【二十三】探り合いと多重スパイ
第二天空鎮守府のロビーを抜け、正門を出てから、神保皐月は空を見上げた。
帝都の風は、会津とは異なり、どこか乾いている。
神保はその後、一度ビジネスホテルへと戻り、クローゼットの扉を開けた。
私服を取る仕草で、ハンガーに手をかける。そのままゴソゴソと手を動かしていたのは、布が絡まってしまったからではなく、ハンガーの中に紙片を隠すためだった。モノレールに乗りながら書いたメモだ。命を失った時に備えて、他の間諜に当てたメモを残したのである。
羽染の言葉から、神保は、己の命が狙われているのだという事を、ハッキリと理解した。そして羽染の予測通り、神保は事前に、その事を察知してもいた。
帝都へと訪れる前――羽染から珍しく連絡があった頃から、自分が誰かの監視下にあるという事を、神保は理解していた。会津の人間ではない。
――敵は、第二天空鎮守府の諜報部だろう。
羽染が諜報部の存在に気づいているのか神保は知らなかったが、彼自身は少なくともその存在を疑った事は無かった。恐らく薩長土肥など関係無しに、日本の暗部に関わる組織だ。大日本帝国もまだまだ捨てた物じゃないな、なんて空元気で考える。
それから宿を出て、近場のダイニングバーへと神保は向かった。
この辺で異邦人が一人で入っても不思議ではない店は、ここ一カ所だけだと理解していた。足を運んだ理由は、客全員が敵であり、監視カメラがあっても構わないと思ったからだ。寧ろどうせ死ぬのであれば、何も知らないふりをしたいし、見逃してもらえるのであれば、それはそれで愚行を犯す自分を相手に印象づけたかった。
「お一人ですか?」
神保が声をかけられたのは、一人でジントニックを飲み始めて、二杯目の途中の事だった。本当は強い酒が好きだったが、飲み過ぎて酔わないように、気をつけた結果として選択した品である。自宅以外では、基本的に、ジントニック以外を飲まないようにしていた。
「……え?」
だがほろ酔い気分である素振りをして、神保は視線を向けた。
そして声をかけてきた相手を見て、内心舌を巻く。
そこに立っていたのは、久坂歩だったからだ。
――まさかこちらが疑っている相手が出向いてくるとは。
寮の部屋において、久坂の不在を知れば、羽染が怪しみ疑念を募らせる事くらい、向こうも分かっているだろうにと考える。
「見ない顔だなぁ。もしかして初めて?」
「はぁ」
「へぇ、名前なんて言うの? 俺は、久坂。下の名前は歩。歩で良いからな。隣、良い?」
「別に……どうも。俺は神保です。神保『睦月』です。睦月で良いです」
兄の名前を出し、神保は腕を組んだ。無駄な嘘だ。相手の思惑を知るために、会話の糸口をばら撒いておく事に、神保は長けていた。
「睦月君って言うのか」
何でもない顔をして、神保の隣に腰を下ろしながら、久坂が笑う。
作り笑いを、神保もまた浮かべ、グラスに右手で触れた。
そんな神保の表情を見ながら、久坂は内心面倒だなと思いながら、メニューを一瞥する。
――来訪者の神保が『男』である以上、自身が命じられているのは、暗殺だ。
尤も、直接的に『殺せ』と言われたわけではない。だから、女性が相手の場合のように、体の関係を持って、情報源にしたと報告しても、山縣は何も言わないだろうと久坂は思う。
しかし山縣が直接、指令を下してきたのだから、眼前にいるこの相手は各藩お抱えの――この場合会津藩お抱えの諜報員である可能性が非常に高い。そうでなければ、わざわざ偽名など使うだろうか、と、久坂は神保の『無駄な嘘』を深読みする。
「出会った記念に、一杯奢るよ。何飲みたい?」
久坂の言葉に、神保がメニューを一瞥する。
「俺、あんまり酒のことよく分からなくて……何が美味しいですか?」
