【34】紬の恋人
「ねぇ、絆」
紬に呼び止められたのは、一月も終わりに近づいた頃だった。
「なんだ?」
「今日はお休み?」
「ああ……なんだよ、改まって。いつもなら、『仕事を干されたの?』とかいう癖に」
「っ、そ、その……紹介したい人がいて……」
「!! ……か、火朽くんか? 前に一度会った、そ、そ、その、お前のその、あの、えっと……だからー! あれだー! こ、恋……恋び……」
俺は動揺した。飲んでいた牛乳のパックを握りつぶしそうになった。しかも最後まで言えなかった上、噛み噛みになってしまった……。役者失格だ。オーディションならまず落ちた。
「う、うん。今、門の外までついたらしいから、迎えに行ってくる」
「急だな!?」
焦りながらも俺は頷いた。すると真剣な顔で頷いてから、絆が外へと出ていった。俺はド緊張しながら、二人が戻ってきたら出すべく、リビングのテーブルの上に、紅茶を淹れるセットの用意をした。緑茶と迷ったが、天使の上辺を駆使するアイテム的に、俺は紅茶をチョイスした。紬の一大事である。兄として、しっかりと見極めなければ……!
その後少しして、紬が青年を伴って戻ってきた。じっくりと見る。やっぱり俺と同じくらいイケメンだ。つまり、紬と並んで立っていても、遜色はない。二人とも服装の方向は、兼貞と一緒だ。俺は立ちあがり、天使の笑みを取り繕った。
「改めまして、絆です」
「――ご無沙汰しております。火朽と申します」
柔和な微笑が返ってきた。完璧すぎて作り笑いには見えない。そしてやはり、何故なのか人間らしすぎるほど人間らしい気配がする。霊能力が微塵もない人間というのは少ないのだが……そういう部類なのだろうかと、首を捻りそうになった。
「どうぞお座りください」
「うん、火朽くん、座って」
「有難うございます」
こうして俺達は三人で座った。ソファに紬と火朽くん、テーブルをはさんで正面に俺が座り、紅茶は俺が淹れた。火朽くんが手土産に、マフィンをくれた。絢樫Cafeというシールが貼られた箱に入っていた。
カップを三つ並べ、持ってきた皿にマフィンを載せる。それから俺は、改めて火朽くんを見た。見た感じでは、非常に良い感じの優しそうなイケメンである。だが、人間は上辺ではないと、俺自身が証明している。
「所で」
俺は切り出す事にした。多分、言い方は、縲そっくりだったと思う。
「紬がお世話になっているとか。率直に言えば、お付合いしていると聞いております」
俺は努めてにこやかに述べたが、膝の上でギュッと手は握っていたし、多分目は笑っていなかったと思う。半分くらいは、紬に変な虫がついたと思っていた。ただ残りの半分くらいは、紬には幸せになって欲しいので、幸せはなるべく壊したくない――水を差したくないという想いだった。
「ええ。僕は紬くんと、恋人としてお付合いさせて頂いております」
あっさりと火朽くんは認めた。俺はチラッと絆を見る。こちらは頬を桃色に染めて照れているだけだ。俺には伝えていると事前に話していたように思える。
「……紬の何処を好きになったんですか?」
顔、地位、家柄――そういったものなら、論外だ。仮にきっかけがそれらだとしても、紬自身をきちんと今、見てくれる相手でなければ、兄として認める気にはならない。
「存在です」
「そ、そうですか」
大きく出たな……!
