【番外】骨を埋める ―― 遊郭楼主 ――



 全く溜息が出てしまう。

 稼ぎ頭の秋桜太夫の身請けが決まった。ここは一つ、容姿では雌雄を競っている紫陽花に頑張ってもらいたいところなのだが、激励に向かった部屋では、黙々と巨大なてるてる坊主を作っている紫陽の姿があった。

 秋桜にしろ紫陽花にしろ、これはここ東屋における源氏名だ。だが、売られてくる子には、源氏名以外を持たない子は少なくない。

 確かに色あせ散り枯れる花の名前は好ましくないから子につけないという風潮が残る街も未だ多い。時代が変わり、新旧が変わり、そうして築かれたこの第三吉原でも、今でも初代の頃からの残りがは至る所にある。

 元々は楼主である私も、男娼だった。
 父は知らない。母は太夫だった。

 母が一つ店を任せられるまでになり、亡くなった頃には、自分の側も吉原に身を埋める覚悟をしたものである。

「なにをしているんだい、紫陽」
「ろ、楼主様……! てるてる坊主を……!」
「こんなに晴れ渡っているのにかい?」
「いえ、そのっ」

 紫陽が俯いた。確かに紫陽は綺麗だ。だが話をしていると、その子供らしさが愛らしくなってくる。なかなかそこまで踏み込める客がいないのも問題だ。客と言えば、その紫陽の所に、最近かよう馴染み客が出来た。偶然だろうが雨の日に来る客だ。

 なるほどと合点がいき、思わず笑ってしまった。

「今日もいらっしゃると良いね」
「は、はい!」

 満面の笑みで紫陽が頷いた。紫陽は気だてが優しい。優しすぎて時に不安になってしまう。普通指名替えなどされたら、客も同僚も恨みそうなものなのに、少なくとも表面上でそう言う変化は見受けられない。こちらの方が苦しくなってしまったほどで、秋桜太夫のことを叱ってしまったが、あちらはあちらで恋心に押しつぶされそうになっていたから、最早何も言うまい。

 そんな紫陽に、豪奢な打掛が三着も贈られてきたのは、『菖蒲の宴』の当日のことだった。

 一緒に着ていくんだろうと尋ねたら、その場で初めて出かけることを知ったというような顔をされた。流石は紫陽だ。自分で打掛をねだって、宴に誘ったなどという玄人芸は持ち合わせてはいなかったらしい。一方の雨宮様も雨宮様だ。

 おそらく紫陽にかなり惚れ込んでいる。
 熱を含んだ客の目など見慣れているから私にはよく分かる。
 しかし雨宮という客のことは未だ分からない。

 東屋は会員制だから、素性は確かめてある。本当は一見客も断っているのだが、始めてきた日に、ぽんと二百万を机に置かれた。何より指名した相手が、外見は良いのにそれ以外が残念で客がつかない紫陽だったのだ。見る目はあるだろうと思い、そして紫陽のことが若干可哀想だというのもあって、私は見世にあげた。特例だった。

 元々は紫陽には、庄野様というお客様がいた。
 二次性徴で背が伸びたのを理由に、紫陽から秋桜太夫に指名替えをした。

 だがその前から何度も秋桜太夫は、庄野様を目で追っていた。指名されるようになった今では、本来は禁止であるのに起請文の乱発をしている。庄野様が豪快に「愛されるっていいな」なんて笑っているから事は済まされているが、太夫としては本来は御法度だ。秋桜太夫は恋に盲目なのだ。では紫陽はどうなのか。以前は庄野様を少しは好いているのだろうと思っていたのだが……。

 雨宮様に関して無論、庄野や雨宮と言った客となど、本当の恋愛関係になることは望ましいことではない。それがここ、第三吉原の東屋だ。一夜限りの恋を楽しむ場所なのだから。

 しかし菖蒲を見に、まさか行かないのかと思って尋ねたら、「行きます!」と返ってきて安堵した覚えがある。紫陽は心臓に悪い子だ。

 もう少し客がつきさえしてくれたら――もうかなり客がつきさえしてくれたら――まず間違いなく、紫陽は太夫だ。今でも道行く人を見る限りに置いては、紫陽は確実に目を引いている。別に繁盛させたいわけではない。繁盛した方が嬉しいには決まっているが。もう少し売り出し方を考えてみた方が良いのだろうか。

 そんなことを考えていた時、三枚下駄をはいた紫陽の手を取り、雨宮様が見世へと戻ってきた。並んで歩く二人の姿は、一枚の絵画のようで、どちらも共に美しいが、それが引き立たせあっているように見えた。