「テキーラとか。ストレートが良いね」
それを聞いて、神保は内心舌打ちした。本来は決して酒に弱いわけではなく、テキーラもそれなりに好きなのだ。だが、仕事中に強い酒を飲まされるというのは、苛立つ。
「ええと、それってこの、テキーラサンライズって奴ですか? ストレートって何ですか?」
「飲んでみれば分かるよ」
「俺、あんまりお酒強くないんですけど、これ弱い?」
「弱い弱い、俺が保証するから!」
よく言うなと神保は、笑みが引きつってしまいそうになった。
「じゃあそれで」
しかし一度知らんぷりをしてしまった以上、押し通すしかない。
「マスター、テキーラ二つ!」
久坂の言葉に、小さなグラスを、バーテンダーが二つカウンターに置く。久坂に差し出されたグラスには水が、神保に渡す分には度数の強いテキーラが入っている。この店自体に、第二天空鎮守府の諜報部の息がかかっている。
「乾杯イッキしよう」
久坂がそう言うと、神保が頷いた。弱い酒だと信じきっているような表情を形作っている。勿論フリである。
神保からしてみれば、イッキなど冗談では無かったが、少量のストレートであるからこそ、舌の上でアルコールを飛ばせる事は理解していたのだ。
二人で静かにグラスを合わせ、互いに飲み込む。
その時点でもう、腹の探り合いは、始まっていた。
「歩さんは、お仕事何されてるんですか?」
「俺は軍人。睦月くんは?」
「料理人です。なんて、まだ新人なんですけどね」
「へぇ、すごいじゃん。何処で働いてるの?」
「お城です」
「どこの?」
「会津」
「へぇ、じゃあ東北?」
白々しい久坂の言葉に、神保は吹き出しそうになったが堪える。朗らかな顔で、リラックスしているように、笑ってみせた。
「そうです。歩さんは?」
「あ、敬語じゃなくて良いよ。って俺? 俺が何?」
「まじか。俺敬語苦手で。ええと、所属? なんて言えば良いんだろ、陸・海・空とか?」
「ああ。俺は、陸」
「陸軍て、どんな仕事してるんですか?」
「あんまり言いたくない。酒の席でまで、仕事の話はちょっとなぁ」
「ごめん。それもそっかぁ」
「睦月くんて、素直だね。俺、好みかも」
「うまいなぁ」
にこやかに会話をしながら、神保は思案した。
――久坂歩が、これまでに近寄った男を消しているのは、ほぼ間違いがない。
迂闊なことを言えばその場で殺されるだろうし、そうでなくとも消される。それを回避するための方策は何か。情報源として使えると思わせれば、姿を消す程度の猶予はもらえるかも知れない。では、彼にとって有効な情報とは何か? 神保は考えてみる。いつか死ぬ事は覚悟し、いくら紙片を残してきたからといえど、自ら死にたいわけではないのだ。あくまでもこの店に来たのも、第二天空鎮守府諜報部からの接触がある事を期待したからである。
「そうだ、俺聞きたい事があって……お仕事の話に被っちゃったら、流して下さいね」
声を潜めて、神保が囁くように告げる。
「何?」
何かを探りに来たのだろうかと身構えながら、久坂が小首を傾げてみせた。
「実は俺には先輩がいるんですけど、その人が……山縣って人の暗殺を依頼されたらしくって。山縣って人知ってます? どんな人ですか?」
神保の嘘の発言を聞き……しかしながら、少なからず久坂は動揺した。
――そんな話は、知らない。
それに、唐突に切り出されるにしては、重い内容だ。ゆっくりと久坂は目を閉じる。仮に事実だとすれば、神保は有益な情報提供者になるという意思表示をしている可能性を検討した。
「先輩って会津藩の人って事? それなら、例えば羽染大尉とか? え、山縣さんて言ったら、多分……山縣大佐のことだろうけど、あんまりそう言う事言わない方が良いよ。俺、仙台の出だから、心配だわ普通に。羽染大尉の事が」
