【二】罔象方面部隊特殊対策班





 ――春が来た。
 明楽は、新しい班員コードを確認し、少し意外に思っていた。名前順に、年度ごとに番号が振られるのだが、これまで常に『あ行』であるから『一番』であったのに、今年は二番だった。そして、新班員との顔合わせの際に、納得した。

「一番、青海透(あおみとおる)です」

 黒い髪と瞳をしているマスクをつけた青年が、名乗って会釈をした。今年唯一の入れ替わりで配属された青海は、明楽よりも更に『あいうえお順』で名前表記が早い人物だった。

「宜しくお願いします」

 平坦な声からは、感情は窺えなかったし、その後何かの言葉が続く事も無かった。
 全国津々浦々の精鋭から招集される部隊には、寡黙な人間も別段珍しくは無いし、マスクに関しても特に職務上の規定は存在しない。

「二番、明楽溟露。宜しく」

 その為二番目に挨拶をしてから、以後特に明楽は青海の事を意識しなかった。
 三番の眞岡(まおか)はマンションの隣人であるし、最後の、来道(らいどう)とも三年前から一緒に働いている為、すぐに挨拶自体も終わった。四名が基本的な班のメンバーである。なお、普段はそこに、参謀及び班長を他の役職と兼任している、見角(みかど)大尉と、その副官兼医官の、束瑳(つかさ)大尉が加わっているが、二人は部隊全体で見た時に他にも所属している扱いとなる為、そちらで班員コードを割り振られている。

 その後、本日は初の顔合わせ及び、平時の通りの訓練となった。
 特殊対策班は、存在自体が非公開だ。オフィス街にあるビルを、別名義の会社として一つ借り上げ、その内部に登録情報とは違う施設が展開している。まずは、射撃の訓練からで、これは専任の狙撃手である眞岡に、毎年明楽は敗北していた。だが昨年までは、それ以外の全てにおいて、明楽が成績一位を維持していた。

「!」

 しかし、今年は拡張現実を用いた測定値において、眞岡と同等の成績を、青海もまたはじき出した。

「……へぇ」

 どうやら――青海は、『名前だけの一番』では無いらしい。
 この日、他の筆記訓練や情報処理訓練、護身術等の訓練を終えた時、明楽はそれを理解した。終始変わらず冷たい色を瞳に宿していた、眼の形自体は綺麗なアーモンド型をしている青海は、マスクで顔全体は見えないものの、少なくとも本日に限って言うのであれば、ぶっちぎりで成績もまた一番だった。この日、明楽は完全に敗北し、二番手となった。

 なお特別に新人歓迎会などは行われないので、定時になってすぐ、明楽は帰路についた。
 すると追いかけてきた眞岡が、手で缶を傾ける仕草をしたので、大きく明楽は頷く。

「いやな? 確かに、優秀な奴には来てほしかったぞ? けどな、なんかイラァっとするな」

 一緒にマンションへと帰宅後、この日は眞岡の部屋で宅飲みを開始する。

「ちょっと完璧すぎましたよね、青海さん」

 笑顔の眞岡は、明楽の前に高級な缶麦酒を置くと、楽しそうに笑いながら言う。明楽よりも五歳年下の二十三歳だ。身長もずっと低い。ただし、残念な事に眞岡もまた一見ネコに見えるもバリタチである為、二人の間に生まれたのは同僚としての信頼関係と友情だった。詳細は不明だが、過去に眞岡は同僚を射殺した事があるらしいと聞く程度には、親しく話をする仲だ。

「身長は俺が勝ってた」
「出た、自称・百八十二センチ! でも、班で一番背が高いのは班長の見角大尉だし、班員なら来道さんですよね」
「煩い」

 来道は体格も良い。なおマンションは同じだが、階が違う為、来道とはあまり宅飲みをした事が無い二人である。来道は自由時間は外出している事が多いようで、少し年上というのもある。今年で三十歳だったはずだ。また、もう少し愛想が良さそうだったならば、折角来たのだし青海を招いても良いかもしれない――と検討しただろう。だが完全敗北への苛立ちもあってそういう気分にはならなかったし、どうやらそんな明楽の考えを眞岡も見透かしていたらしい。それでも笑顔でネチネチと言ってくる後輩であるが、どことなく眞岡の茶色い瞳は憎めない。

 その後は、遅くまで酒を飲んでいた。
 狙撃手という遠隔からのバックアップが得意な眞岡と、前衛役で武力でその場を攻略する事が多い明楽は何かと組む事も多く、気心が知れている。二人で飲む酒は美味い。

 だがそれも定期連絡と明日の勤務があるからと、零時には解散した。
 隣の自宅に帰ってから、はぁと明楽は吐息する。

「ま、お手並み拝見だな」

 そんな事を呟いてから、仮眠し、定時連絡後にも二度寝をした。
 だが翌日からも現場戦力は、基本的には明楽だった。主に青海はデスクワークを見角大尉から与えられているらしい。新配属だからだろうかとも思ったが、何やら二人は既知の間柄であるらしいと噂で耳にし、確かに親しそうだなと明楽は思ったが、それもすぐに忘れた。

 多忙な現実に、日常はすぐに押し流されていく。
 この罔象方面部隊特殊対策班の任務は、主に四つである。
 其の一、通常訓練と書類業務。
其の二、罔象市の有事の際の防衛。
 其の三、最近ニホン国に潜入してきたという国際的テロ組織の人間の拘束等。
 其の四、こちらのみ、各地の班に同じ任務があるが――特殊対策班内部での特殊人事で、遺伝子情報からの判定による任務結婚と合成児の育成。

