【32】口が滑る
そして珈琲を飲み、煙草を吸いながら、夏休みはどうだったかという話をした。
とても楽しかったこと、広野さんといて幸せだったことを伝えた。スカーフをくれたので、休日にクリーニングに出す以外はずっと付けているのだと力説した。この部分を語った時のみ、広野さんに申し訳ないと思っていた。すると先生が言った。
「恋人は、いつもプレゼントをくれるの?」
「え……あ、いえ! 初めてで嬉しすぎて、それで付けてます!」
「君がそれを買ってってお願いしたの? 随分普段の趣味の印象とは違うけど」
「それがサプライズで! だからこそ、感動して!」
「恋人は君の服の趣味を知らないの?」
「え、遠恋だから! そこまで詳しくないと思います! だから、これ、有名だから、チョイスしたのかなぁって!」
「初めてのサプライズプレゼントが有名ブランドのスカーフねぇ」
「素敵ですよね!」
「個人的男性意見として言うけど、俺だったらそのチョイスはない」
「え」
「個人の趣味もあるから、続いて一般論として言うけど、普通、プレゼントしたら愛用してもらいたいと考える。この時期ですら暑そうなのに、帰省時期のさらに暑い時に、愛用するのが困難なスカーフを、どうして渡したんだろうね? お出かけをいっぱいしてきたらしいけど、冷房がそんなに寒い場所でもなさそうだ」
「……こ、今後の季節のことを見据えて? ほ、ほら! 秋から予備校行くし!」
「だったら、マフラーじゃないの? そのブランド、マフラーの方が有名だし」
「……」
「別にスカーフの入手経路はどうでもいい。俺が言いたいのは、君が人目のあるゼミやここ、あと何度か見かけた喫煙所、おそらく大学構内や外出時に必ず首にそれを巻いていることが、大変不思議だということだよ」
「別に……気に入ってるんだから良いじゃないですか」
「首を切ったのか、首をつって失敗したのか」
「っ」
「どっち? 教えて」
息を飲んでしまった私に、先生がにこやかに言った。
怒るでもなく冷めた表情でもなく、笑顔だった。
「仮にどっちかだと言ったら、このまま、隣の診察室ですか?」
「んー、俺の予定にそれはないけど、客観的に言うなら、精神科単科病院がすぐそこにあるから、そっちに制度的に強制連行だろうなぁ」
「先生の予定っていうのは、どんな感じ?」
「あきちゃったり面倒くさくなって死んじゃう人の理由を探る大チャンスが到来したんだから、もちろん面談続行だよ。俺の笑顔が止まらないのは、一番はそれが理由。二番目は、君が生きてて良かったなってこと。安心していい、誰にも言わないから」
そういえば、すっかり忘れていたが、この先生は、変な人だったのだ!
私はホッとしてしまい、二回か三回頷いてから、珈琲を飲んだ。
そして告げた。
「首吊りです」
「ほー。それはちょっと予測と違ってた。首隠してるから言っただけで可能性薄いと思ってたんだよ。てっきり首を切って、誰かに見つかって、不慮の事故だと言いはったんだと思ってた。首吊りは、自殺未遂って普通バレると思うんだけど、こっちの家でやったの? それで失敗も珍しいな。第一、バレてたら、一人暮らしを続行できるとは思えないし、もう卒業単位は必修ゼミ以外とり終わってるし、そもそも強制的に入院だったはずだから、かなり不思議だ」
「それがですね、家とかでやったら、賠償金がいっぱいかかると思って、キャンプ場に行って、テントでやったんです。そしたら、重みでテントが壊れちゃったんです。ひどいですよ! ひどすぎます! レンタル倉庫よりひどい!」
「レンタル倉庫? そこでも首をつったの?」
「いえ、機密性が高いって書いてあったから、練炭を持っていったんです。これは結構前だけど。そうしたら、寝て普通に目が覚めて! ひどすぎます! 嘘を書いてたんだ!」
「ひどい話だね! それ、いつごろ?」
「このゼミを希望するちょっと前です!」
私はこの時、誰かに失敗を愚痴りたかったのである。
なので、これまでの間、過去一度も自殺未遂なんかしたことはないとして、面談に臨んでいたのだが、すっかりそれを、忘れていた!