「羽染先輩の事、知ってんの? てか、先輩の事じゃないし。んなわげねぇべした」
酔ったフリで方言が出た風を装いながら、神保は続ける。
「軍の人じゃねぇんだげんじょ。軍人なのは、山縣って人で……そうか、大佐か。みんじゃでごきあらいしてたら、そんな話、聞こえてなぁ、本当おんつぁげす」
「悪いけど、標準語で頼む」
「あ、すみません」
「いいんだけど」
みんじゃは、かろうじて久坂にも分かった。みずや、即ち台所のことだ。ゴキアライとオンツァゲスは、久坂にも不明だった。おんつぁだけなら、オジサンであるし、ゲスだけなら下卑という意味だろうと考えはしたが、繋がっている一言に心当たりはない。
ちなみに神保が口にしたのは、食器洗いと、馬鹿という意味である。
「その先輩って、どんな人?」
「言えねぇ」
「会津の人が、軍人を暗殺したら、東北方面軍閥全体に迷惑がかかる」
「けんど、先輩が処罰されちまう、話したら」
「悪いようにはしない」
「本当に?」
神保はそう口にしながら、どうしたものかと思案した。それは一秒にも満たない時間だったが。
「山縣って人が、諜報部だって知っとるんは、話聞いてた俺と、話してた二人だけなんだげんちょ、俺、大丈夫かな」
「誰と誰が話してたんだ?」
「んー……偉い人と、今、こっちで商売してる先輩」
「第二天空鎮守府に諜報部は無いし、山縣大佐は総務だけどなぁ」
そう口にしながら、久坂は考える。
――コイツ酔ったフリをして、デマを吹き込もうとしてないか? だとすれば、公にされていない『諜報部』の存在を知っている段階で、会津の諜報機関の人間であることは、間違いない。事前に久坂が手に入れたプロフィールには、そんな情報は無かったが、何よりも山縣から直接話しが降りてきた時点で、そう考えるのが妥当なのだ。繰り返しそう考える。
「そうなの? じゃあ、人違いか。心配して損した、阿部さんのこと」
続いた朗らかな声に、小さく久坂は息を飲んだ。
会津出身の阿部という人間で、帝都で商売をしている人間を、少なくとも八人は把握していたからだ。会津の人間の中で阿部は、決して珍しい名字ではない。
「山口の海老名さんと協力してるって聞いたけど、デマか」
更に響いた神保の声に、久坂は思わず目を伏せた。
実際、山口県に海老名性は、それなりにいる。
だが――信憑性がありすぎるからこそ、久坂は疑念を抱いた。
「腹を割って話そう。店をかえない?」
「それなら、俺の部屋に来る?」
「行って良いの?」
笑顔で告げた久坂の首に、その時神保が腕を絡めた。そして久坂にだけ聞こえる声量で囁く。
「どうせ、俺がとったホテルにも監視カメラついてんだろ」
その後――二人で、神保が取っていたビジネスホテルへと移動した。
途中で未開封の日本酒と焼酎の瓶を一つずつ、コンビニで調達した。このコンビニに神保は、ビジネスホテルにチェックインする前にも立ち寄った事を思い出していた。
部屋に入ってからは、互いに向き合ったソファ席に腰を下ろした。
「あーだりぃ。音声もとってるの?」
神保の言葉に、作り笑いを浮かべたまま、久坂が腕を組む。
「とってねぇよ、つか、だるいのは俺だから。ありえねぇ。何お前」
「久坂だっけ、馬鹿じゃねぇの」
「は?」
「――俺は、最初から山縣さんに声かけられて、会津にいるんだよ」
「な」
楽しそうな光を目に宿している神保を見て、久坂が一瞬動きを止めた。それを見据えてから、神保は続ける。
「その方が、羽染先輩のためになるって判断したから、俺は従った。ただな、山縣さんに飼われてるだけで、諜報部の総意に従うわけじゃねぇから、一応命を落とすの覚悟したんだよ。あくまでも利害の一致だ。羽染先輩の力になるってのは、ひいては保科様、会津のためになるって事なんだよ」