 この中で、多忙な理由は、主に其の三である。
 そもそも三年前に、この罔象市に特殊対策班が出来た理由は、この人工島にその組織のアジトがあるという情報を得たからである。国際的テロ組織である、和名――『青い月』。英語圏を主体とした組織であり、二度目の満月(ブルームーン)に由来する名を、各国で名乗って破壊的な活動を行っている組織だ。その日本支部の代表を、『丸アオ』と呼び、罔象の対策班は追いかけている。

 青い月の犯罪行為は、主に三つだ。
 一つ目は、銃刀法違反。
 二つ目は、それらを用いた破壊的テロ活動。
 三つ目は、密貿易した非合法ドラッグの販売である。

 中でも問題視されているのは、『ストロベリームーン』と呼ばれる媚薬だ。これは、使用すると、薬が体内に残存中は、左腹部に満月の中に苺を描いた模様が出現する為、自発的に摂取したにしろ盛られた場合であるにしろ、服用者はすぐに分かる。

 薬の効果は、他者の唾液や精液といった体液に反応する部類の合成物で、それを受け入れなければ体が次第に熱で辛くなるという品だ。対処法はSEXか、人工的に器具で他者の体液を注入する事しか無い。なおこの内容の為、接吻(キス)も服用者の肉体に、非常に強い快楽を与えるそうだ。

 満月の日に最大の効果となり、薬が抜けない内は、それ以外の間も、通称・淫紋と呼ばれるその模様が薄っすらと左腹部に出現し続ける。最大でも、その効果は半年で消えるようだが、消失までの間の満月の際は、他者と体を繋ぐ事が最善の対処法となる。どうしてもまだ、人工物では完全に抑えるのは厳しいようで、服用者の多くも花街から相手を呼ぶようだ。なおこのクスリは、女性には効果を発しない。同時に、『男性をネコにする薬』とも言われている。淫紋が出現していると、後孔の最奥が熱くなる事が所以らしい。

 この押収や摘発、被害者への事情聴取や加害者の摘発で、非常に日々が多忙だ。
 それに合わせて、日常的に、どこかの店舗に立てこもった、バスをジャックした、などと、『青い月』は犯行が多く、目が回りそうな毎日である。

 本日も、バスを解放した後、一杯飲もうと眞岡に誘われ、明楽は頷いた。
 心地良い疲労感と達成感の中、眞岡の部屋に向かう。同じマンションの造りではあるが、入居時にある程度自由に内装を弄る事が出来る為、明楽と眞岡では部屋の印象が違う。

「乾杯でーす! あー、麦酒美味い。明楽さんも、もっとどうぞ!」
「お前、若いのに……そんなに飲むのも珍しいよな」
「そうですか?」
「俺世代ですら、麦酒派は少なかったぞ」
「俺は、ストゼロで足りない派なんで、その感覚分からないですね」
「俺には眞岡がよく分からん」

 そんなやりとりをしていると、ふと思い出したように眞岡が宙を見た。

「あの人は何してんですかねー?」
「あー、マスクイケメン?」
「いや、普通にイケメンでは? 確かに青海さん、毎日マスクしてますけど」
「俺ほどではない」

 きっぱりと明楽が言って口角を持ち上げると、盛大に眞岡が吹き出した。実際に明楽は顔立ちが整ってはいるのだが、冗談半分であったから、笑われて悪い気にもならない。なお、マスクをしている限り、眼と髪型以外はよく分からないが、青海もまた綺麗な顔面造形であるのは間違いないとは、明楽も思う。

「お前、ああいうのがタイプなのか?」
「いやぁ、俺はああいうタチっぽい人よりかは、ネコらしいネコが好きなんで。だから、名前。覚えましょ? 青海さんですってば」
「そうだ、青海。名前忘れてたわ」
「ちょ、記憶力が悲惨ですよ、それ」
「覚える価値あるか? あいつデスクワークのみだしな……」
「代わりに今日だって、俺も明楽さんも、後処理の書類やらずに帰ることを許されたんだし、価値はあると思うけどなぁ」
「それもそうだな」

 あまり書類が好きではない二人は頷きあってから、この日も零時まで酒盛りをした。
 対策班には、休暇は無い。だが、週休二日制の法律に則って、土日祝日は、自宅待機と決まっている。明日は土曜日だ。こういう場合は、『青い月』というテロ集団が何か事を起こさない限りは、事実上の休日となる。だが、定時の連絡は変わらないので、朝四時には一度起きる事となる。毎日変わらないリズムだ。

 この日帰宅した明楽は、寝台に寝転がって考えた。

「何も起きませんように」

 明日には、娼館にでも行きたい。そろそろまた、ヤりたくなってきた所である。多忙であると、どうしても右手で処理してしまいがちになるが、人肌は格別だ。予定さえ入らなければ、毎週末土曜日の夜は、基本的に明楽は娼館に足を運んでいる。今では、花街を含む繁華街全体を仕切っているオーナーの流礼(さすらい)とも顔馴染みになった。

 流礼(さすらい)は、明楽の素性を知っている数少ない民間人である。民間人であるのに知る理由は、班への『協力者』であるからだ。裏社会を牛耳る彼は、非合法なドラッグを場所代すら払わずにばら撒く敵組織に辟易しているらしく、度々媚薬被害が発見されると対策班に教えてくれる。それに夜の街の情報提供も、迅速に行ってくれる。年齢不詳で三十代後半くらいに見えるが、もっと若いようにも老成しているようにも見える人物だ。

「しかし――青海と『丸アオ』か。案外、敵は身内にいるって事もあるからな」

 ボソリと呟いてから、明楽は目を閉じた。