【1】雨の日に来た客
格子の中から外を見ていた。今日は雨だ。
この格子は、各上の例えば『太夫』になればなるほど、ちらりとしか外からは姿が見えなくなる。籬というのだ。東屋では三ランクの籬があって、一番上のランクは当然秋桜太夫で、今は一人しかいない。本当に着物の先がちらっとしか見えない。二番目のランクがほとんどだ。時折顔が見える。僕はと言えば最低ランクなので、顔も体も丸見えだ。きっと格子のせいで、牢屋の中にでもいるように見えることだろう。
僕には一応、紫陽花という名前がある。だけど誰もアジサイと呼ばない。シヨウと呼ばれることが多い。呼ぶのは勿論客ではない。何度も言うが、僕にはお客様が庄野様しかいないのだ。僕は雨があまり好きではない。雨の日は夜が早く来るから、その分変態達の相手をする時間が延びてしまうのだ。変態は沢山いるから、毎日顔ぶれが違う。向こうは疲れないだろうが、僕は疲れるし体が辛いのだ。未だに昨日の熱が僕の中では燻っている。
地面を見据えてついに溜息を漏らしてしまった時、視界に靴が入った。黒い靴だった。
驚いて顔を上げると、笑みを浮かべている青年と目があった。少しつり目の大きな瞳をしていて、僕よりも背が高そうだった。
整った顔立ちを見て、ああ、見物客だなと判断した。和装の身なりも良い。第三吉原には、実際に買いに来る客よりも観光客の方が多いのだ。海外で言うところのカジノのようなもので、観光コースにも入っていると聞いたことがある。そうした人々の場合、姿がよく見える僕のような者は格好の見物対象なのだ。なのだから笑顔を浮かべて楽しませ……――たいとも思ったが、そんな気はすぐになくなった。
今日は、いつも以上に憂鬱なのだ。勿論夜の仕事の件もあるのだが……格子の中に入る前に、耳にしてしまったのだ。ついに庄野様が、秋桜太夫を身請けすることにしたのだという。楼主様と秋桜太夫が話していたのだから、確実な情報だ。
そもそも秋桜太夫を身請けできるほどの資産家の庄野様が、何故僕の所にわずかな期間であっても通ってきてくれていたのかの方が不思議な話である。今になって思えば本当に不可思議だ。きっと気まぐれだったんだろうな……。悲しくなってきてしまった。
再び俯き長い瞬きをした僕は、目を開いてそこに未だ黒い靴があるのを見て、ハッとした。お客様の前で、なんて感じの悪い顔をしているのだろうかという思いと、まさかまだ同じ客がいるんではないだろうなという思いで顔を上げると――やはり先ほどのまま、笑顔の青年が立っていた。再び目が合う。すると柔和に微笑まれた。
「旦那様、いかがなさったのですか?」
「この見世が気に入ったんだ。あの子を」
青年は、四方に立っていた洋装姿の、黒いスーツの人々にそんなことを言うと、東屋の中へと入っていった。僕はただそれをぼけっと見ていた。
そして僕は、すぐ後に楼主様に呼ばれた。
初めてのお客様がきたのなど、それこそ庄野様が最初に来た時だけだったから、緊張と動揺と、必死でするべき事を思い出すのでいっぱいいっぱいで、完全に挙動不審になりながら、僕は部屋へと向かった。兎に角今夜は変態の相手をしなくて良いのだなとちょっと安堵もしていたが、それ以上に、大混乱していた。
幸いだったのは、これが『初会』だから、何も話をしなくて良いことだった。僕はお酒を飲む必要もないし、ただ上座に座って、下座にいるお客様を見ていればいいのだ。だから僕はまじまじと青年を見ることにした。
