【八】媚薬と淫紋




 ――ふわふわした心地で、気づくと硬く長いものに、青海は穿たれていた。

「あ、ああっ……ッ!」

 唐突に意識が清明になったのは、明楽の陰茎が射精した瞬間だった。ドクドクと内部に注がれる白濁とした液の感覚を、全身が初めて知ったその瞬間、やっと青海は自分を取り戻した。だが、そこには同時に、残酷なほどまでの快楽があった。

「――、――!」

 声にならない悲鳴を上げて、その衝撃でほぼ同時に放ち、この日青海は気絶した。
  


 次に目を覚ますと、丸一日半が経過していて、青海は医務室のベッドで、点滴を受けていた。当初、鉛のように体は重く、自分がどこにいるのかも分からなかった。そのため横になって天井を見上げていると、定時に診に来た束瑳大尉が気づいて、ナースコールを押した。こうして検査され、ある一点以外は無事であると、青海は判断された。

 ――腹部の、淫紋。
 ストロベリームーンという媚薬の後遺症以外、身体に問題は無かった。

「これからは、その淫紋が消失するまで、満月に近づくにしたがって、副作用で体が熱を孕むよ。満月の日には、直接注射された時と同じようになる」

 束瑳大尉の説明を愕然としながら、青海は聞いていた。

「次の満月は、三日後だ。君の配偶者の明楽くんは、協力してくれるようだから、きちんとその部分を話すようにね」
「……」

 青海は何も言葉が見つからなかった。
 確かにフワフワとした幸せな気分で、明楽に抱かれたようにも思うが、おぼろげにしか覚えていない。快楽が強すぎて、記憶が途絶しているせいだ。シャツの下にくっきりとある黒い紋章を見て、青海は困惑した。時折、その個所が熱く疼く。

 その日、マンションに帰ると、ソファに座り明楽が足を組んでいた。

「もういいのか?」
「ああ……」
「そうか。それが聞きたかっただけだ。俺はもう寝る」

 すぐに明楽がリビングを去ったため、エントランスで立ち尽くしたまま、青海は何も言えなかった。翌日は、一日、朝は『日課』というのか、以前と同じように、明楽と同じ時間に狙撃の訓練を終え、視線は合わないが、明楽の姿をたまに眺めた。その後はデスクワークを青海はこなした。明日が満月なのだからと、今日こそは言わなければと思っている内に、一日を終えてしまう。先に退勤した明楽が、本日何処へ帰ったのかも知らないまま、トボトボと残業明けに青海は帰宅した。残業の代わりというわけではないが、満月当日とその翌日は、休暇を得ている。

 帰宅し、ドアを開けると、エントランスまで良い香りが漂ってきた。

「おう」

 見れば、リビングに正座をして座っている明楽が振り返った。目を丸くして首を捻ってから、青海は靴を脱ぐ。そうして中に入ると、ローテーブルの上には、皿が並んでいた。

「すき焼きが食べたい気分だったんだ。付き合え」
「え?」
「付き合え。ほら、卵を器に溶けよ」

 言われるがままにそうしてから、困惑して、青海は明楽を見た。

「満月の事、聞いたのか?」
「ん? 青海、何を? 誰に?」
「――いいや、なんでもない」
「は? 青海、言いたいことがあるなら、濁すな。俺は、そういう奴が嫌いだ」
「っ、良いから。おい、明楽。この鍋沸騰してるぞ?」
「煩い。今、わざと火を強めたんだ」

 そんなやりとりをしてから、牛肉をハサミで切って、明楽が食べやすくした。

「青海。お前、好き嫌いあるのか?」
「ツナサンドが好きだ」
「青海は、肉より魚派?」
「カツサンドも嫌いじゃない。明楽は……?」
「俺は好き嫌いはゼロだ。で、米よりパン派か?」
「どちらも好きだ」
「――ふぅん。ま、かろうじて、食生活はなんとかなりそうだな。ちなみに俺は肉派で白米派。玄米も許す」
「そ、そうか。覚えておく」
「いいよ。青海には、料理は期待できない、今現在は、少なくともな。俺、こだわる方だから、俺にやらせろ」

 そう言って二ッと笑った明楽が無駄に格好良く思えて、ギュッと青海は目を閉じる。そして満月の相談をしなければと思ったのだが、次々と具材を勧められて、伝えるタイミングがなかった。その後、二時過ぎまで鍋をして、リビングで雑魚寝という人生での初体験をした青海は、朝四時に、初めてアラームの音で起きた。

「お前も、きちんと今日から音声返答な」
「!」
「俺が起こしてやる。青海、我が儘はやめろ。眠いのはみんな同じだ」

 こうして、青海は久方ぶりに音声で、確認をしてきた見角大尉に返信を送った。それを見ると、すぐにまた明楽が横になる。

「さて、二度寝だ」

 その姿に、青海が柔らかな笑顔を浮かべて頷いた。
 後はこのまま、満月当日であるから、青海は休みで良いのだが、それを知らなかった――結局青海が伝えなかった為、明楽が翌朝七時に、青海を叩き起こした。

