【33】意識化
「君は時々、意識的に大嘘つきになる。お世辞とかそういうレベルじゃない。というか、一般家庭じゃなく裕福だし、普通の中高というよりは頭良い所だし、それは基本的に、三つの場合が多い。嫌われたくないとき・怒られたくないとき・嫉妬されたくないときだ。そして嘘をつかない時であっても、君は人の顔色をかなり窺う。その場合も、この三つの時だ」
「そんなの誰だってそうじゃないですか。嫉妬はされるような人間じゃないからなんともですけど」
「反論せずに聞いて。あくまで俺の見解だし、これは意識化の一環だから」
「はい」
「一見君は、趣味は非常に内向的なのに対人関係の観点から見ると外交的で、その関係からだと非常にアウトドアな行動もとる。趣味ではないはずだけど、それなのにだ。断って嫌われるのが怖いんだ。押しに弱いだけじゃない。押されなくても、嫌われないように、率先して出向くんだ。だから君には友人が沢山いるように見える。実際に君を親しい友人だと思っている人間は相当数いるだろうね。けれど本来の君は、おそらくは一人が好きだ。ただし、一人になるのが怖い場合もある。それは、周囲に友達が一人もいない人間だと認識される怖さだ。だから実を言ってしまえば、君の側から見れば、ただの都合のいい知人ばかりのはずだ。明るい振る舞いも、優しいと言われる部分も、それは全て、嫌われないためにやっている行為だ。君は他人を信じていない。ただしここまでは、別に病的ではない。こういう人間は沢山いる」
「……」
「奥田先生との雑談から得た情報その他も交えて話す。よく聞いていて」
「はい」
「まずは根本的に、幼少時の病弱だったこと。これが理由で、君は他者に心配されるのが嫌なんだ。だから死にたいと訴えることもない。次に嫉妬由来のイジメだ。君はやりたくもない友達作りに励むことになった。同時に、運動や勉強で評価されることは、嫉妬につながる。だから君は、他者に評価されることも回避しようとするようになった。しかしそれを実行した場合、怒られる。この部分が、今はまだ、もっとも疑問な部分だ。なにせ、君は徹底的に、怒られないように行動して生きてきたみたいだから。怒られた経験から、怒られることが嫌になったようには思えない。これに関して、唯一奥村先生の見解で面白いと思ったのは、君にとって怒られるというのが『不正解』だからというものだ。君は数学が得意らしいけど、好きなわけではない。多分ね。『当たる』か『当たらないか』が好きなんだ。そしてそれは、人生の一部においても同様で、君にとって『この行動は怒られるか』という問題があり、怒られた場合『正答から外れた』ということになるから、君は怒られないように、つねに正解であるように、行動をしているという考えだ」
「……」
「これらは全て、うまくやれば可能な行動だ。ただし、必ず評価が下される場面がある。君の年齢までで言うならば、進学時だ。ほぼすべてが、この方面に関わる時期に起きてる。唯一の例外が、確認される限り最も最初とされる腕の傷だけど、そちらはイジメで説明がつく。意識に上るかどうかの話は後でするから、今は取り置く」
「……」
「中学時のストレス性の胃炎。これは、自殺する前に体に症状が出た。ま、これ自体でも、君が意識的によりも身体的にストレスが出やすい人間だということはよくわかる。醤油は確実。次に病気時の服薬自殺未遂。あれは無論、病気を苦にしたわけじゃない。心配されること・勉強や運動についていけなくなり怒られること・嫌われずとも交友関係がうまくいかなくなる可能性の高さ・そして病気による先生方からの贔屓による嫉妬、これらの可能性が君に自殺を決意させたんだ。確かに病気由来とはいえる。ただし、病気を苦にしたとはいえない。一度未遂をしたあとに即座に再実行しない理由も後でいう。続けるよ」
「……はい」
「二度目の飛び降り。本来やりたくないのに活動的に生徒会活動をしてて、ただでさえ嫌われないように振舞っていた君は、修学旅行後の大学の進路希望調査を書くのが嫌だった。なぜならば、君の勧められていた大学に行けば、周囲から嫉妬される可能性が非常に高い。つまりそれまでの間、苦労して築いてきた交友関係が崩れる可能性も高い。しかし留年したり勉強しないという選択肢は、怒られることになる。さて、困った。心配されることも回避するには、もう、残された手段が、君にはひとつに思えた。死ぬことだ。それも、完璧に。失敗すれば、心配されるからだ。そうである以上、失敗した時にそなえて、ある程度の偽装の必要性から、この時点から特に考えるようになった。結果が飛び降りだ。落下に見せかけた上で、多くの場合は、死亡する高さをきちんと選んでる」
「……」
「結果的に、君はここ以外の大学受験は、体調不良で試験に行かなかった。行けば受かるからだ。この大学であれば、誰にも嫉妬もされない。実際に犯罪心理に興味があったのも事実かもしれないけど、間違いなく嫉妬を回避したという理由がある」
「……」
