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 公務の傍らだが、思いのほか両親(つまり天皇皇后両陛下)が乗り気で応援してくれて、ガンガン肩代わりしてくれるため、僕は研究室に最近つめっぱなしである。現在修士課程二年生。アシェッドが一年生。春香と礼が大四で、卒論も実は提出済みで、彼女たち二人も研究室につめっぱなしだ。皇族だからなのか、研究内容を僕たち以外理解できないからなのかは知らないが、基本的に、四人しかここにいない。一応名目上、担当教授はいるのだが、もともとあった研究室にばっかりいる。こっちには来ない。たまに来て、笑顔を浮かべ頷いて去っていくだけである。

 僕には最近悩みが二つある。

 当時は笑っていたのだが、春香の入学後から、春香とアシェッドが本格的に仲良くなり始め、現在、恋人関係にあるのだ。そのため、完全に僕と春香の結婚話は消えた。この部分は非常に喜ばしいし、アシェッドはすごく大切な友人だし、春香は僕の唯一と言っていい女友達だし、どちらも大親友なので、応援している。とはいえ、気を遣うなというのは無理だ。仲睦まじいふたりの邪魔はできない。それもあるし、この事実を知る僕に対して双方が恋愛相談をしてくるので、とても困る場合がある。いつも笑顔で乗り切っているけど。

 さて、もうひとつの悩みだ。研究に没頭するあまり、そして春香というお目付け役が、恋で忙しくなったため、誰も礼をセーブする人がいないのだ。誰かが止めないと、彼女はずっと研究しているので、食べないし寝ない。その上、研究室には、ほかに誰も人材がいない。結果的に、僕が以外止める人間がいないのだ。現在、春香は礼と暮らしていると家族に言い張り、アシェッドと暮らしている。アシェッドは結婚して日本国籍を取る気満々だ。そして名義的にはアシェッド宅に、礼は一人で暮らしている。家事が全くできないことは、もはや問題ではない。礼は、家に帰らない。ずっと研究しているのだ。こんなことになるなら、仮眠室なんかもうけるべきではなかった。いいや、無かったら、礼は死んでいただろう。設置時は、僕と春香がそういう関係になることを誰かが慮ったのかもしれないが、現在に至るまで、春香たちですら、そういう用途では使用していない。完全に、礼のベッドだ。

 また、この研究室には、簡易キッチンがついている。これは全てに標準装備みたいだ。さて、僕は別段料理は得意じゃない。中学生の頃に家庭科で習った程度だ。きっと料理を覚える日は来ないと確信していたが、ここにきてまさかの、レシピを漁る日々だ。決して上手ではないが、一応食べられるはずだ。というか、家庭料理として言うなら、我ながら美味しいと思う。家庭料理を食べた経験があまりないのでなんともいえないが、数少ない経験で言うなら、僕は料理がうまいほうだ。

 そのため僕の一日は、研究室の鍵を開けて、朝食を作り、礼をたたき起こすことから始まる。食べたあと、礼はシャワーに入る。僕は、その間にお皿を洗って、本日の準備をする。その後出てきた礼と研究を開始。少しして春香とアシェッドが来る。そして昼食を四人で食べ、ふたりが帰るのを見送る。それから礼に夕食を食べさせて、仮眠室へ行くように強制し、そこの鍵をバシッとかけて、研究室の鍵もかけて、帰宅している。トイレは仮眠室と玄関そばの二箇所にある。仮眠室の奥にトイレって、なんの配慮なんだろうね。シャワーもそっちにつけておけばよかったと僕は思う。なお、朝僕は六時に来て七時に礼を起こし、夜は十時に礼を寝かせて、十一時に帰宅している。研究はしているが、それ以外を加味すると、普通に会社員よりひどい勤務体制だ。一応院生なんだけど。家族はみんな、僕が熱心に勉強していると信じているが、新しく得た知識は、レシピのみだ。

 研究室の扉がノックされたのは、五月の半ばのことだった。
 教授が顔を出すのは朝なので(それも二ヶ月に一回くらい)、誰だろうかと四人で顔を見合わせた。一応代表して、僕が出た。僕だったら、大体誰が相手でも対応可能だからだ。僕か春香しか、選択肢はない。見た目的にアシェッドは外国人だとやはりわかるし(案外焦る人間がいるのだ)、礼はちょっとぶっ飛んでいるからだ。

「久しぶりだな柾仁」
「ぶは」

 しかし思わず僕ですら吹いた。立っていたのは、紺だ。隣にはミレイユがいる。
 とりあえず中に招き入れ、みんなで再会を喜んだ。
 それから僕は聞いた。

「いつこっちにきたの?」
「四月だ」
「――いつまでいるの?」
「二年後だ」
「長いね。どこでなにするの?」
「ここの精神医学研究室が俺、簡単に言うと内科がミレイユ」
「……なんでこっちにこなかったの? ふざけてんのかな?」
「言葉が乱暴になってるぞ、皇太子殿下」

 楽しそうな紺の表情に、思わず僕は顔を引きつらせてしまった。

「礼は知ってたの?」

 春香の声に、それまでただひとり驚いた様子がなかった礼が頷いた。

「うん。アメリカの伯父さんから電話が来て、こっちに来るからよろしくって。経営をやってたのに、ここに来て精神医学って、最終的には何になるのかわからないって言ってたよ!」
「――へぇ? いやぁ、父さんも、礼に頼むあたり、頭が悪いな。逆ならわかるんだけどな。正確に一言一句再現してもらえるか? 嘘じゃないならば」
「……本当は逆だったの。ちゃんと紺に面倒を見てもらいなさいって!」
「だろうな。で、今は誰が面倒を見てるんだ? 俺には、春香とアシェッドが同じ指輪をしているように見える」

 その言葉に春香が今にものろけ出しそうな顔をした。