「おら、行くぞ」
「……っ」

 そう言って促された先は、職場ではなく、ダイニングテーブルの前だった。ある種完璧な和食の家庭料理風朝食が用意されていた。眠くて食欲があまりなかった青海であったが、これには覚醒した。意外過ぎたからだ。明楽が料理をするタイプだとは、これまで思ってもいなかったからだ。すき焼きはともかく、手の込んだきんぴらごぼうが輝いて見える。

「食え。残したら、俺が食うから」
「!」
「大皿にしてるのは、そういう理由だ。俺はいくらでも食える。ただ、これでも体重管理を気にしてるから、自分の基本量はあるが――飯を残すのは冒涜だ。どんなに不味いコーヒーでも出されれば呑むのと同じだ。だが、俺はそれを他人に強要はしない」
「――いただきます」
「おう。いただきます」
「……卵焼きが、甘い」
「青海は塩派か? 出汁派か?」
「いや、美味しい。これ、美味しいな……」

 目を丸くしている青海の純粋な本音に、気を良くしたように明楽が喉で笑った。

「だろう? 自信作だからな」

 普段は口に入らない朝食ではあったが、美味なことも手伝い、必死で青海は食した。それを見守ってから、明楽が述べる。

「今日も一日、仕事だな」
「――っ、その……俺は、休みなんだ」
「は? 非番のシフトじゃないだろ? 何休暇だ? 有給か?」
「……と、とにかく休みなんだ」
「ほう。じゃ、買い物に行ってきてくれ」
「え?」
「まさか怖くてお外出られませんとかなってないだろうな? 俺はそんな相手とは連れ添えないからな」
「か、買い物くらい行ける!」
「じゃあ、麺つゆの大きいパックを頼む。俺は基本的に、非常にこだわる時を除いては、時短が正義なんだ」
「?」
「これから色々教えてやるから、とりあえず生活能力がない青海は、俺に従っておけ。他の買い物リストもメモしておいた。コレ、買ってきておいてくれ」
「わ、分かった」

 頷き、紙片を明楽から受け取り、青海は記憶する。その後、仕事に行く明楽を見送ってから、満月が空に現れる前にと、急いで買い物に出かけた。なんとか無事に全商品を購入するだけでも、品物の在り処を知らない青海には、三時間もかかってしまった。

「……次からは、ネットスーパーを使おう」

 そう一人決意して、帰宅し、全ての品を収納してから、青海は明楽には不味いと言われる珈琲を淹れた。それを飲み、一息つく。

 ――ドクン。
 そんな風に鼓動が一際強く啼いて、視界が二重にブレたのは、その時だった。
 丁度空で、満月の輝きが増した七月の空、夏。
 じわりじわりと、腹部の淫紋が熱を帯びる。マグカップを取り落とした青海は、その場でうずくまり、涙ぐんだ。一昨日と同じように、全身を熱が絡めとり始める。

 どれくらいそうしていたのかは分からない。

「――み。青海!」
「……っ」

 気づくと青海は、明楽に抱き起されていた。しかし触れられた肌から、快楽が込みあげてくる。

「触るな!」

 反射的に声をあげて突き飛ばすと、明楽が息を呑んでから、眉を顰めた。

「あ? 心配してやってるのにその態度はなんだ?」
「……っ」

 言葉とは裏腹に、優しく明楽が青海の腰を抱いた。すると全身から力が抜けて、ポロポロと青海は涙を零した。

「っ、ッッッ」
「青海? 震えてるぞ?」
「あ、熱い。熱い……離せ……じゃないと……あ、ぁ……」

 気づけばびっしりと汗をかいていて、髪が肌に張り付いていた。力のない体を明楽の腕に支えられた状態で、青海が譫言のように声を紡ぐ。

「あ、あ、ぁ……ァア」
「お前、これ――」
「ふ、副作用で」
「だよな? 俺は今日、本部で説明を受けて、帰宅を急いだ。お前から聞いていなかった事に驚かれて、非常に心外だったぞ」

 涙を拭うように、明楽が青海の頬を撫でる。瞬間、青海の理性が飛び、咽び泣いた。

「明楽、抱いてくれ」
「ああ」

 こうして、最初の満月の夜が始まった。
 この夜もすぐに快楽に飲み込まれ、青海はおぼろげにしか、夜の記憶を覚えていない。翌朝目を覚ますと、朝四時の定期連絡を、寝転がりながら、隣で裸で明楽がしているのが見えただけだ。

「――ええ。隣で寝てますよ。青海は、いますんで、はい。ええ。ええ。じゃ」

 通話を切ってから、目を開けている青海に気づいた明楽が苦笑した。

「見角班長って小舅みたいだな」
「?」
「なんでもねぇよ。ほら、寝ろ。お前は今日も休みだろ、青海。休みは寝るもんだ」

 横から抱きしめて寝かしつけられた為、素直に青海は双眸を閉じた。