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存沼の別荘は山の上にあった。俺の大嫌いな山の上に……。
ただ、正直今回に限っては許そう。スキー場の中腹にある山荘だったからだ。難点はといえば、スマホの電波が入らないことくらいである。
このスキー場自体が存沼のものらしい。しかも存沼財閥のものではなかったのだ。存沼個人のものだったのだ。そのうえ貸切で、リフトのところの人しかいない。
また――山荘はさすがの内装だったが、シェフもお手伝いさんも誰もいなかった。息を飲んでいると、隣に存沼が立った。
「ね、ねぇマキ君。お手伝いさんは……?」
「いない。三葉も和泉もいないだろう? だから」
なにが『だから』だ! それでは俺たちの食事はどうなるのだ。ベッドメイクはどうなるのだ。俺にはそんなことできないぞ。
ちなみに前世記憶でほんの少しだけ料理はできるが、ごく庶民的というむしろ庶民以下の代物しか作れない。俺に期待されても困るからな!
「――全部俺がやる」
「え……?」
た、確かに存沼ならば全てができそうではある。ただしそれはあくまでもイメージだ。不安でいっぱいになりながらも、俺は手彫りの木像の用意をする。心の中で慈愛に満ちた笑顔を心がけた。
「僕も手伝えることは手伝うよ」
本当、手伝えることだけだけどな。
そして俺に手伝えることなどほとんどないのである。
それにしても存沼は三葉くんと和泉を意識しているのだろうか――?
やはり、砂川院の人間だから、そろそろライバル視しはじめたのだろうか? 今更”五星”の仲が悪くなっても、もう俺にはどうする気もないぞ。なにせ今の俺は、自分のことで精一杯なのだ。それもこれも、存沼が俺に告白したりするからである――……そう考えてハッとして目を見開いた。
もしかして、いやもしかしなくても、俺たちはここで、二人きり……? なんということだ! 貞操の危機である。決して俺と存沼は付き合っているわけではないし、俺には付き合う気はないし、宝石をチェンジする気もないが、その……在沼の方はどうなんだろう……? こんなことならば、やっぱり和泉に相談してみるんだった……。なにせ俺の周囲では、一番の恋愛玄人だしな。いや、それは西園寺か?
「誉、座っていろ」
「なにか手伝わなくていいの?」
「平気だ。お前、その――カレーが好きなんだそうだな。固形ルーを用いた」
「……え?」
突然の言葉に、俺の背筋に冷や汗が伝った。何故、何故、俺の冬の楽しみを存沼が知っているというのだ。
「和泉に聞いたんだけどな――違うのか?」
「う、ううん……たまに食べると美味しいなと思ってるよ」
俺の笑みが引きつりそうになった。しかし気合を入れて、表情を保つ。
というか和泉には、チープなカレーが好きだってバレていたのか。
しかし存沼は和泉にいつそんなことを聞いたんだろう。まさか……俺より先に、和泉に相談したりしていないよな? そうだったら、俺の相談相手がいなくなってしまう。いやしかし、今度相談するとしても、なんて和泉に相談したものか。
ただ、カレーならば、俺だって手伝える。少し安堵しながら、キッチンに立つ存沼へと俺は歩み寄った。そしてポカンとするしかなかった。存沼の包丁さばきと言ったら、もうなんというか素晴らしかったのだ。俺に入る余地はない。
「美味しそうだね」
無理やりそうひねり出して、俺は大人しくカウンター越しにあるダイニングのソファに座っていることにした。そこにはポットと――なんと、インスタントコーヒーがあった。存沼がインスタントコーヒー……? イメージとかけ離れている。待て待て、俺の中での在沼イメージはちょっとおかしいのかも知れない。
「マキ君」
「なんだ?」
「このコーヒーを飲んでもいいかな?」
「ああ。俺にも淹れてくれないか。実は飲んだことがないんだ」
……やっぱりな! 存沼がインスタントなど飲むとは思えない。ではなぜここに瓶があるのだ? 首をひねりながら、カップを取るために戸棚を開け……俺は硬直した。な、なんとそこには、板チョコとポテトチップス(のりしお)があったのだ……! なぜここにあるのだ! すごくすごく食べたい。俺が固まっていると、存沼が首をかしげた。
「どうかしたのか?」
「ポテトチップスは自社製品だから。買ってくれたのかなと思って、驚いたんだ」
「ああ。三葉に、お前の好物はポテトチップスだと聞いてな。西園寺は、お前は甘党だと言っていたから、一応チョコレートも用意したんだ」
なんということだ……。もしや俺の味覚はバレているのだろうか。
いいや、まだ挽回はできるだろう。あくまでも自社製品だから好きなのだで押し通そう。何かあったら、菩薩よ、マリア様よ、頼むからな! とりあえず話を変えよう。
「ところでマキくんは、ウィンタースポーツが好きなの?」
まぁスキー場を個人でもっているほどなのだからそうなのだろう。
その割に、俺はこれまでには誘われたことがなかった。なんとなく、胸がずきりとした。なんでだよ!