 ――あんな風に柔らかく笑っている紫陽をみるのは珍しいね。
 もうその表情だけで確信できた。
 あの二人の間には、恋情が赤い糸を引いている。

 いくら男娼と客とはいえ、恋に落ちてしまえばどうにもならない。
 幸せな結末を祈らずにはいられなかった。



 東屋が火災に襲われたのは、そのすぐ後のことだった。

 火をものともせず中へと走っていく雨宮様の姿を見て、私は紫陽の無事と共に、嗚呼二人の恋は順調に成就へと向かっていたのだなと思った。

 今日は雨など降ってはいないはずなのに、焼け落ちていく東屋と、紫陽のことを思えば、頬を水滴が伝いそうになった。しかし私は楼主だから、ただ泣いて手を拱いてばかりでは行けない。見世の若衆に指示を出し、焼け出された皆と客の居場所を確保していく。

 紫陽のことは雨宮様に任せようと思った。
 その方が紫陽もまた喜ぶだろうと直感したからだ。

「雨宮様は……?」

 紫陽はと言えば本当に馬鹿で、意識を落として運ばれた病院の和室で、開口一番そんなことを言った。こちらがどれだけ心配したと思っているというのか。意地悪心が浮かんできてつい知らないと言ってしまった。

 面会を終えて病室を出ると、椅子には雨宮様が座っていた。

「紫陽の具合はどうなんですか?」
「命に別状はありませんよ。そう、ご心配なさらないで下さい」
「会えますか?」
「ここは見世ではありませんので、お断りします。会いたいと仰っていたことは伝えますが」

 私はこちらにも意地の悪い気持ちになってそう伝えた。
 本当は二人でそろって穏やかに笑っている姿を見ているのが好きだ。

 ずっとそれを見守って行ければ良かった。だが、おそらくそうはならないだろうとどこかで確信していたのだ。

 以降もあししげく雨宮様は病院に通ってきたが、病室の前で私と雑談をするのが見舞いの代わりのような事態になっていた。

 ――紫陽の火傷は酷い。

 服の上からでもそれは分かる。もしもこの状況で、雨宮が何かを言ったら、そう考えると私はどうしても面会の許可を出す気にはなれなかった。紫陽は私の見世の子だから、私が保護者代わりなのだ。

「いつ退院できそうですか?」
「新しい見世が建つ頃には出来ますよ」
「それまで会えませんか? ……火傷をしていても店に出るんですか?」
「そうやって、日々の食事を得て私たちは生活していますからね」
「せめて怪我が完全に治癒するまでは専門的な治療を受けさせるべきだ」
「私だってそう思います」

 当然だった。第三次世界大戦以降、金さえあれば最先端医療の恩恵をいくらでも受けることが出来るのだ。それがないから第三吉原に紫陽がいると言うことを、この馬鹿な客は知らないのだろうかと思わず睨め付けてしまった。

「だったら――」
「雨宮様。これはこちらの問題です。お心遣いは有難いですが……」
「……紫陽を身請けさせてはもらえませんか?」
「え?」

 響いた声に、私は顔を上げた。火傷の痕が酷いから、今後紫陽は客を取れない。身請けなどしても、それは変わらない。

「紫陽の怪我は酷いので、同じ枕にはいることも楼主として今は許せませんよ」
「純粋に、紫陽に早く良くなって欲しいだけです。それと――そばにいて欲しいだけなんだ」

 そう告げた雨宮様の瞳は真剣だった。

「――……そう言うことでしたら、店を開店したその日に、直接紫陽に請う事ですね」

 内心では、私は何度も雨宮様にお礼を告げていたと思う。



 他にいい話もあった。
 火事で繰り上がり、秋桜太夫が庄野様のお屋敷に身請けされていったのだ。

 紫陽の見舞いに行ってきたという秋桜が、帰りにもうすぐ開店する東屋にも顔を出してくれたのである。

「ご迷惑をおかけしました……」

 菓子折を持って、頭を下げて現れた秋桜と、並んで訪れた庄野様をみたら心が温かくなった。――正直な話、私は秋桜太夫が放火したのだと思っている。だが全ては火に焼けてしまったのだからこれで良いと思うことにした。

「太夫を迎えた商家は栄えると言いますからね、庄野様もちゃんと秋桜を大事にして下さいよ」
「分かってる分かってる。吉原遊びもほどほどにするよ」

 ほどほど。止めはしないのか。
 庄野様はそう言って腕を組むと、不意に透き通るような瞳で私をみた。

「死人がでなくて良かったな」
「ええ」
「紫陽の具合は?」
「平気ですよ」
「そうか――これ、見舞金に」

 庄野様はそう言うと、分厚い封筒を二つ渡してきた。一つは見世当てだったが、もう一つは宛名が無かった。紫陽あてだろうなと分かった。紫色のお守りが添えられていた。

 そんな日々が懐かしい、そう感じるまもなく、吉原遊郭では日々が流れていく。
 結局その後紫陽もまた身請けされ、私は寂寞感に襲われた。
 けれどまた毎日、違う新たな二十四時間が巡ってくる。

 吉原に休む暇はない。
 それが吉原に骨を埋めると言うことだった。