「さっき聞いた練炭。ゼミ進学に直結するゼミ選択だ。個人的に研究室に呼ばえていることも多くの人間に知られることになるだろうし、完全に嫉妬される。友人関係も崩れる可能性が高い。さらには、君は高評価を受けるのが大嫌いなのに、そのゼミに行き研究室にも行き続け、高評価を得続けることは、苦痛だ。だが、高評価を得られなければ、怒られる。それも嫌だ。そこで死ぬことにした。練炭だ。この時点では、失敗していいと思うくらいに、実際には苦痛だったんだよ、君」
「……」
「さて、今回。秋から予備校が始まり、院試対策が本格化する。俺のゼミでさえだ。その上四年になれば、君は他の先生のゼミ関連にも特別出席が決まっている。例外的だから、おそらくこれも、噂になるし、嫉妬対象だ。さらにはただでさえ、うちの院は落ちる人間が多いのに、君はもうほぼ決まりだ。頭の悪そうな明るい人間として振舞ってきた君の実力が明らかになってしまう。そうなれば、まず贔屓が疑われる。これも交友関係大崩壊の原因になる。かといって大学院に行かないといえば怒られる。君の嫌なものが全部揃った。だから死を決意した」
「……」
「つまりきちんと君には、自殺する理由がある。だから最低限意識に上ってくる部分での『あきた』や『面倒くさい』は、『考えることに、あきた・疲れた・面倒になった』という事実の一部だ。考える――いいや、死ぬほど、君にとっては悩むことであるし、苦しく辛いことなんだ。ただし、君には悩んでいる自覚すらない」
「……」
「それと先ほどから、嫉妬と友人関係に関して、時折分けて話していることには理由がある。君は、自己評価が低くて、褒められる理由が自分の努力だとは考えていない。理解できないという方が正しいかも知れない。だから、こちらも、褒められることが苦手な理由で有り、ほかの人間こそが評価されるべきだと考えているという、特徴的な事柄の一つだ。嫉妬というか、正当な評価を得ていない自分に対して、他者が悪意を向けるのは当然だと考えている部分が有るようだね」
「……」
「基本的に自己評価の低い人間は、自分を無価値だと考えて、自殺するリスクが高い。だけど君は、高校時代から一度も自己評価が低いという判定は受けていない。それはそうだ。自己評価の低い人間の多くは、交友関係を君のように幅広く作ることができない例が多い。この点を切り取ってみても、明らかに君は、意識的に明るい人間であるように回答していたか、あるいは、本気で自分を明るい人間だと思ってる。俺は両方だと思ってるよ。ただし明るく回答した理由は、別に嘘をついたからでも、心配をかけたかったからでもないはずだ。退院したかったというのとも違う。紙への回答ですら、友人関係構築時同様、君は全く自分の気持ちに気づいてないんだ。本当にそうだと思ってるんだ」
「……」
「つまり結論として、理由無き自殺はないんだ。必ずある。ただし、自殺理由を本人が意識していなくて、自覚していないことはある。長期的に悩んでいたとしても、自覚がないため、限界が近くなった頃に突発的な自殺行動をとる。そのため周囲も、なぜ自殺したのかわからない。また、かなり深く悩んでいたから、その手法は成功率が高いものを選ぶ。非常に困るな。俺の知る他のケースも、全て運良く助かった人間に後から聞いたパターンだ。事前に予防するのが困難だな。だって、本人にもわかってないんだから。全ての人間を、こうやって面談するわけにも行かない。第一、こういう例は、自殺未遂としては多くない。おそらく自殺成功者の中にはそれなりの数がいるだろうけど」
「……先生の言うことがあってるなら、院試をやめて、大学も卒業して、学校が関係なくなったら、もう突発的に人生が面倒くさいって思ったりしなくなりますか?」
「別に院試を止める必要はないんじゃない」
「でも――」
「俺が言ったのは、俺の仮説だから。もっと研究してみたら、違う仮説が出てくるかもしれない」
「……」
「院で、俺のところに来ない? そこでじっくり、研究してみるといい。自分で、自分自身のことを。俺の所は、それを許してる」
「――え? けど先生は、学生を誘わないって――」
「誘ったのは雛辻さんが初めてだ。今後の経過が気になりすぎるし、雛辻さん自身の考察結果にとても興味がある。それと、前に社会で生きるのは面倒だって言わなかったっけ? 俺は診察で相談を受ける形でしか知らないけど、社会人なんていうのは、嫉妬だらけで好き嫌いも激しくて、本当に面倒らしいから、雛辻さんには生きづらいと思うんだ。職によっては、比較されてばっかりみたいだし。怒られることも多いみたいだ。しかも上司の顔色を窺ったりね。雛辻さんが嫌いなものが詰まってるよ」
「な、なるほど」
「まぁ院だって、行きたいところに行けばいい。全部自由だ。それにさ、風邪でお休みする手もあるし、春と秋に2回試験をやってる院も多いけど、どちらも風邪の季節だから」
先生がそう言って笑ったので、私も笑ってしまった。
そんなこんなで、それからも日々を過ごした。
大学院進学用の予備校にも行きだした。