黒く短い髪に、黒い目をしている。まぁ大体の道行く社会人はこの色だ。鼻梁がスッと通っていて、どちらかと言えば色は白い。病的な白さではないから、単純に室内で仕事をしているのだろうという判断材料にした。『旦那様』と呼ばれていたから、どこかのお店の旦那様なのだろう。薄い黄緑色の和装姿だ。
ニコニコと微笑んでいるから、僕も必死で笑顔を浮かべた。我ながら強張ってぎこちなくなっているのだろうと想像できる。近くで見ているからはっきりと分かったが、やっぱり背が高い。肩幅も広い。どうせならば僕もこのくらい成長できれば良かったのにな。しかしこの人は何故僕を呼んだのだろう。兎に角初会は会話も禁止なので、何も分からない。
そしてそのまま時間は過ぎて、お客様は帰っていった。おどおどしながら見送りながら僕は、まぁきまぐれだろうなと判断した。どうせ二度と来ないだろう。でも思った。また来ないかな。
そう思っていたら、次の日も青年はやってきた。
今回は、『裏』だから、僕はお客様とお話しをすることになる。
「頑張るんだよ」
楼主様に肩を叩かれた。そうだ、頑張らなければならない。ここで営業トークを頑張って、お酒をいただいて、そうして三回目に来てもらって初めて、『馴染み客』となるのだ。今日も布団にはいることはないわけだし、布団に入ったからと言って僕には手腕など自信を持てるものは何もないのだが、兎に角次につなげるためには今日が勝負となる。
もしも、上手くいけば。もう僕は、夜な夜な変態の相手をしなくて良くなるかもしれない。上手くいかなければ、庄野様はもう来てくれないだろうから、ずっとずっと変態の相手をしなければならない。そんなのは嫌だった。
――『裏を返す』というのは、僕の名前が書いてある木の札を、営業中と言うことで裏側にひっくり返すことだ。二回目に会いに来たお客様が使う言葉だ。
「こんばんは、紫陽花」
「よ、よろしければ紫陽と……」
駄目だ、声が震えた。出だしから緊張して僕は失敗した。
「そう。紫陽ね。分かったよ。俺は、雨宮。昨日はろくに名前も名乗れなかったからね」
雨宮様か。
雨が降る日に初めて来たし、覚えやすい名前で助かった。
兎に角何とかして、後もう一回来てもらわなければならない。逆に言えば、後もう一回来てくれれば、しばらくの間だけでも僕は変態の相手から解放されるし、下世話なはなしだが体の熱からも解放される。
「雨宮様のお顔を一目拝見した時から、心が苦しくなりました」
「そうなの?」
「はい。だけど僕じゃきっとお声をかけて頂けないと思っていたら、昨日はお目をかけて頂いて……ご一緒させて頂いただけで胸が高鳴りました」
「ふぅん」
「昨日も一晩中雨宮様のお顔を思い出して眠れなかったんです」
全て見習いの時に、言えと習った言葉である。
……『一目惚れバージョン』『運命を感じたバージョン』『ツンデレバージョン』などがあったが、物覚えの悪い僕の頭の中に咄嗟に出てきたのは、最初に習った『一目惚れバージョン』だけだった。顔が良い相手にはあまり効果がないと習ったようにも思うが、他に出てこなかったのだから仕方がない。
精一杯感情を込めようと僕は努力した。しかしこもったのは、『もう一回とりあえず来て!』という感情で、いちいち言葉が必死になってしまったのが自覚できた。必死なのは、一目惚れっぽいのだろうか……? しかし雨宮様は、ニコニコと僕の話を聞いてはいるものの、ものすごく反応が薄い。片手で猪口を持ち日本酒を飲んでいる。
