【一】世界で一番大好きな人。
――四歳になった。
俺はラインハルト様に抱きついた。ラインハルト様は、ルツ父様とユーゼ父上のお友達だ。俺と、弟達の面倒をみてくれているそうだ。でもラインハルト様は時々、俺と一緒にお昼寝してしまうから、俺の方が早く起きて、ラインハルト様を起こしてあげる時もある。俺が面倒を見ているとも言える。
「どうした? ライゼ」
俺を抱きしめ返したラインハルト様は、とっても背が高い。夜のような黒い髪と瞳をしている。いつも良い匂いがしていて、ラインハルト様にギュッと抱きついていると、俺は幸せな気分になる。
「帰っちゃやだ」
そろそろラインハルト様が帰る時間だ……。
俺が一日で、一番嫌いな時間だ……。
「俺もライゼと一緒にいたいんだ。気持ちは同じだな。ただなぁ、あー、俺もほら、天球儀の塔の仕事もあるしな……。ライゼが俺についてきてくれたら、ずっと一緒にいられるんだけどなぁ」
ラインハルト様が俺の頭を撫でた。
……。
「ラインハルト様とずっと一緒にいたいけど、ラインハルト様についていったら、ルツ父様とユーゼ父上と、ルイスとゼリルには会えなくなるんでしょう?」
「――まぁな。ただ一生会えないわけじゃない。年に何度かは会えるぞ」
「……」
「俺と来い、ライゼ。俺の弟子になれ」
「……」
ラインハルト様が俺の頬に両手で触れた。大きな掌の感触に、俺は悩む。ラインハルト様が大好きでずっと一緒にいたいのは本当だけど、家族のみんなとも離れたくない。
俺は欲張りなのだろうか。
じーっと俺を覗き込んだラインハルト様は、それから楽しそうに笑った。
「ライゼは可愛いな。本当、好き。俺、ずっと一緒にいたいなぁ」
「俺もラインハルト様が好きだ……同じ気持ちだ」
「そうか? でもライゼは俺についてきてくれないんだろう? 寂しいなぁ」
「う……」
俺はラインハルト様の背中に回している手に、力を込める。
このやりとりはいつものもので、その後半年ほど続いた。
そして、俺は決めた。その日は、ユーゼ父上がお休みで、俺達みんなに苺タルトを作ってくれた日だ。俺はこの日も、ラインハルト様に抱きついた。
「俺、ラインハルト様の弟子になりたい!」
ルツ父様もユーゼ父上も、ルイスもゼリルも大好きだ。でも、俺はもっとラインハルト様のそばにいたい。だから決意してそう述べると、ルツ父様とユーゼ父上が顔を見合わせた。ラインハルト様は、虚を突かれたような顔で、俺を見ていた。それからニッと笑うと、俺を抱きしめ直した。その時、ユーゼ父上が溜息をつく気配がした。
「ラインハルト。ライゼの事をよろしく頼む」
このようにして。
俺はラインハルト様の弟子になる事が決まったのである。
そしてその数日後、俺は天球儀の塔に行く事に決まった。家族に見送られてから、俺はラインハルト様と手を繋いだ。大きい掌で、俺の小さな手を握っている。俺も早く大きくなりたい。
「これからは、『師匠』と呼ぶようにな。ライゼは頭が良いから出来るよな?」
「頑張る!」
「その意気だ。ライゼは素直だなぁ。ああ、可愛い」
その後、目を閉じるように言われて、俺はラインハルト様に連れられて転移した。転移魔法陣には何度か乗った事があったが、天球儀の塔に行くには特殊な古代魔術で移動するらしく、ラインハルト様に掴まっている内に、移動を終えていた。
「ここが天球儀の塔?」
「おう。お前の部屋だ。俺の部屋の隣」
「……ずっと一緒にいてくれるんじゃなかったのか?」
「ん?」
「俺、夜は一人じゃ眠れない……」
不安になってラインハルト様の手をギュッと掴むと、ラインハルト様――師匠が吹き出した。それから優しく笑うと、俺の頭を撫でた。
「一緒に寝るか」
「うん!」
その言葉に一安心した。
こうして俺の、新生活が始まった。
天球儀の塔は、魔術師が修行したりしている場所なのだという。俺は今までも、これまで暮らしていたリファラ山地居住区画で、ラインハルト様やユーゼ父上、ルツ父様に魔術を習っていたから、そんなに不安では無かった。魔術を使うのは楽しい。
朝は、八時に起きる事になった。ユーゼ父上はいつも俺を朝の六時半に起こしていたから、ゆっくりと眠っていられる。天球儀の塔の朝ごはんは、みんなで食堂で食べる。居住区画と違って、俺と同じくらいの歳の子供は誰もいない。でも、ラインハルト様がそばにいてくれる。大皿にのせられた料理を、自分の好きな分量だけお皿に取る形式だ。
俺がお気に入りになったのは、スコッチエッグだった。ハンバーグに似たものの中に、ゆで卵が入っている。俺は朝も昼も夜も、それを一個、必ずお皿にのせた。ラインハルト様は俺のお皿に、必ずレタスときゅうりを乗せる……。野菜はあんまり好きじゃないんだけどな……。
昼食は十一時四十分、夕食は十八時だ。
朝起きてから昼食までの時間、俺は座学の修行をする事になった。天球儀の塔では魔術以外に、大陸三カ国の文化等も学ぶ。礼儀作法や教養のお勉強もした。俺は中でも、初めてひくピアノに夢中になってしまい、ずっと鍵盤を叩いていた。
そして昼食後、夕食までの間は、実技訓練となる。魔術実技として攻撃魔術や医療魔術を使うほか、走ったり剣を使ったりという体力作りの修行もある。
「毎日鍛錬する事が大切なんだぞ? できるな?」
ラインハルト様は、俺が50mを走り終えた時、ゴール地点でそう言った。飲み物を俺に差し出してくれる。師匠は走り方を教えてくれたり、タイムを測ってくれたりする。剣の相手もしてくれる。
「できる!」
「その意気だ」
こうして始まった新生活は、とっても充実していた。中でも充実していたのは、夜だ。俺はラインハルト様と毎晩一緒に眠っている。ぎゅっと俺を抱きしめて、ラインハルト様は眠るのだ。その腕の中で良い匂いを嗅いでいると、俺もすぐに眠くなるし、ぐっすりと眠れる。ずっとラインハルト様にくっついていたい……。
俺は、ラインハルト様が大好きだ。師匠が世界で一番、大好きだ(ルツ父様も好きだけど)。