【2】梅雨寒と逆さまのてるてる坊主






 今日はすごく寒い。僕は両手で体を抱いた。梅雨の間には、こんな風に寒くなる日が毎年一日くらいはある。格子から外を見ていると、寒さも一入だが、それでも今日は雨だから雨宮様が来てくれると思えば気にならなかった。こんな風に寒くては、雨宮様も冷えているかもしれない。出来ることならば、暖めてあげたい。だが火鉢を用意するほどでもないし、どうすればいいだろうか。

 この日、雨宮様が来たのは、いつもよりも遅かった。

 お食事をなさるとのことだったので、僕は徳利を手にして隣に座った。雨宮様はいつもと同じようにニコニコと笑っている。少しだけ肩のところが雨に濡れているように見えた。なんとなく、コレは誰かに傘を貸して――誰かと相合い傘をして、はみ出して濡れてしまった跡のように思えた。昔この濡れ方が不思議で、同じ濡れ方をしていた庄野様に聞いてみたら、そう言っていた。

 第三吉原には、この見世とは違って、日中に客が遊びに連れ出せる所もあるから、その時の庄野様はそこの帰りだったか。

「今日はどこに行ってきたんですか?」

 純粋に疑問に思ったのと、雨が降っていても他にもどこかに出かけるんだなと思ってちょっとだけ、本当にちょっとだけムッとして、思わず聞いてしまった。

「仕事だよ。酒の席でまで仕事の話をさせるなんて無粋だね」
「……本当に?」
「紫陽?」

 僕が食い下がると、雨宮様が首を傾げた。我ながら、僕が食い下がるなんて珍しい。
 気恥ずかしくなってしまって顔を背けた。
 本当は、会ったら暖めてあげたいと思っていたはずなのに、僕は何をしているんだろう。

「――誰かに何かを聞いたのかな?」
「え?」
「……そう言う訳じゃないんだね。じゃあどうして、そう思ったの?」

 雨宮様がそう言うと、猪口を片手でクイと煽って飲み干した。
 慌てて僕は次を勧める。すると徳利を奪われた。

「少しは君も飲んだら?」
「あ、有難うございます……頂戴します」

 僕はそんなにお酒に強い方ではないので、おずおずとお猪口を手に取った。正直日本酒よりも、もっと弱いお酒の方が良い。水割りに出来るモノだったらまだまし……というわけでもないのが、難点だ。

 しそ焼酎だけは飲めるのだけど、他は薄く割っても次の日頭が痛くなってしまうのだ。だけどまだその話を雨宮様にしたことはないし、話す日が来るのかも分からない。

「それで?」
「はい?」
「ごまかさないで。どうして、俺がどこかに行ってきたと思うの?」

 ごまかした訳じゃなかったのだが、一寸前の会話だというのに僕はお酒に意識がとられて忘れてしまっていたのだ。グイと今度こそは本当に、『自分自身』をごまかすために、僕は猪口からお酒を飲み干した。勢いをつけないとなんだか、恥ずかしくなってしまったのだ。お酒を飲むと、僕はちょっとだけ気が大きくなる。

「愛しいお方を傘に入れてきたのでしょう?」
「……愛しいお方、ね」
「左肩だけが濡れています。僕が、代わりに暖めます!」

 この際、そこにある雪洞の暖かさで乾かしてしまえないだろうか。
 そう思っていると、喉で笑われた。

「仕事で客先から接待を受けていたんだよ。西村屋の子達がいた。それだけだよ。言い訳じみているけれどね。言い訳は必要としてもらえる?」

 雨宮様はそう言うと、僕をその場で押し倒した。ここは宴会をする場所だから、何もしては行けないことになっている。驚いて目を見開くと、雨宮様が右の口角を持ち上げた。

「嫉妬してくれたと、とっても良いのかな?」
「え、あ、ち、違、別に――……そ、そうです! 嫉妬しました!」
「それはどっちなのかな? まぁ、存分に暖めてもらうつもりだけどね」

 雨宮様はそう言うと、僕の首筋に唇を落とした。

「ンっ」

 思わず体を硬くしながら、僕は悩んだ。

 反射的に恥ずかしくなってしまって否定しようとしたが、僕は嫉妬していたのだろうか。確かに僕は雨宮様のことが好きなのだが、嫉妬? 確かにムッとしていたのだから嫉妬していたのだと思う。今更ながらにそのことに気がついて照れた。上手く営業トークに出来て良かった!

