【三】休日出勤とテロ




 願い虚しく、土曜日の昼下がり、明楽は緊急招集されて、オフィスビルの七階にある対策班の本部に居た。そこには、既に見角大尉と副官の束瑳大尉が来ていた。ほぼ同時にマンションを出てきたので、ここまで眞岡とは一緒に来た。

「来たか。来道とはまだ連絡が取れていなくてな。青海も同じだ――が、これを見て欲しい」

 二人の姿に見角大尉がモニターへと視線を向ける。すると隣に立っていた束瑳大尉が映像を流し始めた。見れば、そこには罔象市郊外のショッピングモールが表示された。

 このショッピングモールは、地下街が衣料品と食品調味料の専門店、一階にはファストフードとカフェ店街、二階三階四階には様々な店舗があり、五階がフードコート、六階が展望室という施設が要となっている。通称本館と呼ばれているその施設の外観と、六階の展望室の監視カメラ映像が映し出されている。

 展望室の扉は封鎖され、銃を持った『青い月』のメンバーが、その場にいた人々を取り囲んでいる。すぐにメンバーだと分かるのは、銃を持つ者がいずれも顔を隠し、片腕に青い満月がデザインされた腕章をつけているからだ。立派な立てこもり事件である。

「敵の人数は十二名、人質となっている市民は三十四名」

 見角大尉が説明すると、頷きながら明楽が聞いた。

「今回の敵の要求は?」
「我々は交渉では無く制圧を第一目的とする事に変わりないが、人工島管理AI『ミズハ』へアクセスするためのIDとPWが先方の要求だ。いつもと同じだ」
「教えるわけないだろうが、しつこい連中だな」

 辟易した声を発しながら、明楽は見角大尉に対して頷いた。隣で、眞岡も腕を組む。

「本当、マザー・ミズハにアクセスされたりしたら、絶対この島、沈められますよね?」
「ああ、確実だろうな」

 同意して明楽が大きく顔を立てに動かす。すると見角大尉が嘆息した。

「問題は、あの中に、IDとPW知る者が人質となっている事なんだ」
「え?」

 驚いて明楽が顔を向ける。すると見角大尉が両手を腰に添えた。それを見て、眞岡が問う。

「班長、本当ですか? それって、この対策班でも見角班長しか知らないんじゃ?」
「――いいや、最近では、青海にもデスクワークの委任の関連で開示したが」

 見角大尉がそう答えた時、それまで無言だった束瑳大尉が短く息を呑んだ。

「あ」

 その言葉に、他の三名が視線を画面に戻す。
 見れば、小学校中学年くらいの少年に、テロリストの一人が銃口を向けていた。

「続きの話は、車の中で。出ましょう!」
「ああ。現地へ急行する」

 それぞれタブレットを己のデスクから手に取り、モニターの映像と同期させながら、外へと向かう。束瑳大尉のみ、本部に待機した。既に別動隊が移動車の用意をしていたので、三人が外に出て乗り込むと、すぐにその車が走り出す。車内には、訓練を受けた犬が一匹同乗している。その頭に軽く手を置いてから、座って明楽が見角大尉を見る。

 幸いまだ銃口は向けられているだけで、怯えたように少年は泣いているだけだ。隣で若き母親らしき女性が、懇願している。

『助けて下さい』

 しかしテロリストは残酷な目をして、せせら笑っている。今にも引き金が引かれそうだとモニター越しに見て取り、明楽は顔を歪める。子供の保護は、人質の保護自体は、最優先事項ではない。今回の任務の場合、IDとPW知る人物の保護あるいは口封じの方が優先される。だが見ていて気持ちの良いものではない。下半身は比較的緩い明楽であるが、相応の道徳観念――いいや、彼一個人の中での善悪は存在している。

「一人でも射殺されそうになったら突入ですよね? もう、当然市警の特殊班は待機しているんですよね?」

 明楽が思わず訊くと、見角大尉が目を閉じた。他組織との連携は、主にこれまで見角大尉の仕事だったからだ。

「今まさに、その部分を、青海に移行していた。現在、私がこの事態の連絡を受けて君達を招集するまでの間に、無論連絡が現在でも取れていない青海が対処出来ていたはずはないな。現在、その部分は、束瑳くんが代わっているはずだよ」
「この非常事態に、青海は使えない限りだな!」

 思わず明楽が呆気にとられたように叫ぶと、見角大尉と眞岡がそれぞれ引きつった顔で笑った。明楽は思った事を、すぐに口に出す性格をしている。それは、乗車している二名も良く知っていた。

