【80】両思い(★)





 広いと思っていたら、直後に寝台に押し倒された。
 そして、最近多いことをされて泣いた。

「やぁっ、あ!」
「大丈夫?」
「も、もう」
「大丈夫だよね」

 ずっと、動いてくれないのだ。
 これは、なんでも紫さんも一回でとりあえず満足するらしい。
 私も体がそんなに辛くなく終わるし、終わったあと寝てしまった場合もすぐ起きる。

 ただしいつもは時折、ゆっくりと動かしてくれるのに、今日はそれがない。

「嘘、嘘、あ、あ、嘘」
「――いきそう?」
「あああああああああああ」

 そのまま私は果てた。
 なのに。
 一回このようにイったら、一度波も熱さも収まるはずなのに、全然そうはならなかった。

「そんな、あ、あああ」
「本当はこうやって、一日中繋がってるんだよね。いつものは簡易版」

 自分で動こうとしても、体をギュッと抱きしめられていて、腰が動かない。
 だが今はそもそも感覚もない。
 だけどもどかしくておかしくなりそうだ。たった今、果てたばかりなのに。

 それから数度果て、何度かは紫さんも果てたみたいだったが、意識が朦朧としていてよく覚えていない。気づくと翌日の夕方で、室内にあった浴室でゆっくり体を休めた。お風呂を出ると、これまでには着たことないような服が用意してあった。これからドレスコードがあるようなお店に、紫さんの家族の何人かと食事に行くらしい。

 その約束時刻を待ちながら、私はもう吸っても良いことになった煙草に火をつけた。母乳が他の人より早く終わったからで、子供達の前では吸わない。紫さんも火をつけた。すると目が合った。しばらく雑談をし、吸い終わった時に聞かれた。

「子供の顔、見てるくる?」

 優しく言われて、私も会いたかったが、小さく首を振った。

「ここに来たら、久しぶりに二人きりで話をしようって言ってた」
「まぁね」
「それでね、昨日のお話、難しくて少ししか分からなかったけど、違うと思うの」
「――違う? 聞いてたんだ」

 私の言葉に少しだけ先生が驚いた顔をした。

「あのね、忘れ物をして初めて個人的にお話した日、確かに私は、それまでとは違って講義じゃなくて先生に興味を持ったし、自分と先生に当てはめて、学生と教授の恋愛について考えたけど、別に恋かなとは思わなかった!」
「そ、そう……」

 先生が少しだけ悲しそうな顔で苦笑した。

「好きなのかなって思ったのは、今までちょっとだけ奥田先生に話して以来、はじめて自分の気持ちをいっぱい話せた時。不思議だったの。その時に、好きなのかなって思ったの」
「……思ったの? 本当?」
「本当だよ」