それでも僕は必死で喋った。いかに雨宮様が格好いいかについて、それはもう褒めた。褒めまくった。実際に格好いいから、褒め言葉には困らなかったが、僕が何を言っても、雨宮様は笑顔で「ふぅん」「へぇ」「そう」とばかり言っていた。
そして時間が経った。帰り際。
雨宮様が、立ち上がった僕の耳元に、かがんで囁いた。
「思ったよりもつまらなそうだからもう来ないよ」
スッと僕は体が冷えた気がした。その日の夜は、不覚にも僕は枕の上で泣いた。僕はコレでも結構頑張ったと思ったのだ。なのに、なのに、酷い。だったら最初から期待させるなと言うのだ。
そして雨宮様は本当に次の日から来てくれなかった。
楼主様には盛大に溜息をつかれ、一週間後の夜から再び、変態達の元へと行くように促された。
「っ、ゥ、フ……ン――ッ」
その日は四つん這いにさせられて、ずっと四肢の関節の裏を舐められた。肘の裏、膝の裏、いくつもの舌が同時に僕の体を舐める。姿勢を保つことが辛くなった頃、わざとらしく背骨に沿って舐めあげられ、今度は脇腹を口に含まれ舐められた。
「ひゃッ、う、うあ……! あ! い、ぅあ」
陰茎に熱が集まっていくのに、やり場がない。もうそんな夜が続いていた。大抵完全に勃起する前に宴は終わるのだが、それが逆に日に日に体へと熱を蓄積していくのだ。自分の吐いた息にすら、快楽を感じそうになっていた。
それから暫くして、また雨の日が来た。
今日の夜もまた変態の相手をしなければならないのかと思えば、本当に憂鬱だった。俯いて、地面を見据える。沢山の靴が通り過ぎていくのに、どれも僕を買ってはくれない。足が止まる音がしたが、期待するだけ無駄だと思って僕は顔を上げなかった。きっと隣の格子でも見ているんだろう。
思わず溜息が出た。誰か一人くらい僕を買ってくれたって良いと思うのだ。そう思いながら何とはなしに顔を上げて、僕は息をのんだ。確かに隣の格子を見ている客がいたのだが――雨宮様だったのだ。
正確には隣ではなくて、じっと秋桜太夫の格子を見ている。僕とは視線も合わない。なんだか無性にそれが悲しくなってきて、気がついたら、ツっと僕の目から涙が落ちた。別に雨宮様を好きなわけではない。秋桜太夫が羨ましかったのだ。僕も秋桜太夫になりたい。
あんな風に可愛くて性格が良かったら良かったのにな。
そもそも雨宮様のことは仕方ないと思うのだ。世の中そんなに上手くいかないよな。雨宮様は、そのまま見世の中へと入っていった。東屋では、『馴染み客』になるまでは、他の男娼と『裏』までを繰り返すことが出来る。合う合わないがあるからだ。太夫クラスになれば、断ることだって出来る。まぁ僕には断るなどと言うのは、レベル的にも借金的にも無理だけど。そもそも断る相手がいない。
そんなことを考えていたら楼主様に呼ばれた。
「え」
驚いて声を上げながら中へと戻ると、険しい顔で肩を叩かれた。
「絶対に粗相をするんじゃないよ!」
僕は楼主様に何度も何度も釘を刺され、必死で頷いた。何が起こった? 一体どうなった? 混乱しながら、僕は久方ぶりに自分の部屋へと、就寝以外で足を踏み入れた。そして呆然として待っていると、なんと雨宮様が入ってきた。
これは――三回目だから『馴染み客』になったという事だ。
「なんで……」
「特に理由なんて無いよ」
雨宮様は相変わらず笑っていたのだった。