「食事はもう良いよ。部屋に案内してもらえるかな、『紫陽花』」

 雨宮様が、わざとらしく僕の名前をアジサイと呼んだ。
 こうして夜が始まった。

「っ、ぅン……は、ァ……あ、っ、雨宮様……ン」

 帯をほどかれ、僕は組み敷かれた布団の上で、雨宮様の首に両手を回した。
 僕の腰を撫でた雨宮様の骨張った指が、そのまま太股へと下がっていき、足を折って持ち上げる。もう一方の手は、香油の瓶に指を浸してから、静かに後穴の入り口をつついた。

「ああっ」
「俺が欲しかった?」
「ン、あ」
「俺は君が欲しかったよ」
「ああン、あ、あ……っフ、ッ」

 ゆっくりと進んできた二本の指が緩慢に震え、僕の内部をほぐしていく。それがどうしようもなく気持ちよく思えて、僕はさらに、首に回す手に力を込めた。僕は雨宮様の体温が好きみたいだった。

「んく、ぅ――っ、ぁ」

 それからすぐに、感じる場所を二本の指で規則的に刺激された。息を飲むが、声が漏れてしまう。雨宮様は僕の体のどこが感じるのか、もう頭にばっちり入っちゃっているようだ。本当にこれまでの人生をどんな風に生きてきたのか聞いてみたい。

 ――仕事の話が無粋なのは分かっている。だけど、何のお仕事をしているのかくらい、僕は本当は聞いてみたいのだ。僕は雨宮様の仕事内容を知らない。どこかの旦那様なのだろうと言うことしか知らないのだ。

「あ、あ、っ……ンあ!! あ!!」
「まさか指だけで満足だなんて言わないよね?」
「あ、ン、ぅあ、あ……っは、ぁ……雨宮様ァ」
「んー?」
「雨宮様、早、くっ……ふァ、あ」
「早く何?」
「い、いれ……――うあ――――!!」

 僕が言い終わる前に雨宮様の楔が中へと入ってきた。深々と貫かれ、背がしなった。腰が引けそうになると、両手でしっかりと捕まれる。

「あ、あ、あ」

 大きく吐息すると、涎が零れそうになった。涙は零れてしまった。
 挿入の甘い衝撃だけで僕は果てそうになっていたからだ。

「もっと、ねぇ、あっ」

 ぎゅっと雨宮様に抱きついてお願いすると、肌と肌が奏でる音が響き始めて、僕はクラクラしてきた。体と体が解け合うような感覚で、心が繋がっているみたいな、そんな錯覚に襲われた。これでも、いくらお客様がほとんどいないとは言っても、体を売る仕事をしているのに馬鹿げているとは思うのだが、確かにそんな風に思ったのだ。

「ンあああ――――!!」

 そのまま一際大きく突き上げられた時僕は果てた。

 雨宮様が果てるまで、その後も何度も僕は中を暴かれた。その内にやっぱりいつの間にか意識を飛ばしてしまっていたみたいだった。

 目を覚ますと、隣でうつぶせになり頬杖をついて、雨宮様が僕を見ていた。

「もっと、なんて言われたのは初めてだね」
「……?」

 そうだっただろうか。首を傾げていると、優しく髪を撫でられた。

「お酒が入ると素直になるのかな?」
「それは、その……」
「前よりはちょっとは営業上手になったんじゃない?」
「なッ」

 なんだそれはと思った。これは……喜ぶべきなのか、そうじゃないのか。お酒をごちそうしてくれるという意味だとすれば、売り上げ的には有難いが、僕はそんなに得意ではないのだし。

 ただそれよりも、気になることがあった。

「……暖かくなりましたか?」
「――うん。紫陽が温めてくれたからね」

 僕はどちらかというと体温が低いのだが、役に立ったのだろうか。

 兎に角雨宮様が暖かくなったというのであれば良かった。僕はその言葉に満足したから、雨宮様の胸元の着物をつかんで目を伏せた。少し眠ろう。

 ――そして、次に目が覚めた朝が暮れた頃も、また雨が降りますようにと祈ったのだった。

 雨が降ったら、きっとまた雨宮様は来てくれるはずだから。



 だというのに……その翌日。

 僕は見つけてしまった。隣の部屋に、てるてる坊主があるのを――……!

