【17】殺意



「衝動が内的か外的か、それだけだと思ってる。勿論、色々な理由があるのは分かるけど」
「――つまり私は将来、誰かを殺す可能性があるって事ですか?」
「さぁね。君は内側に向く方みたいだから、俺は知らない。そもそもこれは、個人的見解だし。けど、面倒くさい相手や、あきた相手に対して、きっと何らかのアクションを起こすんじゃない。音信不通になるとか、もうきっぱりする感じ。人生もきっぱりするわけだし。根本的に、君は人の好意に気づかないし、他者の感情の推測にも長けてない。いいや、これは正確な表現じゃないな。おそらく、気づかないふりをしてる。大嘘つきの君は、自分に対しても嘘をついてる。自覚は無いかもしれないけどね」
「大嘘つきって……」
「人気者で友人が沢山いる君が、空気を読めないわけがないんだ。あえて読まない場合があっても。逆なんだよ、本来は、相手の感情に敏感すぎる。だからこそ、気づかないふりをしてる。いかにして迷惑をかけないようにするか考えて、嫌われないようにするか考えて、それで明るく振舞ってる。その上で、致命的なことに、それを意識していない。自分自身の感情の機微をわからないんだよ、君」
「自分の感情……」

 そういえば、あんまりそういうことは考えて生きてこなかった。
 悲しいとか嬉しいとか褒められたとか嫌われたとか、漠然とは考えた。
 だけど、深く、そういう事柄について悩んだ記憶は一度もない。