勿論僕が、溜まっていたのもある。それは確実だ。だが。
「っ、うあ、あ、も、もう……っ、ンあ――――!!」
先ほどからずっと僕を後ろから抱きかかえて、乳首を嬲っている雨宮様の指先は、尋常ではなく甘い疼きをもたらしてくる。変態達は規則で僕の性器にさわることはなかったし、庄野様は、こういう愛撫じみたことはしなかった。要するに僕は、見習いの時の練習以外で誰かにこんな風に触られたことはないのだ。
先ほどから雨宮様は僕の胸の飾りを緩急付けてはじいてはつまみ、優しく撫でながら、ピチャピチャと僕の耳へと舌を差し込んでいる。それだけで僕の陰茎は立ち上がり、とっくに先走りの液をこぼしているというのに、雨宮様はそれ以上のことは何もしてくれない。
「いや、いやだっ、うあ、あ」
水音が響いてきて頭の中がそれ一色に染め上げられる。こんな快楽は、僕は知らなかった。ガクガクと体が震えるのが止められない。
だがただ一つ思うのは、こんな風に焦らされるのでは、変態達にされているのとあんまり変わらないと言うことだった。僕はもう達したくて仕方が無くて、こんなの無理だと思った。だから気がつくともがいていて、必死に雨宮様の腕をふりほどきにかかった。
「は、離っ」
「うん、いいよ」
「あ、あああっ!!」
すると急に陰茎を握られ、押し倒された。その刺激に射精しそうになったのに、根本をもたれていたからそれはかなわなくて、もう一方の手では、両手を頭の上で拘束された。完全にさらなる快楽を求めている僕の体は、もうどこを触られても熱くなっていくだけで、
涙が止まらなくなる。
「あ、あっ」
首筋に雨宮様の吐息がかかっただけで、僕は喘いだ。
「もう少し静かにした方が色っぽいよ」
「ンあ――!! あ、あああッ!」
きつく鎖骨の少し上を吸われて、僕は悲鳴じみた声を上げた。小さく疼いていたのだが、その刺激すらも気持ちが良かった。
「演技が過剰なんじゃない?」
「いやっぁあッ、あ、ああ、で、出るから、ンあア!」
演技などしている余裕などあるはずがなかった。
呼吸が凍り付いて肩のあたりが痛む気がした。兎に角体は熱くて訳が分からない。
陰茎を手で上下に刺激され、そのままあっけなく僕は精を放った。
「――ふぅん。思ったより慣れてないみたいだ」
「……」
呆然としすぎて僕は何も声が出てこなかった。まだ気持ちの良い開放感が体を支配しきっていて、頭が真っ白だった。だから雨宮様の呆れたような声を、布団に体を投げ出しぼけっと聞いていた。
「みたいだもなにも、全然知らないみたいだ」
「……」
「ここは客を楽しませる見世じゃなくて、客に楽しませてもらう見世だったのかな?」
馬鹿にするような声だった。失笑しているのが分かる。
その言葉で我に返った僕は、大失態をしてしまったと悟り、慌てて正座し直そうとした。
「も、申し訳あ――……ッ」
謝ろうとしたのだが声がかすれた。その上、正座に失敗し、布団に倒れ込みそうになった。すると雨宮様が支えてくれた。お酌をしなければと手を伸ばそうとも思ったのだが、体に上手く力が入らない。
雨宮様はそんな僕の体を優しい手つきで支えてくれている。それだけでピクンと肩がはねた。そうしていたら、吹き出すように雨宮様が笑った。
「歳はいくつ?」
「十八です」
「老けてるね。もっと上だと思ってた」
「……」
背が伸びてから、確かに僕は年上に見られることが多くなった。楼主様に、二十代後半と言われても通るかもしれないなと言われたこともある。その割に童顔だと言われるのだ。意味が分からない。
