天才研究室【3】



 前日の夕食時、ママがニコヤカに言った。

「良い? 二人共。なるべくやさしくお話するの! そうすれば、大丈夫!」

 私は、相手は専門家なのだから、ママとは違うので安心してと言おうとしてやめた。確かに、あまり偉そうにしないほうがいいような気もしたのだ。先方にもプライドがあるだろうし。初めてママから参考になるアドバイスをもらった気がした。

 私の医大での発表は、大喝采された。
 うちの医大に来るかとさんざん言われたが、既に受験先は決まっていたので断った。
 それに私も、こんなにレベルが低い人々の所で学ぶなんて嫌だし。

「しかしまぁ、大天才としかいいようがないな」
「だろ? 俺の娘とは思えないほど優秀だ」
「俺も、自分の孫がこれほど優秀だとは想像していなかったよ」

 青と白は、今日はハウスキーパーさんにあずけてあるので、祖父母と両親、私と紺で外食している。この後飛行機で、EUの宇宙航空局に行くのだ。星の図鑑とアルマゲドンから、専門家の前で発表可能な論文ができるとは、全く思っていなかった。パパと同じくらい優秀な祖父母もきっと、ひきつった笑顔を浮かべるはずだ。

 飛行機の中で、お祖父ちゃんがパパにポツリと聞いた。

「――それで、紺の方はどうなんだ?」
「……アルマゲドンと、唯純さんが買ってくれた星の図鑑を熱心に見ていた。伊澄が月に住む兎について話した翌日から始まったよ」
「……それで宇宙局ならまだマシだな。採掘調査や石油量に興味が行かなかったんだから」
「……思ったよりは常識的なんだ。後、一年程度は飽きずに続く可能性がある。本人曰く、健康管理も十分みたいだ。一見寡黙だけど、人見知りでもコミュ障でもない。つまり――」
「ああ、なるほどな……美由紀と同じタイプか」
「多分ね。その通り。母さんと一緒で、興味が余程なければ、話す価値なし判定をする。バカと話す気は無いってこと。つまりそこそこプライドもある」

 こうして紺の発表の日が訪れた。
 それまで仏頂面だった紺は、発表が開始すると――まるで、ママになった。
 のほほーんとした口調で、意味がわからないことを言うのである。笑顔だ。
 まさにママそっくりである。

 祖母と私は、何とも言えなくて俯いた。
 パパと祖父は、生暖かい目をしていた。
 母だけが、いつも笑顔なのに、少し困った顔をしていた。

 発表終了後、一度休憩となった。EU宇宙局の人が言ったのだ。
 三分の二の人々は、まぁ子供なんだからこんなもんだと笑っていたのだが、三分の一の人々が顔色を変えて、相談を始めたのである。その間、私達は話していた。

「いやぁ、完全に雛辻の血だな……」
「伊澄は少なくとも、ディスカッションはしきれたと聞いているから、なんでこうなったのか、父親として分からない。普段とは違いすぎる」
「ただ、あの分類の人は、優馬くんのように淡々と力説するか、辞書型だろ」
「……まぁな。父さんの言うとおりだ。幸い、専門家でわかった人達が今話し合ってくれているみたいで、少しホッとはしてるけど、文章がまともなだけで、実はコメディだったら、俺は今後どうすればいい?」
「祖父としていうが、志望は外科なんだろう? なんとかなる」

 祖父とパパがそんなやりとりをしていた直後、ママが珍しく声を上げた。
 ちょっと泣きそうな声で怒ったのだ。

「紺! やさしくお話するようにって言ったのに!」
「――僕の周囲でいちばんやさしいのは母さんだよ。だから母さんと同じように話した」
「違うの! やさしいっていうのは、簡単にって意味なの! だから、紫さんのように、わかりやすく簡単にお話しないと、伝わらないの!」
「父さん?」

 ママの言葉に驚いていた私達の前で、じーっと紺が、パパを見た。
 パパは笑顔こそ崩さなかったが、冷や汗をかいているようだった。
 私はこの時、紺がこう考えているとは知らなかった。

 ――つまり要点を簡潔に毒舌でバシバシ指摘すればいいのか、と。

 なお、私はパパは、理知的で難しいことを話していると、今でも思っている。

「すみません、もう一度発表の場を」

 するとなんと、驚愕してしまったのだが、紺が積極的にそんなことを言った。
 相談中だった宇宙局の人々が、同意した。
 そして紺は、表情自体もどちらかといえばパパに似た雰囲気で、先程とは完全に異なる、論理的で難解な専門用語混じりの発表というより講演を行った。結果先程までは笑っていた三分の二の人々もあっけにとられた様子で聞き入っていた。発表後はもともと質疑応答の予定だったのだが、拍手すらなく、その後、紺は質問攻めにあっていた。きっと紺にとってはくだらない質問には、いつもどおりですらない無愛想な感じでやる気なく答え、少しまともだったのだろうものには、まぁまぁ普通の表情で答え、最初の三分の一に入っていた人々の特殊な質問には、パパに似た笑顔で応対していた。その結果、二回発表したというのを考慮しても、どう考えても長すぎる時間、質疑応答が続き、なんと時刻は夜の十時になった。普段の私達は眠る時間である。もはや、質疑応答ではなく、ただの議論になっていた。紺は、既存の内容のダメ出しまで開始。納得しちゃっている人々。よくわからないけど、いつ帰れるのか考え出した、私達家族。

