【23】適当




 こうして、必修の希望は、精神分析で出した。

 そしてそのクラスに、無事に受かった。多分、運が良かったのだろう。
 クジ引きだったのかもしれない。

 なぜなら次にばったり上村先生に会った時に、海外留学の先生のところか、もうひとり心理検査で有名な先生のところのどちらかのクラスだと思っていたと言われたからだ。つまり上村先生が言ってくれたのではなかったようなのだ。

 この年の前期、私はまず、一通りの犯罪関係の講義の履修を終え、編入をしないことに決めた。やっぱり、おばあちゃん先生の話が好きだっただけだと気づいたのだ。また、マインドコントロールの必修は面白かったが、こう言う意味での犯罪にも興味がわかなかったし、社会心理学方面でも、全然興味が持てなかったのである。

 だから、三年時から開始する、ほぼゼミと言って良い唯一になる必修は、別のものを選ぶことに決めた。この頃になると、もう大体の学生が、院志望の場合、付きたい教授の必修クラスを取るか、行きたい大学院での専攻に関する講義をとるようになっていた。

 しかし、犯罪心理学の専攻は、心の中で無くなった。
 また、客観的に考えて、行動分析と認知はもう無理だろうと思った。
 他に親しいと言える先生は、上村先生だが、上村先生は院では教えていない。

 きっとこの大学の院に行くことはないのだろうなぁ。

 漠然とそう思っていた。
 親しい教授も誰もいないし。
 もう、大学院に行って、臨床心理士になること自体、やめようかとも思った。

 そんなことを時折考えつつ、非常に忙しい実験の必修に励んだ。
 これは一年間続いた。
 私がこの一年の間、一限で唯一出ていたのは、精神分析系の講義だけである。
 必修と、その先生が個人で開いている講義だ。相変わらず、教室には人気がない。

 信者と呼ばれる人々は、相変わらず質問したり、講義前後に先生と話していた。しかし私は、必修にも全て出席していたが――この点は信者と同じだ、一度も質問もしなかったし、個人的に話したこともなかった。

 だから、誰にも信者だと言われたことはない。けど、出席がないのに講義に出るなんて頭がおかしいとは言われた。そうなのだろうか。

 なお、サークルにはちゃんと顔を出していた。佳奈ちゃんともすごく仲が良かった。
 学科の友人では、青田くんという男の子と仲良くなった。

 彼はガチガチの、精神分析の先生の信者である。そして、英語のクラスが一緒だった。

 英語の授業に出ている人間が、もうこの当時、私と彼だけの日が大半になっていたのだ。
 なので、二つの授業で毎回顔を合わせるので、あるいは学科の女友達よりも親しかったかもしれない。彼は、この大学の院の、精神分析に進む気満々だった。

 なぜならば、彼の目的は、臨床心理士になることではなく、精神分析学の――中のとある分野の研究者になることであり、この院に進んだあと、心理士系のバイトをしつつ博士に行く予定で、将来的には大学で働くつもりだったのだ。彼も私同様、教授重視で大学を選んだ人だったのである。その先生がまさに、精神分析の先生だったのだ。

 基本的に精神分析系統で大学院に進んでも、その後が困難なのは、臨床心理士になれないからではない。それは必修でやるから、みんな勉強すれば取ることができる。

 問題は、院に入る際の卒論なのだ。そっちが一番ハードルが高いのだ。

 大学院は、質問紙による統計的な実験論文を書かないと、受験が厳しい。精神分析だと、構造化面接などが実験手法としてあるが、学部生には、それはちょっと機会があまりないのだ。私の大学では。

 また、精神分析系のゼミでは、統計を四年次にやらないし、質問紙のやり方も教わらない。だから、臨床心理士希望者は、私の大学では精神分析系のゼミを避ける人が多かった。

 就職前提で、単位を簡単にもらえるから入る人以外には。最初は私も、遊んでるばっかりのサークルに入ってるし、見た目は真面目そうだけどなんか服とかに興味ありそうだし、単位狙いだと青田くんは思っていたそうだ。

 しかし、ものすごく熱心にノートを取っていたので、違うと判断したらしい。思えばこの頃から、私は何かを書いていないとダメだったのかもしれない。

 さて、実験なのであるが、基礎系をガッツリやったので、錯視だの行動だの人格検査だの知能検査だのを、さんざん覚えた。出席だけで精一杯で、本当に疲れた。だからレポートは適当に書いた。

