【七】拉致





「――明楽。青海は?」

 険しい顔で入室とほぼ同時に言い放った見角大尉の声に、明楽が顔をあげる。家では顔を合わせない生活をしているので、正直反応に困った。

「家を出る時間が違いますので」
「間違いなく、朝四時には在宅していたか?」
「それは、応答があったのでは?」
「毎日同じ文面の自動返信らしき痕跡は確認している」
「は?」
「私が聞いているのは、姿や気配を確認したかという点だ。『はい』か『いいえ』で答えるように」
「『いいえ』で、あります……」

 気配が変わって鋭くなった見角大尉に、敬礼しつつ明楽は答えた。すると室内を見渡し、常に温厚な見角大尉が非常に不愉快そうな眼差しに変わった。

「眞岡は?」
「今日は非番です」
「来道は?」
「朝から見ていませんが――来道さんは結構時間にルーズだしな」

 そこがあまり好きになれないのだと、常々明楽は考えている。

「……束瑳くん、やはり情報開示権限を実行する」

 軽く振り返り、後方に佇んでいた束瑳大尉に、見角大尉が声をかけた。すると静かに束瑳大尉が頷いた。

「情報開示? 誰のですか?」

 対策班のメンバーは、全員が、手首に外すと強制的に爆発する腕輪の装着を義務付けられている。開示請求が下れば、そこから現時点の所在地とカメラ映像、音声が流れ出てくる仕様だ。

「青海だ。警察関連から、朝からこの本部と――即ち、定時になっても青海からの連絡がないという苦情が来ている」
「え?」
「そして生態位置情報を確認した限り、このオフィスビルにも居住マンションにも、青海の反応がない」
「な」

 明楽が目を見開いた傍らで、副官として同意するという書類に印鑑を束瑳大尉が押した。眞岡が顔を出したのは、その時だった。

「え、青海さんがいないとかって?」
「ああ。今からデータを閲覧する。君も確認してくれ」

 険しい表情で見角大尉が述べる。こうして四人は、モニターを見た。束瑳大尉の操作で、そこに現時点の青海の腕輪が受信可能な映像が映し出される。全員が息を呑んだ。

『PWを答えろ』

 そう告げてニタリと嗤っている来道の顔が、大画面に映し出された。腕輪のカメラ角度を調整すると、椅子に拘束されている青海の姿もすぐに捕捉された。綺麗な黒髪を汗で肌に張り付かせている青海の瞳は、涙で潤んでいる。

『……』

 しかしきっちりと結ばれた唇からは、何も言葉は零れ落ちない。必死で何かに堪えている様子の青海は、何も言わない。

『強情だな。薬を追加する』

 すると片手を左に向かって来道が差し出した。そこに、注射器を載せながら、片腕に青い月というテロ組織メンバーの所属を証明する腕章をした青年が、述べる。

『これ以上追加すると記憶に影響が』
『じゃあ媚薬――ストロベリームーンだけ追加だ』
『なら、こっちの注射器ですね』

 青年が別の注射器を渡し直すと、受け取った来道が青海に歩み寄った。そして卑しい笑みを浮かべる。

『自白剤はもう足りているらしい。あとは、気が狂うだけだぞ』
『っ、止め――ッっ』

 ストロベリームーンと呼称される強力な媚薬をじっくりと青海の白い首筋に来道が注射した姿――既にその首筋には、いくつもの注射の痕跡があるのを、一同は確認した。

『楽にしてほしければ、マザー・ミズハへのアクセス権限の全てを吐け。IDとPW、分かるだろう?』

 来道が繰り返す。震えながらも、必死で青海は唇を噛んでいる。その一種凄艶な姿を見ていた来道が、ふと思いついたように、隣の青年を見る。

『舌を噛み切られると困るな。猿轡(ボールギャグ)を』

 すると言われた通りに、そばのチェストの上から玩具を手に取りつつ、銀髪を横で一つに結んだ青年が、片目だけを細くした。

『それじゃあ喋れないのでは?』
『もういい。ボロボロにしてやる。一度、この綺麗な顔を歪ませてみたいと思っていたんだ』
『大層なご趣味で』
『安和(あんな)には、分からんだろうが――男らしい男も良い。それを犯すのもな』
『そうですか。僕、視姦趣味はないので、これで。そろそろ弟も仕事が終わるので、食事の用意もしないと』
『ああ、さっさと出ていけ。この後は、存分に堪能させてもらう』