「そろそろ、帰るって、俺たちからいったほうがいいんじゃないかね、紫」
「父さん、俺も同じ意見なんだけど、もう三時間もタイミングを見計らってるのに、無いんだ。どうする?」
「美由紀と伊澄さん、雑談してるし、あの二人はもう完全に飽きてる。そろそろお酒でもって話になるんじゃないかな」
「昼も夜も抜きだしね。紺に事前に終わらせるように言っておかなかった俺のミスだ」
「気にするな紫。これは宇宙局の連中も悪い」

 それを聞いていた私は、みんな帰りたいのだと確信した。
 だから声を上げた。

「紺。まだ終わらないの! 帰るわよ!」

 すると、紺以外全員が沈黙した。

「――申し訳ありません、みなさん。愛する妹が俺を呼んでいるので、そろそろお暇させていただきます。本日は貴重なお時間をありがとうございました。それと、先日のエンディアウス隕石の破片ですが、一年半後に俺の計算だと、インドネシアに直撃します。専門家の皆様でしたら既にご存知で、混乱を招かないように黙っていらっしゃるのだとは思いますが、至急対策を練らなければ、あの一体は壊滅いたしますので、ご検討下さい。まさか気づかないで今まで過ごしていたのであれば、人類は滅んだほうがいいレベルですので言いませんでしたが。それでは、失礼いたします」

 一人称すら変わっている紺は、嫌味っぽいことを、優しい笑顔でいい、こちらへ来た。
 宇宙局の人々は、その瞬間硬直していた。
 そして私にボソリといった。

「もっと早く帰ると声をかけてくれ。お前以外の誰がそれを提案するんだ、この状況で」

 なんと紺は、そこまで計算済みだったらしい。
 それを知った父と祖父は、笑みを引きつらせていた。

「……辞書まで自分で持ってるのか」

 そんなことを言った祖父の先導で、私達はホテルに戻り、食事をしたあと、母と祖母と祖父はbarへ、父に送られ、私と紺はベッドに向かった。その後は父もそちらへ合流し、私達はぐっすり眠った。

 その後三ヶ月は平穏に過ごした。
 もうすぐ卒業式である。
 これが終わったら、六歳になるまでの一年間は、医大進学に備えて勉強することになっていた。父方の義理の叔父である優馬さんの出身医大がドイツにあるのだ。飛び級制度があるため、私と紺もすぐに入学できる。優馬さんは、パパの双子の妹のミナさんの旦那様だ。語学と基礎と医学知識をみっちり勉強することが決まっていた。私と紺はドイツ語の辞書や会話に関する本を一番先に買ってもらったので、私は頻繁に眺めていたが、紺はカバンに入れっぱなしだった。

 そんなある日、我が家に電話がかかってきた。
 ――インドネシアに直撃する隕石の破片(というには大きすぎるので、それ自体がほぼ隕石)が発見されたというのだ。紺の言う通りになったのだ。そこで、本来は航空宇宙学を専攻した人間の中で、EU宇宙局が試験後認定した人間に与えるらしいのだが、もう前回の発表分で知識は十分というかそれ以上であるし、宇宙局に招くためには絶対必要なので、【EU宇宙局公認宇宙工学博士】という資格を紺に送りたいという。そして、隕石対策のために、EU宇宙局に頼むから来てくれというらしいのだ。そうでなければ、大きな被害が出るという話だった。電話に出ていた父は、ひきつった顔をしたあと、少し待ってくれと言ってから、無理に笑顔を浮かべ、紺を見た。

「紺、宇宙にまだ興味ある? 隕石が降ってくるから、対策して欲しいみたいなんだけど」
「――仮に興味が尽きていたとしても、多くの人びとの命が危険にさらされることを俺は容認できないから必要とされているのならば行くというのが模範解答として、父さんと母さんとは違って、俺はそこまで飽きっぽくないよ。ただ万が一を考えて、母さんが一緒に来てくれるのであれば、いってもいいかな。母さんくれば、父さんも来るし、緑も来るだろうけど。一年暇なわけだし」
「――ああ、唯純お祖父ちゃんに相談することがあるかもしれないってことか」
「うん」
「わかった。じゃあ家族みんなで、フランスに行こう。それで、君は宇宙局に毎日通うでいいかな?」
「いいよ」

 こうして私達は、予定していたドイツではなく、フランスに引っ越すことになった。
 私には理解できなかった。
 最初ママの名前が紺の口から出た時は、実はマザコンだったのかとも思ったが、嫉妬するでもなくすぐにパパは理由を口にし納得した。
 日本のお祖父様は、宇宙には全然関係のない仕事をしていたはずだし、仕事自体も私が会った時は、ナスを育てていると言っていたから農家だと思っていたのだが、違うのだろうか? 全く意味がわからなかった。それに、何故、ママがいないと、お祖父様に連絡が取れないのだろう? 自分で連絡すればいいと思うんだけど。そう、この時点で私は、お祖父様は、ママからの電話じゃないと、直ぐに切ってしまうという事を知らなかったし、場合によっては、居留守を使う、最悪の場合、着信拒否するということを知らなかったのだ。