 明楽がモニターに視線を戻すと、テロリストが哄笑した。

『見せしめに、今から一人殺す』
『やめて、息子を助けて!』

 引き金に手がかかっている。過去にも、青い月という名の組織に属するテロリストは容赦なく老若男女を殺害してきたので、冗談でも脅しでもないと分かる。大抵最初に、弱者を見せしめに処刑するのが、敵集団のやり口だ。この場合の弱者とは、純粋に腕力が低い子供や女性、老人である事が多い。

 ――その時だった。
 銃声が谺する直前、若き母親以外のほとんど誰もが動く事が出来なかった状況下で、それまで他の人質同様そこにいるだけだった青年が前に出た。特徴を挙げるならば、非常に整った顔立ちをしているという点だろうが、それ以外に気配は無かった。彼が寸前で銃を蹴り飛ばさなかったのならば、明楽は注目する事も無かっただろう。

 結果として、発砲音はしたものの、少年は無事だった。
 子供抱き寄せ、母親が震えている。その前に、険しい眼差しをした麗しい青年が立ち、発砲しようとしていた一人目を足蹴で沈めた。そのまま床に落ちた銃を手に取り、発砲しようとしていた他テロリスト数名の手を見事に撃った青年は、それから残っているやっと我に返ったという様子のテロリストを足技や手刀で次々と沈めていき、三名が乗ったバスが、ショッピングモールの駐車場に停車したのとほぼ同時に、テロリスト達の制圧を終えていた。

「コイツ、何者ですか?」

 それから監視カメラを見上げた青年に、視線で射貫かれた心地になった後、見入っていた明楽が口を開いた。

「強っ」

 隣にいた眞岡も目を見開いている。

「――彼が、IDとPWを知る人物だが?」

 見角大尉が困ったようにそう述べる。とすると、第一位の保護対象ではないかと、思わず明楽も頬をひきつらせた。目立つべきではなかったし、大人しくしているべきだったのは明らかだが、結果としてテロリスト側も含めて死者はゼロ、少年も助かっている。

「とりあえず、突入して保護を」
「ああ、そうだな。明楽、眞岡。急行してくれ。私はここに残り、束瑳くんと調整をしておくよ」

 頷いた見角大尉を見て、明楽は頷き、眞岡の肩を叩いてから車の外へと出た。
 そして現地である展望室へと向かう。
 既に到着していた警察の人間と頷きあってから、解錠に立ち会う。

 警察官が入室すると、その場に安堵の息が溢れたのが見て取れた。明楽と眞岡のみ、真っ直ぐに敵を制圧した青年の元へと向かう。すると非常に端正な顔をした青年が、視線を向けた。

「お前強いな」

 思わず明楽は、笑顔で最初にそう声をかけてしまった。すると虚を突かれたような顔をした後、困ったように青年が顔を背けた。

「お前よりは成績が良いからな」
「え?」
「ただの訓練の成果だ」

 その声音には何処か聞き覚えがあったし、よく見れば、アーモンド型の瞳にも既視感がある。

「さすがですね、青海さん!」

 眞岡が呆れたようにチラッと明楽を見てから、青年に向かって改めて笑顔を浮かべた。

「え!?」
「やっぱり気づいてなかった。ほら、言ったじゃないですか。絶対マスクなくても、普通にイケメンだと思うって、俺」
「!!」

 小声で眞岡に言われ、明楽は呆然とした。
 マスクをしていない上、前髪を下ろしているので印象が少し違う青海をじっと見て、言われてみれば確かにそうだと、明楽は冷や汗をかいた。己の方が身長こそ勝っているが、実力は実践においても引けを取らないのは間違いない。

「しっかし格好良かったです」

 眞岡が世辞――にも聞こえるが、本心が滲み出ている声で称賛した。それは明楽も同感である。青海は答えず、取り出したマスクをしながら歩き出す。二人はそろってその後を追いかけた。この時が、最初だった。明確に明楽が青海を意識し、対抗心を抱いたのは。それまでは無意識だった負けたくないという想いが強くなった瞬間でもある。

 その後車に乗って見角大尉と合流し、本部に戻ると、そちらには来道も姿を現していた。こうして対策班の全員が一堂に会したので、その後は事後処理に追われた。明楽は、見角大尉が、落ち着いてから、青海を呼び止めたのを眺めていた。

「青海。君の行動は正しいが、適切ではなかったと思う」
「……申し訳ありません。PWは何があっても公言は致しませんので」
「それは当然ではあるが――そうだな、バツとして、今夜は一杯付き合ってもらうとしようかな」
「見角大尉……」
「君も疲れただろう? 美味しい食事を提供しよう」

 優しげに笑った見角大尉を見て、いつも感情が見えない青海の瞳が僅かに和らいだように明楽には見えた。どうやら二人は本当に親しいようだ、噂は適切らしい。そんな事を考えた。こうして、この日は書類をするはめになり、娼館に足を運ぶことが叶わなかった明楽は、虚しく帰宅後右手を恋人とした。