それにしても癪に障ることを言うものだなと思った。だがそこで思い出した。
僕は頑張って営業トークをしなければならないのだった。
「……あ、あの、雨宮様」
「何?」
「ぼ、僕は雨宮様とお会いできたのは、運命だと思っています」
「そうなんだ」
「はい。まだお会いして三度目ですが、確かに運命を感じました!」
「占い師にでもなれば?」
「……愛しています」
「愛されて悪い気はしないね」
「大好きです」
「それは良かった。なに、体の相性が良かったって言うこと? 悪いけど俺の方は全然満足していないんだけど」
「す、すみませ……も、申し訳ありません。い、今から続きを……」
「別にもう良いよ」
「……あ、あの、また来てください、つ、次こそ……! また来てくださいね……?」
「そうだね。次は泣きわめいても許さないよ」
「っ、あ、ええと……いつ来てくれますか?」
必死で僕が言うと、雨宮様が思案するように虚空を見据えて笑った。
「そうだな、次に雨が降ったらまた来るよ」
その翌日、僕はてるてる坊主を作った。勿論、雨が降るように逆さにつるすのだ。逆さにつるすと雨が降ると、売られてくる前に教えてもらったことがある気がする。しかし空は快晴続きだった。晴れではない。快晴だ。雲一つ無かった。お日様が輝くたびに、僕の体は疼く。夜ごと、雨宮様の手のことを思い出してしまったりしている。早く雨が降らないだろうか。僕はそればかり考えていた。
そしてやっと雨が降った。
だが――雨宮様は来てくれなかった。
結果、また僕は明日の夜から変態達の相手をさせられることになった。
たった一回来ただけでは、また来てくれるか分からないからだ。三週間以上経っていたから、一ヶ月が経つ頃には、変態の相手をとずっと楼主様に言われていたのだ。明日はすぐに来てしまい、それは即ち今日である。僕は格子の中で、深々と溜息をついていた。
「ああ、いたいた」
すると、なんと雨宮様の声が響いてきた。驚きすぎて目を見開きながら顔を上げると、相変わらずニコニコと笑っていた。
「ン、ぅ、う……フ……あ、あ」
部屋で。
今日も、雨宮様は、僕を後ろから抱きかかえて胸の飾りを嬲る。優しい刺激が辛くて辛くて、気づくと太股が震えていた。着物の合わせ目から片手を入れられ、もう一方の手では、今日は最初から陰茎を握られている。気持ちいい。気持ちよくておかしくなりそうだ。
「あ、ああっ、あ、ハ」
「随分と気持ちよさそうだね」
図星過ぎて何も言えないし、何か言おうとすれば、全て喘ぎ声になってしまう。
ただ胸を弄る手も下を弄る手もゆっくり過ぎて、酷くもどかしい。
もっと強く刺激してほしかった。
「っ、ンぅ――ッあ、ああっ、んア」
すぐにでも達してしまいそうになったのだが、ただそれには少しだけ刺激が足りなかった。もどかしい。もどかしいよ。
「あ、ああっあ、うあ、あ、や、イきたッ」
結局このままではまた僕は焦らされて終わってしまう気がして、藻掻いた。コレでも堪えに堪えたのだ。焦らされることに僕は半ば恐怖すらしていたのだ。藻掻くと言うよりも、多分暴れたが正しい。雨宮様の手をふりほどき、僕は逃げようとした。すると強引に反転させられ組み敷かれた。
「うん、こういう方が燃えるな」
その時、パチンと音がして、雨宮様が俺の口元で小瓶のふたを開けた。
――なんだろう?
