【十四】残酷な優しさ(☆)





 その日から、俺の寝室は、殿下の私室になった。殿下の私室には、五つの寝室があって、その内の一つを与えられたのだ。ミネス達は、神産みが行われるのだと信じているのだと、ユーガ殿下は笑っていた。

 だが、ユーガ殿下は俺を無理に暴こうとはしなかった。俺は、初めて体を繋がない状態で、人の腕の中で眠った。当初は、震えるしか出来なくて、緊張して眠れなかった。だが、二日目、三日目と、腕枕をされる内、俺は、殿下の腕の中で眠れるようになった。

 朝目が覚めると、殿下は必ず優しい顔で俺を見て、髪を撫でる。

「おはよう、ネルス殿下」
「……おはようございます」
「うん。今日の朝食は何だろうな?」

 明るい表情で、殿下が言う。俺には、毎日、人間らしい食事が三度与えられるようになった。ネルス殿下は、日中は私室の隣の執務室に行く。その間、俺は俺のものになった寝室で、殿下が贈ってくれた本を読むようになった。活字に触れるのなど、久方ぶりだった。

 仕事が終わると、殿下は戻ってきてすぐ、俺を抱きしめて額にキスをする。その温度が擽ったい。いつも俺は、それだけで泣きそうになってしまう。殿下は、俺をドロドロに甘やかす。その優しさが怖い。いつかきっとこんな幸福は、消えてしまうと思うからだ。俺は、常にどこかで怯えていた。

「また暗い顔になったな」
「……っ、その」
「まだ安心できないか? 何が不安だ?」
「……」
「ネルス殿下。教えてくれ。きちんとその、流麗な声で」

 俺はギュッと目を閉じた。睫毛が震える。

「……ユーガ殿下がいなくなってしまったらと思うと、怖くて」
「そうか、嬉しいな。俺を想ってくれるようになったのか?」
「想う?」
「――貴方は、まだ愛を知らないようだからな。時間をかけなければならない」
「?」

 俺には、殿下の言葉の意味が分からなかった。だから何度か瞬きをしていたら、俺を腕から解放し、片手で殿下が俺の腰を抱き寄せ、もう一方の手で頬に触れた。

「本当に綺麗だな、ネルス殿下は。一目で惹きつけられてしまったんだ、本当は」
「……? それは、俺を抱くというのとは、違うのか?」
「いつかは、そうしたいと思う。だが、俺が欲しいのは心だよ」
「心?」
「ネルス。俺に恋をしてくれないか?」
「恋……? それは、どんなものなんだ? どうすれば、俺は殿下の期待に応えられる?」

 必死に俺は尋ねた。俺に出来る事ならば、なんでもしたい。すると小さくユーガ殿下が吹き出した。

「好きになって欲しいという事だ」
「俺は、ユーガ殿下が好きです」
「それは、まだ、ただの依存だ。俺しか、縋る者がいないだけだろう? あのな、ネルス。世界は、広い。貴方の味方は、大勢いる。俺が欲しているのは、貴方の気持ちだ。俺に恋い焦がれてくれるまでは、自制する」

 俺は何も言えなかった。
 ――それから、一ヶ月近く、そんな生活をしていた。辛かった日々が、塗り替えられていく。だが、何度も悪夢を見た。深夜に俺が飛び起きると、ユーガ殿下もまた目を覚ます。そして俺を抱きしめ、泣く俺の涙を拭い、大丈夫だと言ってくれた。

 どんどん、ユーガ殿下の事以外考えられなくなっていく。
 そんなある日の事だった。
 この日、俺は帰ってきた殿下を、うっとりと見つめていた。最近、ユーガ殿下を見ると、胸が疼くように変わったのだ。ユーガ殿下に触れられると、鼓動が煩くなる。このような感覚は人生で初めてで、俺は自分の気持ちに戸惑っていた。

「――感情の色が、淡い桜色に変わっているな」

 俺を抱きしめ、額にキスをしてから、優しい声でユーガ殿下が言った。それがどういう意味なのか分からないでいると、指先で唇をなぞられた。

「ここに、キスをしても良いか?」
「……ああ。俺も……その……」

 満月が近づいていた。殿下に抱きしめられて眠ると、不思議と熱は酷くならないのだが、それでも今日は体が熱い。恐らく殿下は、地の国の砂の魔術で、俺の熱を制御してくれているのだとは思う。だが、俺は無性にユーガ殿下の体温に触れてみたくなっていた。

「ン」

 ユーガ殿下が俺の唇に、触れるだけのキスをした。目を伏せてそれを受け入れていると、舌で唇を舐められた。薄らと唇を開けると、口腔に舌が差し込まれる。舌を舌で絡め取られ、追い詰められる。すると、ジンと俺の体の奥が疼いた。キスが終わる頃には力が抜けてしまい、俺は殿下の胸元を掴んで倒れ込んだ。

「愛のある性交渉は、初めてのようだな」
「愛……? それは、その……ユーガ殿下は、俺を愛してくれるのか?」
「ああ、もうずっとな。最初に会った時から、予感はしていたが、今ではネルス殿下の事ばかり考えている」

 俺の顎の下を撫でるようにしてから、不意にユーガ殿下が俺を抱き上げた。慌てて首にしがみつくと、そのまま寝室へと連れて行かれた。そして優しく下ろされ、頬に触れられた。

