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それから、使えるものを俺たちは確認した。
凍える別荘の中で、唯一暖かかったのは、お湯だ。ガス式のシャワーと水道のお湯が出たのだ。オール電化でないとは思わなかったが、正直助かった。しかしもちろん浴室の電気はつかない。ただまぁこれに関しては、日中に浴びればいいだろう。いや、遭難中にシャワーを気にしてどうする。
「誉、安心しろ。大丈夫だから」
「……そうだね。明日は晴れるかも知れないしね」
俺は必死で笑顔を浮かべた。菩薩を召喚する余裕すらなかった。本気で俺は焦っていたのだが、それでは存沼まで不安になってしまうかもしれないと思ったら、気づけば笑っていたのだ。
「ああ――今日はそろそろ休もう」
「そうだね」
そうだ。こういう日は寝てしまうに限る。明日は明日の風が吹く! はず! 俺は現実逃避をして、ロッジの二階へと上がっていく在沼の後に続いた。階段もすごく寒い。俺の部屋は、存沼の部屋の真正面に用意されていた。存沼が鍵を開けようとしてくれたのだが――……なぜなのか硬直した。
――?
「マキ君?」
「悪い、鍵が違う。こちらの部屋の鍵は、清掃をしてくれた使用人に渡していたんだ」
「え?」
存沼は険しい顔をしながら、自身の部屋の鍵を開けた。そこには大きなベッドがあった。こういうところは、さすがに存沼財閥の手配だという感じだ。アベーユ&アヘーンバッハ社製のひと目で高いとわかるベッドを俺は一瞥する。この大きさならば、二人で眠ることが出来るだろう。
「誉はここで眠ってくれ」
「え? マキ君は?」
「下のソファで寝る」
「どうして?」
俺が首をかしげると、うつむきがちに存沼が顔を背けた。いつも堂々としている存沼の珍しい反応に、なおさら首をひねるしかない。
「誉と一緒じゃ何もなく眠る自信がない」
その言葉に、俺はちょっとムッとした。
俺の寝相が悪いと思われている気がしたのだ!
俺はそんなに寝相は悪くないぞ!
そもそも存沼と一緒に寝たことなど、修学旅行でしかない。なんて失礼なんだ。それともあれだろうか。存沼の寝相が悪いのだろうか? 俺は断言して、存沼を蹴り倒してベッドから落としたりしないというのに。
「だけど下は寒いし、毛布は一枚しかないよ?」
「大丈夫だ。誉が風邪でもひいたらと思うと心配だからな」
「僕だってマキくんが風邪をひいたら心配だよ。それに一人よりも、今の現状じゃ、二人で眠ったほうが暖かいだろうし」
ひとり俺は、ウンウンと頷いた。すると存沼が、唇を手のひらで覆った。それから呟くように言う。
「――誘っているのか?」
「うん? 一緒に眠ろうと誘ってるけど。本当に寒いし」
「……誉。俺が言うのもなんだけどな、もう少し危機感を持て。例えば、だ。和泉に下心があったら、とっくにお前は……まぁ無かったから安心したけどな」
しばしの間どういう意味かわからなくて、俺は何度か瞬きをした。
そして――思わず息を飲んだ。ま、まさかだ。存沼は……俺に手を出さない自信がないと言いたいのか!? そんなまさか――しかも、この状況で!? 一体何を考えているんだよ! そんな場合じゃないだろうが! 俺は思わず叫び出しそうになったのだけれど、こらえた。一瞬悟りを開きそうになってしまったが。俺は引きつりかけた頬を必死で制止し、菩薩を召喚した。かろうじて印相はつくらなかった。
「――マキ君。今は緊急事態なんだよ?」
しかし存沼はひるむことがなかった。腕を組み、俺をじっと見ている。
「緊急事態じゃなかったらいいのか?」
何が!? 俺は言葉を失った。カッと頬が熱くなってくる。何がだなんて決まっているだろう……そしていいわけがない! ありえないのだ! しかし俺はなんと返答すればいいのかわからなくて硬直した。菩薩だけじゃ足りない――どうしよう。ここはもう、モナリザにも頼むしかない。
「……冗談だ。確かに、遭難したら人肌で温め合うというしな」
存沼がやっと俺の笑顔を深読みしてくれた。心底安堵しながら、俺はベッドに座る。それから存沼が、掛け布団と毛布をかけてくれた。それから、となりに潜り込んできた。
おかしなことを言われたから、緊張するなという方が無理だった。思わずため息をつきそうになったその時、不意に存沼の手が、俺の後頭部にまわった。
「マキ君……?」
「なんだ? 腕枕くらい、いいだろう?」
「……」
正直よくない。恥ずかしい。俺はもう子供ではないのだからな!