 ――適当。やはり、私は適当にやると、良いのだろう。

 評価は一年間全てが終わってからだったが、何度か実験担当の先生に会った時、すごく褒められた。最初はお世辞か雑談だと思っていたのだが、ある時点て、違うことが発覚したのである。本気で、褒められていたのだ。

 全部適当に書いていたのだが、知能検査の簡易版をやった時に、あーこれ高校の時やって頭がいいって言われたやつだと思いながらも、年を取ると頭が悪くなると聞いていたので、それを適当に書いたら、なんか絶賛されたのだ。当時詳細に聞いたわけでもなんでもなかったから、不思議な気分だった。ちなみに、私の頭は、この時点でもまだ良かったというのも判明した。

 また、その次にゲーム理論の実験があった。これも適当に書いたら絶賛された。

 次第に院志望の友人達に、もう予備校いってるのかとか、参考書何使ってるのかだとか、文献どこで見つけてくるんだとか言われ始めた。別段変わったことなどしていなかった。

 図書館に行くのもなんか面倒な気分だったので、論文検索サイトに有料登録して、それを読んで、感想文的なのを書いていただけである。今考えると、普通は最新の論文なんか、学部生は読まなかったからかもしれない。つまり私が面倒くさがりだったのだ幸いしたのだ。絵画と一緒だ。

 ――ただ、まじめに書いて評価されたのも、二つあった。

 まず最初に、MMPIの実験をした時である。
 はっきり言って、誰にも話していないが、高校時代にやった奴だ。
 これに関しては、適当ではなく、比較的真面目にやり方を学んだ。

 単純に、自分の過去の回答は、どういう評価だったのか知りたかったのだ。
 とはいえ、隣席の人の回答から、真面目に評価した。

 そしてこればかりは、部外秘で配られた専門の評価書をじっくり読み、ガッツリ本気で書いた。自分が人格検査上何の問題もないことも確認した。

 その翌週は、ロールシャッハテストの実験だった。
 これはやったことがなかったが、かなり興味を持った。
 他の実験がつまらなかったこともあるが、こちらも部外秘の資料を熟読し、じっくりと隣席の人の反応についてガッツリ書いた。

 それらが終わって少しした時、心理学準備室に呼び出された。
 私はてっきりレポートに不備があったのだろうと思い、憂鬱な気分で向かった。
 すると、海外帰りのMMPIの先生と、ロールシャッハの先生がいた。

 この二人は、上村先生が、私が行くと思っていたクラスの先生方だ。

 二人共、非常に真剣な顔をしていた。

 そしていくつも質問された。参考文献の話や、何を元に判断したのかだとか、いろいろ聞かれたが、詳細は覚えていない。完全にレポートの不備を私は確信していた。素直に答えていた私は、留年を覚悟した。レポートがダメな場合も留年だからだ。もう編入は考えていなかったが、留年はなんだか凹む。そのあと、言われた。

「すぐに研究室に行くべきだ」
「――え?」
「院では両方やるけど、そこで専門的に学んでいる院生よりも、完璧だよ」
「MMPIはまだわかる。経験を積めば、君レベルにはなれる。でも、ロールシャッハで、この判断を下すのは、院生でも無理だ」

 研究室は、教授室と違って、完全に院生しか入れない場所だ。

 そこで私は考えた。確かにあの二つは、今までになく真剣に書いた。だけど、海外の先生がいるわけで、私の高校関係の人が、その筋の検査のプロという話だったと思いだしたのだ。つまり、贔屓だ。そう確信した。

「あの、高校の関係者ですけど、私はその先生のこと全然知らないし、検査なんてできないです」

 そう告げたら、最初、二人は顔を見合わせていた。
 それから、どの部分が、どのように素晴らしかったのか、詳細に語ってくれた。
 小説や新聞記事意外で、初めて真面目に書いた文章が評価された。

 その事実はちょっと嬉しかったが、お世辞だと思った。

「あと、インテークのバイト紹介するから、今のうちから経験積むべきだよ」

 インテークとは、問診のことだ。普通は、大学院生がバイトするのだ。
 私はバイトをしていないが、そんな専門的なバイトなど無理だ。
 別のバイトすらやったことがなかったからだ。