「興味があったとか、面倒くさかったとか、あきたとか。君は死にたい理由が分からないから、そう感じてるだけだ。俺は、個人的には、理由のない自殺はないと思ってる」
「だけど、急にそうしようと思うし、気づくと実行してるんです。事前計画とかなくて、単純に薬の時だって、やろうと思ったから量とかを検索しただけだし」
「理由なく突発的に死にたくなるんだ?」
「だから死にたいわけじゃないんですってば!」
「中学時代は、何か死につながる興味を持ったことは?」
「えー? んー、そうだなぁ……醤油飲んでみたとかも入ります?」
「入るね。どのくらい飲んだの?」
「ペットボトルの三分の一くらいです。不味かったので止めました」
「なんで醤油を選んだの?」
「おばあちゃんが認知症で、間違って醤油とコーラを間違って飲んだんです。それで死んじゃうところだったって聞いて、本当に死ぬのかなぁって思って、飲んでみたんです」
「死ぬ気じゃなくて、興味でなんだ?」
「はい」
「当時、ストレスは?」
「ストレス性の胃炎になっちゃったことがあります。受験とか。あと部活が大嫌いで」
「思春期の自傷行為程度じゃないんだよなぁ。ねぇあのさ、前にやった紙の検査、明るいことばっかり解答してたけど、真面目に答えた?」
「はい!」
「退院したいから良い事答えたりしてなかった?」
「してないです。っていうかあれ、何が良いことで、何が悪いのかもわからなかったし」
「普通はね、ああいう状況だと、過剰にネガティブな解答をする患者さんが多いんだよ。ただ、君の場合は、病気の方の結果が良好だってわかったから明るくなっているのかもしれないという結論になったんだ」
「ねぇ先生、これって診察?」
「ううん。時間外で今空いてるから、お見舞いに来たんだ。自分が診たことある子が来たら、見舞いに行ってみようかなと思うこともあるんだよ。俺はね」
「じゃあ時間外のお仕事で悪いんですが、私って、頭の病気だと思います?」
「そうは思えないから困ってるのが正直なところなんだ。自殺企図以外、何も症状がない。しかもその理由が、君自身にすら分からないんだから、俺はなおさらだ。目に見えるような自傷行為もなければ、死にたいと訴えることもない。なのに、やる時は確実な方法を取ろうとする。もちろん自殺未遂は即入院だ。しかし大嘘つきの君の自殺願望を証明する手段もなければ、疑惑をかける余地すらない。疑えないんじゃ、入院させられない。その上、常にあるわけでもなく、今も無いみたいだ。今俺にできることは、怪我や嘗ての病気から苦しんでいる可能性を指摘して、カウンセリングを勧めて、そこで治療方針として、自分の気持ちを自覚できるようにさせるのが精一杯だけど、どうせ笑って拒否するんでしょ?」「個人的には、知能遅延が無い自閉症か、人格障害を疑ってたんです」
「どちらも特徴と違うんだ。特に最初、俺は人格障害を疑った。だけど、どの人格障害にも合致しなかった。もちろん、あれは誰しもが、いずれかの分類に必ず入る。ただし、精神科で診るべき範囲のものは一切当てはまらなくて、ごく一般的な状態なんだよ。次にアスペルガー症候群を疑った。これ、自閉症の方ね。こちらも違う。なぜなら、君の対人関係を見る限り、あの症例では、ありえないんだ」
「じゃあ、なんなんですかね?」
「ひとつは、頭が良すぎるというのはある。本来言わないべきだけど、君は知能指数が人より高い。ただしこれは成人になると平均化していくから、あまり問題じゃない」
「私頭悪いんですけど」
「学習障害系統も一通り疑って、先生に聞いたけど、それもありえない。あの高校で、あの順位を維持できるんだから、とても優秀だよ。変なことをしなければ、多分俺よりよほど有望な未来がある」
「無い無い」
「君は極度に自尊心が低い。自分を無能だと思ってるし、無価値だと思ってる。これは確信してる。ただし自己卑下する姿を人には見せていない。だから生い立ちを聞いてみたけど、ご家族からの情報は幼少時の病弱だったこと程度、今回知ったのはイジメ。イジメは少しは関係があるかもしれない。例えば、嫌われないように振舞う点とかにね。ただ、それに疲れて自殺したいと思うなら、普通は先に、周囲に訴える。かといって、人に心配されたくて、自殺未遂をしているとは思えない。手段と、生存時の嘘が完璧すぎる。虚偽性障害だとしたら、失敗する方法を選ぶから、それも違う。君が生きてるのは、本当にただの偶然だから」
「なんか先生、診察の時より熱心じゃないですか? いつも、もっと明るく話してたのに。こんな難しい話、しなかったのに」
「だってあの時と違って、君の情緒、今落ち着いてるし。あの時も落ち着いてたけど、あっちは受診だから、原因を身体疾患由来としていた以上、ネガティブな事実を言うべきじゃないと判断してた」
「今だって、怪我のせいで不安でいっぱいです!」
「不安だとしたら、失敗しちゃったから、周囲になんて思われるかでしょ?」
「……」

 私は少しの間考えた。
 そして、ふと思い出した。

「先生、よく考えてみると、私好きな人いた! その人が好きだって、ちゃんと自分の気持ちもわかる! やっぱり、あきちゃったとか思ったのは、突発的なものだよ。今その人のこと思い出したら、すごく心配させちゃった気がしてるし、私が死んじゃってたら、その人はとっても悲しんでくれた気がするの。その人も、私を好きだって、私は思ってる」

 すると先生が首を傾げた。

「どんな相手?」
「恋人! 彼氏!」
「お見舞いにもよく来てくれるの?」
「それはね、遠くに住んでるから、次のお休みに来てくれるって言ってた!」
「遠距離? どういう経緯で知り合ったの?」
「従兄の同級生!」
「その人には何でも話せる?」
「遠いから、あんまり、なんでもっていうのは……そんなに変わった日常送ってないですし」
「信用はしてる?」
「すごく良い人だと思ってるから、多分、信用なんじゃないかなって思います」
「その人がお見舞いに来た時、一回会わせてもらっても良い? 受診して」
「絶対嫌です! 余計なこと言わないで! 振られちゃったらどうするの!」
「――まぁ、精神科なんて偏見だらけだしね」

 こうして、この日の会話は終わった。
 案外すぐに退院できた私は、今回は前よりは少しの間だけ、補講すれば良かった。
 そして、無事に高校三年生になった。