【一】伝説の勇者を生み出すための番い契約
僕は、名門魔術一家に生まれついた。この国では、貴族が魔力を持ち、平民は魔力を持たないのだが、その貴族にあっても、僕が生を受けたナイトレル伯爵家は、魔術の名門として評判だった。建国当初から、宮廷魔術師として代々王家に仕えてきた家柄である。
ナイトレル伯爵家は、代々長子が跡を継ぐと決まっていて、第二子以後は――言葉は悪いが、捨て駒として育てられる。というのも、ここグリモワーゼ王国は、上に強大なバルミルナ帝国、左にこちらも強国であるエンデルフィア公国が存在するという立地で、常に人同士の戦いにおいても魔術による武力で国土を維持しなければならないし、右から下方には魔獣の巣喰う【最果ての闇森】が存在するため、人ならざる存在とも戦わなければならず、少しでも『兵士』の数が多い方が良いからなのであると聞いている。
生まれつきグリモワーゼ王国を含む大陸三カ国では、世界樹の階梯と呼ばれる、潜在魔力量ランキングが有史魔術石版に表示されるのだが、僕の潜在魔力量は現在大陸第二位だ。(なお顕在&熟練度魔術ランキングである裏階梯でも僕は二位だ。)それも手伝って、僕は徹底的に攻撃魔術を仕込まれたナイトレル伯爵家次男として、攻撃魔術師として育成されてきた。いつかは次期当主となる兄の、ひいては王家の助けとなるように。敵国の兵士を倒し、魔獣を倒し――そして、いつか生まれるとされる魔王討伐に備える。それが僕の役目だった。
魔王の繭が最果ての闇森に出現して、早六十年。弊害として、人間には女性が生まれなくなってしまった。魔獣達が、人という種の断種を目論んだ結果だ。人間は、対抗手段として、同性同士の妊娠を可能にした。その為、現在王国では、男が男の子を産むようになった。だがこの古典魔術による妊娠・出産には制約があって、魔力色が合う――俗称、『番い』同士で無ければ子が成せないのだという。だが兵器として育てられてきた僕には、それは遠い世界の話だったし、跡継ぎを設ける必要も無いため、知識としてしか知らなかった。
「ルツ」
ある日、次期当主である兄に呼び出されて、僕は久方ぶりに陽光の下に出た。伯爵家の庭園に、白いテーブルが用意されていた。
「どうかしましたか?」
僕が問うと、兄が手ずから紅茶を二つ用意しながら、俯いた。
「父上は本日、宮廷魔術師長として、帝国と公国との、会談に臨んでいる」
「そうですか」
僕は政治や外交には疎い。その点、既に伯爵家の当主としての役割も手伝っているフィリス兄上は、色々な事を知っている。兄は二十四歳、僕は二十一歳だ。金髪はナイトレル伯爵家に多い色彩で同じだが、兄は青い瞳、僕は紫色の瞳をしている.。
「というのも、【魔王の繭】が最果ての闇森で孵化しそうだという一報が入ってな。孵化までには、まだ二十数年はかかるだろうが、大陸にある三カ国で協調して対応に当たるべきだという話になっている」
協力するのは、良い事だろう。魔獣や魔王という脅威を前にしてまで、人同士で争っている場合ではないと僕は思う。
「そこで宮廷魔術師同士の実務者協議が行われる事になったんだ。父上はこの国の代表だ」
「そうですか」
恐らくは誇らしい事なのだろうとは理解出来る。ただ僕には、それを伝える語彙が無い。僕は戦いすぎて、感情が鈍麻してしまっているらしく、表情筋もあまり動かないのだ。自己主張もしないように躾けられてきた。
「これは内々の話だが」
「はい」
「――魔王を倒すために、人為的に勇者となる子供を生み出すという計画がある」
「……」
「番い判定により、子孫を儲けられる条件は決定されている。その範囲内で、より強い魔力を持つだろう子供を育成するという計画だ」
兄の言葉は難しい。だが漠然と僕は、家で飼っている犬の、ミシェルとモニカの事を想いだした。どちらも異世界からもたらされたという犬種で、シェパードと豆柴というらしい。犬は、より良い品種となるように、交配が成されたのだと文献には伝わっている。この世界には、定期的に【稀人】と呼ばれる異世界人が迷い込み、知識を残していくのだ。
「ナイトレル伯爵家からも、人員を出す事になるだろう。そして、我が家には、俺とルツ、お前しかいない。必然的に、ルツが番い候補として出向く事になる。より勇者の資質を有する子を得るために」
「……」
「王命だ。断る事は困難だ」
僕はそれを聞いて、僅かに驚いていた。自分自身で魔王が孵化したら倒せと命じられる日が来る事は覚悟していたが――子を成す?
