【19】大学入学




 大学が決まったので、広野さんに報告することにした。
 この年、彼は医師国家試験の年であり、とても忙しかった。

「東京かぁ。しかも心理。院も東京の予定?」
「まだそこまでは考えてないよ」
「正直、遠恋が辛い」
「別れる?」
「だから軽々しくそういうこと言うのやめてって言ったよね」
「ご、ごめん」
「会える機会がさらに減るのが嫌だって言ってるんだよ。最終的には、勿論こっちに戻ってくるんだよね? 僕は、そっちで医者やる予定なんだけど」 
「……就職先があればね。無かったら、わからない」
「晶の所じゃダメなの? あと、他にも総合病院あるでしょ。精神科で有名な」
「私が臨床心理士に仮になれた時に、募集してるかわからないし」
「じゃあ永久に遠恋を続けるつもりなの?」
「それは、いや、そういうことじゃ……」
「僕に東京に来いって事?」
「それも違うよ……そんな先のこと、わからないだけ」

 てっきり私は、大学に合格したことを喜んでもらえると思っていた。
 だから、若干不機嫌そうな広野さんの声に、困ってしまった。


 まぁこんな経緯もあった後、大学に入学したというのもある。
 うちの高校では馬鹿扱いされている大学だったが、多分ごく普通の私大だ。
 東京にあるリア充だらけの大学である。

 そして大学はそんなに頭が良くないかもしれないが、大学院はとっても難しい所だった。

 基礎系をガッツリやる心理学科で、大学でも心理学科だけは、大学院同様(まぁ結構落ちるけど)そこそこの偏差値である。ここに受かって大歓喜している人もいれば、仮面浪人で入った人もいる感じだった。滑り止めできた人も結構いた。

 あと医学部とか医療系もあって、そっちも偏差値がちょこっと高そうだったが、全国的に見るなら、馬鹿でも入れる医学部として評判だったみたいだ。

 生徒はお金持ちとそれ以外にきっぱり分かれていて、奨学生とそれ以外がいた。
 あとなんか、芸能人系もいっぱいいた。
 私のような一般家庭の人は、あんまりいなかったのである。

 まず、なんと、履修登録よりも先に、サークルの勧誘があった。
 サークルってなんだろうか?
 私はたくさんの紙をもらいながら、とりあえず笑っておいた。

 そして、部活のようなものだと発見した。きちんとした部活とは違う、もっと遊びのようなものだと理解したのである。そして、文芸部を発見した。これは、チラシをもらったのではなくて、紹介の冊子に載っていたのだ。なんかチラシって名前じゃなかった気がするが、忘れちゃった。

 文芸部の紹介には、小説を書いて、同人誌オリジナルを出し、みんなで読み合うと書いてあった。私はここに入ろうと決意した。そしてそのブースに行った。なのに、勧誘されなかった。でも、自分から入りたいと言っていいのか、わからなかった。なぜならば、ほかのサークルは全部、私にチラシをくれて、新歓(飲み会)に誘ってくれたのだ。だけど、ここは誘ってくれなかったのだ。しかもである。私だけ、誘ってくれないのだ。私の周囲を歩いている人は、誘われたのに!

 この時、私はオリエンテーション時に知り合った女の子と一緒に回っていた。
 彼女は、港佳奈ちゃんという。現在国語の先生になった、カクヨムをやっている子だ。
私達はだいたい同じサークルから紙をもらっていた。

 そして私が自分から行ってみたいと口にしたのは、文芸部サークルだけである。
 他は全部二人で適当に歩いていた。
 だが大体、進む方向を決めていたのは佳奈ちゃんだったので、いいよと言ってもらえた。

 なお、仲良くなったきっかけは、オリエンテーション時に隣の席で、彼女がラノベを読んでいたことである。この頃には既に、私はラノベの新人賞にも応募していた。そのレ^ベルの作品だったのだ。当時完全にギャル系だった彼女が、ラノベを読むのが意外で見ていたら、ニコッと笑って声をかけられたのだ。挨拶した後ラノベトークで盛り上がって、仲良くなったのである。