「――でもお前、俺が卒アル手に入れたことも、俺や山縣大佐が諜報部の人間だって事も、羽染に漏らしただろ」
焦るように久坂が言うと、神保が吹き出した。
「はーい、確定来ました。本当馬鹿。俺が山縣大佐の側の人間だってのが、嘘だ、ボケ」
迂闊だった。己の口を、久坂が抑える。
「っ」
「ふぅん。なるほどね」
頷いて神保は、二つのグラスを卓上で、ひっくり返す。
「日本酒と焼酎どっちが良い? 音声を取られてないんなら、あの位置からじゃ俺達の唇は読めっこないんだから、気にすんな」
「……日本酒」
「常温で悪いな。お前ちなみに、熱燗と冷酒どっちが好き?」
「俺は常温が好きだ。神保は?」
「あれぇ、睦月君呼び、やめんの?」
「本名は皐月だろ。くだらねぇ」
「はは。俺も常温が好き」
とくとくと日本酒を注ぎ、神保は微笑んだ。
「で、俺の事を殺すのか?」
「……そうして欲しいか?」
「まさか」
その言葉を聞きながら、久坂が猪口を持ち上げる。
「乾杯」
「ん」
自身の猪口を持ち上げながら、神保が頷く。
それから日本酒の味を楽しみつつ、久坂が視線を下ろした。
「――おい、神保、お前どこまで知ってんだよ?」
「なにそれ」
尋ねてから、神保が猪口を煽る。すぐに片手で酒を注ぎ足した。飲むペースが早い。神保は分厚いネックウォーマーを身につけている。
「俺の正体」
「徳川と、第二の諜報部との二重スパイなんだろ」
「……」
「勿論本命は、徳川」
やっかいなことになったなと思いながら、久坂はそれとなく睡眠薬を包んである紙を片手に握った。いつも、後ろのポケットに忍ばせてあるのだ。
――契機は、仙台にいた頃の事だ。徳川家から接触があった久坂は、保科の監視要員となる事を命じられた。それは、羽染の上京後は、そのまま羽染の監視をするという内容に変わった。同時期に、第二天空鎮守府において山縣からも声をかけられて、そちらも羽染の監視の打診であったから、久坂は相反する事の無い二つの依頼を引き受けた。
徳川家時が羽染に接触した時に割って入ったのも、別段諜報部の人間としての行動からではなかった。家時と羽染の接触は、徳川家の家臣達の本意では無いと知っていたからだ。
徳川家時は、保科との恋に浮かれているが、旧将軍家の後継者である。
最終的に、保科を排除する事――それが、久坂に与えられている任務だ。
「本命、と言うか、先に雇われたのが徳川ってだけだけどな」
久坂が認めたのを聞きながら、神保が立ち上がる。
「日本酒足してくる、熱燗が飲みたくなってきたからちょっと待ってて」
「――俺も察しが付いたわ、お前の正体」
「何?」
振り返らずに、簡易な流しの前に移動し、神保が日本酒の瓶を傾ける。
――こちらに視線が向いていないのは都合が良い。
素早く、薬を神保の使っていた猪口に混入させる。
「お前、鷹司家のスパイだろ。会津から寝返ったのか――その上、第二の諜報部と何か取引したんだろう? わざと羽染に漏らしたな」
戻ってきた神保に向かい、そう言ってから久坂が手を伸ばした。
この推測の根拠は、徳川家に雇われていると率直に指摘された事が理由だ。幕末には縁が深かった薩摩と徳川だが、今はお世辞にも良好な仲にあるとはいえない。また、鷹司家の息がかかっている人間ならば、保科の監視で任務がかぶる事もある為、どこかで顔を合わせた可能性が考えられた。
「悪いな、やらせて。注がせてくれ」
「良いのに別に。慣れてるし」
「まぁそういうな」
徳利をそれとなく奪い、薬を入れた方の猪口に、日本酒を入れる。
「有難う。で、だ。仮にそうだとしたら、今俺がここにいる意味分かるよな?」
何も気づいた様子はなく、神保が目を伏せ一気に日本酒を煽る。
「俺に三重スパイやれって言ってんのか……うちの諜報部は」