 見た瞬間に廊下で硬直してしまった。そこには満面の笑みの白い体躯。これでは空が晴れてしまうかもしれない。

「ああ、紫陽。本当に雨が鬱陶しいよね」
「……」
「これじゃあ卯の花も本当に腐ってしまうね」

 部屋の主である同僚はそう言うと歩き去っていった。僕はただ、てるてる坊主を見上げて固まったままである。晴れたら雨宮様が来てくれないではないか。別に待っているわけではないが……いや、待っているのか。うん、ああ、待っている、僕は雨宮様を待っているので、てるてる坊主に晴れさせてもらっては困るのだ。

 急いで自室へと引き返し、僕は窓の所に並んでいる五体のてるてる坊主(逆さま)を見据えた。足りないかもしれない。もっと作った方が良いだろうか。しかし先ほどのてるてる坊主に比べると数は多いが一つ一つが小さい。

 量より質だろうか?
 もっと大きなモノを作って、一つだけに絞るべきか?
 いや、大きなモノを沢山作ればいいのだろうか?

 うん、それが良いだろう。これまで白い色紙で作っていたのだけれど、これからは布で作ろう。顔も思いっきりしょんぼりさせた方が良いかもしれない。

 僕はそう決意して、黙々とてるてる坊主を作り始めた。



「一気に増えたね」

 その日やってきた雨宮様が、てるてる坊主を見て呟いた。

「俺の他にも雨が降ると来る客が出来たの?」
「え?」
「これまで、俺が来ると一つずつ増えていたから」

 それはそうだ。雨が降るたびに、その次の日一つ追加していたのだから。

「それとも雨が降ると縁起が良いと言うことになって、験でも担いでいるのかな」

 なるほど。
 雨宮様が来てくれるようになったのは、縁起が良いのかもしれない。
 それに最近僕は雨の日が好きだ。雨の日はついているのかもしれないし。

「紫陽、早く否定してくれないと酷くするよ」
「否定……?」
「俺が来るように祈って、てるてる坊主を作ってくれたって、ちゃんと教えてくれないと」
「どうして知ってるんですか?」
「……それは本音なの? 営業なの? 君が相手だと、睦言を交換する遊びに苦労するな」
「ほ、本音です!」

 必死で僕が言うと、苦笑した雨宮様に抱きすくめられた。
 吐息が耳元に触れてくすぐったい。
 柔らかい雨宮様の髪が頬に当たった。



「んぁ……あ、あ、んゥ……」

 雨宮様が、僕を立たせたままで、口に含んだ。僕は必死に体重を柱に預けて、着物を自分の手で持っている。ちょっとこれは恥ずかしい。自分で着物をまくって、雨宮様に口でしてもらっているのだ。

 恥ずかしいので声を殺そうにも、巧みすぎて声が漏れてしまうし、抵抗しようにも、手は着物を握っているのだ。

「ひぅ、あ……っ……ン」

 しかも、しかもだ。
 僕が達せず、我慢できたら、明日は晴れても晴れなくても来てくれるというのだ。
 酷い話である。我慢するしかない。

 なのに筋を舐めあげられて、薄い唇で強めに雁首を刺激されるたびに、背筋を快楽が走りあがっていき震えてしまう。

「あ、う、うん……っ……ッ、あ、」

 ピチャピチャと水音が響いてくる。舌先で鈴口を嬲られ、僕は泣きそうになった。

「や、やだ、いやだそれ、ッ……」

 すると、ただでさえ立っているのがやっとだと言うのに、片方の太股をいきなり持ち上げられた。

「あ、あ、あ!!」

 倒れると思ったら、もう片方の手で腰を支えられる。けれどそれがまた撫でるようで、ゾクゾクとした。角度を変えて口に含まれ、今度は根本を舐められる。

「う、う……はっ、ぁああっ」

 もう出てしまいそうだった。

「おしまい」
「っ」
「明日も来て欲しいんだよね?」

 雨宮様はそう言うと、僕の太股から手を離し、クスクスと笑った。
 イけないままで、僕は目を瞠った。体が熱い。

「今日は少し疲れているから、また明日ね」
「!」

 僕が柱のところで固まっている前で、さっさと雨宮様は布団の上へと行ってしまった。
 勿論そう言われてしまったら、続きを強制することは出来ない。
 だが僕はせがまずにはいられなかった。