「具体的には?」
「趣味が合うのに、性格が正反対なところでしょうか。ただ不思議と非常に気が合います」
「性格が反対……?」
俺はカップに手を伸ばしながら、小首を傾げた。
「とすると、火朽くんは――とても押しに強く、流されにくく、下ネタに耐性があり、社交的かつ人には低姿勢あるいは丁寧に映るという事ですか?」
率直に俺は尋ねた。紬が性格を偽っているとは思わないが、火朽くんが本質を見誤っている可能性を考えた。
「さすがはお兄様ですね、完全に絆さんの仰る通りです。まさにそれは、僕の性格です」
「っぶ」
俺は飲みかけていた紅茶で咽た。耳と目を疑い、呆気にとられながら火朽くんを見る。先程までと変わらぬ笑顔だ。冗談を言っているようには見えない。
「つ、紬? そうなのか?」
「うん。火朽くんはとっても優しいけど、だいたい当たってる気がする。でも、そういう所も好きなんだ。僕を引っ張ってくれるというか」
「僕も僕自身が好きです。そして同じくらい、いいえ、それ以上に紬くんを大切に感じています。率直に言って、愛しています」
以後――この日、日が暮れるまでの間、俺は二人の惚気を聞かせられた。
「はぁ……」
翌日は、昨年撮影が終わった映画の番宣のための打ち合わせだった。そこで久しぶりにメンバーと顔を合わせた後、俺は思わず溜息をついた。すると隣に立っていた兼貞が不思議そうに俺を見た。本日もタクシーで、兼貞のマンションに行く予定である。
「どうかしたのか? 浮かない顔をして」
「……ちょっとな」
「悩みがあるなら話してくれ、何でも聞くけど?」
兼貞の言葉に、俺は少し迷ったが、胸がちょっと暖かくなったので、小さく頷いて答えた。
「実は、弟に恋人が出来たんだ。いや、俺より先に出来たんだけど」
「へぇ。それで?」
「その……相手は男なんだ」
「ほう」
「……しかも、押しが強いというんだ。弟は、流されやすいんだ。紹介されてみていた感じ、本当に相思相愛だとは思う。でも、押し流されて騙されているんじゃないかと不安で……俺には、よく分からなかったんだ。悪い人では無さそうだったんだけど」
「心配なんだ?」
「……うん」
素直に俺が頷くと、ポンと俺の頭を、兼貞が叩くように撫でた。兼貞の青いマフラーが冬の風で揺れている。
「心配なら、俺も一緒に、その相手を見てやろうか?」
「一緒に?」
「ああ。不審人物かどうかくらいは、俺にも分かる」
「どうすれば分かるんだ?」
「悪人というのは、『気』も歪むから、見れば分かる。人喰い鬼の力だよ」
それを聞いて、俺は目を丸くした。確かに、それならば信憑性がある。
「それじゃあ今度セッティングする。あ、でも――……っ、や、やっぱりいい」
頷こうとして、俺は慌てて顔を背けた。俺が一人で火朽くんを呼び出すのは不可能だ。かといって、紬と兼貞を会わせるのは、危険だ。俺がフラれてしまうかもしれない。
「なんで?」
「……」
「絆?」
「……いいから」
「絆。何考えたか、教えて?」
「べ、別に」
「――教えてくれないと、ここでキスするけど」
俺は思わず息を呑んだ。そして周囲を見渡し、赤面しながら小声で言った。
「弟は、俺よりずっと霊能力が強いんだ。お前に食べられたら困る! べ、別に俺は、お前に振られるのが怖いわけじゃないからな! 紬の心配をしているだけだ!!」
「へぇ。俺に振られるのが怖かったんだ。ふぅん」
兼貞がニヤっとしてから、短く吹き出した。
「絆、本当可愛いな」
「な」
「俺が食べたいのは、絆だけだよ」
「分からないだろ」
「何回も言ったと思うけど? 好きだから、美味しそうだと思ったって」
「でも、記憶を消して、ほかの相手も食べてきたんだろ? 紬を食べて記憶を消す気かもしれない!! お、俺は、その心配をしてるだけだからな!」
「酷いな。傷ついた」
「っ」
「俺がそんな奴に見える?」
「……悪い、見えない」
「素直かよ。本当可愛い……はぁ。絆、安心していい。本当に、俺はお前からしか喰べないから大丈夫だ」
そんなやりとりをしていると、タクシーがやってきた。渋滞に巻き込まれて遅くなっていたらしい。
「本当か?」
「ああ。だから安心して、紹介してくれ。弟の事も、その彼氏の事も」
兼貞の言葉に、俺は改めて小さく頷いた。
そしてこの日はマンションに、泊まらせてもらった。気を食べられすぎて、腰から力が抜けて、歩けなくなってしまった結果であり、悪いのは兼貞である。