「いいや。和泉にお前の趣味がスノーボードだと聞いて、作らせたんだ」
「――え?」
「正直、聞けば聞くほど、和泉に嫉妬してる。和泉に相手がいなければ、俺の計画は発動していた」
怖いのでなんの計画かは聞かないでおこう。気づかないところで和泉の首はつながっていたのかもしれない。いや、和泉ならば対抗できるかもしれないが。微妙かもしれない。何とも言えない。
それよりも、もしかしてこのスキー場……俺のために作られたのか? なんということだ。呆気にとられるというのは、こういうことだと思う。
「誉、後で滑りに行くか」
「そうだね……」
「実は今年、生まれて初めてスノーボードをやったんだ。それにしてもダブルコークは面白いな」
和泉級の運動神経の持ち主がここにもいた。なんだか小さい頃からよろよろと滑ってきた俺の当て馬っぷりを改めて実感する。しかし良いのだ。ごく普通には滑ることが出来るのだから……! 簡単なジャンプもできるようになった。別に俺はオリンピックに出るわけじゃないのだからな!
――ちなみに、俺と存沼がスノボをすることは、今回は無かった。
さてその日の夜は、猛吹雪だった。
停電したのは、カレーを食べ終わり、俺が皿洗いをかって出た少し後のことである。
存沼は、『誉の手を荒れさせたくない』とか言って、結局俺にはやらせてはくれなかった。正直水は冷たそうなのでありがたかったから、俺は静かに笑っておいた。
その時だったのである。
「っ!?」
突然の停電に驚いた俺は、すぐ近くにいた存沼の服を反射的に掴んでいた。すると、ギュッと正面から抱きしめられた。俺の心臓がバクバク言ったのは、あくまでも停電のせいであり、存沼に抱きしめられたからではない。そのまま――電気はつかなかった。
一気に部屋が寒くなっていく。エアコンも止まってしまったのだ。
暖炉はあるのだが、薪がない……! ストーブもあったが、石油がなかった! 幸い食料はあるし、存沼と連絡がつかないとなれば、さすがに探しに来るだろう。俺は最初、そんなふうに考えて自分を落ち着けようとした。しかしすぐに絶望感に襲われた。
「まずいな。三日は誰もここに近づかないようにと言ってきたんだ」
俺から手を離し、パチンパチンとブレーカーの確認をしながら存沼が言った。
「どういうこと?」
「お前と二人でいたかったんだ」
その言葉に、俺は思わず赤面した。二人で? それって、やはりその、なんというか存沼は俺のことが――……って待て。そんなことを考えている場合ではない! ここはスマホも通じないんだぞ!
三日間、陸の孤島だ。クローズドサークルだ。密室だ! 俺はミステリー小説も読むが、自分が巻き込まれるのはゴメンである。
「悪いな。明日にでも俺が、下に降りて人を――」
「明日も吹雪だったらどうするの?」
「責任を持って降りる。お前をこんなに寒いところに置いておくわけにはいかない」
「待ってよ、マキ君が危ないよ」
「心配してくれるのか?」
「あたりまえだよ!」
そんなやり取りをしながら、俺は存沼がランプを用意するのを見守った。マッチをすり、火を点している。するとぼんやりと明るくなり、室内がよく見えるようになった。皿洗いなどしている場合ではない。というか水は出るのだろうか……。まぁポットの中のお湯は、
すぐに水になるだろうが……。
幸いカレーの残りと、ポテトチップス、チョコレートはあるのだから、三日間くらいなら食料は大丈夫だろう。
二人でどちらともなくソファに座る。そして視線を合わせた。
「誉、大丈夫だ。お前のことは俺が守るから」
存沼はかっこいい事を言う。
しかし俺は、不安でいっぱいだった。