 第一、学部生にこんな声掛けがあるはずがないのだ。
 親しい教授達でもないし。
 だからきっと、よくわからないが、高校時代の人脈とか学閥なのだろう。

 私は二人の話を全く信じていなかった。

 しかし五時間近く、なんと講義をサボらされて(必修ではないが出席確認はあった。だが連絡しておくと言われた)、ずっと説得された。血筋とか学歴とか関係なしに、この分野に進むべきであると力説された。慰められているのだと思った。

 だが、断れない私だ。どうしてもやりたくなかったインテークだけ、実家がバイト不可しているというのを誇張して告げて、それは回避した。

 けれど以来、かなり頻繁に、研究室に呼ばれるようになった。そこで、普通は大学院生が必修で学ぶ検査系統を覚えさせられた。その度に、レポートというか論文みたいなのをかかせられた。

 ただでさえ、留年がかかっているレポートで忙しいのに、これはひどい。
 なのに先生たちは、その心配はしてくれない。
 第一、英語ができないのに大学院にはいけない。

 この頃また私は英語が嫌いになっていたのだ。簡単だと聞いていた講義の一つが、洋書を読んで、英語で感想を書くという、最低最悪なものだったからだ。それはなんとか単位を取ったが、大学院に行ったら、もっといっぱい英語を読まなきゃならないと思うと、無理だと確信していた。

 暇な日が、全然なかった。休日は、大学の講義がないから、院の研究室。

 平日は、簡単なのばかりとっていたが、必修に入っていたし、哲学とか民俗学とか興味があるものはとっていた。

 図書館に行っても、小説を探すことはできず、学術書ばかり読む生活だった。その時たまたま、隣の棚に、分析心理学の本を見つけた。つまり、ユングの本だ。たまには、院とか実験とかと関係ない、心理学の本を読もうと思った。

 それでちょくちょく――というか、ごくたまに暇な日に、分析心理学の本を読んだ。トランスパーソナル心理学の本も読んでみたが、ユング関連とか書いてあったがウソだったと私は思う。そもそもユング自体、半分オカルトだった。

 だけど、新しいものになるにつれて、オカルト色が薄れていった。その中に、タロットカードと星占いにおける、力と獅子座は、集合的無意識における同一の元型の象徴であるっぽい事が書いてある本を読んだ。絶対嘘だと思った。

 なので、次の休みは、読書ではなく神保町のオカルトで有名な本屋さんへと行き、タロットカードと西洋占星術の本を買ってきた。学術書と照らし合わせながらそれを読み、嘘ではないし、論理的でもあるが、信じる根拠はないなと思った。

 私は、神やら占いやらを、一切信じないのだ。
 だが、興味半分で、次にサークルに顔を出した時、占ってみた。
 完全にノリだった。

 ――まさか的中するとは思わなかったのである。

 おそらく、サークルの先輩と付き合って、結婚するだろうと占ったら、直後に付き合い始めたのだ。この時は、多分無意識に、二人の関係を私は察していたのだろうと判断した。

 そして、大変不謹慎だが、教授がおそらく重病で、死ぬ可能性が高いとある時占った。見た目はとても元気な先生だった。だが、直後んスキルス性の胃がんで亡くなった。

 どちらもタロットだったから、無意識に何らかの兆候を見てとっていたのだろうと思い、今度は西洋占星術を調べてみた。

 こちらも最初は、心機一転で、ノリでやった。根本的な性格が合わないから二人は分かれて、女の子の方は、おそらく堅実な職業の人と結婚する。タロットの人々では無い恋人達を占った。

 冗談のノリだったので二人とも笑って流してくれた。だが数年後、これも的中した。

 私は考えた。
 タロットは、自分の無意識を、カードを見ることで意識化する行為だ。
 西洋占星術は、統計学らしい。

 つまり、ロールシャッハがあたるのは、無意識で判断しているからだ。
 MMPI等があたるのは、きっと気づくと統計学的結論を出しているからだ。

 私は占いを信じていない。だからそう結論づけた。まあなんだか的中率はいいので、後々占い師のバイトもしたんだけど。その時も全く信じず、占っていた。

 そのようにして、二年生が終わろうとし、成績表をもらった。
 実験レポートは、全部最高評価だった。十分の一の人々は留年だった。
 大学院志望者と、その他一部の人以外、留年だったのだ。