「高一の病気の時は、病気を苦に薬いっぱい飲んじゃったって誤魔化したみたいだけど、その二つは、言い訳できないよね。失敗したらどうする予定だったの?」
「首吊りと練炭で失敗するなんて普通思わないじゃないですか! ひどいんですよ!」
「そういえば、昔のさぁ、薬ってどのくらい飲んだんだっけ?」
「沢山です。後遺症の点々見えなくなったときは安心したけど、救急で脈拍とかで死にかけたって話聞いたときは、なんでそのまま死ななかったのかって、致死量の馬鹿ってキレそうになりました!」
「普通は飛び降りも死ぬもんねぇ」
「ですよね!? なんで死なないの!」
「よくわかったよ。やっぱり君、何度も何度も自殺未遂してるんだね」
その言葉で私は我に返った。誘導尋問だったのだ。これまで薬は、ちょっと沢山飲んじゃっただけだと誤魔化し(受診理由を聞かれたので)、飛び降りに関しては、工事の足場の悪さを力説してきたのだ。まずい。そう思い、冷や汗が流れた。
「安心して、俺の予定は変わらないから。君が死ぬほど行きたいって言うんなら、精神科に連れてってあげるけど」
「死ぬほど行きたくないです!」
「了解。ただ、ちょっと首だけ見せて。悪い状態だったら、もう死ねなくなっちゃうよ。ずーっとみんなに首の心配されてたら、死ぬ機会、無くなっちゃう」
「わかりました」
それから見てもらった後、先生が腕を組んだ。
「首のこと知ってたのバレるから関わりたくないのが本音だけど、医師として、お薬と塗り薬と、貼るものを処方したいんだけど、今日保険証持ってる?」
「持ってますけど……え? それは、死ぬ機会なくなる系ということですか?」
「ちゃんと検査してないから断言はできないけど、それはない。今の段階で処置すればの話だけど。放っておいたらちょっと危ないかもね。しかも君の希望とは異なり、死ぬことはない。ちなみに、この事実を聞いて、死にたくなった? 今現在、死にたい?」
「いや、全然、今――というか最近は死にたくないので、首が無事で良かったです」
「そりゃ良かった。おうちでも、賠償金を念頭におき、何もしないようにね――けど、首、結構痛かったんじゃないの?」
「痛いですけど、それよりも、バレないための対策に忙しくて」
私の言葉に、先生はちょっと複雑そうな顔をしたあと、頷いた。
そして処方箋を出してくれた。
それから、詳細は次の面談の時に話すことになり、その日は帰った。
何の薬だったかは忘れたが、先生に言われるまであんまり気にしていなかった痛みが、すぐに消えた。あ、かなり痛かったみたいだ、と発見した。そして薬が良かったのか、思いのほか早く、痕が薄れていった。もしかすると縄の後というよりも、内出血とか内側がどうにかなっていた可能性もある。よくわからない。
さて、次の面談日が訪れた。
「まずさぁ、俺的には、全く君が自殺しようとしてる兆候を、君の帰省前まで見いだせなかったんだけど、その頃からキャンプする予定だったの?」
「いや、夏休みが終わる一週間ちょっと前に、こっちに戻ってきて、よしやるかぁ、みたいな」
「帰省中に嫌なこととかあった?」
「全くないです。この前、話したじゃないですか。幸せでした!」
「幸せなのに、死ぬ決意は変わらなかった?」
「はい。むしろ、好きな人の顔も見られたし、いつ死んでも悔いなしみたいな!」
「幸せすぎて死んでもいいって言葉を、本気の自殺理由にする人、初めて見た」
先生が笑った。ちょっと奥田先生に似ていると思った。
「いつ死ぬことにしたの?」
「んー、多分夏休みが終わる一週間前です」
「いつから死にたかったの?」
「ああ、その日に死のうかなぁって思って、それで死ぬことにしたんです」
「テントとかはレンタル?」
「いえ、その次の日に買いに行って、縄も買ってキャンプ場に予約もして、その二日後に失敗しました。だから大学始まる直前で、首の痕、悩みに悩んだんです」
「いつ死にたくなくなった?」
「失敗した後はもう、死のうとは思ってなくて、その後からはバレないようにっていうことしか考えてなかったです。先生が変なこと言うから、先生にバレちゃったのが不覚です。先生は、見逃すべきでした!」
「失敗した後は、いつも再実行じゃなくて、バレるの回避に奔走してるの?」
「はい。それに、急に死のうと思うけど、ずっと死にたいわけじゃなくて、すぐ収まります。すぐって、だから、失敗とかしたらすぐって事です」
「なんで死にたかったの?」
「ああ、それは喜んでください。あきちゃったからです! 生きるのにあきた! 幸せも経験したし、勉強も経験したし! 今が最高のタイミングだと思って! まさに先生の研究対象として、最適です!」
「急にあきたって思ったの?」
「はい!」
「俺には今、すごく君が明るく楽しそうに話しているように見えるんだけど、実際には、どういう気分?」
「見たまんまで、ものすごく楽しいです! だってこんな話、普通したら、みんなに病院連れて行かれたり、怒られると思うんです。そういうの嫌です」
「死にたいって、誰かに言ったりした?」
「言ったら止められるじゃないですか!」
「――悩みとか、本当にないの?」
「悩みがないのが悩みレベルです。まぁ、秋に予備校はじまったら、きっと英語で悩むだろうけど」
「やっぱりそれなのかなぁ」
「え?」
不意に響いた言葉に、首をかしげた。
すると先生が苦笑した。
「ちょっとね。俺も夏休み、なんにもしてなかったわけじゃなく、奥田先生と飲みに行ったんだよ」
「……は? そこまで親しい間柄?」
「そこそこね。安心して、面談内容は言ってない。向こうのカルテ内容も聞いてない。向こうからは、ちなみに、雑談内容は俺が君から既に聞いてたから、ちらっと話を振って、奥田先生の見解もちらっとは聞いたけどね」
「こ、個人情報!」
「証拠ないし。第一、誠実にこの事実を君に教えてあげてる俺、偉くない?」
「偉くないです!」
「結論から言うと、君ってさ、勉強が嫌いだろ?」
「大嫌いです」
「ただその意味合いは、普通とは違う。勉強していい点数を取って評価されるのが嫌いなんだ。君は褒められる事や認められることが好きじゃないんだ」
「そんなことないです! 小説で選考に残った時、自分は天才だと思って泣きました!」
「――小説?」
「う」
「投稿した、とか、そういうこと?」
「……はい。先生、これ、絶対秘密で!」
「今のところあまり興味がないからいいけど、とりあえずおめでとう。たださぁ、それだって、君を知らない人々からの評価だったから良かったんだって受け止めることができる。だって、俺にそれ、自慢してないよね、これまで。しかも隠して欲しいんでしょ?」
「いや、その、オタク趣味なので!」
「それを考慮するとしても、君を対面で直接褒めたり貶したり嫉妬したりしない行為におけるものだっていうのは変わらない。それとも、呼ばれたの?」
「まぁ……直接は会ってないです」
「じゃ、今のところの俺の見解をこれから話すよ。無意識下のものを意識化する作業」
「はぁ……」
こうして、鏡花院先生の話が始まった。