【1】対抗策の検討






「っく……」

 霞む目を開けると、正面には車のウィンドウがあった。

「縲……大丈夫?」

 運転席にいるのが朝儀だと、そこでやっと縲は気が付いた。

「いや、だめそうだよね。ブラックベリー博士に発砲するって」
「……曖昧になってた。本能しかなかったよ、『吸血鬼は殺さなきゃ』っていう」
「ん、ね。冷静さを欠きすぎ。俺もさすがに弟を撃たれたら平静じゃないからね?」
「でも吸血鬼を庇う人間なんて――」
「縲。冷静に」
「っ」
「ここは日本だ。何を見てるの、君は」
「……」
「まず自分の事を考えな」

 珍しく諭すような朝儀の声に、熱い体を両腕で抱きしめながら、縲は涙ぐむ。

「――っ、冷静になって話すとするのならば、今俺が呼吸できてるのは、夏瑪教授が刻印を通して、俺に力を供与し、動けるようにしてくれているからだね」
「それはなんのため?」
「玲瓏院結界から、自分を逃がすほころびを作れという意味だろうね」
「ならばそれをおとりにすればいい。さも綻ばせるように見せて、そこにおびき出せば?」
「……」
「違うの? 僕はそれが効率的だと思うけど」

 朝儀の言葉は尤もだ。それは縲にも理解できる。

「おびき出した後どうすればいいの?」
「今、つらいんでしょう? 僕だったら解消してもらうけど」
「死んでも断るよ。こんな、こんなの……っ、ぁ……」
「でも、縲がこのままじゃ死んじゃうんでしょう?」
「だけど、ッ! 俺がエクソシストとしての力を失って働けなくなったら、子供達に借金を背負わせる」

 縲が唇を噛んだ。それを一瞥した朝儀は、車を発進させながら嘆息する。
 朝儀だって内心では、斗望に借金を背負わせるような事は絶対にしたくないとは思っている。だから無言になったのだろうと、縲にも理解ができた。けれど熱い体への苛立ちが強すぎて、そこから生まれる怒りのせいで、理性が全く働かない。

「結界の綻びは、さ。玲瓏院家の血統の許しがあれば――当主の許可があれば、抜けられる特別な抜け道の事だよね? 即ち玲瓏院の寺院の地下の最下層にある結界の要石に関連してるんだよね?」

 気を取り直したように朝儀が述べると、縲がより強く両腕で体を抱いた。

「だったら何?」
「そこに夏瑪夜明をおびき出すべきだと、俺は繰り返してるだけだよ?」
「そんな危険な事はできない。暗示を強められたら、俺は強制的に許可を与えるように動かされて――きっと喰い殺される。吸血鬼というのは、そういう存在なんだから」
「俺が一緒に行って、倒すよ」
「……朝儀が単独で勝てるなら、そんな相手なら、そもそも俺が噛まれる事は無かった」
「確かに縲は強いけど、俺だってそこそこ――……まぁ、一人では無理だとしても、彼方さんに協力してもらうとかさぁ」
「御遼神社の関連の赤の他人を、要石の間に招くなんて不可能だ」
「じゃあ昼威……は、ちょっと無理かなぁ。あの子、なんだかんだで優しいし。戦闘経験も、俺達みたいにあるわけではないしね。ただ、そうだなぁ。赤の他人という部分で非常に困難だし、縲が決して同意しないだろうけれど、一つ俺としては戦力は思いつくんだよね」
「なに、それ?」
「――絢樫さん。ローラ。ブラックベリー博士。彼なら、夏瑪よりずっと強い。その上、亨夜の言うことなら何でも聞いてくれるし。倒せるとは思うよ」
「協力してくれるわけがないし、ブラックベリー博士は『迂闊に動くな』と言っていた。実際、刻印は解消できない。なにか、僕側で夏瑪に命じて、常に刻印に力を供給させるようにしないとならないという事でもある」
「つまり、対話?」
「いいや、脅迫かな」
「ネタは?」
「――ねぇ、朝儀。実際には、僕はあいつを倒せるならば、命は惜しくない。借金を子供達に遺す事だけがネックで、そうでなければ相打ちになる覚悟があるよ」
「うーん」

 赤信号で停止したその時、チラリと朝儀が縲を見た。
 縲の眼差しは非常に険しい。本気だというのが伝わってくる。

「だったら、俺なら、ご隠居を説得して、紬くん達には背負わせないよう交渉して、自爆するかも」
「……そうだね。それが一番、いいと俺も思ってる」
「だったら行き先は、玲瓏院本家でいい?」
「勿論」

 こうして車は右折し、玲瓏院家へと向かった。坂道を上った先にある三角形の屋根、古めかしくも威厳のある家屋。停車後、二人は玄関を通り抜けた。

「どうじゃった?」

 すると統真が自ら出迎えた。奥の居間からは、斗望と芹架の声が響いてくる。

「お話があります」

 縲が切り出すと、頷いた統真が、奥の自室へと二人を通した。

「――という事情です。借金をなんとか」

 端的に縲が事情を説明すると、統真が目を眇めた。

「儂とて孫は可愛い。肩代わり自体は検討しても構わぬ。ただ、相打ち? 鬼を相手に玲瓏院の当主が負けるというのは、面白くない話じゃなぁ」
「しかし、刻印をされた以上は――」
「使役すればよい」
「俺もそれは考えましたが、方法がない。吸血鬼を使役するなんて例、聞いたことがない」

 縲が述べると、統真が虚空を見据えてから、右の口角を持ち上げた。
 そして用意していたらしい、黒い漆塗りの箱を、テーブルの上で縲の方へと差し出す。

「あけてみよ」
「これは?」
「古文書じゃ。過去、玲瓏院の血脈は、鬼を使役した例がある。それに倣えばよい」
「っ」

 驚いたように目を見開き、縲がそれを手に取る。そして開いた。そこに記された独自の経文と印を目にした縲は、眉間にしわを刻む。それからチラリと、箱の中の数珠を見た。

「本当に、これには効果が?」
「どのみち無策であるのならば、試す価値はあると思うが?」
「……」

 縲が小さく頷く。
 二人のやり取りを無言で朝儀は見守っていた。