 すると先生が、驚愕したように目を見開いた。

「それにどんどん先生と一緒にいると、安心するようになったの。誰よりも安心するの。一人が好きなんだけど、先生となら一緒にいてもいいかなって。最初は先生が距離を取るのが上手い大人だからかなって思った。セフレ疑惑とか面倒くさいし、クリニックに行くのも面倒くさいのに、先生を見るとなんでか分からないけど安心するから、行ってたの。ただ段々これも不思議に思えてきて、この時、きっと好きなんだと思ったの」
「……」
「それからじっくり考えて、その、十五分くらい!」
「――うん、そうだね、君にしてはじっくりだ」
「きっと話せるのは恋愛転移で、安心するのは依存心だと思ったの! だけど、転移が収まる気配もないし、これは不誠実だから、広野さんとは別れた方が良いと思ったの。先生は私をなんとも思っていないけど、私の側の転移が収まるまでは、それは恋と一緒かもしれないから、広野さんと別れたの。ただ転移だからこの話は広野さんにしてないの。お仕事で広野さんと先生が会ったら気まずいとも思ったし」
「……」
「良い人に優しくされると辛いけど、特に先生だと辛いのは、転移だったから! もっと転移したり依存しちゃうと思ったの。それとすごくすごく優しくされた時は、たまに逆転移されてる気がした。精神科医の先生がそれはまずいと思ったの!」
「……」
「私も社会人になってから、先生は元気かなぁっていっぱい思ってた。だんだん先生が素で話すようになってきて、それも楽しかった。私の卒論はコメディじゃないけど! それで必要な話の時に、私にとって先生が必要なんじゃないのかって言われて、その通りだと思ったの」
「……」
「最初にキスされた時は、びっくりして頭が真っ白になったけど、気持ち良いのよりも、嫌じゃなかったから、これはもしかすると、いよいよ転移じゃなくて、好きなんだと思ったの。だから先生とだったら一緒に眠っても良いと思ったの」
「……」
「自分から人を好きになったことが無いから、どうして良いか分からないし、先生が本気で私を好きだとは思えなくて考えてたら、子供の話と入籍届を見て、先生も本当に私を好きなのかなと思って結婚しようと思ったの。先生の勘違いだったらしょうがないかなと思って。そうしたら別れれば良いし」
「……」
「そうしたら先生は今でも好きだって言ってくれるし、子供も生まれたし、ご家族にも紹介してくれた。だから逆に、私の方こそ、やっと先生が私を好きなのかなって思えるようになってきたの。最近、研究もされてないから、転移でも逆転移でも依存でもないかなっても考えるようになったし。そう考えたら、優しくされると、普通に嬉しくなったの!」
「……」
「それに私は先生の性格が悪いというか、意地悪だったり優しいところも全部含めて先生だと思ってて、そんな先生が好きなだけで、知らないわけじゃないよ! それと私、先生と一緒じゃないと、それとなくトイレに行っていなくなるの得意なの! だけど、言葉は辞書があっても、何語も覚えられないの! もう一回言うけど、人生も卒論もコメディじゃないよ!」
「……」
「つまり結論としては、私のほうが先生の気持ちが分からなかったのであって、私のほうが先に好きになったと思うの! 私のほうが先生を好き度高いと思うの! 先生の方こそ、辞書や解説者がいないと分からないの! 先生の家族が解説してくれて、だんだんわかったの! だから私こそが先生の辞書を作らなきゃならないの! 人生をかけた大仕事ができたの! 私はお仕事や勉強がちょっとできるみたいだから頑張ります!」

 私の力説が終わると、先生がぎゅっと私を抱きしめた。
 そして触れるだけのキスをした。
 その後、じっと私を見た。

「もう一回言って」
「簡単に言うと、私は頑張って先生の辞書を作ります!」
「そこじゃなくさ。うーん、結論も一部分は死ぬほど嬉しかったんだけど、そこ以外はぶっ飛んでる。どうしてその流れでそうなるの? いいや、とりあえずそうじゃなくてね、本当に俺のことが好き?」
「先生のことが好きです」
「名前でもう一回言って」
「紫さんのことが好きです!」
「――俺のこと、愛してる?」
「愛してます」
「俺もだよ。伊澄を愛してる」

 その言葉に私は照れてしまった。

「幸せすぎて、どうしていいかわからない」
「辞書が欲しかったんですか?」
「そうじゃないよ。ベッド以外ではじめて好きって言ってくれたから。お酒も飲んでないし。それも、真面目に」
「……」
「じゃあずっと両思いだったんだね」
「そうかもしれません」
「ただ、好き度は俺のほうが高いと思う」
「そんなことないです!」
「そうなの?」
「はい!」
「可愛いなぁ。なにより嬉しい。ずっとそばにいてね」
「いっぱいいます」

 そのまま、しばらくの間、二人で抱き合っていた。
 本当に両思いだと確認し合ったのは、この日だったのかもしれない。


 ――このようにして、私は嘘つきな先生と両思いになったと確信したのである。