【四】緊急の特殊任務
――明楽が班長室に呼び出されたのは、それから二週間後の事だった。季節は、初夏に差し掛かっている。街路樹の葉の色は瑞々しい緑で、花壇には色とりどりの花が咲き誇っている。路を歩きながら、明楽は腕を組んでいた。
「緊急の特殊任務ってなんだろうな?」
呼び出された理由である。マンションからオフィスビルまでは普段はバスか地下鉄を用いるが、徒歩でも移動可能なので、今回は徒歩とした。無論、特命を受ける事は珍しくは無いのだが、多くの場合班員全体が招集されるので、今回は指定時刻に隣室の扉が開く気配が無かった事が気になっていた。眞岡は出てこなかったのだ、家から。
こうして、なんだろうかと考えながらオフィスビルの班長室へと向かうと、窓辺の執務机に座っている見角大尉と、その隣に立っている束瑳大尉がいた。
「失礼します」
真面目な顔を取り繕って、明楽がそう述べる。それから、既にソファに座っているもう一名を見た。そこにいるのは、先日テロリスト集団を単独で制圧した青海透である。
「来てくれて良かった。座ってくれ」
命令である以上、放棄するという選択肢はない。一礼して、明楽はテーブルを挟んで、青海の前に座り、それから改めて見角大尉を見た。
「さて、二人とも。任務について説明する。簡潔に言うが」
見角大尉は立ち上がると、二人の間のテーブルの端の所に立った。
そちらに明楽と青海はそれぞれ顔を向ける。
「特殊人事の通達だ。二人には、結婚してもらう。青海と明楽には、遺伝子情報からの判定による任務結婚と合成児の育成の任務が与えられた」
あんまりにも予想外の知らせに、最初何を言われたのか、明楽は分からなかった。
「――は?」
「拒否権は無い」
「え、待っ、待って下さい。は? え。は? 俺とコイツが結婚?」
自分と青海のそれぞれを指さしながら、明楽は聞き返す。
「そうだ」
満面の笑みを浮かべて見角大尉は頷いている。明楽は眩暈を覚えた。
「既に、婚姻届けは代筆し、提出してある」
「は? だから、は?」
「本日より同居してもらう。場所は、青海の現宅が、家族用の部屋なのでそちらで頼む。明楽の現宅は、来月末までに退去だから、引越しをしっかりとしておくように。それと人工授精は、既に採取済みの二人の精子を用いて、開始している。クローン母体による出生の後には、二人はそれぞれが父親となる。いやぁ、優秀な二人の特色を受け継ぐ子が楽しみだなぁ」
「……」
「ニホン国軍統括総合本部の次世代育成化計画課の許可が無い限り、離縁も禁則事項だ。心して頼むぞ」
呆気にとられるというのは、こういう時に使う言葉なのかもしれないと、明楽は考えた。
「とりあえず、後はお若い二人で、な。今日から、頑張るように、二人とも」
それまで何も言わなかった青海が、その時初めて、顔を明楽に向けた。視線を感じて、明楽もまた視線を向ける。すると青海が、困ったように二度瞬きをしてから、凍えながらも良く通る声を放った。
「部屋は元々使用していない空き部屋がある5LDKで、これはその……合鍵です」
「! お前、お前はそれで良いのか?」
「任務ですので」
「結婚て愛がある相手とするんじゃないのか? 任務だとして、だとして、だとして――……っ、ああ、それはそうだな」
言いたい事しかなかった明楽であるが、声を飲み込む。彼にとって、仕事は絶対だった。
結果、気づいた時には退出していて、青海と同じエレベーターに乗っていた。
下降する箱の中で、パネル側の前に立ち、ギギギと硬い調子で明楽が青海を見る。
「……」
「……」
しかし、次に扉が開くまでの間、二人に会話は生まれなかったし、自動延長の『開』を押して先に降りた明楽は、初夏の歩道を足早に歩きながら、何も言わなかった。数歩遅れた位置を、同様に徒歩で青海が進んでくる。時折振り返って確認したが視線が合う事も無かったし、青海は無表情であるし、喋る事も無い。相手が何を考えているのかさっぱり分からず、明楽は終始眉間に皴を刻んでいた。
次に会話が発生したのは、合鍵を受け取ったマンション八階の青海の部屋の前での事だった。
「入って良いのか?」
「――ああ」
一拍遅れて相槌を打った青海が、それから顔をあげた。そして率先して、カードキーで扉を開けた。中に入る青海を見て、玄関の鍵には特に工作痕も無く、実に不用心だなと考えながら、明楽は家に上がる。室内は、マンションのデフォルトのままの内装で、あまり生活感がない。使用されている形跡があるのは、気配を辿ると、ダイニングキッチンと浴室付近やトイレ、リビングとその隣の一室のみだった。
