【二十三】誓約(第二章完結)
その後、俺はルイスに歩み寄った。ラインハルト様の姿はまだ無い。
「どうでしたか? エルトという人物は。あっさりとゼリルが同伴する姿を見送ってましたけど」
ルイスがスッと目を細めた。俺が近づくと、それまでルイスの周囲にいた人々は気を遣うように場所を空けてくれたから小声で話している俺達の言葉は、他の者達には聞こえないだろう。
「悪い奴じゃなさそうだった。直感もあるけどな」
「そうですか……見ていた限り、ゼリルの貞操の危機が迫っているようですが、邪魔をしに行きましょうか?」
「うーん。普段なら俺は邪魔するかもしれないけどな、敢えてひいてたらしいエルトの気持ちを、さっき俺が後押ししてしまったんだ……その責任と応援、あとはゼリルの幸せを願いから、俺はやめとく」
苦笑しながら、俺は近くのテーブルからワイングラスを手に取った。そろそろ本格的に飲もうかと考える。俺は普段はあまり飲む方ではないが、こういった席では楽しみたい。
白いワインを飲み込むと、同じものを飲んでいるルイスが小さく頷いた。
「ゼリルにも先を越されてしまい、僕は寂しい限りです」
チラリと俺の指輪を見ながら、ルイスが言う。俺は短く吹き出した。
「すぐにルイスにも、恋がやってくるさ。俺はずっと好きだったけど、ほら、ゼリルみたいな急展開があるかもしれないぞ?」
「それを希望しますが、まずは政略結婚から進めます。キルトお祖父様もそうですが、いつか運命の番いが見つかったとしても、必ずしも法的に結婚する必要はありませんしね」
ルイスの言葉に、俺は頷いた。
その後、ルイスの元には、私服で紛れていた護衛の騎士が歩み寄り、帰宅を促したので、俺達はわかれる事となった。
本日俺は、この家に泊まる事になっている。こちらで暮らした事はないのだが、ルツ父様達は、俺の部屋を作り、いつも綺麗にしてくれているから、たまに宿泊する事がある。
ラインハルト様の気配を探ってみると、応接間で、今も三人で話しているようだった。邪魔をしてはならないだろうと考えながら、この夜俺は一人で眠った。いつもとは異なる天井は、見慣れない。だが酒の酔いも手伝って、俺はすぐに微睡んだ。
――翌朝。
俺は早朝に目を覚ました。まだラインハルト様達は話しているようだが、さすがに長い。天球儀の塔に、辞書の貸し出し報告もしなければならないし、俺は一度帰る事にした。本当はゼリルの様子を知りたかったが、きっと二人は一緒に夜を過ごしたのだろうし、朝の空気感を邪魔したくは無い。俺も気遣う事はあるのだ。
「師匠……長引いてるみたいだし、しょうがないよな……」
呟いて俺は、一人転移をして帰る事にした。
塔に戻ると、ロバートやフェゼルが出迎えてくれた。俺はローブの首元を緩めながら微笑を返し、己の研究の間へと向かう。そこで書類に今回の出来事を記述し、一息ついた頃には、日が高くなっていた。熱中していたから、食事をするのを忘れていたなと考えていると、部屋の扉をノックされた。
「はーい」
『俺だ』
「師匠!」
俺が振り返ると、扉が静かに開いた。そこにはラインハルト様が立っていて、手にはカゴを持っていた。長いパンが覗いている。
「エルトとの話の整理は終わったか?」
「ああ。今丁度な」
「そうか。ユーゼからパンを土産に押しつけられたから、一緒にどうだ?」
「おなかも減ってる!」
答えた俺は、部屋から出た。そしてラインハルト様と共に共有スペースのソファに座った。ラインハルト様が指を鳴らしてパンを切り分け、ジャムやバター、チーズを出現させた。美味しそうだなと思いながら、俺は一つ手に取る。
「いただきます」
「おう。いただきます」
師匠が帰ってきた事が嬉しい。一緒にいられるだけで胸が躍る。
「ユーゼ父上達とは、どんな話をしてきたんだ?」
「主に長い説教をされた」
「説教?」
「ライゼに手を出した事について」
ラインハルト様が苦笑したのを見て、俺は照れくさくなった。しっかりと師匠は、俺との関係を公言してくれたのだと分かる。
「ライゼ」
「ん?」
「――必ず幸せにする。約束する」
「俺も師匠を幸せにする!」
俺の言葉に、ラインハルト様がワインの瓶を出現させながら、両頬を持ち上げて吹き出した。
「というより、俺はラインハルト様がいてくれるだけで幸せだ。だからずっとそばにいてくれ」
「そばに、か。なぁ、ライゼ。例え、俺は離れても、ずっとお前の事を思う。そう約束する。だからその約束にも、幸せを感じてくれないか?」
その言葉に、俺は少し考えたが、首を振った。
「それは無理だ。俺は離れてはいられない。師匠がどこかへ行くと言うんなら、追いかける。絶対に」
「俺がいなくなったら追いかけるというのは、ダメだ。それはしないと約束してくれ」
「出来ない約束はしない。それはラインハルト様の教えだろう? 何でそんな事を言うんだ?」
「――魔王討伐には危険が付きまとう。よく言うだろう? 『死が二人を別つ』と」
「それは……そうだけど。でも、魔王は俺が必ず倒すから、問題は無い。エルトともじっくり話したからな」
俺が断言すると、瓶に口を付けて朱いワインを一口飲んでから、ラインハルト様が優しい顔をした。
「そうか。ライゼがそう決めている事は……心強いが、心底心配だ。では代わりに、絶対に俺から離れないと約束してくれ。討伐を成功させて。生きると」
「勿論だ」
頷いてから、俺はパンを囓った。チーズを塗ったパンが美味しい。
「そういえば、エルトから、別大陸に伝わる予言について聞いたんだ。この天球儀の塔にも何か伝わっているんだよな? そろそろ俺にも教えてくれないか?」
「そうだな……――ああ。そろそろ、その時期かもしれない。だが、もう少しだけ、猶予をくれないか?」
「猶予?」
「俺の研究の成果が出るまでの間」
師匠の声に、俺は思案してから、小さく首を縦に振った。
「うん。俺は師匠の事を信頼してるから、タイミングは任せる。ただ、知りたい。だから必ず、予言の事を教えてくれ」
そんな話をして、俺達はパンを食べた。俺は師匠にそれ以上聞く事はせず、師匠との会話を楽しんだ。
――このようにして。
俺と師匠は、周囲公認の仲となった。天球儀の塔の中でも、皆が知っている。というのも、一時期素っ気なかった師匠が、最近では人前でも俺を抱きしめるようになったからだ。
俺は師匠の体温が大好きだ。だから、この幸せを、守っていこうと思う。
それが俺の誓いだった。