「!?」
目を見張っていると口元を手で押さえられて息をのんだ。鼻から甘ったるい香りが入ってきた。瞬間、全身が熱くなった。
「――うあああああ!!」
何が起きたのか分からず、僕は必死で首を振った。熱い、体が熱い。気づくと肩がガクガクと震えていて、僕は無意識に自分の手を陰茎に伸ばそうとしていた。雨宮様はニコニコと笑っている。それを見た瞬間、僕の意識はいったん途切れた。
次に気づいたとき、僕は深々と雨宮様の楔で貫かれていた。僕は雨宮様の体の上に乗っていた。こんな体位、したことがなかった。だが、していた。僕は雨宮様の上で、体を揺らしていた。
「え、あ、嘘、何――」
「何って君が自分で乗ってきたんだけど?」
「え、あ、ああああ、深、深い、あ、ああああっ、ンあ――!!」
そのまま下から突き上げられて、再び僕の意識は飛んだ。
次に気がついたのは、翌日の昼間だった。僕は布団をかぶって寝ていた。
もう雨宮様の姿はどこにもなかった。
あれからどうなったのだろうかと、着物を整えて、おそるおそる廊下へと出てみる。
全身が痛い。
そんなことを考えていたら、遠くで、笑っている庄野様と秋桜太夫が視界に入ってきた。
日中にいると言うことは身請けの相談に来たのだろう。体だけではなく、胸まで痛くなってしまったのだった。
――こうして、雨宮様が、僕のお客様になった。
雨が降ると、雨宮様は顔を出してくれる。
今日は雨が降りそうだ。だけど降ってくるかは分からない。曇天なのだ。
今日は雨宮様は来るのだろうか。来ると良いな。
そんなことを考えていたら楼主様に呼ばれた。雨宮様の姿は見えなかったからなんだろうかと思っていたら、なんと庄野様が僕を指名しているとのことだった。
あんまりにも久方ぶりだし、狼狽えてしまった。
「ンあ、ぅ、ん、庄野様、ァ……」
庄野様は、すごく穏やかと言うか、こちらがそれほど動揺させられることがないからほっとする。先日雨宮様に本気で啼かせられたせいなのか、余裕を持って(?)喘ぐことが出来た。昔の僕には考えられない。そして一つ気づいた。なんでなのか、以前ほど抱かれている時に、悲しくなったり辛くなったりしないのだ。 意識を飛ばすこともなく行為を終えて、僕は庄野様を見送った。
それから後始末がてらお風呂に入り、ぼんやりと考えた。おかしいな、僕は庄野様のことが好きだと思ってたんだけどな。まぁどうせ他に客も来ないだろうと思い、じっくりと湯船の中で考えることにした。だが。
「次のお客様がお待ちだよ、まだかい!?」
声をかけられて唖然とした。
「え」
嘘だよねという思いが強かった。
とりあえず急いでお風呂をあがって、身支度を調えた。
そして部屋へと向かって少しすると――雨宮様がやってきた。
「へぇ。売れているみたいで安心したよ。俺以外に客なんていないのかと思っていたからね」
雨宮様は相変わらずニコニコと笑っていた。ただ何となく、違和感があった。なんだろう。
「あ、愛しているのは、雨宮様だけです」
それはそうと僕は定型句を告げた。
「ふぅん」
――?
何故なのか笑顔なのにすごく声が冷たい。何か嫌なことでもあったのだろうか?
首を傾げていると、すぐに着物を剥かれて押し倒された。そして雨宮様に陰茎を口へと含まれた。
「ひ、ッあ、アア!! も、もうイけなッ――うあああああ!!」
雨宮様は僕の中を指でかき混ぜながら、ずっと口淫を続けている。
前立腺を刺激されるのと同時に強く吸われること、もう数回。僕はすでに雨宮様の口の中で二度達している。このままでは壊れてしまう。おかしくなってしまう。
「うあ、あ、あッ、やぁ――うあああああん、あ、ん、あああん、いや、いやああ!」
三度目に果て、ぐったりしたが、指の動きは止まらない。
「あ、ああ、あ、あ、あ、あ」
「まだ大丈夫でしょう? それとも前のお客様とヤりすぎた?」
「あ、ンあ、もう無理、できなっ……あああン――!!」