「好きな部屋を使ってくれ」
「おう……隣の右の扉の先がお前の部屋か?」
「ああ。布団しかないが」
「……」
布団。
本来、結婚するとなれば、性交渉が生じる事が多い。その部分は、パートナーとの在り方にもよるが。少なくとも明楽は、好意を必要とするタイプだ。だが、と、青海を見る。確かに整った顔立ちをしているし、自分より数センチは背が低いし、筋肉量だけ切り取るならば、自分よりも青海は細く見えるが、かといってネコには見えない。眞岡もいつか評していたが、マスクイケメンと噂になる程度にはタチ認識で部隊でもモテつつあった青海は、一見する限り抱く側だ。
「お前さ。下役やれるか?」
「……?」
「だから。俺に抱かれろって言われてできるのか?」
「――性行為は女性としか経験が無い。無論、挿入する側としてだった」
「話にならないな」
明楽が吐き捨てるように笑った時、簡素なインスタントコーヒーの粉をポットのお湯で溶かして、青海が運んできた。
「不味い」
「……」
「お前、飲み物くらい真面目に淹れるか、こだわりないんなら普通に既製品を買え。この粉の量は適切なのか? 冷めたアイスコーヒーの紙パックを買ってレンジにぶち込んだ方が、断言して美味いだろ」
「……無糖のhotであれば、全て同じに感じる」
「あーもう、はいはい、意外とダメ人間さんですね。俺とは根本的に合わないな。俺は、こだわるところはこだわる方なんだよ」
「今後、そうすればいいし、俺もそうするように心掛ける。不一致の解消の努力はする。それよりも、家事の配分などはどうする?」
職務の規定上、そもそも資料の持ち出しは禁止だが、ハウスキーパー等の外部業者を家に招く事もまた禁止だ。その為、部隊員の中の清掃班の人間や調理班の人間に来てもらうかという話である事は、明楽にもすぐに理解出来た。
「今はどうしているんだ?」
「コンビニで買って、コンビニに捨てている。掃除は、週一で清掃班に任せている」
「なるほど。お前、本当何もできないんだな」
「……」
「俺は軍の新人教育を受けてきた人間だからな、無いものは自作可能だし、基本的にすべて出来るぞ。お前は。確か見角大尉と同じなら、軍大学卒か?」
「いいや。俺は、警察関係の出自で、海外研修を受けての急配属だった」
「納得した。腕が立つのも理解した。けどな、俺は武力と結婚したいわけじゃなく、家庭には温もりを求める方なんだ。お前、無理。俺、お前とはSEX出来ない。お前が下でも無理。顔はともかく、お前が相手じゃ勃たない」
「っ」
「幸い二ヶ月は、俺にも猶予があるようだしな、あちらに帰るし、性処理こそ外注させてもらうわ。悪いが、折角できた貴重な休日だ。俺としてはヌきたい。もっと正確に言うならば、ヤりたい。今から娼館に行ってくる。じゃあな」
冷ややかに笑ってから、一気に不味いコーヒーをそれでも何とか飲み干して、明楽は家を出た。青海は何も言わなかった。
明楽はそのまま、夕暮れの空模様の下、ゆったりと歩いて花街を目指した。
そしてこの日もラークに立ち寄り、顔馴染みである男娼の一人である暮場(くらしば)を抱いた。顔馴染みの男娼は何人もいるのだが、二十一歳の暮場は特に後腐れが無い良い意味のビッチで、明楽は気が楽だった。事後、娼館側が用意してくれた煙草を吸っていると、不思議そうな顔をされた。
「明楽さん、何かありました?」
「あ?」
「今日、いつもより、めちゃめちゃ激しかったですけど」
「別に。んなもん、決まってんだろ、暮場が可愛かったからだ」
「じゃー! 身請けして!」
「悪いが無理だ。今日から俺は、同性婚だが、配偶者がいる」
「最悪の初夜だな! 残されてる人可哀そうすぎる! なんでそんなハッピーな日に浮気?」
「浮気? 娼館って浮気に入るのか?」
「それは人によるけども! 僕は嫌だなぁです。結婚初夜くらい、あったかく腕枕されたい!」
「安心しろ。アイツはそういうタイプじゃない。お前みたいな可愛らしいネコじゃないんだよ」
「可愛い頂きました。わーい! お兄ちゃんに報告しなきゃ!」
そんなやりとりをしつつも、この日も午前二時を少し回った頃には、ラークを後にする。しかし帰る先は、新居ではない。引越しという名目があるからと、自宅に帰った。荷物整理をギリギリまでする素振りをしようと、明楽は決意していた。