人に声をかけに行った。

 そして仮面をつけた和装の使用人さん達が、俺の部屋に、俺と兼貞の分のお膳を運んできた。さすがは料理人がいると話していただけあり、料亭も真っ青のごちそうが並んでいた。言っては悪いがロケで使ったホテルのシェフの料理が完敗としかいえない見た目と味で、俺は手を合わせて一口食べた瞬間から目を見開いていた。

 玲瓏院のシェフの腕前も凄いと俺は思うが、ちょっと兼貞家のお料理は凄かった。

「美味っ……すごいなぁ、この煮つけ」
「うん。俺も好き。たまにしか帰省しないから、いつも腕をふるってくれるんだよな。俺の好物ばっかりだ」
「これは好きになるの、分かる」

 そんなやりとりをしながら、俺達は食事を楽しんだ。なお、ホテルを出る前にシャワーは浴びたが、俺はお風呂を借りるつもりだった。そこで食事が一段落した所で聞いた。

「なぁ、お風呂――」
「今日は儀式が終わるまで入らないでもらう。結界で清浄に保っているから平気だよ」
「うん、そうか」

 俺は部屋の四方をちらちらと見てから、やはり不思議と明るい室内で――少し身を固くした。窓がないから外の空の色は分からないが、この部屋にいると、時間の感覚がマヒしそうになる。夕食が七時だったはずで、腕時計はゆっくり食べていたのもあるが、既に九時近い時刻を指している。だが、まるで昼間のように明るく感じる。

「灯りも結界で取るのか?」
「儀式の時は、蝋燭の火だけになるけどな、それも鬼火だ」
「そ、そうか」

 さらっと怖い事を聞いた気がした。俺は本当に視えるだけなので、兼貞のようにさらりと言われても困る。紬にした所で無自覚に歩いているだけであるし、例えば昼威さんくらいだろうが、あの人は儀式や呪文などめったに用いない。しいていうなら享夜が一番それらしい所作で除霊などをしているといえる。

「丑三つ時というと、あと六時間くらいあるな」
「日付が変わったら、準備を始めるとして――確かにまだまだ時間があるな。あと三時間くらいは始められない」
「暇だな」
「俺は絆の隣にいたら退屈しないけど?」
「っ……だ、だったら! 俺を楽しませてくれ。俺の事も退屈させないように」
「絆、顔赤い」
「煩い!」

 そんなやりとりをしていると、使用人さんが数名でお膳を下げに来た。俺は天使の上辺を慌てて顔に張り付ける。しかし特に何を話すでもなく、使用人の人々は下がっていった。

 その後、改めて俺は兼貞を見た。
 気になる事があったからだ。

「な、なぁ、兼貞」
「ん? どうかしたか?」
「お前、本当に俺の事が好きなのか?」
「とっくに気づいていると思ってたし、俺としては何度も告白したつもりなんだけどな。特にさっきなんてはっきりと」
「――それは、俺の気を食べ物として好きというのとは違うのか?」

 純粋なる疑問でもあったが、俺は先程の告白の言葉を完全に引きずっていた。今度こそ、俺も自分の気持ちを伝えておこうと思ったからだ。

「順序が逆だ。好きだから喰らいたいと思うんだよ、全てを。それは、ただの味見とは違う」

 兼貞は、食後のお茶を片手に持って、俺を見ている。

「砕果島の時は、ただの味見か?」
「絆」
「な、なんだ?」

 なんだか咎めるような拗ねるような言い方をしてしまった気がして、俺は自分に狼狽えた。

「味見する場合、最後に気をこちらから流し込んで記憶自体操作可能だから」
「――え?」
「俺は絆に意識してほしかったし、忘れられたくなかった」
「な」
「それまで道ですれ違う度に何度話しかけても流されていたから、実力行使したと言っても問題ゼロだな」
「!」

 兼貞が綺麗な笑顔を浮かべた。俺の胸がドクンとした。その内、気づいたら鼓動の音がどんどん激しくなり始めた。意識だと? そんなのずっとしていた! 違う意味だけどな! でも、でも、今のこの胸のドクンに関しては、どう伝えたら良いんだろう?

 言葉が見つからない。
 俺は演技は得意だと自負しているが、本心を吐露するのは、あんまり得意じゃない……。紬にはよく『素直じゃない』と評価される。残念ながらそれは事実だ。

「ちょ、調子が良い事を言ってるだけじゃないんだろうな?」
「どうして?」
「……」

 例えば、だ。本当に俺程度でおいしそうだと思うのならば、紬に会わせたら……そう思うと胸がズキリと痛む。外見だけなら、俺と紬は同じなのだし、あちらはより美味しそうに映るはずであり……。

「俺の気持ちが信じられない?」
「そりゃあ……まぁな。何度も言うけど、俺はそもそも同性愛っていうのが頭の中にほとんどないっていうか……」
「儀式が終わったら、思う存分信じさせるって約束する」
「どうやって?」
「どうやろうかな」
「おい。ノープランかよ!」

 俺が半眼になると、兼貞がクスクスと笑った。
 だが、このような雑談も、楽しい。気づけばすぐに、九時、十時、と、時は経過し、十一時を過ぎた所で、兼貞が立ち上がった。

「式神紐の用意をしてくる。十二時頃、戻ったら開始だ」
「そ、そうか」
「なぁ絆」
「なんだ?」
「俺はお前が大切なんだ。それだけが、俺の本心だよ」

 兼貞はそう言うと出ていった。そして数時間も雑談をしていたというのに、俺は今回もまた、己の気持ちを告げるタイミングを見つけられなかったのだった……。