しかし存沼の体温は思いのほか暖かい。それに、なんだかんだ言っても、俺たちは小さい頃から一緒にいたわけで、存沼の雰囲気に俺はもう慣れ親しんでしまっていて、嫌いではないのだ。
告白なんてされなければ、きっと現在も、もっと安堵していたと思う。だが……だから全ては存沼の告白が悪いのだ! いや待て、今の一番の問題は、停電だ!
――そんなことを考えているうちに、思いのほか気疲れしていたのか、俺は眠ってしまったのだった。
ちなみに翌日目を覚ますと、俺は存沼に抱きしめられて眠っていた。
その体温に心臓がうるさいほどにたかなった。だから、なんでだよ……! なんで俺が、存沼を意識しなければならないというのだ。存沼はまだ眠っている。その顔を、起こさないように俺は見た。顔だけ見れば、本当に端正な顔立ちをしているのだ。思いのほかまつ
げが長いなだなんて考えて、俺は自分の思考に恥ずかしくなって、一人で悶えた。何を考えているんだよ、俺!
そうしていたら、俺を抱きしめている存沼の腕に力がこもった。思わずびくりとした時、ほほに口づけられた。ぽかんとして目を見開く俺。しかし存沼は単純に寝ているので、偶然ふれたか、寝ぼけたのだろう……。しかし俺の心臓は限界だ。
再び緊張してきて、体がこわばる。ダメだ、意識を変えよう。決意し俺は、首だけで窓の方を見た。そしてカーテンの隙間から、昨日よりもさらにひどくなっている吹雪を確認してしまったのだった……。
存沼が起きたのは、それから十分ほど経ってからの事だった。
それから俺たちは起き上がり、二人で冷め切っているカレーを食べた。昨夜の残りだ。幸いお皿はたくさんあった。スプーンですくいながら、俺は存沼の表情を静かに窺う。すると視線があった。
「固形ルーを使ったカレーは初めて食べたけどな、冷めると固くなるんだな」
「そ、そうみたいだね」
俺は必死で誤魔化す。
……なんで俺が誤魔化さなければならないというのだ。
それから俺は、夢中で食べた。食べることで、自身の思考をも誤魔化したのだ。存沼は実に華麗なスプーン使いで食べている。俺はこんなにも庶民風カレーを美しく食べる人を見たことがない。こういう時、在沼は元来は上品なのだと思う。そんなふうに考えていたら、存沼が窓を一瞥した。
「昨日よりもひどいな」
「うん」
「ただ、俺は大丈夫だから、下りてくる」
「……自殺行為だよ。本当に遭難しちゃうよ」
「だからといって誉を――」
「そんなに気をつかってくれなくていいから。それにあと二日したら、迎えに来てもらえるんでしょう? それくらいなら、食料ももつよ」
俺がモナリザの微笑を真似ると、存沼が苦笑するように、吐息に笑みを乗せた。
「――うまくいかないものだな」
「え?」
「俺は、今回、純粋に誉に楽しんで欲しかったんだ。下心が全くなかったと言ったら嘘になるけどな」
「マキ君……」
そういった存沼は、獅子ではなく、やはり犬に似ていた。思わず撫でてあげたくなる。
「――僕は大丈夫だから」
撫でることは思いとどまり、俺はそう返した。すると存沼が珍しく微笑した。こういう顔を見ると、やはりドキリとしてしまう。だ、だからなんで俺の胸は騒ぐんだよ! 気づけば俺は、無意識に、私服でもいつも身につけているペンダントを両手で握り締めていた。
そういえば――有栖川くんと存沼は、宝石を交換したのではないのだろうか? だとしたら、俺が仮に交換する日が来たら、俺の宝石は有栖川くんのものになるのか? いや……改めてよく見てみたら、在沼の宝石は元々のものに戻っていた。な、なるほど……偽装中はあえて宝石をそのままにしていて、今は戻したのか。それと――俺は知った。なるほど、別れると宝石はもともとのものに戻るのだな……。
そんなこんなで、俺たちの二日目は始まったのだった。