【42】父親
「もしもし」
『ああ、久しぶりだね。元気?』
「元気だよ!」
『院試の日、いつだっけ?』
「あ」
そこで、私は、両親に伝えるのをすっかり忘れていたと気づいた。
「実はさ、就職することにして、内定もらったの! ごめん!」
『そうなんだ。知ってたけど。それより、本当に元気なの?』
「知ってたって……」
『鏡花院先生って良い人だねぇ! 検査のことと、院試のこと、ずいぶん前に教えてくれたんだよ。就活を始めるって所までは聞いた』
「……そうなんだ。他に何か言ってた?」
『ああ、そうそう。伊澄の頭のデキの話。さすが俺の子! 俺と同じくらい頭良い!』
「同じくらい?」
『そ。いやぁ俺もなぁ、苦労したんだ。大学行ったら遊びほうける予定だったのにね、そっち系の先生に、被験者にされちゃってさぁ。イラッとするよね! 俺も鏡花院先生みたいな人だったら良かったんだけど、クソむかつくジジイでさ。あ、ごめんね。言葉が汚くなっちゃった!』
「鏡花院先生、私が被験者だって言ったの?」
『え!? 言ってないけど、そうなの!? うわー、印象変わった! 最低! 俺の子をなんだと思ってるんだよ! 苦情の電話を入れてやる!』
「ううん、私は被験者じゃないよ。間違って伝わったのかと思っただけ」
『あ、そうか。良かったぁ。そういえば、仕事はどこで何するんだ?』
私は会社名などを伝えた。
『へぇ。俺、リーマンのことは全く知らないけど、それって、あれ作ってるところだろ?』
父が出した製品名を聞き、私は必死に思い出した。
「そうだったような気がするけど、そっちじゃないよ。だから、パソコンの仕事!」
『マーケティングは、俺分かるぞ。あれは、パソコンの仕事のことじゃないよ』
「いや、だからぁ、なんていうかね、パソコンも使うの!」
『保証しよう。もって一年だな』
「え?」
『お前絶対辞める』
「なんでそういうこというの!?」
『お父さんは、伊澄ちゃんのことをよく知っているからです。広野くんと別れたこととか』
「な」
『俺の場合は、お前と同じくらい頭良いのに、その良さが家事方面で発揮されて万能なのに、伊澄ちゃんは、その方面に発揮されなかった上、家事が全くできないお母さんに似ちゃってるから、広野くんみたいな綺麗好きできちんとした人と結婚して欲しかったのになぁ。料理もうまいって言ってたじゃん! 洗濯物も、いつもピシッてアイロンかけてるって言ってたのに! なんでそういう家事万能な人を逃しちゃうかなぁ!? 伊澄の場合は、医者とか玉の輿とかそういう問題じゃなくて、相手に家事ができないと、絶対ダメ!』
「私は、自分に家事ができないことを知らなかった! 広野さんが、上手すぎると思ってたの! 友達もみんな、異常に上手い人がそろってると勘違いしてたの! どうして今まで教えてくれなかったの!?」
『なんかライオンって崖からガキ突き落とすんじゃなかったっけ? そんな感じ。あと、面倒くさくて。ま、そのうち気づくかなぁって!』
「お父さんのバカ!」
『伊澄の結果聞いたけど、俺のほうがIQ高いもん。俺のほうが頭良いもん。俺、天才だもん。どこがバカなのかなぁ?』
「今まで一回もそんなこと話してくれなかったじゃん!」
『聞かれなかったし』
「ねぇ、私って本当に、IQ高いの?」
『ああー、それなぁ。最初は、小さい頃、小学校入る前に検査したんだよ。ちっちゃい子用の。それでまず、ちと頭が良いと判明した。逆を想定しての検査だったから、良かったぁって思ってたら、小学校入ってすぐの検査で、またひっかかった。なんか、それで肺炎か何かなって入院しただろ? あのあと、治ってからもちょっとしばらく病院にいたじゃん? つぅか点滴五時間やったら帰れるはずが、三日も入院になって、さらには一週間になって、結局マイコプラズマで、クソヤブだと思ったよ、俺。で、転院したじゃん? 総合病院に』
「え、そうだっけ?」
肺炎の記憶はあったが、転院の記憶はなかった。最初から、総合病院だったと覚えていたのだが、間違いだったみたいだ。
『そ。で、そこで二週間入院。合計肺炎期間三週間。けど、治ってからも一週間だけいたんだよね。知能指数高いけど、なんか大人しいっぽいということで、高機能自閉症的なやつの検査したの。覚えてる?』
「遊んでた記憶しかない。積み木とかお絵かきとか」
『多分それだよ。結果的に分かったのは、とってもIQが高いと具体的に判明しただけで、病気系は何にも無かった。ただし成長するとどうなるか分かんないから、要チェックという話をしつつ、言われたの。IQ高いから専門教育させたり、IQについて研究してる国立の附属小学校に転校したほうがいいかもって。頭良いと大変だからね。俺も十分体験してるしさぁ』
「それで?」
『断った。一応、伊澄ちゃんにも聞いたよ! 「パパとママと離れて暮らす?」って。「遠くの学校行く?」って。やだやだって泣いてたから、嫌だと思ったんだよね』