「……僕に出来るお役目でしたら」
それでも僕は、『家』のためとなる最善の回答をした。僕の生きる意味は、それだけだからだ。すると兄は安堵したように吐息した。
「まずは『表階梯』の――世界樹の階梯からの組み合わせが試される事となる」
「世界樹の階梯……」
「そこで番い同士を把握するんだ。番い同士は、甘い香りがするという。きっとすぐに、ルツの運命の相手も見つかる事だろう」
この時の僕は、その言葉を漠然と聞いていた。何も実感など無かった。
――三日後。
「この場において、番い相手を見つけて貰う」
三カ国が、勇者候補の子供を作り出す事に同意し、急遽、その為の番いを作る場が設けられた。本当に甘い香りなどするのだろうか? 多くの場合、魔力色が似通っているだけでも、番だと押し切れば婚姻可能であると言うし、子も成せるらしいと、僕はこの数日で知識を身につけていた。そして高位になればなるほど、魔力色は黒に近くなるため、皆が似かよる。つまり僕のようなポジションであれば、誰とでも交配可能だ。これは、古代魔術で妊娠・出産を補助しているから、魔力量によって生みやすさが決まるからなのだと思う。
それでも――番いを見つける立食パーティの会場で、僕は誰に声を掛けられるでも無く、シャンパングラスを片手に壁際にいた。参加三カ国の内二カ国の兵士を容赦なく屠り、魔獣も何百体と討伐している僕は、恐れられこそすれ、声を掛けられる事は無いのだろうと思う。シャンパンの泡が舌の上で踊る。
「どの酒だ?」
その時、僕に歩み寄ってくる人物がいた。驚いて僕は顔を上げた。見ればそこには、僕ですら姿絵を見た事がある、若きバルミルナ帝国宰相、ユーゼ閣下が立っていた。
「え? え、っと……正面のテーブルにあった品です」
「何? これか……?」
宰相閣下が振り返る。ユーゼ閣下は怪訝そうな顔をした後、改めて僕を見た。
「名は?」
「ルツです」
「――階梯第二位の、グリモワーゼ王国のナイトレル伯爵家の次男か?」
「そうです」
「このシャンパンからは何の香りも感じないな。俺は、階梯第一位の、帝国宰相ユーゼと言う」
「存じております」
失礼があってはならない相手だ。そう考えながら、僕は匂いを嗅いでみる。すると、確かにそれまでには無かったような、シトラス系に類するような甘い匂いがした気がした。精悍な香りだ。魔術で使う、デニムというお香の匂いに似ている。
「宰相閣下は、何か香を焚いておられますか?」
「いいや。俺も今、同じ事を聞こうと考えていたんだ」
絶対実力主義の帝国において、二十七歳にして宰相になったという彼は、非常に若々しく見える。それでも僕よりはずっと成熟している様相だ。
「この会場において、俺はこの近辺からしか、特別な香りは感じない」
「はぁ……」
「階梯も一位の俺と、二位の君だ。釣り合う」
「……」
「義務として、俺は婚姻しなければならないことになっている。一応同意を求めるが、俺と結婚してくれないか? 勇者候補となる子供を成すために」
答えは決まっている。僕には、最初から、拒否権など無いようなものであるし、その相手が外交上優位な相手というのは望ましい。全ては、生家の伯爵家のためだ。
「謹んでお受け致します」
「物分かりが良くて助かった」
こうしてこの夜――僕と、ユーゼ宰相閣下の婚姻、番い契約、そして、勇者候補の子供を儲けるという責は、公的なものとなった。