 私は彼女に、なぜ誘われないのだろうかと嘆いた。
 そうしたら、直球で言われた。

「まぁ外見じゃん? 私ギャル系で、伊澄お姉系だし。ヲタに見えないっしょ」
「お姉系? なにそれ?」
「何って……JJ的な?」

 JJとは、私は知らなかったが、雑誌の名前である。
 実は服に興味のない私は、買ってもらって過ごしていたのだ。
 だって、自分で選ぶと変だと言われると、小学時代に確信していたのだ。

「だからつまり、お嬢様っぽいってこと!」

 最終的にちょっといらだち気味に佳奈ちゃんに言われた。
 そして、勧誘している人と、勧誘されている人を見ろと言われた。
 確かに、私達二人とは、なんか服装が違った。

「じゃあ、ああいう服を買ってきて、メガネをかけたらいいのかな? あとは、髪型を変えるの?」
「馬鹿なの? 文芸やめよう。雰囲気的に、あれはリア系の物書きじゃなくて、自分達頭良いと思っちゃってる系のやつらのあつまりだから」
「なんでそんなことが分かるの?」
「見た目と勧誘口調。何あの上目線」
「見た目で判断するのはよくないよ。上目線っていうのは、先輩だからでしょ?」
「でも見た目で判断して勧誘してこないの向こうじゃん」

 その後もう少しやり取りしたが、結局私達はその場を離れた。
 他に軽音系にも勧誘されなかったが、こちらはそもそも勧誘性じゃなかったらしい。
 第一音楽が致命的にできない私は、興味もなかった。

 最終的に、私達二人は、佳奈ちゃんと同じ教育学部と、私と同じ心理学科の先輩の二人組が勧誘していたサークルの新歓に行ってみることになった。テストの過去問を回してあげると言われたら、佳奈ちゃんが即答で行きますと言ったのだ。 

 その先輩達は三年生になったばかりで、会長と副会長だった。二人とその友人で、その年に作ったばかりのサークルだった。最近聞いた話だと、なんと大学で一・二を争う巨大サークルになっているらしい。今でもサークル文化があることに驚いた。フットサルさ^くるだったが、フットサルをやった記憶はほとんどない。女子は元々、たまにやっても参加しなかったのもあるが、なんだか時折バトミントンをして遊んでいた覚えがある。

 新歓に行き、私と佳奈ちゃんはそこに入り、毎週二日、決まった日に顔を出すようになった。その他に、月1で良いから来て欲しいと言われて、私は料理サークルにも入った。そのため、美味しくはないがまずくもない料理を作ることができるようになったのだ。一回だけ、料理対決で優勝した! しかしその一回以外は、対決に出たことがない。

 月に一回、みんなでお昼ご飯に自作のお弁当を持って行き、食べた。私以外の人々は、毎週一日やっていたそうだ。なんで私が誘われたのかは、後に分かった。そのサークルの人が、私をナンパしたつもりだったらしいのだ。カレシがいると言ったら、嘆かれた。冗談だったのかもしれない。

 佳奈ちゃんは、他の日は、バイト三昧だった。
 キャバ嬢!
 私は最初、爛れた職業だと思っていたのだが、そんなことはないと知った。

 ちなみに私は、風俗関係のバイトは絶対してはいけないと釘を刺されて上京した。我が家の基準だと、喫茶店も風俗関係だった。なので、ケーキ屋さん兼カフェでバイトしてみようかなと親に報告したら、即座に激怒された。ケーキは好きじゃないが、カフェは好きだったので、あと家の近所だったので、私はショックだった。最高の場所だと思ったのに。

 後は、バイトに憧れていたのだ。

 しかし色々提案したのだが親の許可がおりず、当時私は純粋だったので隠し事もできず、帰宅すると小説を書いて過ごした。

 この頃は、高校時代のサイトを閉鎖し、投稿一本だった。あるときPNで検索してみたら、某掲示板サイトが引っかかったので、都度都度この当時は、PNを変えて投稿するようになっていた。なおそのサイトの存在は、中学生の頃、情報処理の先生が、なんと授業中に教えてくれ、AAの貼り方まで伝授してくれたという経緯がある。

 大学は予習復習がいらなくて楽だと私は思った。人生で、こんなに勉強が楽だと思ったのは、小学生以来だった。また、当初は私は、とても真面目だったので、ちゃんと一言にも出たし、履修している講義には全部出て、ノートもちゃんととっていた。配布されるもの以外に、先生が喋ったことも、きちんと書き取っておいた。

 そして嬉しいことが二つあった。一年時の心理学科の必修は英語ともう一個(心理学の専門)。この英語が、非常に簡単だったのだ。私は泣いて喜んだ。さらに、心理必修の方は、おばあちゃんの先生のクラスだったのだ! 嬉しくて仕方が無かった!