「待って、そこは覚えてる。私、肺炎のせいで、そこの病院の中の学校に行くって意味だと思ってたよ!」
『あ、ごめんね。そうなの? じゃあ、IQって教えてたら、行ってた?』
「行ってない」
『うん、俺もそんな気がしたんだよね。あとさぁ、俺、IQ高いやつ何人か知ってんだけど、だいたい大人になると頭悪くなってるから、伊澄ちゃんも悪くなる気がしてたんだよね。まさか俺に、そこまで似ちゃうとはなぁ! なんて俺って天才なんだろう!』
「……その後は?」
『小中は、義務で検査あるじゃん。それをやっただけ。どっちの時も学校から連絡きたけど、病院でIQ診断してもらったんでって言って終わりにしてた。面倒でさ!』
「なるほど!」
『高校は、中学から検査結果行ってたんだろうし、高校でもやったんだろうけど、最初は特に連絡が無かった。それに関して話し合いした一番最初は、病気の入院の時。検査したじゃん? びっちり』
「うん……」
『ちょっとこれやばいすごくねっていう感じになっちゃったのね!』
「……」
『それでさ、三つ案が出たの』
「何が出たの?」
『IQ高いとさぁ、なんか、人と違うから不安定になっちゃう子がいるっぽいから、今からでもそっち系の専門の高校に転入するって案が一つ目。理解者がいるのかいないのかって話になってね、友達は沢山いるけど大親友っぽい特定の子が見つからなかったから。中学までは舞莉ちゃんいたけどさぁ。秋葉ちゃんとも仲良かったし。だから同じような不安を抱える子と一緒の環境で、かつ専門的な教育を受けたらどうかってことになったの』
「二つ目は?」
『ああ、留学』
「へ?」
『俺も一時期行ったからさ。まぁ俺はアメリカじゃないけど。なんていうの、昔でいう大検。いま名前忘れたけど、向こうのそういうの取って、もう割り切って、即大学行っちゃおうって話。ちょうど16くらいで取れたはずだから。しかもIQ高い人用の集まりいっぱいあるし、過ごしやすいだろうってことになったんだよね』
「英語大嫌いなのに?」
『まぁ、ほら? 行けば喋れるようになるって! 読み書き大丈夫だったから、入るのはそこまで難しくないし、卒業する頃には話せるようになってるだろうという判断』
「やめてくれて大正解だ! 勧められても絶対行かなかった!」
『どうかなぁ。俺、結構行ったような気もしてる。だってさぁ、あきるじゃん? おんなじ土地。実家とかは別だけどさ』
「三つ目は?」
『極力刺激を与えないようにして、現状維持を図る。IQじゃなくて、精神状態を考慮する案。奥田先生って覚えてる?』
「覚えてるよ、鏡花院先生の知り合いなんだよ!」
『えっ、そうなの!?』
「そうなの!」
『すげぇ偶然。ま、その、奥田先生の提案が現状維持。環境を変えない方が良いって判断。変えるとしたら実家に戻るのが良いけど、無視の件考えると、そうとも言い切れない。だけど一人暮らしは、絶対現状ではさせるべきじゃない。そういう意味でも現状維持。家だけ変えようって案。広大くんの所の下宿に頼むかって話になった時に、伯父さんが来ていいよーって言ってくれた。そこには伯父さん達もいたんだよ。俺とお母さんと伯父さん夫婦が奥田先生案に賛成。IQとかどうでもいいし、専門教育なんぞ進学校なんだからそこでやりやがれって思ってたなぁ、俺。情緒だのはさ、奥田先生に見てもらえば良いしね! 親友なんてもんは、どこ行こうが、出来るかできないかなんか運だし!』
「……」
『そうしたらさぁ、担任の先生が泣き出してさ。俺、唖然』
「え!? あの先生が!?」
『そ。勉強きつすぎて、何人かあの学校、自殺してるんだってな』
「へ? あ……そういえば、女子トイレに死んじゃった女の子の幽霊が出るって聞いたことがあった! 私幽霊信じないけど!」
『それかは知らんけど、あの先生、長くいるから、二人自殺者知ってて、一人は担任してた子だったんだって。また俺のせいだって言って号泣。あの時死んだ子も、直前まですっごく明るかったから全然気づかなかったって泣きじゃくっててさ。それもあって、お前が欠席した時、嫌な予感したから見に行ったらしい。まぁその先生のおかげで助かったんだけど、そう言ってもずーっと泣いてた』
「そうだったんだ……」
『保健の先生はさぁ、比較的冷静だった。死なずとも、なんていうの、リスカ? こう、自傷行為する子とか、死にたい死にたいっていう子、すごい多いんだってな、あの学校』
「え!? そうなの!?」
『そうなの。で、大体、そういうタイプはすぐ休学して大検とるんだって。不思議なことに、口に出す人ほど、生きてるみたいだ! 生命の神秘だよな! なんで死にたいのにさぁ、バレちゃうのに口に出したり、死ぬ確率低い腕切ったりするんだろうな? 馬鹿なのかな? 言うのが趣味とか切るのが趣味なら、わかるんだけどさ』
面倒とか、同じ土地にあきるとか、ここで生命の神秘を感じるところとか、私は、確実に、父の子だと確信している。たまに似たような事を考えるのだ。