「ネルス殿下も、俺の事を好きになってくれたみたいだな」
「っ、俺も、ずっと……」
「好きの種類が変わったから、感情の色も変化したんだ。俺には分かるんだよ」
「……」

 気恥ずかしい。何故なのか、俺の頬が熱くなった。瞳が潤んでくる。

「ネルス、貴方が欲しい。抱きたい」
「俺も、ユーガ殿下が欲しい」

 はしたない言葉を口にしていると、罵られる事を覚悟した。だが、言葉があふれ出てしまった。そしてユーガ殿下は、俺を糾弾したりはしなかった。静かに寝台に上がると、己の首元を緩めてから、俺の服に手をかけた。優しくリボンを解かれ、シャツを脱がされる。

 俺の胸の突起に、ユーガ殿下の指先が触れた。こんなにも長く、誰かと体を繋いでいなかったのは初めてだから、慣れているはずなのに、俺は緊張していた。自分の淫乱な体の事が露見する恐怖もある。だから、なるべく声を堪える事に決める。

「っく、ッ……ふ」

 ペロリと右の乳首を舐められると、ジンと全身に快楽が響いた。黒薔薇の刻印がその刺激に反応したようで、すぐに模様に沿って熱が全身に染みこんでくる。

「ッ……ぁ……ンん……っく」

 片手で口元を覆った俺は、自分の反応が変で無いか考えながら、殿下を見た。ユーガ殿下は――この時、俺が初めて見る顔をしていた。そこには、確かに肉欲が宿る瞳があった。金色の瞳に、射すくめられたようになる。

「酷い事はしない」
「っぁ……」

 殿下が香油の瓶をたぐり寄せ、それを手にまぶした。そしてぬめる手で、俺の陰茎を握り込んだ。

「んんン」

 俺の口から、鼻を抜けるような声が漏れた。気持ち良い。純粋に、穏やかな快楽がこみ上げてくる。すぐに勃起した俺のものを、殿下が撫でる。そうして左手で俺の陰茎を擦りながら、右手の指を俺の中へとゆっくりと差し入れた。人差し指の第一関節が入った時、俺は息を詰めた。もっと――欲しい。だが、そんな淫らな事を口走って、殿下に嫌われたらと思うと怖い。

「っぁ……」
「辛いか?」
「う、ううん、あ……平気だから……」
「だから?」
「え、ぁ……っぅ……ンん」

 第二関節まで指が進んでくる。その指を、殿下が振動させるように動かした。俺の全身がカッと熱を帯びた。ずっと俺は、暴かれる事を求めていたのだと、嫌でも悟らされる。全然足りない。

「ぁ、ぁァ」

 もどかしくて、涙が零れた。早く中に欲しい。俺は快楽を無意識に想起し、期待から震えていた。殿下はそんな俺をじっと見ている。

「あ、あ」

 指が二本に増えた時、前を強めに擦られて俺は果てた。じっとりと体が汗ばんでいる。弛緩した俺の中に、今度は二本の指を、殿下が一気に進めた。そして軽く指先を折り曲げて、前立腺を刺激した。それだけで、再び俺の陰茎は張り詰めた。

 次第に意識が曖昧になり始める。
 快楽が襲いかかってくる。

「あ、あ、あ……あ……あ、待って」
「待つ? 性急だったか?」
「ち、違……あああ、限界だ。お願いだ、挿れてくれ!!」
「まだきついだろう?」
「いや、いや、焦らさないでくれ、お願いだ、殿下、ユーガ、ユーガ……あああ」

 ポロポロと俺は泣いた。やはり俺の体はおかしいらしい。急に、壮絶な快楽が襲ってきて、俺の理性が飛びかけた。涙で滲む瞳で殿下を見ると、やはり初めて見る獰猛な顔をしていた。それが少し怖い。これまで俺を貪ってきた者達と同じ顔に見える。だが、ユーガ殿下は、彼らとは違い、優しい。俺の味方だと言った。

「ひ!」

 激しく指が動き始めた。容赦なく前立腺を突かれ、俺は悲鳴を上げる。
 頭が真っ白になった時、指が引き抜かれた。俺は、これから与えられるのだろう熱を期待して震える。

「今日はここまでだ」
「!」
「さぁ、入浴しよう」

 それは俺にとっては残酷な宣言だった。

 ――満月が近づいてくる。明日にはもう、月が満ちる。

「う、うああ……あ、あ」

 俺の内側を灼熱が埋め尽くしていく。なのに殿下は、俺の体を解すだけだ。指で愛撫し、全身を撫でるだけなのだ。気が狂いそうだった。今では入浴も共にし、体を洗われるのだが、その時乳首を指先が掠めるだけでも、俺は喘いでいる。ボロボロと泣いて、挿れてくれと口走るのだが、殿下は微苦笑しているだけだ、ただし残忍な瞳で。

「は、はぁ、っ、ぁ」
「今日はここまでだ」
「いやぁ……」

 俺はその夜、殿下の腕の中でずっとすすり泣いていた。体が熱い。そんな俺を、ずっと殿下は抱きしめ、髪を撫でていた。

 こうして満月の夜がやってきた。俺は朝からずっと震えているしか出来なかった。寝台から起き上がる事も出来なかった。おかしい、体がおかしい。これまでの満月とは比べものにならないほどの快楽が、俺を絡め取ろうとしている。

「ただいま、ネルス」
「あ、あ……」

 俺はよだれを零しながら泣いていた。意味のある言葉を紡ぐ事が出来ない。