現在は徳川のスパイをしながらの諜報部生活だ。それを寝返り、諜報部に明確につけという打診なのだろうと久坂は考えた。
「嫌なら死ねば」
「神保。お前に聞かせた通り、ここには監視カメラはあっても、盗聴システムは無い」
「さぁて、どうでしょう」
「俺が今ここでお前を殺しても、山縣大佐は、何も言わない」
「だろうな。あの人は、そう言う人だ」
「……」
口ぶりからして、神保と山縣は面識があるのだろうと、久坂は判断した。
神保は笑顔で頷きながら、徳利を手に取り、久坂の猪口に酒を足す。
「失敗した方の力量不足だと判断する。だろ?」
「そうだな」
「山縣さんに引き抜きかけられてんだから、乗れば良いのに。俺も直接山縣さんに、こういうの仕掛けられたら、乗るかも」
「――山縣大佐はいつからご存じだったんだ? 俺が徳川の側の人間だって」
「さぁ。俺は、死ねって言う命令も飲む方だからなぁ。あんまり自分の命が狙われるとか、興味ないな。命令じゃない限りは、何とかして生き延びるだけだし。それが密偵の仕事だろ」
「……」
それとなく腕時計を見て、薬が効き出す時間を計る。
訓練している者でも、あの薬ならば、十五分弱で意識を失うはずだ。
「鷹司家のためなら死ねる……優先順位、これでも結構ハッキリしてんだよね」
恍惚とした神保の声が響く。どこか作り物めいた笑みに、久坂には感じられた。
その声に、久坂は目を細めてから、緩慢に瞬きをする。
「単なる仕事に命を賭けるなんて馬鹿げてる」
本音だった。
これから殺す相手だから、構わないと何処かで久坂は思っていた。
「俺は徳川のためにも、第二の諜報部のためにも死ねない。お前、馬鹿だろ」
「かもな。で、どうすんだ?」
「俺は自分が一番大切だ。飲むに決まってんだろ、やってやんよ。三重スパイか。山縣さんにはお前から伝えておいてくれ。山縣さんに直接聞かれたら、何でも答えてやる。ただ残念ながら、俺の顔と名前を、家時様はご存じないけどな」
わざわざ神保がこの話を持ってきたというのも不思議だが、山縣に力量を問われているのかもしれないと考える。ただどちらにしろ、問題は無い。神保の事はここで殺すだけだ。
「了解。ちなみにこれからどうする?」
「は?」
「ヤる? ヤらない?」
「……ヤるわけねぇだろ、男相手に勃つか。殺して欲しいんなら、望み叶えてやるけどな」
「死にたくないんで。じゃ、とことん飲みますか。で、潰れて、それでおしまい。保科様と会う約束なんてしてねぇから、朝まで付き合うよ」
朗らかに笑ってから、神保が徳利を持つ。
「さぁさぁ、どうぞ」
「ああ。お前も飲んだら?」
後は時が過ぎ神保の意識がなくなるのを待つだけだと思いながら、久坂が微笑む。
しかしそれを見た神保が、不意に無表情になった。
「――……ちなみにそっちの猪口さぁ、最初から毒入れといたんだよね」
「っ、げほ」
猪口を差し出しながら、久坂は咽せた。
「冗談」
「な」
「ただの睡眠薬。多分、同じ薬使ってるね、俺達。ちなみに俺は、自宅以外じゃ基本的にジントニックしか飲まないから、さっきから全部飲んだフリなんだわ。完全に飲んでるように見えただろ? 俺って演技派だからさ。悪いね。最後だから教えてやるけど、俺と鷹司家とか、何の関係もないから。残念だけど、それは俺じゃないんだ」
その言葉を聞いたのを最後に、久坂は意識を手放した。
特殊な繊維で出来ている神保のネックウォーマーは酒を吸収して重くなっていた。
「警戒しすぎだったみたいで何よりだなぁ。殺されなくてホッとした」
寝入った久坂を見据えて、吹き出した神保は、それから監視カメラを見上げる。各藩の間諜の方が、徳川の雇っている間諜よりは実力が劣る事が多いため、最初から余裕たっぷりだった久坂のミスだった。