 安和と呼んだ青年から受け取った口枷を、青海に嵌めてから、改めて来道が残酷な笑みを浮かべた。来道が、拘束されている青海のシャツを、強引に引き裂く。

「楽しみだなぁ」
「ああ、本当になぁ。お前の独房行きが」
「!」

 来道の右手が後ろから捻じり上げられたのは、その瞬間だった。息を呑み、来道が目を見開いている。色の黒い肌に、滝のように汗を流し始める。

「俺の嫁さんに何してんだよ?」

 手首をきつくつかまれている来道は、ここに在るはずの無い明楽の声に狼狽えながら、首だけで振り返る。

「言ってなかったな、機密だしな」

 そこに立っているのは、紛れもなく明楽本人だった。短距離瞬間転移能力――それが、合成児として生まれつき明楽が供えている特異な能力である。明楽には、彼なりの倫理観があって、合意があれば性行為は浮気でも不倫でも構わなかったが、強姦だけは許されない。例えば、それは小学生の少年が殺される事を許容できないのと同じ事だ。

「お前は突き出させてもらう。調査は、見角大尉あたりがしてくれるだろ」

 能力で、本部拘置所にまずは来道を明楽は強制転移させた。それから青海の拘束を解く。すると震えている青海が、体勢を保っていられずに、倒れ込んできたから両腕で抱き留めた。

「もう大丈夫だ」

 口枷を外しながら、囁くように明楽が述べる。すると涙ぐんでいた青海がギュッと目を閉じた。結果、上気した白い頬を涙が零れ落ちていった。

「……れ」
「ん?」
「殺してくれ」
「は?」
「体が熱くて、も、もう……っ」
「薬のせいだ」
「でも、俺、あ……あああああ!」

 安心させようと明楽が抱きしめると、ビクンと青海の体が跳ねた。その敏感さに狼狽える。が、同時に、あんまりにも青海の泣き顔が綺麗で艶っぽく、色っぽかったものだから、明楽は焦った。無き喘ぐような掠れた危うい吐息を零す青海が、放つ色気は尋常ではない。

「青海……?」
「俺、俺……っ、っッ、息が出来な――あああああ」
「落ち着け!」

 気づくと明楽の陰茎が張り詰めていた。だが、ここにいて、テロリストに気づかれるべきではないし、目的は青海の救出だ。寧ろ、来道を拘置所送りに出来たのは僥倖ですらある。本来は、咄嗟に救出して移動するつもりだった。

「行くぞ」

 そのまま、青海の体を腕で抱き寄せて、明楽は本部があるビルの医官研究室へと転移した。すると束瑳大尉が待っていた。

「これ」

 即座に、開けているシャツの腹部の、ストロベリームーンという媚薬による淫紋が浮かび上がっている事を、束瑳大尉が確認する。

「――楽にする方法は二つ。一つは、」
「SEXですよね?」
「うん。もう一つは」
「聞かなくて良いです。配偶者ですので、法を違反はしません。本人の訴えがない限り」

 断言した明楽を見て、束瑳大尉が思案するような顔をした後、頷いた。

「――訴えがあったとしても、初回対応事例は、どのみち職業男娼婦を招く事だから、君は罪には問われない。二回目以降の対抗薬も、完璧には程遠く、自発的でない服用者……被害者は、皆がタチの男娼を招くのが実態だからね。ただ、大切にしてあげて。せめて優しく」
「分かってます、俺だってそこまで鬼じゃないですから」
「そう。鍵は外からかけておくよ」

 そうして束瑳大尉が出ていってから、改めて明楽は朦朧としている様子の青海を抱きしめた。するとガクガクと震えた青海が繰り返した。

「殺してくれ」
「落ち着け」
「んン」

 そのまま明楽は、青海の唇を奪う。濃厚なキスをしてから、一度口を放すと、我に返ったような、それでいて何処か純粋な瞳で、青海が呟いた。キスで唾液に触れた結果、少し呼吸が落ち着いてきたらしい。

「お前、俺じゃ勃たないって……」

 勃起している己の陰茎が、現在、青海の身体に当たっている事を理解しつつ、この時プツンと明楽の理性が途切れた。

「もう勃ってる」