雨宮様はいきなり何を言い出したのだろうかと思った。とりあえず唇が離れてくれたことに安堵する。イかされすぎて体が軋むように痛んだからだ。
「ふぅん。無理なんだ。じゃあ、出さなくて良いようにしてあげるよ」
雨宮様はそう口にすると、何を思ったのか細い方の帯で、僕の陰茎の根本を縛った。
「!」
「コレで安心だね」
「うあン――ひ、ヒャっ、うあ、うああッ」
だが途端に指の動きが強くなり、ぐりぐりと前立腺を突き上げられた。どうしようもない射精感に襲われて、目の奥がチカチカした。
「あ、あ、僕、僕、や、やァ――!!」
そして射精することなく僕は絶頂感に襲われた。涙がぼろぼろと浮かんできて、頬がぬれる。しかもそれは一度では止めてもらえなかった。
「待って待って待って、アアアア、あ、うん、あ、あア――うああっン――!!」
ひたすら内部の感じる一点を刺激され続け、僕は何度も何度も頭を振った。
「あ、あ、ン――駄目、駄目、また、また、あああッ!」
「まだまだ出来そうじゃないか」
雨宮様の声は笑っているのにやはり冷たく聞こえた。だがもう僕は訳が分からなくなっていた。その時だった。
「聞いたよ、好きな客がいたんだってね」
何か言おうと僕は思った。だけど、それは出来なかった。
「うッ、あ」
「俺のことが好きだって嘘なんでしょう?」
「ひゃ、あ、あ」
「好きじゃない相手に抱かれるのってどういう気分なの?」
何を言われているのか、意味は分かっても理解できないのだ。聞いているその間も僕はずっとずっとドライで果てさせられ続けていたからだ。
「うあああんん、やぁっ、あ、雨宮様ぁああ!!」
「そうやって、他のお客様のことも呼ぶんだ?」
「ああっ、うああああ! ヒイッ」
「さすがは高級男娼だね」
馬鹿にされているのだろうか。だがもう何でも良かった。気持ち良すぎて、だけど辛くて、全部全部訳が分からなくなっていたからだ。
ただ、何となく僕は思った。確かに僕は、庄野様を好きは好きなんだけど……もう好きじゃないみたいなのだ。多分僕は、雨宮様のことが気になっている。だけど、それが上手く言葉にならない。だって喘ぎ声しか出てこないのだから。
――そのまま僕は意識を失った。
それから程なくして、梅雨が来た。
だからなのか、毎日雨宮様が来てくれるようになった。
「ン、ぅ、あ、あ」
「どう?」
「気持ち良、っああ!」
最近僕は、行為の最中に、どんな感じなのか雨宮様に聞かれるようになった。ちょっと恥ずかしい。見習いの頃から、『兎に角気持ち良いと言え』と口を酸っぱくされてきたのだが、学習したことを披露する暇など無かった。本当に気持ちが良いのだ。雨宮様は、ちょっとコレまでの人生で何をしてきたのか不思議になってしまうくらいお上手だ。きっと様々なお店に相手がいるのだろうなと思う。
だが最近は雨続きだからここへと来てくれるのだろう。僕は最近、雨宮様が来たら何を話そうか必死に考えている。考えるのが楽しみだ。
逆さにつるす、てるてる坊主を作るのも日課になった。どうして雨の日は来てくれるのか、今度聞いてみようかな。一生梅雨だったらいいのにな。
翌日も雨宮様は、来てくれた。
「ひぅ、あ、ンあ――あ、あ、いや、おかしッ、待って、あ」
「ここを突かれるとおかしくなっちゃうんだよね?」
「う、うん、ああああ!」
そして段々、終わった後に、意識をとばすばかりではなくて、僕は目を覚ますことが出来るようになってきた。今も一緒に布団をかぶって、雪洞の灯りの中寝転がっている。
「雨宮様、僕は雨宮様のことが好きです」
今ではコレは営業トークではない。本心から、僕はもう雨宮様のことが好きになっていた。何がきっかけだったのかなんて全然分からない。ただ何となく一緒にいられて、顔を見られるだけで、ほっとするから好きなのだと思うのだ。
「どこでそういう言葉は習ったの?」
「? 見習いの時に」
「……ああ、そう」
何故なのか雨宮様が珍しく眉間に皺を寄せた。
――?
まぁ、口元は笑っているから良いだろう。僕は一緒にいられて幸せだ。