 必修初日に、大学から出ていた宿題の評価が返ってきたのだが、適当に書いた英語はとっても学年全体での評価が高く、本気で書いた読書感想文的なものは、平均以下の評価だった。やっぱり私は、本気で取り組むとから回るのだ。この時は、大学の人まで国語の見方が変だとは思わなかったのだ。

 私がどんな講義を取っていたかというと。

 まずおばあちゃんの犯罪心理学である。大好きだった。毎回毎回この日が楽しみだった。あと、このおばあちゃんの、もうひとつの講義にも出ていた。名前は忘れてしまった。そっちは教育学系統からの心理学のおはなしだった。

 この先生の時代は、心理学は文学部ではなく教育学部だったのだ。まぁうちの大学は、文学部ではあったが、心理学科に限り、ほぼ理系でもあり、基礎系を叩き込まれる所でもあった。だから、大学院がちょこっと有名なのだ。

 あとは、適当に選んだのだが、精神分析学の講義が面白かった。これは一限だった。一番広い教室(講堂?)で行われているのに、出席者が、私を含めて十人くらいしかいなかった。最初は不思議だったのだが、後で先輩に教えてもらった。

 出席確認が無くて、テストはレポートのみだったのだ。しかもそのレポートは、テスト前の最後の講義で配布されるレジュメから全部書ける内容だから、みんな履修登録だけして、最終日だけ行くのだという。

 履修者はいっぱいいるから、広いところで講義をしていたのである。その先生の信者しか出ないから、行かなくていいんだよと言われた。だけど、私は別にその先生を崇拝していなかったが、講義が面白かったのと、辻は真面目だったので、いつも出ていた。

 他に印象的だったのは、全体の必修である。私が面接時にガチで泣いた行動分析学の教授が、担当していた。この講義、すごいつまらなかった。基礎系やら歴史やら哲学やらをやったのだが、非常につまらなかった。

 しかし、もっとも出席確認が厳しい講義であり、ずぶずぶの確認で有名な大学だったのだが、この講義のチェックのみは、心理学の準備室の人が総出で行っていたため、絶対にさぼってはならなかった。三回休んだら、再履修!

 私は震えながらその講義を受けていた。ものすごく真面目に聞いていた。
 高校時代を思い出すレベルで、いつか怒られることを恐れていたのだ。
 だからちっとも気づかなかった。

 周囲は、出席だけして、携帯をいじっているということに。

 私は、スクリーンと、たまに書かれる黒板を凝視していて、配布レジュメを熟読しながら、必死に先生の話を聞いていたのである。今思えば、とても真面目だった!

 あとは、法学をとっていた。法学は二つあり、ひとつは教科書を買えば合格、もう一つは授業にほとんどでないと単位が貰えない上、出ても評価が厳しいという話だった。それを聴く前に登録したので、私は難しいほうを選んでしまった。

 だが、この講義、死ぬほど面白かったのである。私は一度も休まず出席し、先生に顔と名前を覚えられた。学科のお婆ちゃん先生と、英語の先生は、名簿を持っているので知っているのは当然であるが、この先生には直接名前を聞かれた。

 そして法学部だったら良かったのにと残念がられた。テスト後、最高評価をもらえたことを話した時、それ以上に仲良くなったことに驚愕された。この大学も、成績を自慢して言い系だったのである。というか、他人の成績にみんな興味、なかったのである。就職とか、院とか、そういう問題だけだった。それに院試もライバルみたいなことにはならない感じの大学だったのである。

 と、まぁ、こんな感じで七月の途中からテスト期間に突入した。