【五】切り開こうとしたのかもしれない(※)






 そのまま、三年が更に経過した。既に、俺は手枷や鎖をはめられなくなっていた。抵抗しないからだろう。俺は確かに絶望していた。日々に嫌気がさしていた。けれど快楽を教え込まれた体は、どうにもならない。

 そんな俺に転機が訪れたのは、何気なくベリアス将軍が剣をテーブルに立てかけた時だった。ドキリとした。チラリと将軍を見る。俺に注意を払うでもなく、将軍は首元を緩めている。

 ――今しか無い。

 俺は反射的に剣を手に取り、鞘から抜いた。そして驚いたように振り返ったベリアス将軍の胸を、剣で貫いた。血しぶきが飛び、俺の顔を濡らしていく。

「な」
「死んでしまえ。お前は俺の仇敵だ。よくも俺の体を、こんな、こんな風に……死んでしまえ」

 そこにあったのは、明確な殺意だったと思う。俺は剣を引き抜くと、改めてベリアス将軍に突き立てた。

「お……俺を殺せば……永劫その薔薇は消えず、お前を苛むぞ」
「だからなんだ?」
「――っく、はは。いいや、黒薔薇に命じてやろう。俺が死んだ後、永劫お前の体は男を求める。定期的に男根を受け入れ白液に濡れなければ、気が狂ってお前もまた死ぬ。そうだな、それが淫らなお前には丁度良いだろう。生涯、犯され続けるが良い」

 哄笑したベリアス将軍は、それからガクリと膝をついた。
 俺はその首を、剣で切り落とした。

 初めは震えが来た。殺意があったとはいえ、人殺しは俺にとって恐怖だった。だが、もう逃れたかったのだ。俺は手で、自分の顔に飛んできた血を拭ってから、クローゼットに振り返る。この寝室には、ベリアス将軍が俺に与えた服が沢山ある。ベリアス将軍の遺体から広がっていく血を避けながら、俺はすぐに布で血を拭ってから、服を着替えた。

 そして外套を最後に纏い、部屋を出た。使用人達の気配を探り、時に震えながら、裏口へと向かう。この四年間で、ある程度の邸宅の地理を覚えていたのが幸いだ。

 そうして――俺は、四年ぶりに外へと出た。三日月が見おろす夜だった。
 邸宅を出てからは、兎に角走った。火の国の土地勘など無かったが、明かりの見える方向へと向かう。人混みに紛れてしまおうと考えたのだ。剣は持ってきた。樹の国で剣技を習っていた時、俺は王国一だと称えられた事がある。美よりもよほど俺は、剣の腕で有名だったように思う。弟を連れて逃げる時は、剣を手にする余裕が無かったのだ。それが悔やまれる。今でも、怯えて転んでいた弟の夢を見る。瞳を思い出す。もう亡いだろうが、会いたかった。

 暫く走っていくと、露店街に出た。そこを足早に抜けると、酒場が連なっていて、一角に冒険者ギルドの看板が見えた。ギルドは、国を問わず支部がある。そこで俺は思い出した。制度が変わっていなければ、冒険者登録をすると、冒険者戸籍が得られるのだ。それは身分を証明してくれる。俺はもう、亡国の王子として生きていく事など出来ないだろう。

 逃げながら、今後は新しい生活をしなければならない。
 迷わず俺は、冒険者ギルドの扉を叩いた。
 そして中へと入り、カウンターへと向かう。奥にいた老人が顔を上げた。

「ここは貴族のお坊ちゃまが来る場所じゃねぇぞ?」
「――服だけ借り受けているだけだ。俺は貴族じゃない。登録を頼む」
「ほう。ま、冒険者志望者を断る事はせんよ。それが公平なギルドだからな」

 その場で俺は、カウンターの上の魔法石の上に手をかざした。すると手の甲に、魔法陣が刻まれた。青い光を放っている。

「こりゃすげぇ。魔力量が、最高値だ。お前さん、魔術師かい?」
「魔術はあまり使えない。きちんと習ってはいないんだ。剣士だ」
「剣士のわりには、綺麗な手だがねぇ。もったいねぇな。魔術師に師事したらどうだ?」
「あてがない」
「ま、冒険者稼業の成績をみて、将来有望そうだと判断したら、紹介してやるよ。最後に名前を登録すれば、戸籍登録も完了だ。お前さん、名前は?」
「ネルスだ」
「ありがちな名前だな。名字はどうする?」
「……必要なのか?」
「いんや。無くとも構わんさ」

 こうして、俺の戸籍証が完成した。小さく透明な魔力のこもるカードを受け取り、俺はそれをポケットに入れる。鎖がついていたので、ベルトの穴に止めた。

 ――これが、俺が初めて人を殺めた日であり、新たなる出発の日となった。

 その日は、冒険者ギルドの二階の部屋を借りた。依頼料の前借りが可能だったのだ。明日からは、俺は冒険者として生きていく。もう、過去は振り返らない。そう、確かに思った時だった。ドクンと、黒薔薇の刻印が俺の胸で疼いた。

「ぁ……」

 じわりじわりと熱が広がり始める。

「嘘だろ……嘘だ……あああ」

 体が熱い。俺は涙ぐんだ。欲しい。貫かれたい。だが、ダメだ。俺はもう、あの生活からは抜け出すのだ。震える体を両腕で抱きしめて、その夜俺は、必死で熱に耐えた。

 しかし朝になると、より熱が酷くなった。それでも体を引きずって、俺は一階に降り、依頼書がはり付けられている壁の前に立った。賞金首の魔導写真や、魔獣討伐の仕事、果ては草むしりまで、雑多な依頼が並んでいる。俺に出来そうな依頼を探した。

 すると商人の旅の護衛依頼があった。冒険者ギルドは、その時々の土地に存在しているから、旅に付き添った後は、新しい土地の店に行けば良い。行き先は、風の国。火の国から出る好機だ。俺は依頼書を手に、カウンターへと向かった。するとパイプをふかしていた老人が、頷いた。こうしてその日の午後、俺は商人と引き合わせられた。

 頭に布を巻いている青年は、冒険者ギルドに入ってきて俺を見ると、腕を組んだ。

「こりゃあまた、美人さんだな。もうちょっとしたら、男前になりそうな」
「――ネルスと言う」
「ラッセルだ。よろしくな」

 このようにして、俺の旅は始まった。