「あ、雨宮様……あの……」
「一緒に休もう。君も少し眠った方が体に良いよ」
「はい……」

 けれど頷く以外の言葉が見つからなかった。結局僕は、その夜雨宮様に腕枕されて、抱きしめられるようにして、横になった。眠れるわけがなかった。逆に体温が優しすぎて、どんどんどんどん体が熱くなってしまった。



 そして翌日は、てるてる坊主効果もあったのか雨が降ったのだが、雨宮様は来てくれなかった……。そうして翌々日。

「来てくれるって……また明日ねって……言ったのに……!」

 宴会の席で僕が雨宮様の着物を引っ張ると、楽しそうに笑われた。雨宮様は片手で口元を覆っている。ムッとしながら僕は、さらに増えたてるてる坊主を一瞥する。

「ごめんね。ちょっと意地悪したい気分になって」

 雨宮様は十分意地悪だと思う。

「俺のことを待っていてくれた?」
「お待ちしておりました!」
「俺の言葉を信じてくれたんだ?」
「あたりまえです!」

 もう何回、嘘をつかれたり、嘯かれたりしたかは分からないが、それでも僕は信じて待っていたのである。本当に全く酷い話だ。未だに体から熱が消えなくて仕方がないというのに。最近じゃもう、毎日雨宮様に買ってもらわないと僕の体はおかしくなってしまいそうなのだというのに。本当に酷い。

 すぐにでも布団に移動したい気分だったというのに、この日に限って雨宮様は夜更けまでお酒を飲んでいた。やきもきして僕は、いっそ一升瓶を零してしまおうかと思ったが、もったいないので止めた。食べ物や飲み物は粗末にしてはいけない。

「ん、ああっ、はッ、う、あ」

 しかしやっぱり零しておけば良かったと思った。なんと中に固いモノを入れたまま、雨宮様が眠ってしまったのだ……! 僕は結局一度も射精できていない。

「あ、あ、っ、うう」

 抜けばいいのかどうすればいいのかも分からない。

 ただ兎に角動けない。雨宮様は僕を抱きしめて、先ほどから目を伏せたっきり動かないのだ。体がもどかしくて、さらなる熱を求めて、自然と一人でに腰が動いてしまう。だが、動けないし角度も気持ちいい場所からずれているから、震えてもどうにもならない。涙が出てきてしまった。

「やだ、やだぁっ、あ、……雨宮様、お、起きて……っ、うう、あ――!!」

 全身を熱に絡め取られて、僕はボロボロ泣いた。

 だけど、雨宮様は疲れているのかもしれないし、あんまり無理に起こしても悪いし、本当どうしたらいいのか分からない。きつく目を閉じてみたが、それでも全身を襲っている快楽は止まるところを知らない。

「フ、っ、く……ん、ぁ……あ、あ、もう嫌ぁ……」

 限界だった。

「ぁ、あ……あ……――ッッッ」

 理性が飛んだ。

 頭の中が真っ白になり、動いても何もしていないのに、絶頂感に襲われて怖くなった。

「う、うあっ、あ……怖、っうあああ」
「――その声結構クるな。色っぽい」
「え? あ?」

 涙で滲んだ視線を向けると、雨宮様が意地悪く笑っていた。

「ンあ――!! あ、ああ!!」

 そして唐突に激しく抽挿された。

「アア!! いやぁ!! あ――――!!」
「本当に嫌? 言ってごらん?」
「やだ、あ、もっとして、気持ちいいッ、ンあ――――!!」

 そのまま体を揺さぶられ、僕は果てた。
 気持ちが良すぎて、そのまま意識も手放した。
 次に目を覚ましたのは、隣で布団から出る気配がしたからだった。

「帰っちゃうんですか?」
「朝だからね」
「……そうですね。よくお眠りでしたしね……!」

 確かにそうだったと思いつつ、僕は昨日のことを抗議しようと頑張って嫌味を言ってみた。嫌味も見習いの頃に散々習ったのだが、僕には上手く身に付かなかった。なかなか意識して言おうとすると難しいのだ。

「俺は一晩中起きていたよ。寝言で俺の名前を呼びながら眠っていたのは君じゃないかな」
「え、僕寝言なんて……って、あの、だから……!」
「寝たふりをしていただけだよ」
「え?」
「もしも俺が寝たら、紫陽はどうするのかと思ってね」

 ニコニコとそう言って笑うと、雨宮様は帰っていった。騙された……!
 やっぱり若干ムッとしたのだが、それでも今日も僕はまた、逆さまのてるてる坊主を作ってしまう。雨宮様にお会いしたいから。